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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第二章:黄巾の乱
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大将の器

 幽州劉家の義兵は、劉徳然の三百、関羽の三百、そして劉備の二百という僅か八百人の集団だ。

 豪族の私兵を部曲と呼ぶ。

 部曲は、前漢が王莽に滅ぼされ新王朝が立った後、その打倒の為に立ち上がった劉家の兵力として有名だ。

 後漢において、余りに多過ぎる部曲は王朝を揺るがしかねないとして、漢再興の原動力でありながら政策によって削減していった。

 だが近年は再び増加傾向にある。

 それは中央に富が集中し、地方が疲弊していく中、地方の有力者たる豪族もまた地域の富の集中を目論み、土地や万単位の没落民の囲い込みに励んだからである。

 幽州涿郡の劉氏はそれ程大きな勢力を持っていないが、それでも三百の兵力を集める事が出来た。

 その兵力は、実際に資金を出した劉元起の息子・劉徳然が率いている。

 この劉徳然は、従兄弟の劉備に対して強いライバル意識を持っていた。


(なんだって、あの遊び人を皆が持ち上げるんだ?)

 劉徳然は不満を常に抱いている。

 学問、この場合は儒学の習得だが、それは劉備より自分の方が出来ている自信があった。

 師に対する礼儀作法だって自分の方が真面目だ。

 使用人からの信頼だってある。

 それなのに自分の親すら

「玄徳は将来大物になる」

 とか言っていて、それがどうにも理解出来ない。

 ただテキトーな事を言っているホラ吹き野郎じゃないか。

 まあ父親である劉元起や劉家の大人衆が言う劉備評には

「もしくはとんでも無い破落戸(ごろつき)になるだろう」

 という文言もくっついているのだが。




 劉家の兵団は早速黄巾軍と遭遇する。

 まだ幽州を出てはいない。

 冀州で黄巾軍の総大将張角と戦っている盧植の元まで、まだ相当の道のりだ。

 グズグズしてはいられないし、初戦だから派手に勝ちたい気分もある。

 劉徳然は兵法に則って布陣を命じた。

 だがここで張飛と意見が対立する。

「敵の兵力は我々よりも多い。

 ならば防御陣形を採るのが良い」

 張飛がそう主張するが、劉徳然は

「まず一戦して敵の戦意を挫き、また実際の強さを見る。

 だから防御一辺倒ではなく、攻防両方にすぐ切り替えられる方陣が良い。

 地形に籠っていては、いざという時の追撃が出来ない」

 と反論し、議論になっていた。

 関羽は我関せず。

「何時でも出られるようにしておけ」

 と自分の部下にはそう言っていた。

「おい、勝手な指示を出すな」

 劉徳然が文句を言うが

「儂は玄徳殿と手を組んだだけ。

 対等の立場である。

 そしてそれは儂と玄徳殿の問題で、お前の命令を聞く筋合いは無い」

 と噛み付いて来た。

 劉徳然、張飛、関羽とそれぞれがバラバラな軍議の席で、劉亮は

(頭痛い)

