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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第六章:新勢力台頭
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新勢力誕生

 建安元年(196年)、劉亮は幽州を出て無事に青州に帰還出来た。

 結果から言って、袁紹が公孫瓚を撃破した事で道が開けたのである。

 とりあえず冀州から自領の幽州北平に撤退する公孫瓚は、最短の帰路である涿郡を通過する。

 そんな公孫瓚を、幽州劉氏はもてなした。

 先日は謎の侵攻をして来たが、別に戦った訳ではないし、略奪とかも無かった。

 公孫瓚が涿県の県令だった時は、まともな政治をしてくれたし、その時の恩義が残っている。

 県令時代の謝礼もあったし、長らく劉備との友誼も結んでいる。

 それ故に劉氏は、公孫瓚の傷ついた部隊に補給を行う。

 公孫瓚は感謝して北平に戻って行った。

 劉亮は兎も角、劉氏自体に自分への敵意が無い事を確認して。

 なお、公孫瓚は劉亮とは会おうとしなかった。

 公孫瓚と会ったのは劉元起。

 この様子を劉子敬は冷ややかに見ていた。


 公孫瓚軍撤退を確認後、劉亮は袁紹領渤海を通過して青州に戻る事になる。

 挨拶の一つもしなければ。

 劉亮は久々に袁紹本人と面会する。

 袁紹は君子らしく喜怒哀楽を頻繁に表に出さない。

 泰然とした態度を常に取っているし、怒ったりして感情を見せるのは計算されたパフォーマンスだったりする。

 そんな袁紹が、珍しく本心からムカついた感じであり、劉亮と側近数人だけの場を作った途端に愚痴って来た。


「孟徳がな……」

「曹操殿が何か?」

「皇帝を迎え入れおった。

 君は私が董卓によって擁立された今の皇帝を認めていないのは知っているよな」

「存じております」

「だからこそ幽州大司馬(劉虞)を擁立しようとしているのに、あいつは……」


 長安を脱出し、一年近く彷徨(ドリフ)っていた皇帝劉協一行は、ようやく洛陽に帰還する。

 その報を各地の将に送った所、真っ先に曹操が応じた。

 そして洛陽の再建を約束すると、安全確保の為と称して皇帝を自分の領土である豫州潁川郡の許県に移す。

 以降、その地は許都と呼ばれるようになる。

(許昌は三国時代になってからの呼び名である)


