92 それが合理的だったから
「ま、待ってくれ……」
同じルイスの口から、対照的な言葉が漏れた。
「時間だ。君はゲームに敗れたのだよ。
君は、愛しの姉はおろか、そこの冒険者にも敵わない。君には剣の才能もなかったけど、魔術の才能も高かったとは言い難いな。
やれやれ……才能というのは残酷なものだ」
ルイスの口から、今度はルイスを冷笑する言葉がつむがれる。
「どういうことだ……ルイス、なのか?」
シェリーさんが呆然とつぶやいた。
「ルイス」がシェリーさんを見て笑った。
「さっきまでは、ね。
だが、それももう終わりだ。
僕の現世における肉体とするにはいささか不満ではあるけど、かろうじて耐えられる器ではある」
「何を……言っている?」
「なに、僕はこの少年と賭けをしていたんだよ。
夢に現れた僕に、この少年は言った。
『僕は力などいらないが、あなたが本気を出せばこの国は終わりだ。でも、僕は姉さんが無事ならそれでもかまわない。僕はあなたの側につくから、どうか僕と姉さんを滅ぼさないでほしい』」
「なっ……!」
「むろん、僕は鼻で笑ったさ。下等な人間ふぜいが、僕に交換条件をつけようっていうんだからね。
でも、この少年の次の言葉は魅力的だった。
『おまえが現世に降りる手伝いをしよう。具体的には、僕の身体を使えばいい。でも、精神の存在であるおまえは、僕の承諾なしに、現世にある僕の身体を乗っ取ることは不可能だ』
うん、残念ながらそれは事実なんだ。僕がいかに幽世で巨大な存在であろうとも、現世に根を持たない以上、この少年を好き勝手に乗っ取ることはできない。
『おまえは僕の承諾が喉から手が出るほどほしいだろう。僕との賭けに勝ったら、僕はおまえに身体を乗っ取る承諾を与えよう』
なかなか考えたものだ。才能はあまりないが、頭のいい少年だよ」
「ルイス」が肩をすくめた。
私は聞く。
「いったい何を賭けたのかな?」
「条件をめぐっては、しばらくのあいだ駆け引きがあったんだけど、最終的にはこんなふうに合意した。
少年がお姉さんを僕の陣営に引きこむことができたら少年の勝ち。
僕が地上を征服したあとも、少年とお姉さんにだけは手を出さない。もし少年とお姉さんが望むなら、僕らの陣営でしかるべき地位を与えよう。
でも、少年がお姉さんを屈服させられないことがはっきりしたら、その時点で僕の勝ちだ。
少年の身体は僕のものとなる。もっとも、この場合でも、最低限お姉さんだけは生かしておく。
この契約は幽世で結ばれたものだから、契約を違えれば精神が崩壊する。
そして、賭けの結果が出るまでのあいだ、僕はこの少年の体内に入って同居することになった」
「同居? なんでそんな条件にしたの?」
「少年ではお姉さんに勝てないからさ。僕の力が必要だったんだ。覚醒させてもよかったんだけど、少年の才能で覚醒をコントロールできるかは五分五分だったからね。
僕のほうでも、現世に早く精神をなじませておきたかった。
要するに、お互いにとってのお試し期間だったのさ」
「クレティアスや他の騎士たちも、あなたが戦力としてルイスに貸したんだね」
「クレティアスを拾ったのは偶然だったけど、なかなか使えるやつだからね。歪んだ自尊心が変に強靭で、覚醒しても自我が崩壊しなかった。使い出のある手駒だよ。あのかたが気に入っておられなかったら、僕の直接の手駒にしたんだけどね」
「もったいなきお言葉です」
クレティアスが「ハンス」に対し、胸に手を当て会釈する。
(ダンジョンの道中でクレティアスがルイスに敬語だったのはそのせいか)
あの時点ではまだルイスのはずだが、仮にも上司であるイムソダが宿る身体に対してあまり無礼な態度は取れなかった……と。
