死んでいく者
蜀に向かっていた劉亮は、急使により呼び戻される。
(脱出の意思が露見したか?
いや、そんな筈は無い。
仮に妻の口から洩れたとしても、戻るつもりだったと言えば良いだけだ。
だが、それすらも通じないような精神状態になったのかな?)
劉亮は董卓について考えたのだが、使者の内容は違っていた。
『烏桓の大人・丘力居死亡。
烏桓の混乱が予想される。
烏桓突騎劉亮は直ちに当地に赴き、事態収拾に努める事』
「舅殿が亡くなったか……」
劉亮は急ぎ、董卓に使いを送る。
彼の妻の白凰は丘力居の娘だ。
葬儀の為に長安から出して欲しいという内容である。
また劉焉への使者の件は、副使を正使に昇格させて続行させる。
北に向かって馬足を変える。
途中で董卓から折り返しの使者が来て、それは口頭で
「奥方は既に北に向かった。
流石は遊牧民、勝手に出たがそれは不問とする。
北の安定は重要な事だから、長安に立ち寄らずすぐに向かえ。
との事です」
そう伝えた。
(通貨問題よりも、遊牧民対策の方が重要なんだな)
劉亮からしたら、社会全体に影響を及ぼしている通貨問題は極めて重大事なのだが、董卓からしたら違う。
涼州で羌族と戦い、或いは交易して味方にして来た董卓からしたら、所詮金持ちが困っているだけの通貨問題よりも、北方の安寧の方が大事なのである。
(それにしても、俺の官位もかなりいい加減なものだよな)
劉亮は正式な烏桓突騎ではない。
曹操による董卓暗殺未遂に連座した時に、騎都尉・烏桓突騎の役職は剥奪されている。
その後無罪となるも、正式にそれらが戻って来てはいない。
しかし董卓は変わらず「騎都尉・烏桓突騎」と扱って来る。
自分が剝奪命令を出した事を忘れたか、そんなのどうでも良いと思っているのか。
まあ正式な烏桓突騎で無くても問題ない。
彼は烏桓大人の娘婿であり、それだけで介入の資格が有るのだから。
北地で劉亮は白凰姫と楼煩に再会する。
楼煩は袁隗や他の袁家の者を烏桓に届けた後、しばらく帰って来なかった。
それは、その時期既に丘力居が病気になっていて、万が一の際に自分が動けるよう待機していた為である。
丘力居が死ぬと、楼煩は馬を乗り継いで走らせて長安に至り、白凰姫に訃報を知らせた。
そして董卓の元に居る旧知の者に事態を知らせ、董卓への伝言を頼むと、返事も貰う前に白凰姫を連れて長安を抜け出したのである。
最初は勝手な行動に怒った董卓だが、
「まあ、遊牧民だしなあ」
と漢人の常識が通じない相手な事を思い出し、更に自分の手の者からも烏桓の大人が死んだ事を知らされた為、行動を追認したという経緯であった。
楼煩から烏桓族の様子を聞く。
現在、丘力居の従子・蹋頓が部族の統率を始めたという。
しかしカリスマ指導者が失われたら分裂するのが騎馬民族の常。
上谷烏桓の難楼、遼東属国烏桓の蘇僕延、右北平烏桓の烏延といった族長たちが離反の動きを見せているそうだ。
劉亮は蹋頓とは何回か会った事がある。
精悍な顔つきで、如何にも武勇に秀でている感じが滲み出ていた。
丘力居の実の男子はまだ子供であり、この蹋頓を皆が頼りにしている事も知っている。
(やる事は余り無いだろうが、手助けはしてやろう)
劉亮は打算込みでそう考えた。
そして董卓から付けられた監視役に頼み、単于の印綬を贈るよう進言して貰う。
監視役は急ぎ長安に戻った為、これでようやく劉亮たちは董卓の軛から抜け出せたのだ。
「白凰姫には伝えたが、私はもう長安には戻らんからな」
楼煩も頷く。
戻ってもろくな事は無いだろうと、この男も直感していたようだ。
劉亮は通貨問題を投げ出したモヤモヤを抱えていたが、こればかりは自分だけでどうにか出来る問題ではない。
董卓がきちんと担当官吏を集めて、造幣局を動かさないとどうにもならない。
その為の方策は伝えて来たが、やるかどうかは結局董卓次第である。
何より、通貨政策なんてのは劉亮の中の人にとって、本来専門外だ。
彼は交渉役をずっとして来たし、それしか取り柄が無いと考えている。
歴史を知っていたから、黙ってはいられなかったが、実務となると彼には何も出来ない。
頭を切り替えよう。
今は烏桓内の不和を解消し、部族を纏める手伝いをすればそれで良い。
その後は劉備の元に帰ろうじゃないか。
劉亮一行は白狼山に到着する。
劉亮は軍の進路や行軍速度、補給に掛かる時間等を計算して、地図上の敵味方の行動を予測し、先回りする能力を持っているが、本人がそれを特殊能力だと思わない理由に、騎馬民族がそれを直感でやっている事が挙げられる。
歩兵や輜重というものを組み込み、都市や河川といったものも含めた劉亮の方が複雑な事をしているのだが、それでも草原や荒野で馬を走らせ、何日前にここを通ったなら、この道を行けば先回り出来るといった事を経験と直感から導き出す騎馬民族は凄い能力持ちと言えよう。
「おお、劉亮殿、お久しゅうございます」
袁隗が走り寄って来て劉亮の手を取る。
その背後には袁氏の助けられた男子たちが跪いて礼をして来た。
彼等は最初、劉亮を董卓の下で自分たちを辱める敵と見ていた。
それが烏桓の地に逃がされ、袁隗から自分たちを助ける為の演技だと聞かされ、劉亮を命の恩人として敬っている。
「袁隗様もお健やかなようで何よりです」
そう挨拶するが、見た目に袁隗はやつれて見える。
洛陽では重臣として朝廷に居た袁隗に、この北の地は辛いようだ。
まあ劉亮から見たら、北の地に来てまで漢の朝服姿を変えようとしないのが悪い。
寒いだろうに。
名門袁氏の誇りもあり、例え都落ちしても見た目は変えないという意思表示なのだろう。
(袁紹か袁術の元に帰る際、ちょっとはかっこつけたいだろうと気を遣って用意したのだが、むしろしない方が良かったかな)
そう思えて来る。
袁隗との挨拶を終えると、幕舎に入って蹋頓と対面。
蹋頓は丘力居の従子で、白凰姫とは義理の兄妹の関係にある。
それもあって、蹋頓は劉亮を「兄弟」と呼んで来た。
「大人の服喪に駆け付けてくれて感謝する。
で、それだけじゃないんだろ?
