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新卒エンジニア、観察ノートを開く(下巻) 道を、選び取る  作者: 音無 凪


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あとがき 〜シリーズ完結を迎えて〜

 本書『新卒エンジニア、観察ノートを開く』全三巻を、最後のページまで読んでくださった皆さんへ。


 桐谷蒼太という一人の新卒エンジニアの三年間、プロローグから断章まで全百十二編、約七十万字。その長い道のりを最後まで一緒に歩いてくださったこと、心より御礼申し上げます。桜の蕾のふくらみ、二十二件目のレビューコメントの一行、寮のラウンジで湯気を立てるコーヒーの香り。物語の中では誰も気に留めないような細部までも、あなたは私と一緒に見ていてくれました。そういう半径三メートルの温度を共有できたことが、作者にとっては何よりの贈り物でした。


 


なぜ、観察の物語を書いたのか


 この物語の主人公・桐谷蒼太は、特別な才能を持ちません。天才プログラマーでもない。口の立つ交渉役でもない。地方の情報科学の学部を出た、ただの新卒エンジニアです。彼が持っているのはノート一冊と、観察の目だけです。


 私が「僕」の一人称でこの主人公を描いた理由は、はっきりしています。いま日本のあちこちのオフィスや工場や現場で、名前も呼ばれずに一年目を過ごしている、無数の桐谷蒼太のためでした。派手ではない、けれど確かに現場に立っている。そういう、ふつうの新卒。その目線をそのまま借りて、地方の中小IT企業の日常を内側から見てみたかった。


 舞台のヨキエル株式会社は、社員百名ほどの、いわゆる地方IT中小です。都心の華やかなメガベンチャーの物語はすでに世の中にたくさんありますが、日本の技術者の少なくない割合は、こういう会社で最初の三年を過ごします。その半径三メートルを、私は書き残したかった。


 半径三メートル、というのは遠野CTOが作中で桐谷に手渡した言葉であり、同時に私自身が若手技術者を見つめてきた距離でもあります。世界を変える、業界を動かす、そういう大きな話ではなく、まず自分の手が届く三メートルを丁寧に観察できるかどうか。私はそこに、技術者としての芯があると思っています。


 この物語を書き始めたのは、二〇二六年の春でした。二十五年の職業人生の中で、私は駆け出しのエンジニアから、いつしかCQOやCTOを経て代表として組織のトップも経験しています。その二十五年で、良い会社の日常もたくさん見てきましたが、同時に、若手が静かに壊されていく現場もあまりにも多く見てきました。「学生時代にもう少し情報があれば、違う選択ができた」と話す若手エンジニアに、何人も何人も出会ってきました。この構造をどうにか若い世代の側から解消してほしい。それがこの物語を書き始めた、いちばん最初の動機でした。


 しかし書き始めてすぐに気づいたのですが、動機だけでは物語は続きません。物語を続けさせてくれたのは、桐谷たちのほうでした。書いているうちに、彼らが勝手に呼吸を始め、私が想像していなかった表情や台詞を見せるようになった。私は途中から、書き手というよりは、彼らの三年間を横で観察する記録者のような立場になりました。だからこの物語は、私にとっては小説であると同時に、二十五年ぶんの観察記録の別名でもあります。


 


三年間、三巻、そして成長の弧


 この物語は三巻構成で、それぞれの巻に副題を添えました。


 上巻「観察を、始める」。


 中巻「両輪を、回す」。


 下巻「道を、選び取る」。


 この三つの言葉は単なる副題の言葉遊びではありません。私にとってこれは、新卒エンジニアが三年で辿る、避けがたい成長の弧そのものです。同時に、望ましい成長の弧でもあります。


 一年目は、観察を、始める年。まだ手も足も出せないけれど、目は開いている。先輩の優しさの中にある本物とそうでないものの気配、マネージャーの言葉の奥にある視座の高さや欠落。何もできないままに、ただ観る。それが一年目の仕事です。


