董相国
史書では董卓とは、私腹を肥し暴政を振るう悪人の典型とされている。
しかし事績を振り返ると、ちゃんと政治をしようとした形跡はあった。
董卓は宦官勢力を一掃すると、洛陽における最大の軍事力を背景に、皇帝を代えた。
何太后の産んだ劉弁より、弟の劉協の方が優れているという理由である。
だが、同時に劉協の後見人であった董重や董太后を、まるで親族のように扱っていた事から
「協皇子の後ろ盾であった董氏と、同姓の後継者」
という立場になろうとしたのである。
疑似的な外戚のようなもので、それでは何氏の血統の劉弁は邪魔でしかなかった。
こうして皇帝の後見人の座に就いた董卓は、党錮の禁を完全に終わらせる。
今まで皇甫嵩による党人追放の解除といったものはあったが、相変わらず宦官派が人事上の幅を利かせていた。
董卓は宦官派を一掃し、清流派の党人を登用する。
更に言えば名士を積極的に登用していた。
清流派で処刑された陳蕃の名誉を回復し、儒学で有名な荀子の子孫たち潁川荀氏から荀爽を最終的には司空に、後漢初期の名臣・楊震の曽孫である楊彪を司徒に、祖父が三公を勤め本人は党錮の禁で追放された黄琬を太尉に任命する。
名門・袁氏も例外ではない。
袁術が後将軍に任じられ、太傅の袁隗と太僕の袁基は留任した。
先述の司徒・楊彪は袁術の叔母を妻としていて、袁氏人脈とも言えた。
袁術は、兄の袁基と共に董卓政権に賛同している。
これには出自の低い袁紹より自分が上になった事も影響しているだろう。
何進を利用しての宦官誅殺計画は袁紹が主導し、袁術は宦官派と見られたくなかったから協力したが、袁紹が指導者のように扱われている事に袁術は不満であった。
だが董卓は血筋的に上の自分を優遇している。
袁術が董卓を嫌う理由は無かった。
その一方で袁紹が董卓に対し反発するようになっていた。
こんな洛陽に劉亮は到着する。
劉亮は朝廷に出仕し、正式に騎都尉・烏桓突騎に任じられた。
騎都尉は洛陽詰めの遠征部隊指揮官である。
烏桓突騎は、対烏桓族での外交官でもあり遠征軍指揮官でもある。
洛陽までの道中でも考えたが、董卓は烏桓族と自分の関係をより詳しく知り、この任に就けたのだろう。
(劉亮という人間より、烏桓大人の娘婿という立場が抜擢された理由だろうな)
繰り返しになるが、彼は自己評価が低い。
董卓は確かに「烏桓の婿」という立場も重視していたが、それ以上にかつての黄巾軍討伐陣で見た、北方民族と分け隔て無く接する姿を見て
「彼は我が軍に相応しい」
と評価していたのである。
こういった面を評価している漢人は、董卓の他は兄の劉備、曹操、劉虞と片手で数える程しかいない。
これもまた繰り返しになるが、儒学一尊の後漢において実務家は「役に立つ下っ端」という扱いであり、儒学の素養こそが評価の基準であった。
劉亮を評価する者たちは、基本漢の枠、儒学の呪縛を外れているのかもしれない。
劉亮はひとまず、董卓の相国府を訪ねて礼を述べる。
劉亮の中の人は
(歴史を見れば、数年後には破滅する人だからなあ。
仲間と見られて悪党の一味とされたら、劉備の迷惑にもなる。
早く逃げ出したいが、一方で直接見る董卓は、到底大悪人には見えない。
これはどういう事なのか、この先をこの目で観たい気持ちもある。
まったく、我ながら度し難い事だ……)
と内心呟いていた。
それを表には出さず、着任の挨拶をすると
「その刀は気に入っているか?」
と聞いて来た。
「はい、使いやすいので」
漢の長い直刀より、曲刀の方が実戦的なのは確かだ。
長剣は基本、儀式用だったりする。
その答えを聞いて満足な表情になると、
「良ろしい。
その刀の分とは言わぬが、我が手足となって働け!」
と尊大な答えが董卓から返って来た。
まあ態度がデカいのはいつもの事。
董卓の前を辞そうとしたら、董卓の方から話しかけて来る。
「烏桓の娘を貰ったそうだな」
「はい」
「大層大柄な女と聞く」
「はい」
「やはりお前は面白い。
美しい女ではなく、強い女を選ぶお前は他の者とは違う。
普通に美女が好きな儂よりも、もっと胡人に近い感覚を持っているようだ。
まあチラっと見たが、儂の目には美しく見えたがな」
そう言って豪快に笑った。
(いつの間に見たんだ?
俺の挙動は観察されていたのか?)