 とこの状況を嘆きつつも、持ち前の粘り強さを発揮しながら三者の調整に入っていた。

 劉備の母方の親族である簡雍も、

「まあまあ、余り熱くなりなさんな。

 敵さん目の前ですから、さっさと決めましょうよ」

 と三者を宥めていた。

 劉亮はこの時代の兵法は知らない。

 前世の記憶はあるが、軍事の細かい事まではやはり知らない。

 だから「これが良い」という事までは言えないので、主に態度に対しての発言に徹する。

 劉徳然に居丈高な態度を改めるように言い、張飛と陣形について冷静に話させる。

 プライドが高く、早速離脱の気配すら見せる関羽には

「貴方も分かるでしょ。

 ある程度の数でまとまらないと、各個に打ち破られるだけです。

 不満でもここは一丸にならないと」

 と説得するが、分かったのは不承知なのか不明だが、そっぽを向いて反応を示さない。


 結局地形を調べている時間も無かったので、張飛案ではなく劉徳然案を採用し、野戦用に陣形を整えて、約千二百の黄巾軍とぶつかる事になる。

 黄巾軍の攻撃は獰猛であった。

「蒼天已死!」

「黄天当立!」

 そんな風に叫びながら突撃し、これが初戦であり戦い慣れていない劉家の軍を、兵法も何も無い単純な力押しで粉砕に掛かっていた。

 確かに楯を持ち、槍を構えた歩兵を前線に並べ、密集隊形で防御をするのは理に適っている。

 しかし黄巾軍の士気の高さは、自分が死んでもあの世で救われる、或いは超常的な力が自分を守っているという思い込みも手伝って、怪我も死も恐れずに兵を攻撃せしめた。

 劉家の軍は僅かな時間で崩れ始めた。


「関さん!」

 軍議の席では空気だった劉備が関羽の傍に来て叫んだ。

「俺が徳然の奴には言っておく。

 あんた、自由に兵を動かして敵の弱いとこに一撃加えてくれ!

 このままじゃ危険だ」

 関羽は目を見開く。

 そうしようと思っていた所だったのだ。

 責任を取るという言を得た関羽は、ニヤっと笑うと自分の隊を率いて離脱した。

「あ、あの髭野郎、逃げるのか!」

 劉徳然が怒りの声を挙げた。

(逃げた?)

 その思いで、劉家の兵たちの士気が挫けそうになる刹那、

「逃げちゃいねえ!

 回り込むだけだ。

 だからそれまで持ちこたえろ」

 と劉備が劉徳然を抑えて大声を出す。

「玄徳、何を勝手な……」

「徳然、大将が兵を不安にさせる事を口にすんな!

 お前はどっしりと構えていろよ」

 劉備を怒鳴りつけようとした劉徳然だったが、反論されて何も言えない。

 そうしている内に、関羽の部隊が大きく弧を描いて戻って来ると、黄巾軍の斜め後方から攻撃を始めた。

 黄巾軍に広がる混乱。

 劉備は劉徳然に言った。

「今が退く機会だ。

 さあ、早く命令を!」

「黙れ、お前が指示すんな」

「ああ、うざったいな。

 全軍後退!

 張さん、最後尾で後退完了するまで支えてくれ。

 俺もそっちを手伝う。

 叔朗!

 徳然を助けて味方を安全な場所まで連れて行け。

 徳公(劉展)は俺と来い、簡雍は叔朗の手伝いだ。

 急げ!」


「玄徳という男、判断が良い」

 張飛はそう呟くと、手勢と共に黄巾軍前衛に攻撃を掛ける。

 背後の関羽と前面の張飛が敵を圧する一瞬の隙に、中軍は後退を行う。

「後ろの方から後退!

 後退したらそこで楯を構え、味方の後退を支援しろ。

 秩序を持って逃げれば助かるから」

 劉亮は撤退に際し、そう指示を出していた。

「……で、よろしいですね、徳然殿」

「ああ、それで頼む」

「傅士仁、後退した兵たちの束ねを頼む」

「分かった」

 劉亮が声を掛けた傅士仁は、この義兵に参加してくれた一人だ。

 前世の歴史で、ある事をやらかすのだが、それでも名が残った武将である。

 劉亮はまだ無名だったこの人物を、小部隊の隊長にするよう、劉備と劉徳然に頼み込んでいた。


 こうして黄巾軍の一瞬の混乱の間に撤退は完了し、機を見て劉備は関羽、張飛にも離脱を指示。

 どうにか逃げ延びたが、初戦は惨敗と言って良い。


「……ここは北方を移動中の公孫瓚軍に合流しよう」

 追撃を恐れた劉徳然はそう言い、関羽、張飛以外はそうした方が良いと言い出す。

 劉亮も数を増やさないと危険だと考えた。

 だが劉備が反対する。

「ここで他の味方に合流なんてしたら、負けたまま終わって、雑軍になってしまうぞ。

 ここは一戦し、少なくとも勝ってから伯珪兄(公孫瓚)の軍と合流だ」

 劉徳然がまた怒りをぶつける。

「また負けたらどうするんだ!