 二年目は、両輪を回す年。技術という縦棒だけでは新卒エンジニアは前に進めません。事業を見る目、組織を見る目、そういう横棒を同時に育てていくことで、初めて両輪となって前に進める。同じレビューでも白瀬先輩と赤坂先輩とでは質が違い、同じ1on1でも諏訪マネージャーと江口マネージャーとでは質が違う。一年目には「差がある」としか観えなかったものの輪郭が、二年目になってようやく立ち上がってきます。両輪の片方だけを回そうとする人と、両方を同時に回そうとする人の景色の差も、二年目の桐谷が少しずつ手応えとして掴んでいく主題でした。


 三年目は、自分で道を選び取る年。橋本香織さんという初めてのメイン担当の後輩を預かり、鈴木未來さんというインターンに三年分を三十分で伝え、研修員論文発表会で自分の三年をひとつの形にして社内に置く。諏訪マネージャーの異動、同期それぞれの決断、そして自分自身の三つの道。桐谷は最後に、自分の足で立って自分の道を選び取ります。この一行に辿り着くために、私は百十二編ぶんの時間を桐谷と一緒に歩いてきました。


 


登場人物への思い


 書き終えたいま、桐谷たちに対して不思議な感情を抱いています。書き始めた頃は私の頭の中の設計図の中にいた彼らが、書き進めるうちに私の想像を離れて勝手に呼吸を始めた。設定資料に書いていない表情、書くことができるとは思っていなかった強さを、彼らは自分の場所で見せてくれました。


 同期の六人。葉山、黒木、アユシュ、丸山、杉本。そして桐谷蒼太、あなたには観察の目を託しました。三年間、あなたに背負わせたものは決して軽くありませんでしたが、あなたは最後までノートを閉じませんでした。ありがとう。


 先輩たち。諏訪千絵マネージャー、白瀬凪先輩、間宮啓先輩。あなたたちがいたから、桐谷は折れずに三年を歩けました。遠野吉彦CTOと村瀬正之社長。「半径三メートル」「両輪」「三年で土台」の三つの言葉を遠野に語らせた瞬間、この物語はひとつの背骨を得ました。


 澪の暖簾。とんぼの寿さんと雅代さん。倉田さん。あの店の温度は、私自身が救われてきた地方の街のカウンター席の温度から借りたものです。登場する人物の背後には、いつも登場しない誰かの時間が層になって積み重なっている。それを書き残せたことは、書き手として大きな救いでした。


 そして最後に、この物語のあらゆる登場人物の中に少しずつ削り出されて入っている、実在の若手技術者たちへ。彼らはみんな、私が二十五年で出会ってきた誰かの分身でもあります。この場を借りて、深く感謝を申し上げます。


 


桐谷たちがくれた、小さな幸せ


 この物語を暗い話としてだけ受け取ってほしくないので、桐谷たちが三年でくれた小さな幸せの場面を、少しだけ書き残させてください。百十二編の芯には暗さと重さもありましたが、それと同じ量だけ、笑い声と温度としみじみとした幸せがありました。


 同期六人の「6人室」というプライベートチャンネル。金曜の夜、丸山くんの「今日、俺、佐々木さんの軽トラに乗ったっす。港川でいちばんいい匂いがするっす」の一行に、葉山さんが「丸山くん、それ何回目?」と即座に返し、黒木の短い「三回目」が続く。あの掛け合いを書いている時、私の顔はにやけていました。桐谷の三年は、レビューでへこんだ夜と同じ数だけ、この6人室の笑いに救われた夜がありました。


 澪の暖簾、とんぼのカウンター。とんぼの寿さんが四十年変えなかった煮方を、四十年目に自分の意志で変える一夜。倉田さんが関西弁で息子二人の話をしながら「勉強もええけどな、こういう時間がいちばん大事やで」と差し出す夜。地方の街のカウンター席には、都心の華やかなレストランでは決して手に入らない種類の、しみじみとした幸せがあります。


