第56話 調停者たちとカメラロール
階段を上がると、昨日二階で見た人間観察部以外の面子が横並びになっていた。
朝で身支度もまだ済ませていないということもあるからか、連中は昨晩の印象よりも覇気が無く、唯の年頃の女の子たちという感じだ。皆しょんぼりした表情で俺の動向を窺っている。
「昨日のことは聞いたわ。この子たちがあなたたちの悪口を言って、トラブルになったって」
「まあ、はい」
その後の印象が強すぎて忘れかけていたが、一応俺も当事者といえるんだよな。
「佐竹君には悪いけど、宮島さんと甲塚さんには昨晩話を付けさせて貰ったの。同じ部屋に寝るとなると色々放っとくままってわけにもいかないでしょ」
「はあ……」
「昨日は迷惑を掛けてごめんなさい」
小籔先輩は、すっと頭を下げた。文句の付け所の無い、立派な謝罪だった。それに追従して一ノ瀬たちも各々謝罪の言葉を口にして頭を下げる。
「いや、こちらこそ……」その場の流れで、いや俺に謝るべきことは一つも無いなと思って、「甲塚が迷惑を掛けたみたいで、すいませんでした」と頭を下げた。
下げてから、それを言うなら小籔先輩こそ謝る必要は微塵もないじゃないかと思い直して、自分のガキっぽさが嫌になる。
「それじゃあ、これで昨夜の一件は水に流してくれる?」
頭を上げた小籔先輩があっけからんとして言う。
「はい。俺はもう、気にしないです」
「ありがとう。それじゃあ、これからもよろしくね」
そして、あっさり生徒会女子一同は去って行った。
ところが、一ノ瀬だけは最後まで階段を降りるのを躊躇っている。また何かこまっしゃくれた反撃でもしてくるんじゃないかと思っていたら、
「あのさあ、昨日は悪かったわね」と、意外にも彼女らしい言葉で再度謝罪を口にしてきた。
「何でまた謝るんですか?」
気分を切り替えたような一ノ瀬が純粋に不思議で、そう聞いてみた。
「謝罪がああじゃ、言わされてるみたいだし」
「ほお……」
俺は感心して呻いた。どうやら一ノ瀬は形ばかりじゃなくて、本気で反省しているようだ。
「水に流してよ、昨日のことは」
「流すって言ったじゃないですか。もう気にしてないですよ」
「私のことじゃなくって、宮っちのこと」
「郁?」
「なんか、私がさあ。――」
驚いた。目許を擦る一ノ瀬の指が濡れている。
「み、みや、宮っちに、……私が、無理矢理、佐竹の悪口言わせちゃった、みたいで」
「それを、気にしてんのか? 郁をあの話に混ぜたことに?」
「だ、だって、宮っち、ずっと変だったんだもん。急にグループから外れたり、するし。佐竹の所に行っても、ガッカリして戻ってくるし。だから、ニンブの空気合わないのかなって思ってェ……」
「……」
「昨日、宮っちと話して、佐竹が幼馴染みって聞いてェ……。そんなこと知らなくってェ……」
急に喋り方が子供みたいになってきたが、要するに一ノ瀬としては昨日の一件で郁と俺の仲が拗れる、というのが兎に角悲しいことらしい。
昨日の郁に対しての当たりが強かったのは、もう、ぐうの音も言い返せない事実だ。郁が人間観察部と水が合わないのだろうと思ってああいう話を振った、というのは理解ができるストーリーである。
そう考えると、一ノ瀬の悪意にも裏には善意に近いものはあったのだ。
全く、生徒会という連中は分からないもんだ。氷室会長はおちゃらけた表情の裏に計算高さがあるし、小薮先輩には恐ろしさの裏に清々しい人間関係の潔白さがある。そして一ノ瀬には攻撃的な表面の裏に、弱々しい過去と捻くれた優しさがある。
「あの。もう郁とは話を付けてるんだよ。昨日。だから一ノ瀬先輩が悩む必要は無いです」
「それは宮っちも言ってたけど……。じゃ、じゃあ水に流してくれる?」
「水に、流してます。……あと、泣かれたら困ります」
「泣いてない!!……あ。あとさ。甲塚から何か聞いたりした?」
俺はほぼ反応で一ノ瀬の秘密の件だと分かった。それについては隅から隅まで聞いているのだが、
「甲塚? いや、別に」と、流しておいた。
それで、この件については正式にも裏でもケリが付いた、ということになったのだった。
何よりしみじみと感心したのは、氷室会長と小籔先輩が事を収めに掛かる手腕だ。氷室会長は惚けながらもきっちり反撃をかましてくるし、きっと小薮先輩は女子の方を宥めに掛かったんだろう。
世の中には、崩れたバランスを均衡にするのが上手い人間がいるもんだ。
だから、氷室会長が生徒会長で、小籔先輩が副会長に収まっているっていうのは良いことなんだろう。
*
