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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第五章:袁と袁の時代
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第一回方針策定会議

「兄者、話がある」

 此処は幽州涿郡涿県樓桑村、つまり劉亮と劉備の生まれ故郷。

 公孫瓚が袁紹と戦う為に出陣した際、条件反射的に

「朋友の伯珪殿を助ける」

 と劉備が出撃して、この地に駐屯したのだった。

 ただ、劉備は劉亮が頭を抱えたよりは、もっと深く考えて行動をしていた。

 関羽に青州の留守を任せ、友軍となった孔融にも話を通した後で

「助けると言っても、出来れば和睦の橋渡しをしたい。

 ここで戦ったって何の意味も無いからな。

 まあ袁紹が仕掛けて来るなら伯珪殿に加担する。

 伯珪殿から仕掛けたなら、幽州を守るだけにする。

 戦いたい気持ちはあるが、この戦いは民の為という意味では不要なものだからな」

 と皆に告げていた。

 なお、公孫瓚から合力の依頼は来ていない。

 様子見をしていたら、もしかしたら要請されたかもしれない。

 しかし劉備が先んじて動いた事で公孫瓚は満足し、劉備が後詰めの位置に居座っても何も言わなかった。

 野生の勘のようなもので、行動の自由を得ていたのだ。


 このような事情を後から聞いた劉亮は、「乱世の劉備」の勘働きに舌を巻くと共に

「それでもやはり公孫瓚寄り過ぎる」

 と危惧をした。

 幾ら上手く立ち回ったとはいえ、行動原理はやはり「友情」と「義理」である。

 それに「ノリと勢い」も加わっているだろう。

 それではいけない。

 やはり劉備とは話をしないと。




 劉亮は劉備に今後の方針についての話し合いを了承させると、劉徳然を青州の守りに送り、代わりに関羽を呼び寄せた。

 関羽をこういう大事な話し合いに参加させないと、物凄く面倒臭い事になるのは予測出来た。

 誇りが高過ぎるし、劉備の同盟者であるという意識がまだ何処かに有るし、劉備が自分を特別待遇しないと不貞腐れてしまう。

 似たような部分は張飛にもある。

 この二人には参加して貰う。


 劉徳然の代わりに、父親の劉元起に話し合いへの参加を要請した。

 幽州劉氏の有力者であるこの家系は方針会議には必要だが、徳然は余りに袁紹派過ぎる。

 だったら父親に参加して貰った方が中立寄りな意見を聞けるし、徳然も父親なら面子を潰されない。

 何より若い面々に対し、上の世代が混ざってくれた方が良いだろう。


 そして幽州の中だから田豫にも参加して貰う。

 老母の世話で幽州から出たがらない田豫だから、涿郡に居る今なら丁度良かった。

 新参だが太史慈も参加。

 彼は義理に篤い人物だから劉備・関羽・張飛からも認められている。

 劉亮からしたら、新参故にこそ自分たちとは異なる意見を聞けると期待していた。

「徳公(劉展)は呼ばないのか?」

 頭が残念過ぎる劉展は、出席してもチンプンカンプンだろう。

 それに、意見は「玄徳兄に従う、それ以外無い!」な男だから、居ても無意味だし。

 それを直接的な表現ではなく婉曲的に

「徳公にはそういう意見を出し合う場は向いていない。

 だから外で他の者が盗み聞かないよう警備して貰いたい。

 警備の位置なら、徳公には話も聞こえるし、仲間外れにはならないんじゃないかな」

 と劉亮は返した。


 こうして劉元起の広い館で話し合いが始まる。




「早速だが、兄者はこれからどうしたい?

 考えが有るのは知っているが、ハッキリ皆に話す時期じゃないですか?」

 呼び掛け人である劉亮が口火を切る。

「いやいや、まだ話せる段階じゃないだろ」

「兄者は既に青州牧。

 十万の兵を養う一大勢力の頭首がまだまだとは通じません」

 劉亮は他人の事はよく見えている。

 軍閥の一人として袁紹・公孫瓚・劉虞・孔融というこの一帯の軍閥の長から一目置かれている者の不安定な行動は、敵味方中立全てに迷惑を掛ける。

 少なくとも味方にくらいは、どういう意図で行動するかを話しておくべきだ。


 劉備は語る。

「まず大前提として、朝廷の横暴を改めさせ、民を救う。

 腐敗政治を改め、苛政を敷く地方役人を除く。

 それが俺がしたい事であり、関さんも張さんもそれを望んでいる」

 それは分かっている。

 それが分かるから、何かと文句の多い劉徳然も劉備に従っている。

 だから話はその先である。

「それはどんな立場でしたいんですか?

