董卓の政治
曹操はかなりの自由人のようだ。
劉亮から挨拶回りでは最後にすると言われ、それはそれで納得していたのだが
「だったらこっちから行く」
と押し掛けて来る。
アポ無しではないが、アポを取った僅か数分後に来るとは酷いものだ。
「せめて一刻は間を開けてくれませんかね」
苦情を言う劉亮に、
「気にするな。
綺麗に掃除されているではないか」
なんて言って、そのまま入って来る。
(汚す程まだ生活していないからなあ)
ちなみに劉亮の前世では、彼は片付けられない男ではないにしても、かなりズボラで着替えや食器なんかを乱雑に置いておく方であった。
本に至っては積み上げ族である。
妻の白凰姫は遊牧民の出だから、馬の手入れは丁寧だったが、部屋の掃除はしない。
奴婢の者が掃除はしてくれる。
そんな白凰姫を見た曹操は
「貴女は実に美しい。
魅力的だ。
夫が居るのは分かるが、一度俺と寝床を共にしないか?」
と劉亮の目の前で言ってのける。
褒められ慣れていない白凰姫は、何とも言えない嬉しそうな表情をしている。
「さっきの言葉は嘘ではないが、冗談で済ませて欲しい。
貴女の夫君が刀を抜いているからな」
曹操は臆面も無くまたそう言い放つ。
劉亮は董卓から貰った曲刀を突きつけながら
「で、何しに来たんだ?
妻を惑わす為に来たんなら、斬るぞ」
敬語というか、礼法に沿った言葉使いを止めて脅す。
そんな劉亮に、曹操は
「まあまあ、叔朗、落ち着け。
前も言ったが、お前を敵にする気はない」
と言い、そして
「言葉使いはそのままで良いな。
今の態度の方が友として腹を割って話せそうだ」
と注文を付けて来た。
「さて、何の用か?」
嫁を口説かれた事もあり、劉亮は不機嫌である。
大体、押し掛けて来た者が
「腹を割って話そう」
とか、どこのローカルバラエティー番組の髭ディレクターだよ!
そんな劉亮の気持ちに一切忖度せず、土産の酒を注ぎながら曹操が切り出す。
「董卓のやり方をどう思う?」
「まだ人事しかしていないし、今の段階では何とも……」
(下手に「これからやらかす事」を口にするわけにはいかない)
この先の展開を知っている劉亮の中の人は慎重に答える。
だが曹操はその回答にちょっと残念そうだ。
「董卓は清流派の名士を起用しまくっている。
士大夫や豪族たちは拍手喝采とまではいかないが、納得して不満を言えない」
「そうだな」
「君はこの人事で、政治的課題が解決すると思うか?」
「無理だろ」
答えを知っているから、酒を口にしたせいか、ついポロっと言ってしまい、失言だったかもと劉亮は思う。
案の定曹操は爆笑し
「やはり君は面白い!
もっと言い方ってのが有るだろうに、ぶった切った答え、真に結構!」
と肩を叩いて来る。
「ああ、大笑いさせて貰った。
理由を聞かせてくれても良いかい?」
劉亮はムッとした表情で
「俺にばかり話させるのは公平じゃないな。
同じように考えてたんだろ?
君から話せよ」
と返す。
「そうだな、聞いてばかりじゃダメだな。
よし、俺の考えを言うぞ。
清流派人士を登用しても、宦官を粛清しても、肝心な物が足りていない。
それは銅銭だ」
「それは感じていたが、それ程足りないか?」
「宮中には無い。
亡き霊帝が貯めていた銅銭は、俺が就任した西苑軍設立や、地方の反乱討伐で消えている。
宦官が貯めた銭は莫大なものだが、全国に再配分するには足りない。
その多くは商人の手に渡った」
洛陽で霊帝や宦官たちの贅沢に付き合った商人たちは、不動産や珍奇な品物と引き換えに、全国から集めた銭を受け取っている。
いつでも銭を集められる宦官たちは、しみったれた貯蓄をするより、別荘を作って珍品・美術品を集め、人を雇って裕福な生活をしていたのだ。
「それと、歴代皇帝の冥銭に使われているな」
劉亮がそう言うと、曹操はまた笑い
「叔朗は墓荒らしをしろと言っている。
いやあ、やはり面白い」
と勝手に物騒な発案者にされかけた。
「墓荒らしなんかしない!
