第22話 見かけによらない地下
俺と郁が地上で入り口の様子を見ていると、焦っている様子のヴィジュアル男はスタッフに両手を合わせた後に、ちょっと開いた扉に半身を滑り込ませていった。扉が開いたのは一瞬だったが、確かにここまで大音量が聞こえた。既に今夜のライブは始まっているのか。
「ね。どうする? 入ってっちゃったけど。私達も入る?」
「入るったって、今の見てただろ? もう満員なんじゃないか」
「でも、聞くだけ聞いてみようよ」
また郁が俺の一歩先を颯爽と突っ込んでいってしまう。こいつには思慮深さというものが無いんだろうか?……いや、それを大いに上回る行動力があるだけなのか。
「すいませ~ん。入れます?」
さっきまでヴィジュアル男が話していた、扉の前に立っている金髪に郁が話掛けると、第一印象の三倍くらい優しい声色で「入れますよ!」と言ってきた。
「俺たち、チケットとか無いんですけど……」
「当日券ですね~。ワンドリンクオーダー制で一枚三千円になりま~す」
(さんっ……!?)
思わず飛び出た悲鳴を寸でのところで喉元に押し止めた。
やばい。思ったより高い。一人三千円で二人分で六千円……六千円!
「あー良かった! 入れるってさ!」
「お、おう」
……いや、大丈夫。さっき喫茶店の前で二度も財布の中身を確認したときにはギリ七千円あったじゃないか。
にしても六千円か……。
俺が財布を出してスタッフに札を出そうとすると、俺の動作に先んじてこう言った。
「君ら、ライブハウス初めて?」
「え?」
俺は郁の顔を見た。
「私は来たことないよ」
「俺も。初めて来た」
俺たちが答えると、金髪のスタッフは特に感情の無い声色で「じゃあ君たち一人二千円でいいよ」と言い出した。
「えっ!? でも」
一人二千円となると、二人で四千円。大分財布への負担も変わってくる。
「うちのチケット、当日券は五百円高いのよ。だから、実質五百円引き……ま、学生割引ってことで」
「……いいんすか……?」
おずおずと千円札四枚を差し出すと代わりに小さなペラ紙を二枚くれた。これがライブハウスのチケットか。
「いいよ。中でドリンクと引き換えてね。入り口から入って真っ直ぐいったとこにカウンターあるから」
「どうも~!」
郁にチケットを一枚渡すと、これまた俺が金を払ったことに疑問を抱かずにドアを通り抜けていく。
俺も続こうとしたところで、金髪の若いスタッフに軽く肩を叩かれた。
「頑張れ」
なんて返事をすれば良いのかよくわからないまま、「っす――」と気の抜けるような声を出して俺もライブハウスへ入っていく。
*
中に入って扉を閉めると、目玉が揺れるほどの強烈な重低音で満たされた空間が俺を待っていた。店先にいたスタッフの言うとおりにドリンクカウンターでコーラを受け取ると、俺たちはステージというよりはホールの客を見渡せるカウンター隅の椅子に座った。
「――」
郁が口を開いて何か言っている。が、演奏の音で聞こえない。
「なんだってー!?」
俺が耳をそばだてると、こそこそ話のような格好で郁の声が聞こえてきた。
「さっきの人が見当たらない!」
ビジュアル男――そういえばあいつ、俺たちの直前に入ったっていうのにいないな。
ホール内は、地下ながらも入り口の階段からステージへと伸びる幅広な長方形になっている。ステージ周辺には今演奏しているバンドのファンと思われる客達が肩を擦り合わせるくらいの密度で盛り上がっていた。
それとは別に、そういった熱狂からは一歩引いた客も少なくないように見えた。例えば俺の隣に座ってスマートフォンの画面をじっと見ている男。何を話すでもなく壁に寄り掛かっている男女。そんな感じで集団から離れた連中がちらほら点在している。
大雑把な検討だが、熱狂している客とぼんやりしている客の数は同じくらいだろう。一体どうしてこんなに温度差があるんだ?
それはそれとして、ヴィジュアル男の姿はそのどちらの集団にも無い、ような気がする。ホールを照らすのはキツいスポットライトなのではっきりとは分からないが。
「確かに……。便所にでも行ってんのかな?」
入り口で見たビジュアル男は明らかに焦っている様子だった。漏れそうだったので早いとこ用を済ませたかった、とか?
今度は郁が「なんだってー!?」のポーズをしてきたので、耳元で「便所じゃねえか!」と言い直す。
「便所?」
あちこちに首を回した郁は、入り口の階段の真下を指差す。
「あっちにあるよ!」
「いや、俺が行きたいわけじゃなくて……」
「あんだってー!?」
「……」
もう面倒臭いから一旦便所に行って男がいるか確認してくるか。こういう騒がしいところって、まともに会話が出来なくて苦手なんだよな……。
大声で会話をすることを諦めてトイレを確認しに行くと、中には誰もいない。
そこで、俺は考え込んだ。
ホールの客の中にビジュアル男の姿は無い。トイレを使ったわけでもない。それにあの焦った様子は……。
「あ」
そうか。なるほど――
腑に落ちたところで、半開きになった扉の向こうの空気が変わったような気がした。