 兄者は皇帝になられるか?」

 玄徳はギョっとした表情になる。

 そこをツッコムか? といった感じであった。

「まあ、子供の頃は夢見たな。

 俺も劉氏なんだし、いつか皇帝になりたいって言っていた。

 叔朗も覚えているよな」


 劉備の幼少期のエピソードで、このようなものがある。

 家の前に生えている大きな桑の木を見た劉備少年は

「大きくなったら天子の乗っている馬車に乗るんだ」

 と言った。

 天子の馬車は桑の木で出来ている為、桑の木を見てそう思ったのである。

 その発言を聞いた、叔父の劉子敬(父・劉弘の弟で劉展の父)が劉備の口を塞ぎ

「滅多な事を言うでない、そのような事を口に出すだけで、我が一族は皆殺しの刑に遭うぞ」

 と注意をしたという。


「まあ、あれはガキの世迷言として、実際のところ俺が皇帝になる事は無いだろう。

 というか、洛陽を見て来て皇帝とかになる気は失せた。

 それよりも適した立場で居たい」

「具体的には?」

「具体的には分からないが、そうだなあ、皇帝の師というか、教育係って立場かな?」

「それは董卓とどう違いますか?」


 董卓がやっていたのが、「太師」という君主の教育係を名乗っての政治であった。

 また、やっていたのは腐敗政治の処断、地方役人の刷新、失敗したとはいえ貧民の借金の解消であった。

 劉備が言っているのは、既に董卓がやろうとした事なのである。


「董卓と並べる等、如何に劉亮殿とはいえ酷いではないか!」

 関羽が文句を言う。

「そうだ、董卓は私腹を肥し、身内で官職を独占した。

 そんな輩と劉将軍を一緒にするとは酷い」

 張飛も同様に文句を言うが

「叔朗はその董卓の近くで実際に見て来たのです。

 董卓を見た事も無い私たちが叔朗にあれこれ言っても、それは噂話を元にして責めるようなもの。

 ここは叔朗の話をきちんと聞きましょうよ」

 そう年長の劉元起が言うと、さしもの関羽・張飛も大人しくなる。


「では三公で……」

「その場合はお仕えする皇帝は、長安におわす方ですか?

 それとも幽州牧殿ですか?」

「…………」

 劉備は答えられない。

 そこまでは考えていなかった。

 そして弟が言わんとしている事を察する。

 長安の劉協を認めるなら、それは今も朝廷を仕切っている亡き董卓配下の者たちと歩調を合わせる事になる。

 一方劉虞を担ぐなら、それは袁紹と同じ事になる。

 袁紹と同陣営なら、宗族とはいえ末端の劉備より、天下の名士で「四代三公」の家柄の袁紹の方が上位になるだろう。

 だから自分が皇帝に名乗りを上げ、それを他の軍閥が担いでくれれば良いが、それなら劉虞に限らずもっと有力な劉氏がゴロゴロ居る。

 また、自ら皇帝を名乗ると「謀反人」として討伐の絶好の大義名分を与えてしまう。


(どの道もダメではないか)

 劉備は悩む。

 そして

(そういや、伯珪兄はどう考えているんだ?)

 と疑問を持った。

 袁紹の考えは大体分かった。

 劉協を認めず劉虞を皇帝とし、自分はその下で三公を勤めながら後漢を再興する。

 その袁紹と対立しているだけでなく、劉虞とも不仲の公孫瓚は?

 そして

(袁紹のやりたい事は分かるんだが、だったら同族の袁術はどうなんだ?)

 という疑問も湧く。

 それを劉亮にぶつけてみるも

(いや、それを俺に聞かれても……)

 と思ってしまう。

 劉亮の中の人の知っている歴史では、袁術はこれからしばらく後に「仲」という国を建てて自ら皇帝と称する。

 という事は、彼は自分が皇帝になる道を選んだのだろう。

 その同盟者である公孫瓚の考えは、全く分からない。

 会ってみないと、勝手な事は言えないだろう。


 次第に劉亮の中に、盧植の遺言が甦って来る。

 盧植の悲願は「良き後漢の構築」である。

 別にそれに限った事ではないが、そういった方針を持っている群雄が一体どれだけ居るのか?