 城跡公園の八十段の階段。桐谷は三年で四回登り、四年目の前、四度目の頂上で「あと一週間で満開」とノートに書きます。桜並木通り、寮のラウンジで淹れるコーヒー、大晦日に一人でお雑煮を作る朝、母からの短いLINE。桐谷が三年で積み上げた幸せの大半は、こういう小さな景色の連なりでした。


 諏訪マネージャーが桐谷に手渡した「君の三年で、私も育つから」の一行。この一行を書いた瞬間、私は自分でも少し驚きました。マネージャーが部下を育てるという上下の関係ではなく、二人で並んで育っていく水平の関係。白瀬先輩の二十二件のレビューの奥にある信頼。間宮先輩と澪のカウンター席で並んで飲んだビール一杯。村瀬社長が座敷で並んで語った、四十四年前の同じ蕾の話。桐谷の三年をあたたかく照らしたのは、大人たちの側からのこういう小さな手渡しでした。


 この物語は、暗さと重さの物語ではありません。同じ量だけ、こういう小さな幸せの物語でもあります。次の章から少し重い話が続きますが、その重さの向こうにはいつもこの温度があることを、どうか忘れないでいてください。


 


静かに人間を壊す、という現実


 ここから少しだけ、物語の外側の話をさせてください。この物語を書きながらずっと隣に感じていた、いまの日本の新卒エンジニアを取り巻く現実の話です。


 桐谷は幸運でした。諏訪マネージャーや白瀬先輩たちの半径三メートルの中で、育つ側の当たりを引いた一人です。しかし現実の新卒エンジニアの多くはそうではありません。隣の課に配属されたら江口さんや大沢さんがいるかもしれない。作中の「組込み連鎖退職事件」の連なった退職届は、日本のあちこちの現場でいま同じような線が毎月引かれています。


 この物語に私が忍ばせた危機感は、メンタルヘルスの手前にあります。いまの日本の多くの現場で、新卒を人として扱わないことが横行している。静かに人間を壊す、そういう組織が多すぎる。これが二十五年の観察を経て私が辿り着いた結論です。


 人扱いされない、というのは、一人のビジネスパーソンとして尊重されず、成長の機会も支える制度もなく、ひとまずプログラミング言語とマニュアル修正だけを与えられて、質問しても答えは返らず、ミーティングでは発言の順番も回ってこない、そんな扱われ方のことです。しかもいまの新卒は、学校教育で描いた仕事の像、SNSで流れてくる同世代の華やかな一日、親世代の「一つの会社で真面目に」という期待、その全部を背負って四月一日に会社の門をくぐります。この外側の重さを組織の側で半分引き受けることが、いまの時代の新卒育成の出発点です。


 こういう扱いを二年三年と受け続けた人間は、自分をただの作業者だと信じ始めます。自分の意見に価値があると思わなくなり、自分で考えることを手放していく。それが「静かに人間を壊す」と私が呼んだ現象の中身で、壊された当人は、壊されていることにさえ気づくことができません。


 この作業者扱いから新卒の目をそらすために、いくつもの麻薬が現場に注入されます。良くない組織にほぼ共通で見られるのが、三つあります。


 一つ目は、職位を無視したお友達コミュニケーション。上司や先輩が下の人間に友達のように接するあり方で、一見気さくな優しさに見えますが、本当の優しさではなく囲い込みです。対等な同僚関係だと感じさせておいて、実際には報告と評価と処遇の非対称はそのまま残っている、という構造です。


 二つ目は、飲み会での相談を装った他人の悪口。作中第22話で、他部署の飲み会の場で白瀬先輩の丁寧なレビューが「新人潰す気だろ」と揶揄されます。表向きは新卒の相談に乗る風景ですが、実際は隣のチームへの嫉妬を「不満の共有」という仮面に着替えさせる作業で、翌朝手元には悪口以外に何も残りません。


 三つ目は、家族であることの同調圧力。作中の牧野マネージャーは歓迎の飲み会でこの手のフレーズを十回以上繰り返します。家族という言葉を使えば、本人の意思よりチームの一体感を優先することが正当化でき、断れば「冷たい」「わがまま」と暗黙に非難できる。家族はいちばん強い同調圧力の枠です。