 見込みも無い癖にほざくな」

「ほら、もう負け癖が付き始めてるじゃねえか。

 ここでそれを無くするんだよ!」

 劉備はそう言うと、劉徳然を無視して張飛に話し掛ける。

「次も野戦で挑みたい。

 関さんの部隊には、最初から距離を置いて貰う。

 残った数で、守って崩れないようにするには、どういう陣形があるんだ?」

 張飛は考えて

「雁行の陣(斜線陣)が良い。

 最初は俺を先頭にした魚鱗の陣(凸形陣)が良いかと思ったが、奴等の士気だと俺の所で食い止めても、俺を無視して進んだ横の連中に崩されかねない」

 そう答えた。

「関さん、あんたは引き続き自由行動だ。

 馬も全部持って行ってくれ。

 敵から見えないように気を付けてくれ。

 敵にはこちらの兵が減ったように見せないと、突っ込んで来てくれないからな」

「委細承知!」

 関羽は自由行動と言われて嬉しそうだった。

「中軍は俺が守るから、後陣は徳然が指揮してくれ。

 頼んだぞ、大将」

「う……」

「あんたはどっしり構えてくれたら良いんだ」


 翌日、再び同じ黄巾軍と遭遇する。

 奴等は前進、劉家の軍は後退したのだから、こうなる事は予想出来た。

 黄巾軍は前日同様、いやそれ以上に猛攻を仕掛けて来た。

 劉家の軍の兵が減っているのだから、一気呵成の攻撃となるだろう。

 そして、見事張飛の敷いた斜線陣に勢いを殺される。

 前衛の張飛は強い、圧倒的に強く相手は先に進めない。

 中軍の劉備は、相手の攻撃をいなしながら、側面攻撃に徹している。

 劉亮も居る後陣、いわば本隊だが、ここは勢いが衰えた黄巾軍の攻撃を、それでも必死になって支えている。

 ここが崩れたら、前衛の頑張りも中軍の攻撃も無意味になるから必死だ。

 そして黄巾軍が斜線陣に沿った薄い形になるや、その情報を斥候から受けた関羽が、隠れていた場所から黄巾軍に襲い掛かる。

 関羽隊は、劉備が集めて来た馬を全て使っていた。

 劉備は防戦に馬は不要と、分散配置していた馬を全部関羽に預けたのだ。

 そして騎兵は攻勢に強い。

 元々馬に乗って悪事をしていた連中である。

 黄巾軍を散々に打ち破っていく。


「よし、敵は崩れた!

 このまま押し返し、その後は敵を包囲する」

 張飛が叫ぶ。

 張飛の下に付けられた傅士仁が

「勝手に陣を崩したら、また大将に怒られますぞ」

 と注意喚起したが、張飛は

「劉将軍から、機を見たら思いのままに動けと言われておる。

 責任は自分が取るとな。

 だから、攻めろ!!」

 そう言って矛を構えて走り出した。


 傅士仁は気づいていない。

 これまで「玄徳殿」と呼んでいた張飛が、「劉将軍」に改めた事を。


「よし、張さんが動いたな。

 野郎ども、俺たちも前進、いや斜め前に突っ込むぞ!」

 中軍の劉備も動くと、後陣でも流石に劉徳然が

「我々も敵を押し戻す。

 包囲を完成させる」

 と、兵法を学んでいただけに、そこは理解して動いたようだ。

 双方で二千人程度の戦場であった為、どうにか状況を把握出来たようだ。

 劉徳然は悔しい気持ちで考えていた。

(玄徳が言っていた「大将はどっしりと構えていろ」の意味が分かった。

 兵に余計な事を言うな、ってだけじゃない。

 今日はこうして後方で戦況を見ていたから、俺は即座に包囲に移行出来た。

 翻って、昨日の戦いで俺は全く冷静じゃなかったよ。

 たった数百人の戦なのに。

 こんなんじゃ大将なんて無理だ)


 劉徳然はこの戦いの後、劉家の軍の大将の座を劉備に渡そうと決意したのである。

おまけ:

統率=兵士が逃げたり勝手な行動しないよう束ねる事

指揮=兵士を動かす事

作戦=指揮をするに当たりどうするかの方針

運営=兵士に飯を食わせ、武器を持たせ、給料を払う事


全部一人でも出来るチートは居ますが、大概は役割分担してます。

劉備軍で言えば

・作戦&指揮は張飛

・運営は劉亮とこの場に居ない劉元起

がやっていたので、劉徳然が統率と指揮を両方やろうとして混乱しちゃった訳です。

劉備は作戦指揮を張飛に全部任せ、統率に全振りしたので、何があっても崩れない結束の部隊が、兵法を知る者によって適切に動けるようになりました。


まあ、これだけで勝てる程甘くは無いんですが。

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