 国をどうにかしたいという気持ちは分かった、だが明確な方針が無いのなら、後漢のより良き姿に戻す事を旗印にして諸侯を纏めれば良い。

 その纏め役、導き役になれと言って来たのだが

(それは自分には無理だ)

 と劉亮の中の人は今でもそう思っている。

 それと、盧植は確かに幽州で私塾を開いて豪族の門弟を始めとした多くの弟子を持った。

 塾に顔を出したのは数千人と言われる。

 実際はもっと少ないとか、豪族の坊ちゃんの召使いも加えての数ではあろうが、そんな人数をたった数ヶ月しか見ていない盧植は、弟子の事を一々覚えてはいない。

 その後に出世し、黄巾の乱の折は駆け付けてくれた劉備や公孫瓚を、後から高評価し出した。

 だから、洛陽まで付き合って小間使いのような事もした劉備はまだしも、公孫瓚の人格までは分かっていない可能性が高い。

(自分に対する過大評価もだけど、盧植は公孫瓚も見誤ってないか?)

 人格としては確かに高潔だし、義侠心もある。

 しかし天下を託せるかどうか。

 まあ劉亮も、公孫瓚とそういう話し合いをした事は無いから、詳しい事は分からない。

 彼の前世での「結果」から逆算して「何も考えてないんじゃないか?」と思っただけで。


 劉亮が劉備の問いに答えられずにいると、更に関羽が突っかかって来た。

「散々否定だけして来たが、そういう劉亮殿には何か思案がお有りか?

 劉将軍に語らせるだけで、自分の考えを言わないとは卑怯ではないか」

 それもそうだ。

 だが、劉亮がこの話し合いをしたいと思ったのは、自分でもそこをどうしたら良いか決めかねていたからだ。

 彼は、この後に「長安の劉協が逃げ出し、洛陽に戻って来る」事を知っている。

 しかし今それを言っても、根拠は全く無いから相手にされないだろう。


 劉亮は素直に

「自分にも分からないから皆に集まって意見を聞きたいと思ったのです。

 我々は兄者の下で働く者。

 最終的には兄者の意見を尊重したいが、兄者も今までは深く考えていなかったようですし……」

 そう言ったが、当然関羽と張飛が文句を言って来る。

「まあまあ、関さんも張さんも落ち着きな。

 分からないから皆に集まって貰った、その場にあんたらも呼ばれたんだ。

 叔朗はあんたらの話も聞きたいって事さ。

 こいつなりに認めているんだよ」

 と言って劉備が宥めると、関羽も張飛もまんざらでもない表情になる。

(上手いなあ。

 俺としたら、呼ばないと面倒臭い事になるって思っただけなんだが)

 劉備の手腕に感心する劉亮の中の人。


 自身の不明を詫び、積極的に意見を出して貰う。

 しかし、劉亮を責めた関羽・張飛にしても、年長の劉元起にしても、田豫や太史慈にも妙案は無い。

 既に劉亮が否定したように、どの道でも何かが引っ掛かるのだ。


 やがて劉亮が提案した、そういう事を知っている知識人の招聘について、劉備と関羽が反対、劉元起が保留、後は賛成となるも

「口ばかりのとか、名門や高学歴を鼻に掛けて偉そうなのは絶対に嫌だ」

 という条件付きでの決定となった事以外、具体的には何も決まらずに散会となった。


(まあ、問題意識さえ持ってくれたら上々)

 劉亮は自分を納得させるよう、そう思う事にした。

おまけ:

公孫瓚軍に参入した趙雲という武将曰く

「両者の間で上手く立ち回ろうとし、全てを投げ打つような義を示さない。

 劉備という者は頼りにならないだろう」


……全員を満足させる事は不可能だと思っています。

身軽に動ける「史実」劉備と、劉亮の中の人が変えてしまったこの世界の劉備では、背負っているものが違うので。

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― 新着の感想 ―
[一言] 上奏して群雄が抱くマニフェストを募る他ないのではないか。 結局、何かを得るために何かを捨てられる者にしか信望は得られないわけだな。信望は政敵とのトレードオフか。 どのみち、漢室に対する権威が…
[気になる点] 趙雲は来てほしいけど無理なんやろなあ
[一言] 太史慈in、趙雲out って感じ?
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