二日目の日程は一応別のビーチの清掃ということにはなっているが、午前から午後までのちょっとした時間で、人気のある場所の清掃を任されているとのことだった。
バスに乗って現地に着くと、広い駐車場にはバスが数台停まっていて、ここでは既に東京中のボランティアサークルが朝っぱらからゴミ拾いを始めているようだった。
今日は正午に学校へ引き上げるということもあってか、水着ではっちゃけるような奴はいない、なんとも純朴なもんである。
それにゴミ拾いとはいっても先行の連中が殆ど拾ってしまっているので、一応ゴミ袋とトングを持ってはいるが、殆ど朝の散歩のような時間を過ごすことになってしまった。
「佐竹」
トングをカチカチ鳴らしながら浜辺を歩いていると、相変わらずカメラしか持っていない甲塚がやってきた。今日も短パンとTシャツというラフな格好だ。
「首尾はどう?」
「駄目だ。ここら辺なんてすっかり人手が入って、全然ゴミなんか落ちてないよ」
取り敢えず、俺は惚けてみた。
「馬鹿。そうじゃなくって……!」体を寄せてきて、「臼井の恋人。聞き出せたんでしょうね」と小声で聞いてくる。
俺は今すぐ逃げ出したくなってきた。
「臼井には好きな人がいる、らしい」
「それで?」
「そ、それだけ……」
「――は?」
つるりとした甲塚の眉間に、どこから湧いてきたんだってくらい皺が寄る。
ああ、説教が始まってしまう……。
「あんた、じゃあ何。私達はわざわざ貴重な夏の時間を使って、真面目にビーチの清掃活動に取り組みに来たっていうわけ? 気に入らない連中と一緒にバスに乗って、貧乏臭い旅館に泊まって?」
「い、良いじゃん! 人間観察部の株が上がったって昨日は喜んでただろ!! ていうか甲塚は全然清掃活動してないし……」
不意に甲塚がシャッターを切った。
「おい、なんだよいきなり」
「活動記録よ。人間観察部創設以来のぼんくらがここにいるんだから、後世貴重な資料になるに違いないわ」
そう言いながらもパシャパシャ適当な手つきで俺を撮影する。甲塚の奴、俺が撮られることが苦手だと知っていてこんな嫌がらせをしてくるんだ。
「あーっ、もう。俺を撮るな! 貸せ! そのカメラ!!」
「ひょっ、わっ……!」
カメラを引っ手繰ると、ひ弱な甲塚はストラップに引っ張られて容易く倒れた。別に可哀想とは思わない。どうせ柔らかい砂浜だ。
持って分かったが、甲塚の使っていたカメラはハイエンドモデルだった。望遠機能有り、焦点距離手動・自動調整可能、軽量、その他撮影オプション多数。それに記憶容量もかなり。結構乱暴に奪い取ってしまったので、まず傷が付いていないか確認してしまった程だ。
「……これ、お前の家にあったものを適当に持ってきたんだよな?」
「返しなさい……!」
甲塚のトロい反撃を避けて、カメラロールを見てみた。
……殆ど俺の写真じゃないか。
海までの道を行く俺、郁達の集合写真、砂浜を歩く水着の俺、ゴミを拾う俺、ゴミを拾う俺、ゴミを運ぶ俺、途方に暮れている俺、ゴミを拾う俺……というように、素材の困窮っぷりがよく分かる記録だ。こんなものを纏めてしまえば、ただの陰キャの観察日記が出来上がるだろう。
でも、記録を手繰っていくと目を惹く物もあった。郁の写真だ。
カメラ側に背中を見せて、ゴミ袋を片手に女子と話をしている場面だった。
振り返れば郁の水着姿なんて一度も見ていなかったから、これは甲塚に感謝するべきかも知れない。黒いビキニ姿で、サイドは蝶結びの紐で止まっているような結構際どいものを着ている。
「……ん!?」
次の写真へスクロールして、思考が一瞬停止した。
カメラに気付いたらしい郁が笑顔でピースサインを向けているのだが、その腹に何か傷のような影がある。
腹筋だ。
郁の腹筋が、綺麗に、惚れ惚れするほどシックスパックに割れている。そう気付いて改めて郁の四肢を見ると、どの箇所にも一切余分な肉が付いておらず、膨らみといえるものは全て健康的な筋肉であることが分かって唖然とした。
……男子達が郁の水着を見てどよめいた理由は、これか。
普段鍛えている様子も無いのにこの体型を維持できるってのは……天性の素質があるんだろう。どこか適当な部活に入ったらあっという間に全国レベルに行くのではないか……。
「あれー? 何で蓮がカメラ持ってるのー?」
いきなり背後から声を掛けられて飛び上がる程驚いてしまった。慌ててボタンを滅茶苦茶に押してもオプションのウィンドウが出るだけで画面が郁の写真から切り替わらない。
「あっ……そ、それ私の写真!?」
くそっ。




