第21話 影を照らすやり口
予約設定ミスってました
特段人混みの中で浮いている訳でもない、強いて気になった点を挙げるなら、紺色のキャスケットの影で、ネオンの明かりを留めたように光る赤い唇か――
「……」
俺はなんとも無しにその人物の顔がよく見えないかと数歩交差点の方に近づいた。その時、ふっと目が合う。予想もしなかったことだ。
それで、俺が何故その人物に気を取られたのが分かった――見覚えがあったんだ。
より近づこうとしたところで、不意に後ろから男に引っ張られた。
と、思ったら郁だ。
「蓮! 今いけるって! 丁度二人席に空きが……」
「それより、今はこっちだ」
「わ」
俺は、郁の手を掴んで奴の跡を追う。
*
「ね、ちょっと、なになに? 急にどしたの?」
「……」
俺はちょっと考えてから言った。
「俺たち、大事なことを忘れていたな」
「大事なことって?」
「東海道先生の秘密を探すばかりに、東海道先生しか見ていなかったよ」
「そりゃあ……何か変?」
「いや、変ではないけどさ」スクランブル交差点に行き当たると、一気に追跡していた人物の影を追うのが困難になった。俺は一心にキャスケット帽子を目線の高さで探して、二十メートル先、宇田川の方面へ向かう影を追う。「もっと東海道先生について見るべき所はあったんじゃなかったかなって」
「見るべき所って言ってもさ、私達、結構みっちり尾行に時間使ってたと思うけど?」
「いや、まあそれも有るけどさ。もっと内面というか……例えば、俺たちって東海道先生がどうして態々仕事終わりにあの美容室の男と待ち合わせしていたのか、とか、なんでタクシーとか使わないで駅に行かないのか、とか。結局あの雑居ビルで何をしていたのか、とかさ……結局知らないだろ?」
「だからそういうのを話そうって言ってたんじゃない。喫茶店で!」
「違うんだ」
キャスケット帽子が人通りの落ち着いた辺りに出たところで、それまで手を繋いでいた郁の肩を掴んで言う。
「俺たちは、東海道先生に直接そういうのを聞くべきだったんだよ」
「えっ……? でも、先生の秘密を調べているのがバレたら……」
「俺たちさ、多分無意識のうちに甲塚のやり方に引っ張られてたんだよ。人の秘密を知るのに、そうしようとしていることを、本人にバレちゃいけないなんて決まりは無いんだから」俺は溜息を吐いて続けた。「誰かの秘密を知るには、その人の秘密じゃない多くのことを知らないといけない、いけなかったのかもしれない」
「蓮……」郁も感慨深げな目をして、意外にも「それはそうかも知れないけど、そういうのってきっと凄く時間が掛かることだよ。時間を掛けたところで無駄かも知れない」と反論めいたことを呟く。
「だな。だから今は尾行だ」
短く答えると、俺は再び郁の手を掴んでキャスケットの跡を追った。
郁の言うことは正しい。秘密を知るために、まず人間関係からやっていくなど、一々やっていたらあっと言う間に学生生活が終わってしまうだろう。
だから、甲塚は間違っていない。むしろそっちの方が合理的、なんだろう。
「けど――そうしないと日の目を見ない誰かの秘密が、この世の中にあればいいかもな」
雑踏の中で呟いた言葉が、郁に聞こえていたかどうかは分からない。
*
俺が追っていた人物が入っていったのは、スクランブル交差点から四ブロック歩いた所にある建物の地下階だった。
入り口近くに屯している渋谷の若者の隙間を縫っていくと地下に続く階段があり、壁には所狭しと落書きやポスターが貼られていることが分かった。そして、階段が終わる辺りの天井には「OPEN」というネオン看板が目に痛いほど輝いている。
「ね。ほんとにここに入っていったの? ここって……」
「ライブハウス、だよな」
ライブハウスというものの入り口をまともに見たのは初めてかも知れない。屯している連中が何らかの楽器を担いでいたり、ポスターが音楽関係のものだということからそう当たりを付けた。
そして、「OPEN」のネオン看板の下に立っていたのが奴だった。
「あれ? あの人……もしかして、東海道先生と一緒にいた美容師の人じゃない?」
「ああ。そうだな」
ビジュアル男は、扉の前でスタッフらしき男と何やら慌てた様子で話をしている。何かトラブルでもあったのだろうか。
「もしかして、蓮が追いかけていたのってあの人だったの?」
俺は少し考えてから、「……あー、うん。そうだよ」と答えた。
今になって考えてみれば、東海道先生の土日の行動を知らないからと出来ることは無いと判断を下したのは全く誤りだったわけだ。
なぜなら、俺たちはビジュアル男の働いている美容室を知っていたのだから。土日でシフトが変わることはあっても、美容室の前を張っていればいずれあの男を補足することはできたに違いない。
「あー……」俺は顔を手で擦りながら呻いた。「反省点だらけだなぁ」
「何言ってんの。あの人混みの中で見つけ出すなんてお手柄じゃん! どうして分かったの?」
「ピアスだよ」
「ピアス?」
俺は耳たぶを引っ張りながら説明した。「あいつ、耳に一杯ピアス付けてるだろ。何となく憶えてたんだ」
「……それだけで? ピアスを沢山付けた人なんて渋谷には一杯いるでしょ」
郁の言うとおり、周囲のミュージシャンらしき若者の中には同じように耳たぶからぐるりとピアスを付けている連中は少なくない。最近の流行のスタイルなのだろうか。
「けど、あのジップ型のピアスを耳たぶに付けてるのなんてあいつくらいだろ。それに、軟骨に開けた穴の位置も同じだ」
郁は目を見開いて「そんなの憶えてたの!?」と驚愕したので、俺は逆に驚いてしまった。
「逆にそんなことも憶えてなかったのか?」
「いや、ジップ型のピアスくらいなら憶えてても不思議じゃないけどさ、普通一目見ただけで穴の位置まで憶えないって」
「そうか……?」
郁に言われてみて初めて気が付いたが、確かに他人のピアスの位置なんて普通は記憶に留めるような情報ではないかもしれない。
きっと、俺があの男を初めて観察したときに抱いたピアスの残像を――暴力性を、脳内でトレースしていたからこそなんだろう。
絵画教室では……というか、絵を描く人間が初めに徹底されて教わるのは、『観る力』だ。基本中の基本ではあるが、俺だって日々『観る力』の修行は欠かしたことが無い。
人や物の輪郭を追い、細部を穴が開くほど見つめ、その対象が作る影の濃淡までを正確に知る。
そんな意識が根底にある俺だから、ピアスの位置なんてどうでもいいような情報を憶えていた……なるほど、一見関係ないような特技も思わぬ所で役立つわけだ。