 この三つの麻薬に共通するのは、注入している側が新卒を一人の対等なビジネスパーソンとして認識していないという事実です。もっと踏み込めば、新卒を自分の駒として認識しているということ。麻薬が必要になるのは、上下の非対称を維持したまま下の人間を思うように動かしたい時だけです。


 私が伝えたいのはその先です。麻薬の注入がじわじわとやっているのは、駒扱いへの慣らしではなく、一人の人間の尊厳を少しずつ削っていく作業です。自分の判断を信じる感覚、自分の意思で断る感覚、自分を一人の対等な人間として扱う感覚。人が人として立つために欠かせないこれらが、麻薬に浸されている数年のうちに手のひらから抜け落ち、抜け落ちたことにさえ本人は気づくことができません。相手はまだ抗うすべを持たない二十歳そこそこの若者です。防具を持たない相手に大人の技巧を尽くして仕掛けることは、罪深いことだと私は思います。


 作中で桐谷は、家族みたい十連呼のあと、葉山さんと桜並木通りを歩きながら「家族みたい、嫌いだよね」と確認します。あの短いやり取りは、麻薬の外に一歩踏み出せた新卒の、いちばん最初の呼吸でした。麻薬から抜けるためには、まずこれは麻薬だと名前をつけることから始まります。


 


真摯さなき即戦力化、という構造


 これらが凝縮された一つの言葉があります。真摯さなき即戦力化、という言葉です。


 いまの日本の多くの現場で「即戦力化」が、真摯さを抜き取られたまま、目の前の技術や手順を早く覚えさせることに読み替えられています。若い人にまず手渡すべきものは、道具の使い方ではなく、一人の人間としての構えです。しかし、その構えを渡す時間も気力も持てない会社が多く、渡す側自身が持ち合わせていない場合もあります。


 これは個々の悪意ある上司の問題ではなく、構造の問題です。日本のIT業界とりわけ中小・受託・地方の現場には、若い人間を消耗させてしまう構造が五つ絡み合っています。


 一つ目は、時間と売上圧力の構造。受託開発の工数管理は目の前の案件を回すことに最適化され、育成に必要な時間を予算として計上する仕組みがほとんどありません。育成は「余った時間」でやるものになり、時間は余らないので結局やられない。時間は、経営が意志を持って作り出さなければ現場には降ってきません。


 二つ目は、育成コストを誰が負担するかの構造。教える側の先輩の時間は原価に乗らず、評価にも反映されず、丁寧に教える先輩ほど査定で不利になる歪んだ設計です。白瀬先輩が22件のレビューコメントを桐谷に返すことができたのは、諏訪マネージャーがその時間をチームの原価として引き受ける判断を下していたからです。


 三つ目は、順番の文化。年功で役割が回ってくる会社では、若手は「順番じゃない」という枠に置かれ、若いうちに任される経験を得ることができません。作中で黒木が研修員のままテックリード補佐に任命された時の周囲の「二年目が技術の役割は、ありえない」という反応は、この文化への小さな衝撃を残したくて書きました。年数を積むまで意見を言う権利がないと見なされる文化の中で、意見を言う筋肉は少しずつ萎縮していきます。


 そして四つ目、二十五年の観察の中でもっとも根深いと感じているのが、部課長層の視座のズレです。部課長は本来、事業と組織と技術という三つの成長すべてに責任を持つ立場のはずで、人の育成はその三つに直接資する投資収益の高い経営行為です。ところが多くの中小IT企業で、部課長がこの視座を持てていません。エンジニアだった頃のプライドと矜持は、部課長になったその日に机の引き出しの奥に仕舞われ、仕舞ったことすら本人はもう忘れてしまう。プレイヤーとして優秀だった人が突然マネージャーに任命され、部下を持つことを教わっていないという管理職育成の欠落も背景にありますが、教わっていないことは免罪符にはなりません。責める前にまず自分の視座がズレているかもしれないと自覚することが、部課長として最初にやるべき仕事だと思います。


