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私の言葉に、シェリーさんが身を乗り出した。
「そ、そうだ! それで、なんと答えた!?」
「えっと、自分の手の届く範囲で十分だから結構です、とだけ」
シェリーさんが変な顔をした。
「即座に断ったのか。なぜだ? あれこれと誘惑されたろう?」
「なぜって言われても……いらないものはいらないですし」
「強くなりたいとは思わなかったのか?」
「借り物の力で強くなっても危なっかしいじゃないですか。子どもが包丁を振り回すようなもんです。不幸のもとですよ」
「う、ううむ。達観してるな」
シェリーさんが黙りこんでしまう。
「あの、それで『覚醒者』のことは?」
「ああ、そうだった。
だが、もう話は見えただろう。その質問に『はい』と答えた者は、秘められた力に覚醒する。力は遠からず暴走して……さっきのような惨事を引き起こすのだ。
そのような事件が霧の森ではここ最近相次いでいる」
「どうして、夢法師や質問のことがわかったんですか?」
覚醒者がみなああなってしまうなら、情報は漏れないはずだ。
「なに、簡単なことだ。
わたしの夢にも現れたのだ。夢法師と名乗る奇妙な存在がな」
「えっ。シェリーさんの夢にも?
じゃあ、シェリーさんはどう答えたんです?」
「力は己の鍛錬によって磨き上げるものだ。他人から与えられるものではない。そう答えた」
「なんだ、私と一緒ですね」
「いや、意味合いはだいぶちがう。わたしはそれでも力を欲してるが、ミナトは大きすぎる力はいらないと言い切ったのだ」
「私の答えより、シェリーさんの答えのほうがちゃんとしてますよ」
「そんなことはない。質問の前に、わたしは自分のの無力さを痛感させられるような悪夢を延々と見せられた。わたしの心は揺らいでいた。悪魔の力でも借りたいと思いかねないほどにな。
だが、そこで踏みとどまらせてくれたのは、部下たちの存在だ。
わたしが絶望し、悪魔と手を結んだら、彼らは何を範とすればよい?
あの問いに諾と答えるような人間が、ルイスに騎士道を説けるものか。
そう思ったら、自然に拒絶の返事をしていたよ」
なんともまあ、立派な人だ。
(ルイスも、そういう意味じゃ役に立ったってことだね)
と、そこで気づく。
「あの、森が夢法師の縄張りなのだとしたら、ルイスや他の騎士たちも危ないんじゃないですか?」
「ああ、実を言うと、夢を乗り越えたのはわたしだけではない。わたしが今回連れてきた騎士たちは全員そうなのだ」
「えっ、ルイスも含めてですか?」
私の言葉に、シェリーさんが苦笑する。
「『夢の中の出来事を真に受けて返事するなどバカバカしい』――そう答えたそうだ」
「それはそれは……」
らしいといえばらしいのかな。
「それから、夢法師が現れるのは、魔術士としての適正がいくらかある者に限られる。魔術士の適正がからっきしない者には現れないようだ」
「あと、深い恨みや怒りを抱えてる人を狙ってるみたいですよね」
「そうだな。魔術士の適正があっても善良で温厚な者のもとには現れていないようだ。現れること自体はできるのかもしれんが、誘惑が成功しないのだろう。ミナトもその口だったわけだ」
「私が温厚で善良? うーん、どうなんだろ」
頑なにちがうと言うのも変だけど、そんなに素直な性格もしてないような気がする。
(それを言うなら、むしろシェリーさんのほうだね)
育ちが良くて、責任感があって、正義感も強くて、もし前世で同じクラスだったらカースト上位まっしぐらだと思う。
(なんかまぶしい人だよね)
といっても、べつにいやなまぶしさではない。
こういうのをきっと、カリスマとか、人望とかいうんだろう。
(どうやったらこんなにまっすぐに育てるんだろ。それとも、夢法師が出たってことは、この人なりに悩みもあるのかな)
私からすると、シェリーさんの内面はよくわからない。
いっそのこと、後ろからついてくる問題児の少年魔術士のほうが、考えてることが読みやすいくらいだ。
