81 イムソダの狙いは……?
――イムソダの狙いは、現世を精神の植民地に変え、自らの幽世での力を高めること、か……なるほど、そう考えれば、一見無秩序な強制覚醒にも意味があったことになる……
夢法師が言った。
言ったというか、念が伝わってくるだけで、水球の中の老人はぴくりとも動かないんだけど。
「現世に混乱を起こす上で、夢法師さんの力はイムソダにとって便利だった。イムソダは魔の者だから、現世に干渉する手段がない。
でも、半ば幽世にありながら現世に干渉できる人がいる。それが、夢法師さん」
――であろうな……人は、夢を見るとき現世から幽世に近づくのだ……
「そこに夢法師さんの力で干渉し、眠ってた力を覚醒させる。
でも、覚醒すると暴れ出したりするのはなんでかな? もともとその人にあった力なんだよね?」
――精神の持つ可能性を十全に発揮するには、肉体はあまりにも小さな器なのだ……通常、肉体には精神の行きすぎを防ぐ枷がある……だが、強い感情に突き動かされた者は、時にその枷を破ってしまう……また、魔術士とは、その枷を部分的に外す能力を持った者ということもできよう……
「えっ? 魔法ってけっこう危ないの?」
――グランドマスターの加護があるなら問題はなかろう……加護のない野良の魔術士には危険がつきまとうが、それでもよほどの才覚の持ち主でもなければ、発狂するほどの術は使えまい……
(私、適正が7.9もあるんだけど……大丈夫かな?)
あんまり無茶なことはしないようにしたほうがいいのかも。
「じゃあ、イムソダのやってる強制覚醒は、その枷を壊してしまうことなんだね?」
――そうだ……むろん、誰の枷でも壊せるわけではない……強い感情――典型的には怨みや嫉妬を抱いている人間が、イムソダからの干渉に同意することで始めて枷を壊せる……
「『力がほしいか?』ってやつだね」
――娘よ……おまえの答えは聞いていた……くくっ、『自分の手の届く範囲で十分』……だったな……
「あはは、聞かれてたんだ」
――聖者のような答えだな……逆説的だが、おまえのような者こそ、幽世で力をふるえるのだ……おまえは、亡霊や精霊に好かれよう?
「うん、まぁ、好かれてるのかはわからないけど、縁はあるかな」
――幽世は精神のみの世界だ……肉体は枷であると同時に、精神の散逸を防ぐ鎧でもある……解脱を目論む者にとっては破るべき『牢獄』なのだがな……ともあれ、幽世ではなまなかな精神ではすぐに散り散りになってしまう……おぬしのような揺るぎない自我を持つ者は、彼らにとっては錨を下ろした巨船と同じ……おのれの存在をつなぎとめるよすがとなるものなのだ……
「は、はぁ……」
そう言われると背中が重くなったような気がするな。
「わんぱくな子どもたちを受け止める肝っ玉お母さんみたいなものかな……」
私のお母さんは、まちがってもそんなタイプじゃなかったけどね。
――ふふっ、はははっ! それはよい……わしも、おぬしと話しておると安らぎを感じる……善も悪もなく、ただ存在を受け止め、人の傷をおのがもののようにいたわってくれる……
「い、いやぁ、そんなたいしたものじゃないと思うんだけど……」
人を究極の癒し系マスコットみたいに言わないでほしい。
「それに、イムソダの問いを拒絶したのはシェリーさんも一緒でしょ? ルイスや他の騎士もそうだって話だけど」
「わ、わたしか?」
急に引き合いに出されて、黙って話を聞いてたシェリーさんが驚いた。
――そうだったな……そこな騎士の娘も見事なものだ……おのが求めるものをはっきり見すえ、そこから逸れる誘惑には断乎として乗らぬ……石頭という者もいよう……だが、気にすることはない……信念とはそういうものだ……
「は、はぁ。それはどうも……?」
シェリーさんが返事に困ってる。
(いや、夢法師も脅されてたとはいえ共犯だからね)
覚醒者が暴れるのを見て溜飲を下げてたとか言ってたから、精神的には共犯だ。
でもまぁ、イムソダの誘惑に乗らなかったのは助かった。
人の夢に干渉できる夢法師と、人を強制的に覚醒させられるイムソダのタッグは危険すぎる。
(問題は、どうやってイムソダからの脅迫をなくさせるかなんだけどさ)
相手が幽世にいるのではどうしようもない。
私が考えてるあいだに、夢法師がけげんな顔をした(ような念を送ってきた)。
――だが、妙だな……たしかに、他にも一人、『嫁と子どもを守って平々凡々に暮らせればそれでいい』と答えた騎士はいた……ほれ、すぐそこで見張りに立っておる騎士じゃ……
あ、そんなふうに答えてたんだ。
なんかいいね、そういうの。
私の父親に爪の垢を煎じて飲ませたい。
(今頃どうしてるのかな、あの人)
順当に考えれば逮捕されて裁判中か。
自殺したって可能性もあるけど。
(まぁ、いろいろあって大変だったんだろうな。この時代にまずまずの会社でそれなりに出世もしてたみたいだけど、奥さんはあんなだったし、強引な人だから会社でもいろいろ軋轢があったんだろうな)
って、なぜ私は自分を殺した人のことをおもんぱかっているのか。
「妙、というのはどういうことだ?」
私に代わって、シェリーさんが夢法師の発言を拾った。
――うむ……おぬしら二人とそこな騎士を除いて、イムソダの誘惑に『否』と答えた者はおらなかったのだ……
「えっ……」
「なんだとっ!?」
夢法師の言葉に、私とシェリーさんが声を上げる。
次の瞬間、
「――なんだ、貴様は! ぐああああっ!」
入り口から、見張りの騎士の悲鳴が聞こえた。




