第18話 男子高校生の弱点
――と、そういうわけで俺と郁は教員用玄関から出た東海道先生を尾行しているわけだ。すっかり日は沈んで夜の町並み。部活動を終えた生徒の姿すらなく、定時で上がれなかったサラリーマンが粛々と足を動かしている。
「ちょっと蓮。こんなに離れてたら見失っちゃうんじゃない」
「仕方ないだろ。俺たち制服なんだぞ。先生からしたら人混みの中でも目に付くだろうし」
当たり前だが、俺たちは人を尾行した経験など皆無だ。
今、東海道先生とはおよそ二十メートルほど離れているが一応そこは尾行らしく電柱や看板の陰に隠れたりしている。通行人からすれば奇妙な二人組に見えるんだろう。行き交う人々も一々奇異な目線を俺たちに向けてくる。
「……なんか、さっきからすっごい人の視線感じるけど、尾行ってこれで合ってんの?」
「分からん。とにかく、東海道先生に見つからなきゃいいんじゃないかな」
それにしても、お嬢様と言うからいきなりタクシーでも停めるんじゃないかと思っていたが、先生は普通に徒歩で学校前の大通りを東に進んで行っている。
ちなみに、俺たちの家はこの通りの横断歩道を渡って北へ歩いた場所にあるわけだが、とっくにいつもの登下校ルートからは外れている。二駅分くらいは歩いただろうか。
とはいえ、この道を歩いたことがないわけじゃない。
「……ねえ、何か懐かしくない?」
スナックの蛍光看板の裏で息を潜める郁が言う。
「ん?」
「こっちの道って、私達が小学校の頃一緒に歩いてた道じゃん」
「そう……だな」
「まさか高校生になって蓮と歩くと思わなかったよ」
「俺は中学の頃もこっちの道使ってたけど」
「うっそ!? 向こうの通りの方が近くない!?」
「ちょ……待て。先生を見失うぞ」
ふと気が付いて見れば、東海道先生は既に三十メートル近く前方を歩いている。――と、その時ふらっと美容院を右に曲がって行ったので慌てて走り出した。
「だってさあ! 中学って向こうでしょっ!? 絶対文化センターの前の通りから行った方が速いじゃん!?」
「はあっ……、それっ……、今話す程重要か!?」
結構な速度で走っているのに、郁は殆ど息を切らさずになおも喋る。そういえばこいつは元運動部。ナチュラル帰宅部の俺とは体力が違うわけだ。
「だってさあ!」
美容室の前に辿り着いた。ビルの壁に隠れて通りの様子を窺うと、小洒落た飲食店が建ち並ぶ細い路地に、歩行者は二人。東海道先生と、もう一人は今し方美容室から出たと思われる線の細いビジュアル系ファッションの男。
「ここから先は隠れられる場所は少なそうだ。十分距離が離れてから――」
「蓮、中学から私のこと避けてたじゃん」
俺は郁の顔を正面から見た。額に浮かぶ汗は、今の運動によるものなのか。
まさか、今その話題を出すとは。
「いや、それは――違うだろ」
「何が違うの?」
郁は強い眼差しで尋ねてくる。俺の持っていない目の光を、彼女は持っている。
「だって郁は……部活やってたし……」
「部活をやってたって、毎日朝練じゃなかったよ!?……私、いつもの登校時間に家の前で待ってたんだよ。それなのに、蓮は急に朝来なくなった……」
「……」
俺は郁が家の前で待っていたのを知っている。
マンションの踊り場の窓から、彼女の姿を見ていた朝があった。
その時俺は、階段に座って郁の姿が消えるのを息を潜めて待っていたんだ。
そういう朝を繰り返すうちに、お互いがお互いを無視しあう関係になっていた。
「郁――」
「あっ、あああぁっ!?」
突然の郁の大声に俺の言葉が遮られた。
「な、何だよ!?」
「あれ! あれ!」
郁が指差した方向には東海道先生と――ビジュアル系の男。さっきまでは少し離れて歩いていた二人が、今は肩を並べて何かを話ながら歩いているではないか。
その瞬間、俺の脳みそに電撃が走った。
「!!?!??――うぐぅっ……!?」
プチ! プチプチプチ――
俺の頭の中でいくらが潰れるような音が聞こえた――これは幻聴か!?