一番は長安を抜け出したかった、そう聞いている」
「それもあるし、貴方の手伝いをしたいとも思った」
「必要は無いが、助けると言うなら応じても良い」
「君は強いからなあ。
武力で周囲を従わせる事も出来るでしょう。
ただ、それだとお互い傷つく事になるから、説得で何とかなるなら、その方が良いでしょう」
「その通りだ。
兄弟よ、まずは漢の状況を教えてくれ。
あんたは朝廷の近くに居たから、こいつらよりももっと詳しい事を見て来たんだろう?」
蹋頓は遊牧民らしく、政治よりも武力という思考の男である。
その思考の範囲内で、漢というものを相手に分裂状態よりも統合した方が良いと判断し、それなら戦わずに皆を纏めた方が数を減らさずに済むと計算していた。
言われずとも、難楼、蘇僕延、烏延たちも分かっているだろう。
だから後は、如何に彼等の面目を立ててやるかであり、それさえ出来たら後は蹋頓が実績を作って、彼等も納得して従うと予想される。
劉亮は董卓からの返事を待った。
遼西から更に北に行った烏桓の地と長安とは相当に遠い。
劉亮が蜀に向かっていた場所から北に向かい、長城の外を走り抜けただけで結構な日数が経過していた。
董卓に依頼の使者として監視役を送った後、その印綬をどこに届けたら良いのかを知らせる使者を追加で送り、それが戻って来るまでにまた日数が経過する。
そしてついに董卓から「烏桓単于璽」が届けられた。
『貴卿も随分と字が上手くなったようだ。
申し出は分かったから、早く北を安寧にせよ。
印綬を届けるが、それを蹋頓に渡す役目は烏桓突騎の貴卿では役不足である。
書状を書いた者に”太傅”とでも名乗らせるように』
この手紙を読んだ劉亮はゾッとする。
太傅は袁隗が洛陽で就いていた官職である。
劉亮は袁隗に代筆を頼んだのだが、それでなくても董卓は劉亮が袁隗を逃した事に薄々気づいていたのかもしれない。
生きている”太傅”袁隗という漢の高官を使えば、蹋頓の顔も立つ、そう言っている。
(やはり董卓は凄い男だ。
もうちょっとで死ぬのが惜しいかもしれない。
まあ俺が知っている歴史通りに推移すれば、の話だが……)
劉亮は袁隗に董卓の書状を見せる。
袁隗も真っ青になっていたが、それでもこの北の地に董卓の手は届かないだろう。
気を取り直した袁隗は、漢の太傅として単于璽を蹋頓に授ける儀式を執り行う。
独立行動をしていた族長たちも駆け付け、晴天の下で物々しく儀式は行われた。
その場で蹋頓は、難楼たちを「大人」に任じ、自分と草原に於いては同格であると宣言した。
対漢では自分を盟主にして事に当たろう、と言う。
難楼たちはそれに従うと叫び、生贄を殺してその血を啜って天に誓いを立てた。
その晩の宴会で、劉亮は難楼たちに漢の地で起きている事を詳細に語る。
見通しとして、黄巾の乱や張純の乱の時よりも更に乱れていくと語った。
そして兵力を欲する各勢力が、個別に北方民族を傭兵とするであろう事も。
この際、烏桓は統一して事に当たった方が優位に立てるという結論を、劉亮は彼等に導き出させた。
こうして権威・面目・利害で調整が出来て、烏桓は蹋頓単于の元に統合されたのである。
一仕事終わって、折りを見て青州の劉備の元に帰ろうか、そう思っていた劉亮に急報が届く。
それは
「董卓が暗殺された。
実行は司徒の王允、中郎将で董卓の養子の呂布」
というものであった。
色々と状況についての報告もあったが、劉亮の中の人は
(それらは知っているよ。
やはり史実通り、董卓は呂布によって殺されたんだな。
その後の展開も、きっと史実通りになるんだろうね)
と冷めた心で聞いていた。
そして何よりも
(あのタイミングで逃げるのに成功して良かった~。
逃げられずに長安に居たら、俺も董卓の係累扱いで殺されていたかもしれない)
そう思ってホッとする。
彼は自分の事については無頓着である。
むしろ彼は、「董卓に意見して二度も投獄された」という名声を持っており、荀攸のグループや、王允たちから劉亮が長安に居ないから同志に引き込めなくて悔しがられていたのだが、その事は全く知らなかったのである。
キリが良い所で第四章が終わりました。
本年は皆様ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
1月8日まで2話進行でいきます。




