第53話 格好良い東海道先生
旅館へ戻る道中、郁が「東海道先生はかっこいい」という話をし始めた。ライブ中の見てくれのことを言っているのかと思ったら、どうやら違うようだ。
「だって東海道先生はさ、『きたはいずこに』の活動が学校にバレたらクビになっちゃうわけでしょ? それなのにちゃっかりライブなんてしてるんだもん。凄いよ」
「確かに」
東海道先生は学内の教師陣の中では一番若いわけで、言ってしまえば立場もそう強いものでは無いんだろう。それに何となくだが、一部の生徒たちからもうっすらと舐められている気配がある。急に東海道先生が学校を辞める、なんてことになったとして、一体どれだけの人間が悲しむだろうか。
つまり、東海道先生の日常というのは、アンバランスな棒の上でギターを担いで歌を歌っているようなもんだってことだ。
普段のちゃっちゃらちゃ~とした先生の性格から考えると、まさしく懐に刀を携えているような、凄味を感じる秘密である。
「そういうところは、かっこいいと思うよ。あんなお茶らけ天然お嬢様先生でも、熱いものがあるんだなってハッとさせられるよな。本人はあとしまつがどうとか言ってたけどさ……」
「あとしまつ?」
あ。
そういえばタクシーの中で俺と東海道先生が話合いをしていたとき、郁は爆睡してたんだっけ。
「いや。何でもない……」
別にはぐらかすような話題でもないのだが、車内での会話が、俺にはどうも「みんなには、ないしょやで」という秘密の誓いの延長線上にあるように感じてしまったのだ。
「ふーん? まあいいや」
それきり、郁の中では本当にまあよくなったようで、それ以上突っ込むことはしなかった。こういう所は郁の美点だ。
……考えてみれば他人の秘密を知るということも中々大変なことだ。秘密を口にしないことはまあ当然としても、ひょんなことから態度や言葉の裏にそれが出るかも知れない。そして一度秘密が曝け出されれば――悲劇だ。
それは、一ノ瀬と甲塚の一幕を見ただけでも容易に想像が付く。
他人の秘密というのは、とんでもなく重いものなのだ。
郁、東海道先生、一ノ瀬、……そして、甲塚。知れば知るほど、ハッキリと俺の人間関係において体重が増加しているのを感じる。増えすぎた体重に対して筋力が足りていない。だから、どんどん足取りが重くなるのだ。
「私も、東海道先生みたいに上手くやれたらいいのに。皆にはいい顔見せておいてさ、裏では舌を出したりなんかして、好きな物は好きなんだって、世界に向かって叫んでやりたいね」
「ゲームのことなら、俺に話してるじゃないか」
「……まあそうなんだけど」
郁は何故かつまらなそうに同意した。
しかし、それを言うなら俺だって改めるべき部分はあるだろう。
――ここのところ、すけべ絵を上げていない。
というのも、俺のアカウントが甲塚の監視下にあるからなのだが、女子一人に知られているからってあっさり活動から身を引いてしまう俺は、東海道先生と比べたらどうだ。
先生にあって俺に無いものは、羞恥心に負けない強い覚悟なのか。活動を自分の夢のあとしまつだと言い切ってしまう、幾らか自棄っぱちな人生観なのか。
その謎を確かめるべく、俺たちは東海道先生を訪れたのだった。
――というわけでは無いのだが、旅館に戻ると一階の小さな談話室で東海道先生が一人ぽつんと座っていたのだった。さっきまで郁と話していた東海道像は何処へやら、よくそれで眠る気になるな、という程にフリフリしたベージュのナイトドレスを着て、膝を抱えて震えているではないか。
生徒はすっかり男女に分かれて大部屋に引き上げたらしく、受付兼談話室には東海道先生の他誰もいなかった。先生もこんな時間に外から帰ってきた俺たちを見て驚いていたが、いやいやそれよりも! といった感じの必死の形相で俺たちを手招く。
「わ。先生そのパジャマ凄く可愛い……!」
「な、何してるんですか? こんなところで。……そんな格好で」
一応体の輪郭が見えないような節度のあるナイトドレスとは言え、寝間着は寝間着である。こんな格好、並の男子高校生が見たら……もう……あれだろ。
「そ、それが、わたくし困ってしまったのですわ。すっかり参ってしまったのです」