そう思う一方で、他の漢人からは図体のデカさだけで不美人扱いされる白凰姫を「美人」と言ってのける事には感心していた。
他の仲間が眉をひそめる中、堂々と「こんな美人を貰えて良かったな」と言った兄を思い出し、
(やはりこの人は劉備と似た部分があるのかもしれない)
と感じていた。
董卓の元を辞した後、三公に対して挨拶回りをする。
以前と違い、取次役が金品を要求する事もなく、すんなりと面会が出来た。
董卓の改革が良い方に効いている証であろう。
その後、師である盧植を訪ねる。
劉亮の中の人には儒学が身に染み付いていない。
だから、儒学の形式的な部分を毛嫌いする劉備すら持っている「師に対する忠孝」のようなものを劉亮は持っていないのだが、それでも師に対する挨拶を欠かすと評判が悪くなる事くらいは理解していた。
この時期の盧植は、官を追われていた。
「先生は相国が帝を廃位する事に反対されたそうですね。
他は誰も先生に賛同しなかったのでしょうか?」
挨拶の後で劉亮は聞いてみた。
董卓の威を恐れて……という回答を期待したのだが、返って来たのは別の内容。
「皆、本心では今の主上を望み、弘農王(先帝・劉弁)よりも良いと思っていたのだ。
董卓は皆が望んだ事をやったまで。
儂が反対を述べたから、皆は儂に全てを押し付けて本心に従ったのだろう」
盧植が言うには、朝廷の内外で「何皇后の子の弁皇子より、協皇子の方が皇帝の器」と噂されていたという。
霊帝も協皇子を次期皇帝にと望んでいたらしい。
それでも弁皇子を推していたのは、協皇子の背後に宦官の蹇碩が居た、何皇后の兄の何進を使って宦官誅殺を考えていたからで、あの時点で皇子たちの素質は二の次にされていたという。
(それって、散々儒だ何だと言いながら、皇帝冊立を自分の都合でやったって事だよな)
内心そう思いつつも、盧植の話を遮るような事はしない。
盧植は続ける。
「宦官が倒れ、前大将軍(何進)も居ない。
もう何も気にする事が無くなり、初めて皆は皇帝には御今上(劉協)の方が良いと思い出した。
だが既に先帝は即位されている。
それをどうこう出来ないと思っていたが、董相国はそれを為した。
皆は表向きは畏れ多いと口にしながらも、本心では董相国に賛同していたのだ」
「では、先生が廃位に反対されたのはどういう理由でしょう?
いや、その前に先生は弘農王殿下と陛下、どちらを支持されていたのですか?」
「臣下が帝位継承に口を出す等おこがましい!」
「失礼しました」
「まあ、其方が儂の教え子ゆえに漏らすが、儂とて御今上の方が優れていると思っておる。
しかし、問題はそこではないのだ。
臣下が廃帝を行う事自体、許してはならないのだ!」
盧植は決して、儒学の形式論で話しているのではない。
後漢という国の成り立ちから、こういう事を許してはならないと言う。
前漢は王莽という外戚によって滅ぼされた。
盧植は言う
「王莽とて、最初はもっともな事、皆が望む事を積み重ねていた。
そうして次第に己を肥大化させ、簒奪に至った。
その時、王莽によって取り立てられ、王莽の『皆が望む政治』を見て来た者たちは、誰も簒奪に反対しなかったのだ。
だから復興後の朝廷では、皆が望む事ではなく、筋を通した事をしようとした。
気骨の士を生み出して来た」
それは分かる。
しかし、実際問題それが機能して来たとは言い難い。
外戚により、宦官により、帝位は玩具にされて来たのではなかったか?
「それでも、誰かが言わねばならぬ。
誰も言わねば、筋を通す政治は終わってしまう。
終わらせてはならぬのだ」
盧植はそう言った後で、ふと何かを思い出して笑った。
笑ったと言っても、庶民のように大口を開けては笑わない。
微笑みを浮かべて語る。
「董相国は、王莽になる直前で踏み止まっている。
儂が廃帝に反対した時、奴は儂を殺そうとした。
しかし周囲に止められ、儂は免官だけで済んだ。
危うい男であるが、まだ救いはある」
そして今度は天を仰いで遠い目になる。
「『蒼天已死』か……。
御今上は名君の器ではあるが、それでも交代を認めた事が漢朝の致命傷となったかもしれぬ。
先帝のままで良かったのだ。
正義を語っていた者たちが、己の都合で先帝を推し、それが済んだら御今上を支持する。
この己の所業の意味を知った時、倫理崩壊が起こるだろう。
己が結局は外戚や宦官たちと同じように玉座の事を考えていたのだと。
一度そう知ったなら、後は坂道を転げ落ちるように、建前は無くなっていく。
やがて董相国が皇帝で良いと言う者も現れるかもしれぬ。
『蒼天』は、黄巾の乱の折はまだ死んでいなかった。
だが、これから死んでいくのかもしれない」
これは劉備も同じような事を言っていた。
劉備の方は、政治の刷新が出来ないまま終わるか、刷新した結果違う国家になるという予測である。
一方盧植は、倫理崩壊が皇族劉氏への忠誠を消滅させ、やがて世は「誰が皇帝でも良い」というものに変わるだろうと考えている。
(結果から言えば、どちらも合っているな)
劉亮の中の人は、前世の記憶を辿りつつ、そう思うった。
盧植はやがて頭を振り
「そうしてはならぬ。
儂は最後の一人となろうが、道理を貫く。
例え無力な野人になろうともな」
この場合の野人は「在野の賢人」といった意味合いであろう。
(盧植ははっきり言って、後漢の滅び行く正義の体現者であり、悪い言い方をすればドン・キホーテに過ぎない。
でも、この人は本当の意味での儒学者だ。
口だけで理屈を捏ね、何も言えなかった人たちとは違う。
命懸けで董卓に対し筋を通そうとした。
合う合わないは別にして、尊敬すべき人なのは確かだ。
だから董卓も結局殺さなかったのではないか?)
挨拶にしては長居し過ぎた盧植邸を辞し、帰宅しながら劉亮はそのように考えていた。
この後劉亮は、またもや懐かしい面々と再会する。
おまけ:
董卓さんに聞いてみました。
確か、自分の目で見て判断する、他人の評なんて当てにならないとか言ってましたよね?
なのに名士重視の政治なんですか?
董卓の回答
「でも、こういうのはお前らが好きだろ?
儂が儂の思うような政治をやって良いのか?」
(初期董卓、割と抑えた感じの人事をしてます)