 こうして皇帝を擁して人事を思うように出来るようになった曹操は、袁紹を太尉に任じた。

 袁紹たちはこれを拒否。

 太尉は三公の一つだが、実質的には多くの外戚が称した「大将軍」の方が上である。

 すると曹操は袁紹を大将軍に任じる。

 袁紹はこれにも不満である。

 何に任命されようが、任命した側の方が上位扱いなのだから。

 そして何よりも不満なのが、曹操が劉虞に送った印綬の事である。

 送ったのは「趙王」の位。

 これは春秋戦国時代の大国「趙」という意味ではない。

 冀州に属する郡・国の一つ、趙国という行政単位の形式上の主に過ぎない。

 袁紹が求めていた「河北王」は、そんなものは存在していない新設のもので、要は北部数州を束ねる盟主になる称号であった。

 劉虞は遠慮して「河北仮王」を要求したが、それでも北方の盟主になる事を承知したわけで、袁紹もそれ以上は何も言わない。

 朝廷には

「皇帝が長安に居ては、中原以東の事を扱い切れない。

 世の安定の為に、叛意を持たない宗族の劉虞を、遠隔地の統括役にした方が良い」

 と交渉するつもりだったのだが、その使者を送った辺りから旧董卓軍の内紛勃発と皇帝の長安脱出。

 宙ぶらりんのまま、周囲には「河北王」と劉虞を呼ばせて既成事実化を図っていたのだが、これを曹操が一気にひっくり返した。

 曹操は

「陛下が洛陽に帰還された以上、遠隔地の統括役は不要となった。

 劉虞殿下にはこれまで北方の安定に寄与された功績を称え、王の称号を正式に授ける。

 趙国・常山国・中山国の三国の王と為し、称号は『趙王』とする。

 複数の国の王を兼ねるのは無かった事であり、陛下による格別の配慮だと心得られよ」

 と告げ、劉虞はその印綬を受けてしまったのだ。

 四、五州を統括する広域の王と、これも異例の形ではあるが三郡程度の王では話が違う。

 何よりそこは袁紹の領内であり、形式的には自領に住まう皇族を支える「曹操と同じ」存在になったのだ。

 許都において劉協を守る曹操と、趙国において劉虞を守る袁紹という図式。

 だから文句ないだろ、という曹操のドヤ顔が劉亮の目に浮かんだ。

 だが劉協が皇帝なのに対し、劉虞は諸侯国の王。

 図式は一緒でも人事権といい、勅を出せる権力といい、まるで違う。


 つまりは、曹操は袁紹と方針を異とし、独立新勢力として旗揚げしたのである。

 袁紹からしたら、これまで散々助けてやったのに、という気分が強い。

 それでも曹操は袁紹の要求は半分飲むし、対袁術では相変わらずの同盟関係である為、今は余り文句を言えない状態である。

 だから袁紹は愚痴を零しているのだ。


(しかし、袁紹は大分感じが変わったなあ。

 洛陽で見た時は、人の意見を聞く穏やかな紳士だが、一方で覇気に満ちた眩しい表情をしていた。

 今は覇気を抑え込み、良く言えば落ち着いた感じ、悪く言えば暗くなった)

 劉亮は愚痴をぶつけて来る袁紹を相手にしながら、そう観察している。

 まあ冀州を束ね、多くの人士を家臣にしている今、数年前とは違って自分の思いのまま行動出来なくなったのだろう。


 袁紹が立場上色々言えなくなったという事実が、袁隗と会った時に見えて来た。

 漢朝で太傅だった袁隗だが、董卓の元を逃れて烏桓経由で袁紹に庇護されて以降は、長幼の序から敬意を持たれてはいるものの、何か仕事をしている訳でもない楽隠居状態になっている。

 洛陽時代とは逆に、袁紹は気苦労が多く、袁隗の方が立場的には気楽になった。

 その袁隗が

「どうだろう?

 其方の兄にはまだ正夫人は居なかったよな。

 我が袁家から夫人を出したいのだが、仲介してくれないか?」

 と言って来たのだ。

 袁隗が言うには、今現在正式な同盟関係になく、青州では矛を交えた事もある為、当主である袁紹の口からは言い出せない案件のようだ。

 だから隠居・ご意見番的存在の袁隗から打診し、良ければ袁隗が勝手に事を進めて、後戻り出来なくなってから袁紹が追認という形式にするようだ。

「仲介だけならしますが、一族の承認も必要なので……」

「それは分かっている。

 良しなに」


 劉備は聖人君子とは言わないが、それでも当代随一の徳を持った人間だ。

 その徳とか高潔の中に、妻を複数持つ事は含まれない。

 寧ろ多数の妻を持ち、子を沢山成す事こそ先祖への孝行であり、立派な事とされている。

 だから劉備にも現在、多数の妻が居るのだが、どうにもこの面では運が無い。

 青州牧になった当時、幽州の母親が一族と相談し、自分の血縁である甘氏の女性を娶せたが、これは子供を死産した後、自身も亡くなってしまった。

 徐州牧になった時、麋竺が妹を嫁がせて来たが、呂布に徐州を追われた今は麋竺が引き取って面倒を見ている。

 妾も多数いるが、中々子が産まれず、男子が一人、女子が一人という寂しい状態だ。

 なお曹操は、この時点で男子だけでも曹昂・曹鑠・曹丕・曹彰・曹植が産まれており、建安元年には曹熊も産まれる。

 そして現在、麋夫人が最も高い家柄になるが、それでも正夫人は立てていない状態であった。

 そこに袁紹たちは目を付けた。

 青州を確実に自陣営に引き込む為に、「四世三公」の袁氏の女性を嫁がせる。

 名門の女性は正夫人にしなければならない為、劉備を完全に取り込めるという計算だ。

 一族に諮ると言っても、きっと一族は諸手を挙げて賛成するだろう。


(まあ、まずは劉備に会わない事には)

 劉亮は仲介するとは約束して、冀州を去った。


「おう、一年以上任地を留守にした州牧の御帰還だ」

 劉徳然が憎まれ口を叩きながらも、嬉しそうに出迎える。

「で、帰って来た人数が増えてるんですが?」

 劉展が、白凰姫が抱いている子供を見て尋ねた。

「そりゃ一年も手持ち無沙汰なんだ。

 子が出来ない方がおかしいんじゃないか?」

 劉備がそう言いながら、甥っ子の頭を撫でている。

 時間的に暇だったのはあるが、それ以上に北方出身の白凰姫は青州より幽州の気候が合っていたようで、それで子も出来やすかったのだろう。

「兄者も、また新しく子を作らないとならないでしょうな。

 袁家の娘と」

 劉亮がそう言うと、劉備が赤子を撫でる手が止まった。

「……袁紹殿が俺に嫁を出すって言ったのかい?」

「まだ打診されただけです。

 伯父の袁隗殿が持って来た話で、これから具体化するでしょう」

 劉備は黙り込み、やがて何も言わないまま、また甥っ子を可愛がり出した。

「玄徳兄も立場があるから、引く手あまたですな。

 つい先日もですね……」

「おっと、徳公。

 お前にも縁談だ。

 持って来たのは子敬叔父上だから、拒否する権利は無いと知れ」

「いや、俺は玄徳兄の護衛で、いつ死んでも良いから妻は持たんと決めたんだ」

「……という名目で、盛り場の女と遊ぶのが止められないんだろ?