「では、ルイスは……わたしを守るために……!」
シェリーさんが、剣の柄を握りしめる。
「ルイス」がなぶるような笑みを浮かべた。
「そうさぁ。少年はお姉さんのことを心から慕っていた。尊敬、敬愛、恋慕、そして情欲。あらゆる感情がお姉さんに向けられてたのさ。
だが、少年は合理的な思考も得意だった。僕という強力な魔の者を前にして、即座に『敵わない』と判断し、抵抗することをあきらめた。だが、完全な降伏もしなかった。僕に取り引きをもちかけ、自分の守りたいものだけは守れるよう交渉しようとした。
そのいじましさに僕も打たれて、賭けの話を呑んだってわけさ。正直、少年やお姉さんを生かそうが殺そうが僕にとっては大差ない。でも、賭けの代償として提示されたものは魅力的だった」
「くっ……ルイス……」
顔を歪めうつむくシェリーさんに、「ルイス」が言った。
「賭けは僕の勝ちで終わったけど、最期の別れくらいはさせてあげよう」
そう言うと、「ルイス」は首をあおのけ、痙攣する。
がくっと首が前に落ち、その後、ゆっくりと顔を上げた。
「ね、姉さん……」
「ルイス!」
「は、ははっ。ちくしょう、なんとかなると思ったんだけどな……計算外のことが多すぎた……」
ルイスに駆け寄ろうとするシェリーさんを、ルイスは手で制止した。
「僕の中にいるこいつは魔の者だ。僕だって全貌を把握できてるわけじゃない。いまの僕には近づかないほうがいい」
「そんな……! どうにもならないのかっ! わたしのかたわらにいて支えてくれるんだろう!?」
「そうしたかったけど……でも、最低限、姉さんは守れたからいいかな……。
姉さん、最後にお願いがあるんだ」
ルイスは言葉を切った。
「こいつは樹国にとって――いや、世界にとって害悪になる! 騎士である僕のすることはこいつを討つことだ! 姉さん! 僕ごとイムソダを滅ぼしてくれ!」
「なっ――」
「契約は契約だ……賭けに負けてもイムソダは姉さんを殺せない。たとえ、姉さんがいま、僕ごとイムソダを殺そうとしても、ね!
……ぐっ」
ルイスが胸を押さえた。
「ルイス!」
「ははっ、あいつがあわててるよ……。
あいつは、なぜだか知らないけど、現世に存在を移したがってた。地上を征服するのが目的らしいね。僕はその橋頭堡になることを自ら申し出て、その代わりにイムソダをこの身に呼びこんだ。
だから、いまここで僕を殺せば、イムソダも殺せるんだ。幽世に残った部分も、イムソダの自我が僕の中にある以上、時間とともにまとまりを失って消滅する。
イムソダが僕の身体を乗っ取ったら……はんっ、僕の乏しい才能のことなんて、僕がいちばんよく知ってるけど……それでも、手がつけられなくなるだろう。
でも、イムソダは契約で姉さんだけは殺せない。
だから――姉さん。僕ごとイムソダを殺してくれ」
「そ、そんな……そんなこと……!」
「ぐぅっ……もう、ダメみたいだね……すこしは抵抗するけど、長くはもたない……民を守るのが姉さんの騎士道なんだろう……僕はもう終わりだ……外見は残るけど、中身はイムソダなんだ。だから、姉さんが殺すのは僕じゃない、イムソ――」
がくん、とルイスが倒れそうになる。
前に一歩踏み出し、顔を上げたときには、その顔は怒りに染まっていた。
「くそがっ……やってくれたじゃねえか!」
「ルイス」が――いや、イムソダが本性をむき出しにして怒っていた。
イムソダはまだまともに動けないようで、足元がふらついてる。
ルイスが抵抗してるのかもしれない。
――いずれにせよ、やるならいまだ。
その場に居合わせた全員の視線が、シェリーさんに集まった。