先生はよほど動揺しているらしく妙に機械的な言葉使いになっている。
「困ってるのは見たら分かりますけど。……あの、そういう格好でうろうろするの良くないですよ。早いとこ部屋に戻った方が良いんじゃないですか」
「それが、駄目なのよ!」
そう言う東海道先生の目付きがもうヒステリック一歩手前、という感じだったので、俺は腹を落ち着けて彼女の話を聞いてみることにした。
「部屋に、戻れないって?」
「そ、そ、そう。そうなんですわ」
「……なんで部屋に戻れないんですか?」
郁が首を捻って尋ねると、
「ぐっ、ごっ! ぐぉっ!……」と、排水溝が逆流したような声が東海道先生の喉から飛び出てくるので、思わず身を引いてしまった。「ごきっ、ごきっ……!」
口の端に物凄い力を入れて言葉を吐き出している辺り、相当忌避している言葉なんだろう。……それで、俺は察した。
「ゴキブリでも出たんでしょ」
いきなり、俺たちの背後から聞き慣れた声が掛かった。振り向くと、腕を組んだ甲塚が立っているではないか。こいつ、忍者か何かの末裔か。
「あ。甲塚……さん」
郁が気遣わしげな顔をしたが、甲塚は全く取り合わず俺と郁の間に割入ってきた。
「この人、どうせ今まで虫が湧くような家に住んだことも泊まったこともないのよ。だからそういう耐性が無くて途方に暮れてたんでしょ。……違う?」
「そっ、そ! そ……!」
関節が外れたようにコクコクと頷く。それを素直に肯定するのもどうかと思うが。
「まあ、ここら辺は自然に囲まれてるからな……そりゃ虫の一匹や二匹は出るだろうけど」
たしか、東海道先生と生徒会引率の大室先生は個室を取っている。東棟と西棟には大部屋だけでなく個室が数室あるのだが、先生たちはそれぞれ女子の西と男子の東に別れて二階の部屋を取っているというわけだ。
となると、部屋の虫になれていない東海道先生は一人個室で寛いでいたら急にゴキが出たものだから慌てて部屋を飛び出て、助けてくれる人も見つからず、心の底から途方に暮れていたってことか。
気の毒と言えば気の毒だが、……そんなに可哀想に思えないのは俺の家が裕福ではないからだろうか……。
「虫くらい、管理人さんがとっ捕まえてくれるでしょう」
と、受付を見やると誰も立っていない。
「管理人さん、たしか二十一時に引き上げちゃうって言ってたよ」
「ええ……。それじゃ、せめて殺虫剤くらい置いてるだろ?」
「無いわよ。『部屋に虫が出た際には、備え付けのガムテープで捕まえて捨てて下さい』って。大部屋の机の上に注意書きが置いてあったでしょ」
「ガムテープ。……マジかよ」
言われて思い返せば、大部屋の机に何故かガムテープが置いてあった。注意書きまでは見ていないが、他の用途で客室にそんなもの置かないだろう。
貧乏旅館極まれり、だ。ここまで開き直られると、逆にそういうもんだという気がしてくるもんだ。流石にガムテープで捕まえるにしても相手がゴキブリとなれば大変な仕事だが、まあそこは先生も大人だから大人なりの対応をするとは思うけど。
「それじゃあ、東海道先生。そういうことらしいんで頑張って下さいね」
それに、東海道先生にしたって今夜出会ったゴキブリが或いは一期一会ってやつかも知れないし。一生に一度くらいそういう経験をするのも良いだろう。
――と、足早に男子部屋へ去ろうとしたところを先生に捕まった。俺の腕をがっしりとホールドしている。
「佐竹く~ん……」
「嫌ですよ」
「佐竹く~ん……」
「い、や、で、す、よ!!」
必死に振り払おうとしたら、先生の方もまさしく必死で、俺の腕が体のどこに当たろうとも構わずぐっと胴を使って抑えに掛かった。これでは大人の「お」の字も無いではないか。お菓子を買って貰いたい子供か。……そんな俺たちのやり取りの横を、甲塚と郁がすり抜けて行く。
「おい! 行くなよ!」
「私、虫苦手だから」
「ごめん、蓮。私もちょっとゴキブリはね……!」
苦笑いを浮かべて、女子二人はさっさと大部屋への廊下を足早に渡って行ってしまう。
いくら何でも、この仕打ちは酷いじゃないか。好き好んでゴキブリと格闘する人間がこの世にいるなら今ここに連れてきて欲しいもんだ。