 そして五つ目、経営層の話です。経営層は、その会社のすべての社員の上位互換であってほしいと私は思っています。IT企業における上位互換とは、エンジニアとしての倫理と矜持を持ち、経営者としての見識を備え、自社の未来を技術の言葉で読み解くことができる、ということです。読み解けるから、技術力とエンジニアへの投資という経営判断を当然のこととして下すことができる。この判断は四半期の売上には直接現れませんが、五年後十年後の会社の育ちを確実に分けます。世の中で成長を続けているIT企業の経営中枢には、必ず技術の視座があります。この物語で遠野吉彦CTOと村瀬正之社長という二人を丁寧に描いたのは、彼ら二人が経営の中枢に並んで座っている構造こそが、ヨキエル株式会社が生き残り続けている理由の中核だからです。


 


この連鎖を、どこかで断つために


 これら五つの構造は、二つ三つと重なれば新卒の育ちを止めてしまいます。この重なりが厄介なのは、消耗した人が次の世代の新卒に対して、自分が受けたのと同じ扱いを無自覚に繰り返してしまう連鎖にあります。二十年前に若手として現場を去った人が、今日どこかの会社で管理職になり、自分が受けたのとよく似た扱いを目の前の新卒にやっている。誰も悪意を持たないまま、連鎖は世代を渡って続いています。


 個々の管理職や先輩を責めるだけでは、この重なりは動きません。経営層と管理職と先輩と本人、その全員が、自分たちが何の中にいるのかを見えるようにしなければ止まりません。五つの構造に名前をつけて可視化することが、連鎖を断つための最初の一歩です。


 作中で村瀬社長が桐谷に「いま、この会社に足りないものは何だと思う」と問う場面があります。桐谷は「育てる人を、育てる仕組みが、まだ足りないように思います」と答えます。あの一行は桐谷の答えである以上に、私が現実の日本の多くの中小IT企業に差し出したかった一行でした。新卒社員を迎えるということは、単に一人の若者を労働力として雇うことではなく、その人のこれからの人生ごと預かることです。最初に映る景色、最初に出会う人、そこで誰が何を語るのか。その一つひとつが、その人の価値観の芯になって長く残っていきます。


 この物語には、育てなかった側の管理職や先輩たちも意識して書き残しました。江口・大沢マネージャー、立花・古川先輩。悪人としては描きませんでしたが、免責もしていません。連鎖を、どこかで一度、誰かが観察の目で断たなければならない。そう思ったから、私は桐谷に最後、自分の足で自分の道を選び取らせました。


 


物語と、シラバスと、就活の書と


 少し話を変えます。実はこの物語を書くのと並行して、私はもう二つの仕事を進めていました。地方の中小IT企業向けの全44日間の新卒研修シラバスの無償公開と、note連載「エンジニアの卵に贈る、就活の書」全50本です。企業に手渡す資料、学生さんに手渡す物差し、そして物語。この三つは違うかたちを取っていますが、私の中では同じ場所から出ています。「技術の前に、人としての軸を」「即戦力の読み替えに抗う」「一人の若者のこれからの人生ごと、預かる」「新卒を、公衆の福利に責任を負うプロフェッションの卵として、リスペクトを持って迎える」。この四つが、資料のかたちで44日分のシラバスに、伴走のかたちで50本の連載に、物語のかたちで百十二編ぶんの厚みになりました。


 就活シリーズの序章で私は、学生さんに一つ大切なことを伝えています。エンジニアとは、就職して名刺の役職欄に肩書きが入ることではなく、生き方だということです。ロックがジャンルの名前ではなく生き方の名前であるのと同じで、エンジニアもScientist・Engineer・Ethicsの三本柱で自分の毎日を編み直していく、一つの生き方の名前です。桐谷のノートは業務の記録ではなく、一つの生き方の記録でした。


 この三輪の取り組みが、新卒を受け入れる側にも、これから就活を始める学生さんにも、いま現場でもがいている若手にも、届いてほしいと願っています。


 