 叔父上、色々知ってたからな。

 繰り返し告げる、断る権利は無い!」

 劉展は頭を抱えた。




 そして劉備が引く手あまたという話を、陳羣や張飛から聞く。

 現在徐州牧を追われた劉備は、無官状態である。

 青州牧は、帰還を妨げられたとはいえ劉亮のままだ。

 州牧の兄、元州牧という立場で自由気ままに暮らしていた劉備だったが、曹操が皇帝を迎えた後に状況が一変する。

 曹操から

「劉豫州を宜城亭侯に封じ、左将軍の印綬を授ける。

 許に出仕するように」

 という勅が出された。

 都勤めなんかしたくない劉備は散々ごねているそうだ。


(それにしても左将軍か……。

 袁術と同じ地位って事は、袁術と戦わせるつもりだな)

 劉亮はそう思ったし、陳羣もそう考えている。

 一方で曹操は、呂布にも正式に徐州牧の印綬を贈り、劉備との関係改善を促した。

 呂布と袁術の関係は微妙なものになっているが、完全に切り離そうという意図であろう。

 それで呂布は、劉備との正式な同盟を持ち掛けて来たが、これに関羽が猛反発している。

 袁術からは何も言って来ないが、袁術と同盟関係にある公孫瓚からは、劉亮を足止めして申し訳ないという謝罪と共に、更に関係を深めたいという書状が何通も来ていた。


「平時のポンコツ」劉備は、こういった政略に自分が巻き込まれているのが相当にうざったいようで、話をしようとしたら逃げてしまう。

「だから、弟の劉亮殿が帰って来て、我々は皆ホッとしております。

 どうか、こうした事の処理をお願いします。

 殿にしっかり決断するよう、貴方様から言って頂きたいと思います」


 劉亮は劉備対応を劉徳然や陳羣たちから丸投げされてしまった。

 それはそれで面倒な事だ。

 劉亮はしばし考えて

「こういうのを毛嫌いするのは分かるけど、知らないとこの先やっていけない。

 一番魑魅魍魎が住まう場所で兄を鍛えよう!

 曹操の元に行って貰おうか!」

 そう考えた劉亮は、州牧が帰還して居候状態になり立場が無い劉備を徹底的に論破して、許都行きを承諾させたのだった。

おまけ:劉備対劉亮

劉備「俺、洛陽とか行きたくないんだよね」

劉亮「洛陽じゃなくて許都です」

劉備「でも、あの何も出来ない連中の巣窟だろ?」

劉亮「曹操殿が改革し、大分効率的になっています」

劉備「曹操は徐州の敵だろ?」

劉亮「徐州から追い払われた兄者には関係ない事です」

劉備「いや、関係あるよ、そう割り切れない」

劉亮「向こうは割り切って左将軍にして来ましたが」

劉備「まあ左将軍でも出仕する必要は無いから」

劉亮「一回でも出仕してからそういう事言って下さい」

劉備「そう! 俺は出仕した事無いから無作法者だぞ!」

劉亮「それを直す為にも出仕して下さい」

劉備「お前は兄を追い出すつもりなのか?」

劉亮「逆に聞きます、いつまで無職居候ニートを続けるのですか?」

劉備「いいだろ? 家族なんだから」

劉亮「その家族の元起叔父上からです。

 我が一族の誉れだから、天子様に仕えて来なさい、との事」

劉備「えー? 敵地だし、俺怖いよ」

劉亮「関羽、張飛という豪傑を従えているのに何を言われる。

 なあ、関羽殿、張飛殿」

関羽「左様! 恐れる事等無い!」

張飛「朝廷の内情を見て来ましょうぞ、殿!」

劉備「……お前たちまでそう言うなら……」


こうして劉備は説得された。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] そういえば、この辺りの時期に密勅事件というものがあったような? [一言] 最終的に劉備を説得したのが関羽張飛な件。
[一言] モヤモヤとかイライラとか、だって劉亮は別にやり手のエリート社員ではなく、社畜wなのに。 そんな社畜が転生したから主人公張るというのも、どうなんだろうか。 所詮、社畜根性で糠漬け状態だから…
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