「やっやばい! 俺の脳内細胞がっ、めっちゃ死滅してるっ……!!」
思わず頭を抱えて呻くと、「いやいや、するわけないでしょ。急にどしたの」と郁の冷静な突っ込みが入る。
「ぐっ――NTRは苦手なんだ、俺……」
郁の眼差しの温度がスッと下がったのが分かった。まるで甲塚がよくするような顔で俺を見下している。こいつ、俺の知らない間にこんな目をするようになったのか――
「……ハァ? 蓮、東海道先生と付き合ってるわけ?」
「んなわけないだろ。急に何を言い出すんだ」
「えーと……じゃあ、蓮は東海道先生が好きなの?」
「えっ?……別にそんなこともないけど」
「……」
郁はたっぷり息を吸うと、「ハァ!!?」とたっぷりの侮蔑を込めて息を吐いた。
「じゃNTRのNもないじゃん!!」
「馬鹿! 男子高校生にとっちゃ知り合いの女性に恋人がいるって知るだけで十分NTRなんだよ!!」
「蓮……」郁は突然優しい声色になって俺の肩に手を置いた。「せめて、人並みの恋をしてからそういう言葉を使いな?」
「ほっとけっ!」俺は郁の腕を撥ね除けて言う。「恋する資格なんてものを、平等に与えられていると思うなよ――」と、そこまで言って俺は目の前の郁がショウタロウに失恋したばかりであることを思いだし、自分の失言に気が付いた。
「……」
目の前の郁は、すっかり意気消沈して目線を近くの電柱の根元に落としていた。
「……ご、ごめん」
「や。別に良いけど。……蓮の言うとおりかもって思っちゃった。そうだよね。恋する資格なんて、誰しもに与えられているわけじゃない。私も……一体何処で間違っちゃったんだろう」
「郁」俺は慌てて立ち上がって言った。「何も悲観するようなことはないって。ショウタロウと一緒に歩いていた女だって、恋人と決まったわけじゃ――」
「あ~あ! どこで間違っちゃったのかなあ……! せめて、死んじゃうことを知っていれば、好きになることもなかったかな……」
「ん……ん?」
以前感じたような、激しい認識のずれを感じる。
「そもそも、発売前情報で立ち絵を出す公式も意地が悪いと思うんだよね。だって、他に公開されたキャラクターなんて全員個別ルートあるのに、ゼムロ様だけメインルートの中盤で死亡確定してるんだよ? おかしいって! 絶対!!」
郁は、涙ながらに俺の知らない固有名詞を並べて空に訴える。
「そりゃ個別ルート期待するに決まってるじゃん!!」
「……」
嘘だろ……。
もしかして郁が失恋した相手ってショウタロウではなく――
「お前、まさかそのゼムロ様?……が死んだのがショックで学校休んでいたのか?」
「そりゃそうでしょ!」と言ってから、「……あれ、言ってなかったっけ?」と首を傾げる。
俺は盛大に溜息を吐いた。
そうだった。こいつは乙女ゲーオタクだったんだ。
だったら、今まで俺が郁に捧げた気遣いは一体何だったのか。
「あのなあ。お前、せめて人並みの恋をしてから『失恋』なんて言葉を使えよ」
冷たく言い放つと、郁は一層傷ついたような顔をして「ひどお!」と喚く。「そっちだって恋愛の『れ』の字も知らないくせに!!」
「恋愛は知らないけど失恋の『し』の字くらいは俺だって知ってるつもりだぞ。それはな――」と郁の話に乗ろうとしたところで、俺はそもそもなんで美容室前の電柱の影に隠れていたのかを思い出した。「――しまった!」
「『し』まった?」
慌てて電柱から身を乗り出しても、既に視界の中に東海道先生とヴィジュアル男の姿はない。ワンテンポ遅れて姿を見せた郁も、自分の失態に気が付いたらしい。
「ああーっ!! しまったぁー!!」
「郁が余計なこと言うから見失っちまったじゃないか」
「いやいやいやいや。話の発端はそもそも蓮でしょうが」
「……」
冷静に考えれば、確かに俺にも責任の一端が無いとは言えない気がする。
「……」
郁の方も、何となく自分にも責任の一端が無いことはないとか思っているんだろう。居心地悪そうな、多分今の俺と同じ表情で口を噤んでいる。
お互いが責任の一端をになっているということは、多分責任の本体は支えも無く地についていることだろう。つまり、誰のせいでもないってことだ。
「どうしよう。このまま先生探す?」
「いや。……確か、この路地の先って夜賑やかなエリアだったよな」
「あー」郁は振り返って駅と現在地の位置関係を検めた。「そうだね。それが?」
「夜中に女子がうろつくのは危険だろ」
「……あー」郁は後頭部をポリポリ掻いた。「しゃーないね。帰ろっか」