外を見る、ということ


 三輪の話の次に、この物語そのものの使い方について少しだけ。


 この物語は、いまあなたが置かれている境遇と外の世界とのベンチマーキングの道具として使えます。あなたの半径三メートルと桐谷たちの半径三メートル。二つを並べて見比べてみるための鏡として、この物語を使ってほしいのです。


 小説の舞台は仮想の会社で、登場するのは仮想の人物たちですが、その一人ひとりの顔立ちや口癖や逃げ方や優しさの粒度は、私が二十五年で観察してきた実在の技術者たちの中から少しずつ削り出したものです。江口マネージャーや大沢マネージャーの中には、残念ながら現実に何度も見てきた課長像の平均値が沈んでいます。ですからこの物語は、読みやすい形に書き直された現実の一片です。


 自分の会社、自分の課、自分の上司、自分の一日。そこだけを見ていると、いつのまにか視界が狭くなって全部が悪いように見えてくることがあります。自分の座席の周りだけに閉じこもって世界を見ているうちに、自分の座席の周りが世界の全部だと感じられてくる、あの独特の狭さです。私自身にも、そんな時期がありました。


 この物語の中に一度身を置いてから、もう一度自分の場所を見直してみてください。あなたの上司は案外、江口さんではなく諏訪さんに近いところに立っていたのかもしれません。あなたの会社にも、間宮先輩のような、フロアの少し外れに座って構造を語ってくれる人が一人はいるはずです。もちろん逆もあります。あなたの上司は思っていたよりも江口さんに近かった、と気づくこともある。痛い気づきですが、次の一手を決める材料になります。見比べる作業は、留まる人にも動く人にも、同じだけ役に立ちます。


 


四つの方角へ、それぞれの手紙


 このあとがきの最後に、四つの方角の読者の方それぞれに、短い手紙を書かせてください。


いま、新卒エンジニアとしてもがいている、あなたへ


 もがくというのは、成長しようとしている人にだけ許される動作です。うまくいった日といかなかった日が交互に来て、そのどちらもが自分の輪郭を少しずつ立ち上げていく。糸口はたいてい向こうからは差し出されません。自分で観察し、見比べ、書き留めるうちにようやく指先に触れてくる細い糸です。掴もうとして手を伸ばし続けている限り、あなたの手は昨日より確実に糸のありかを覚えつつあります。


 桐谷が糸口を掴むためにやっていたのは、半径三メートルの解像度を上げるために、ときどき三メートルの外に目を向け、時には自ら三メートルを出てみることでした。他部署の間宮先輩に会いに行く。澪の暖簾をくぐる。地元IT勉強会に足を運ぶ。休日に城跡公園の80段を登って街並みを見下ろす。外に触れれば触れるほど、逆説的にあなたの半径三メートルの解像度は上がっていきます。続けていくうちに、あなたの半径は半年後には5メートル、1年後には10メートル、3年後には30メートルへと広がっていきます。半径は閉じるものではなく、育てていくものでした。


 もし留まるべきか動くべきか判断がつかなくなったら、簡単な物差しがあります。あなたの半径三メートルの中に、諏訪さん・白瀬さん・間宮さんに近い人が一人でもいれば、留まって観察を続ける価値はあります。一人もいなくて外を見ても増える気配がなく、あなたの尊厳が日々削られる感覚があるなら、それは動くべきサインです。桐谷の同期の早川くんが「もう、限界かもしれない」とつぶやいた夜のことを、私は忘れていません。動くことも留まることも、どちらも敗北ではありません。それは観察の結果として選ぶ、次の一手です。もがいているあなたは、成長しています。


エンジニアを目指して、就職活動に取り組んでいる学生さんへ


 三年前の桐谷は、卒業式の翌日に特急に乗り、寮の鍵と入社案内の紙一枚を鞄に入れて桜並木通りの寮に着きました。あなたにも同じような春がこれから待っています。桐谷は運の良い春を迎えました。諏訪さんや白瀬さん、遠野CTOや村瀬社長のいる会社に辿り着けたからです。しかしあなたには、この運を運任せにしないでほしい。運は、判断の物差しを持っている人の側に少しずつ寄っていきます。