改葬としてより立派な陵墓に祀るだけだ。
その際、副葬品は紙銭なんかに換えるが」
その発言に
「改葬か。
それは考えなかったな。
うむ、それも有りだな。
だが、それでもまだ足りんな」
と真面目に返答する曹操。
「で、君ならどうする?」
と問う劉亮に
「霊帝の売官政治を復活させる」
と、とんでもない答えをする曹操。
「それでは今までと同じだろ!」
「三公とか大将軍とか太傅とかを名誉職とし、欲深商人どもを任命して銭を徴収する。
国庫に入った銭を、事実上政治を行う州牧や太守に渡して、全国に再配分する。
こちらは清流派人士で良い。
また、監査役も清流派にしよう」
「そうだな、公共事業を扱うと、そこに癒着や汚職がどうしても発生するから」
「公共事業?
ああ、司空府が命じる農地開発や治水の事か」
「まあそういうのも有るが、それは政府が望む事であって民が望むものとは限らない」
「民が望むものと言っても、彼等は己の利になる事しかしないぞ。
民を馬鹿にする訳ではないが、官の方が我欲を公より優先する範を垂れたからな」
「だが橋を架けたいとか、用水路を整備したいとか、細かい事は分からない」
「そうだ。
だからそれは県や郡で判断すれば良い」
「複数の県や郡に跨って行われる場合は?
その時、どちらが資金を出すとか決まってはいない」
「確かにな。
個人的に仲が良くないと、自分の受け持ちの方を成功させたい、相手は失敗させたい、ならば自分の担当以外に出す金は渋りたいのが役人の考える事だ。
まあそれは上位の郡や国、州で調整すれば良い」
「刺史や太守に両者を満足させる金を出せるか?
彼等は国庫に税を納入するのが仕事で、その上更に公共事業の為の臨時税を取れば、また黄巾が蜂起するぞ」
「なるほど、その通り。
よし、君の考えを今こそ聞こう。
どう考えている?」
「民からの陳情を審査する部門を設置し、公益と看做した場合は朝廷から事業費を出す。
しかしそれだと、具体的な事を知らない朝廷が騙されて無駄金を取られる可能性がある。
そこで民の方も入札制とし、より安い見積もりをした者に任せる。
ただ、それだと持ち回りで入札しようと談合する者が現れるし、粗悪な工事も有り得るから、審査官には人を選び……」
「よ……よし、待て、一回そこまでにしよう。
酒の席で語るには惜しいから、素面の時に整理してみよう。
しかし、俺が思いつく色々な問題が『既に対処済み』なものになっているなあ。
まるで『それは我々が既に通った道だ!』とでも言うかのように。
君の頭脳には俺の知らない何かが、まだまだいっぱい詰まっているな?」
(しまった……また口が滑った……)
どうも曹操と話していると、余計な事まで喋ってしまう。
袁紹に対して上皇なんて事をペラペラ喋った酒の席での失敗以来、口には気をつけているのだが、ついつい曹操と話していると……。
適当に誤魔化したものの
「他にも何か面白い案が有るだろ?
な、俺には教えろよ」
と曹操は何かと聞き出そうとして面倒臭い。
「まあ何にせよ、いつの日か俺の下で働いて貰う」
無役の曹操がそんな事を言う。
「俺は董相国の下で騎都尉と烏桓突騎に任じられた。
あんたの下とか行けないだろ」
そう指摘するが、
「安心しろ、遠からず君は董卓に追放されるだろう」
と意味深な予言をして、この日の曹操は去って行った。
劉亮と曹操が語り合った事は、現実化する。
董卓に限らず、地方の有力者にとって銭不足こそ解決すべき最大の問題であった。
中央が税として銭を集めた為、地方では銭不足が深刻化している。
税は銭で納入、しかし物理的に銭が無い、だから銭を持つ者に借りて納めるしか無い。
これに飢饉も加わり、農民は没落し、銭を持つ豪族の私兵・部曲に組み込まれる。
借金に縛られた民を助けたい、そこまで崇高じゃなくても、中央で銭を集めまくった奴らを成敗したい。
だから宦官を倒し、その私財を奪った事に世間は快哉を送った。
だが思ったよりも大分少ない。
そして中央暮らしの清流派人士は、儒学的価値観から銭をどう集めるかなどは穢らわしいものと見ているから、銭不足への解決策を思いつかない。