(まぁ、悪い人じゃないよね)
騎士道一直線で、風車に突進するドン・キホーテみたいな感じだけど。
シェリーさんと話すうちに、ハムトさんたちの村に着いた。
トルタさんも、私が間違いなく昨日から今朝までこの村にいたことと、一昨日の夜は小屋で一緒だったことを証言してくれた。
「ふむ。これでようやくミナトを疑わなくてよくなったな」
シェリーさんがほっとしたように言った。
「ふん……」
一方、ルイスのほうは面白くなさそうだ。
さっきまでトルタさんや村の人たちを質問責めにして、私のアリバイに抜け穴がないかを探ってたからね。
トルタさんが、ため息をついて言った。
「まさか、そんなことが起こるなんてねえ」
隣村を襲った惨事に、トルタさんの顔が青い。
シェリーさんが言う。
「ええ。そういうわけで、巡察騎士団としては、魔術士適正のあるかたには森から出ていただくことをおすすめします。
この村にそのような人は?」
「川向こうのじいさんがすこしばかり使えるね。でも、身寄りのないじいさんだよ。生まれ育ったこの森から出ろって言われたって困るだろうね」
「そのおじいさんは、なにか、こう……鬱屈してるとか、他の村人に強い恨みを抱いてるとか……」
「いんや、お人好しの好々爺さ。最近ボケてきたのか、前にも増してニコニコしてるよ。あのじいさんは、笑ったまま天国まで昇ってくんだろうね」
「そういうことなら、まぁ……」
シェリーさんは他の村人にも同じようなことを聞いて回ったが、答えはほぼ同じだったらしい。小さい村だからね。
「でも姉さん。こんなことをしててもどうにもならないじゃないか」
問題児が騒ぎ出したのは、なし崩しで一緒に夕食をとることになった席上だ。
「こんなこと、とは?」
食事中だからか、「姉さん」呼びは咎めず、シェリーさんが言った。
「いくら住人を避難させたって、夢法師を捕まえない限りどうにもならないよ。この広い森の中に、いったいいくつの集落があるのか、税務官ですら把握できてないんだから」
「まぁ、そうだな」
シェリーさんはそう言って、トルタさんの出した山葡萄酒に口をつける。
なお、私もお酒を勧められたが、断固として断った。
「夢法師については、居所はおろか、正体すら不明のまま。そもそも、やつは生身の人間なのかどうかもわからない」
「幽霊ってことですか?」
私が聞くと、シェリーさんがびくりと震えた。
「や、やめてくれ。幽霊などいないさ」
「姉さんは昔から幽霊がダメなんだよ」
ルイスが意地悪く笑いながら言った。
「そうなんですか?」
「う、うむ。剣で斬れないものは苦手だ……」
「よく今回の件を担当してますね」
「しょうがないだろう。夢法師の誘いを断った人間しか、いまの霧の森には入れられない。覚醒者が暴れ出した時に対応できるほどの腕の持ち主も限られる。なにより、人々が殺されているというのに、安全な場所で待ってなどいられるものか」
やや青い顔をしてるところを見ると強がりなのだろう。
(シェリーさんの夢にも出たってことは、魔術士の適正があったってことだね。そのせいで見えないものが見えてしまうのかも)
シェリーさんにはお気の毒ながら、この世界には幽霊らしきものは存在する。
私の無念の杖には二人の「無念」が宿ってる。
いや、三人だった。さっきの村でも、いつのまにか無念の主――マサカリ老人の「無念」を吸い取ってたからね。
「だが、捜査のしようがないのも事実なのだ。夢法師の誘惑に耐えた者は少なく、断片的な情報しか手に入らない。その中に、夢法師の居所や目的を特定する手がかりになるような情報はなかった」
「こんなことなら、僕の夢に出てきたとき、夢法師を詰問しておくべきだった……」
ルイスも悔しそうに唇を噛む。
「結局、事件が起きてからあわてて駆けつけているだけなのだ。覚醒者との戦いでは既に何人もの部下を失っている」
山葡萄酒をくいっと煽るシェリーさんの目尻に、光るものが浮かんでいた。