 この物語の人物と、会社説明会や面接で会う人物を見比べてみてください。諏訪マネージャーのような視座で新卒の三年を語る面接官の言葉には、本物の温度があります。「家族みたいなチームです」と繰り返す会社の空気には、家族という麻薬の匂いが混じっているかもしれません。募集要項の言葉づかい、逆質問への向き合い方、経営層が技術を自分の言葉で語ることができるかどうか。就活とは、企業があなたを選ぶ場である以上に、あなたが企業を選ぶ場です。あなたが良い春を迎えられることを、私は祈っています。


新卒エンジニアを指導している、先輩・マネージャーの方へ


 桐谷が三年間折れずに歩けた理由の八割は、諏訪マネージャーと白瀬先輩と間宮先輩の三人の存在でした。あなたが今日後輩に返した一件のレビューコメントは、あなたが思っているより長くその後輩の中に残ります。1on1でかけた三つの期待は、あなたが忘れたずっと後まで、その部下のノートの中に灯り続けます。若手は先輩の言葉を、想像を超える解像度で覚えています。指導する先輩の時間は原価にも評価にも乗らない。その非対称の中でそれでも丁寧にレビューを返し、真剣に期待をかけているあなたの毎日そのものが、桐谷の三年の八割を支えている中身です。あなたの指導は、あなたが思っているより遥かに重い。


新卒エンジニアの採用を考えている、チーム・企業の方へ


 村瀬社長は桐谷に「私が二十三歳でこの会社に入った朝も、たぶん同じ蕾を見た」と語りかけました。四十四年前の蕾と、三年前の蕾。それが座敷の上で一瞬だけ重なる、あの場面を私は震えながら書きました。新卒を迎えるということは、単に一人の労働力を増やすことではなく、四十四年後にもあなたの会社の座敷の隅で、その若者があなたの会社の蕾のことを誰かに語ってくれるかどうか。そこまでを引き受けることです。


 このあとがきの中盤で私が使った強い言葉は、個々の管理職や採用担当を責めるためのものではありません。向けられているのは、新卒を迎える組織そのもののあり方であり、経営層が新卒育成をどう位置づけているかという構造の問題です。「育てる人を、育てる仕組みが、まだ足りない」。桐谷が村瀬社長に返したあの一行を、どうかあなたの会社の来年の経営会議のいちばん最初の議題に載せてみてください。


 


結び 〜観察を、始めよう〜


 桐谷蒼太は、四年目の春の前の土曜日に、駅前の文具店で三年前と同じA5の淡いグレーのノートをもう一冊買います。三年ぶりの再訪で、店主のおばあさんはこう言います。三年前の春は、もう少し緊張した顔をしていた。今日は、いい顔、してる、と。この短い一言に、桐谷の三年がすべて詰まっています。


 寮の机の前で、彼は新しいノートの最初のページに二行を書きます。


 「四年目、観察を、始める」。


 「次の三年で、後輩の土台になる」。


 研修員としての三年はここで幕を下ろしましたが、桐谷のノートは閉じません。担当として、いずれ主任として、彼のノートは厚みを増し、半径は少しずつ広がっていきます。この物語もここで章を閉じますが、桐谷の観察は閉じません。そしてこの物語を最後まで読んでくださったあなたの観察もまた、ここから始まる、あるいは続いていきます。


 最後に、桐谷と同じ一行をあなたに贈ります。


 「観察を、始めよう」。


 あなたの半径三メートルで、あなた自身のノートに、あなた自身の一行を。書き続けた先に、あなた自身の輪郭が少しずつ立ち上がっていきます。三年後、そのノートの厚みがあなたの土台になっていることを、私は港川市の秋の風に色づき始めた街路樹を眺めながら祈っています。


 本当に、ありがとうございました。


                          二〇二六年 秋


                                音無 凪


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