董卓は洛陽の商人たちを呼び出し、私財没収を命じ、反対する者は殺害する事にした。
意外な事に、これも眉を顰める者こそあれど、全面的に批判する者は居なかった。
後漢の清流派人士とは「気骨有る者」で、董卓も豪胆な者こそを好んだ。
だから批判が有るなら遠慮せず言う筈だが、結局の所「商人も宦官のもたらす甘い汁を吸っていた同類」と儒学たちも見ていた為、何も言わなかったのだ。
殺すのは何も……と思いつつも、罰を与えられるのは文句無し、自分たちが宦官を皆殺しにした事を自分で否定するような真似もしなかった。
袁紹や袁術たちの宦官皆殺しは中々残忍なもので、宦官の家族や家臣も行き掛けの駄賃で殺した。
中国において三族皆殺しは、普通とは言わないが珍しいものでも無い。
宦官「らしい」と当たりを付けて殺す為、髭が薄かった為に宦官と間違われて殺された者も居たり、殺されそうになった為急いで全裸になり、己の一物を晒して宦官でないと証明して一命を取り留めた者も居た。
自分が正義に酔っている時は良いが、それから醒めて、外から董卓がしている腐敗政治に加担した商人の殺戮を見て、彼等は批判するに批判出来る資格を持たない。
通貨対策と、対反乱対策は先に進む。
対反乱対策で、董卓は怪しい祭祀を行った村を皆殺しにした。
黄巾の乱以降相次ぐ反乱。
太平道は邪教とされ、取り締まり対象。
初の本格的な宗教反乱を経験した為、宗教的な集まりは即、反乱の温床と看做す。
故に董卓は、秋祭り、収穫祭を行っている現場に遭遇した時に過剰反応をしてしまった。
しかし、士大夫たちはここまでは、まだ理解を示す。
勘違いであっても、反乱防止の為に怪しい祭祀を取り締まる事は誤りでは無いからだ。
そして「天子とは間違いをしないもの」である。
よって、勘違いから一村皆殺しにしても、究極のところ「朝廷は間違った事はしていない、やはり怪しい祭祀だった」としたのである。
そんな士大夫たちの一線を超えたのが、通貨対策であった。
死後に副葬品として埋められる大量の財貨。
これは使用されて循環する事の無い銭となる。
文字通り「死蔵」されている通貨を生き返らせる為、董卓は代々の皇帝や皇族の陵墓を掘り起こさせた。
これに士大夫たちが反発する。
儒学の基本は忠孝である。
目上の者を尊敬し、その為に働くのが社会のあるべき姿。
その頂点である皇帝に対し、何という無礼。
更に儒学は、葬儀を大事にする。
「史記」で記された「死者に鞭打つ」というのは、日本人が思う以上に嫌悪された行為なのだ。
かなり中立な立場の司馬遷ですら、死者を鞭打った伍子胥が非業の死を遂げた事を「行いの報い」的なまとめとしている。
故に董卓の墓荒らしは、士大夫たちから猛反発を食らう。
(やり方が問題だけど、一線を超えるポイントはそこじゃないだろ。
墓から財貨を回収する方が、商人殺害からの私財没収や一村皆殺しより、誰も死なない分マシなやり方だと思うぞ)
中の人が後世の日本人な劉亮は、董卓はやはり非道と思う一方で、士大夫たちも何処かズレていると感じる。
この時代では正当な思考なのは分かる。
だが、やはり劉亮の中の人には「この連中では社会問題を解決出来ないんじゃないか」と思わせる思考のズレであった。
この件をきっかけに、劉亮の中の人が知っている歴史が動き始める。
まず袁紹が洛陽を脱出した。
董卓は名門袁家の主流を味方にしているから、勝手に逃げた事を怒りつつも、袁紹を渤海郡太守に任じて行動を不問とした。
袁紹の行動は劉亮には無関係な話だ。
彼に影響したのは曹操の行動である。
捕吏が劉亮の元に来て、彼の官職剥奪を告げると共に
「曹操は相国の暗殺を企てた。
お前は曹操と度々会っていたな。
共謀の疑いがある。
着いて来い!」
そう言って劉亮を逮捕したのである。
「遠からず君は董卓に追放される」
という曹操の予言。
「お前のせいじゃないか!!」
内心ではなく、口に出して文句を叫ぶ劉亮であった。
今日から冬休み進行で、1日2話更新します。
次話は19時にアップします。




