70 村の異変
翌朝、私はまた寝坊をした。
「おはようございます……」
「おやおや、お寝坊だったね。やっぱり疲れてるんじゃないかい?」
トルタさんが朝食を用意してくれながら言ってくる。
「そうかもしれないですね。夢見が悪くて」
夢法師。
あれが、私の無意識が生み出した妄想の産物なのか、それとも実在の魔術師なのか。
夢だけに、いまだにはっきりとはわからない。
あの夢のあと、今度は普通の夢を見て、その夢の中でぐるぐるとそのことを考えてしまった。
「はい、どうぞ。薬草がゆだよ」
「いただきます……ああ、おいしい」
トルタさんは料理の腕がいい。
昨日の夜もいろんな料理でもてなしてくれた。
野草やきのこが中心なのは、霧が濃いせいで動物を狩るのが難しいのかも。そもそも、霧の森にはあまり大きな動物がいないみたいだったし。
「昨日のダンジョン探索の話は面白かったねえ。若いのに優秀な冒険者なんじゃないかい」
「そ、そんなことは」
もちろん、大幅に割り引いた上で、いろいろぼかして話したのだが、娯楽の乏しいこの村の人たちは興奮して聞いていた。
「実は、昨日話を聞いてた中に、隣村のやつがいてねえ。ぜひ、ミナトに隣村にも来てほしいって言うんだよ。最近は吟遊詩人も来てなかったからねえ」
「は、はぁ……でも、私の話ってそんなに面白くないでしょう」
「ええっ? そんなことはないよ。変に話を盛ったりしない分、臨場感があるっていうかさ。吟遊詩人ときたら、こっちが無知だと思って荒唐無稽な話ばっかりしたがるからねえ」
「そういうもんですか」
正直なところ、人前で話をするのは苦手だ。
だいたい、小さい頃から私は自分の話を聞いてもらえなかった。
親には、「そんな小さなことばかり気にするな」とか「もっと前向きに考えろ」とか「おまえと話してると気分が暗くなる」とか言われ、話を途中で打ち切られる。それでも食い下がれば、鞭代わりのベルトが飛んできた。
学校のクラスメイトからは、「つまんなーい」とよく言われた。そういう子たちは、そのあと他のクラスメイトのところに行って、大盛り上がりでおしゃべりするのだ。
相手の反応を見ながらちょっと笑える小話をするなんて技術は私にはない。
「うちの旦那に案内させるからさ。あいつも見栄坊なとこがあるけど、ミナトがしゃべりやすいように大人しくしてろって言っとくし」
「でも、話ってそんなに得意じゃなくて……」
「――隣の村には、この村では取れない香りのいいきのこがあってね。芋と一緒に煮浸しにすると、これがまぁ旨いんだ」
「あ、そういうことなら行きます」
しまった。即答してしまった。
(ま、まぁいいよね。同じこと話すだけだし)
どうせ目的もないことなので、異世界で食道楽するのも悪くはない。
というわけで、午後からハムトさんとともに隣村まで行くことになった。
「見えてきたぞ。あの岩山の裏っかわだ」
ハムトさんがそう言ったのは、出発して二時間ほど経った頃だった。
霧のせいで太陽の位置がわかりにくいので、正確な時間はわからないんだけど。
私はそっちのほうに目を凝らして――眉をひそめた。
「待ってください。なにか変です」
なにが、とは言えないのだが……盗賊士の勘が異常を感じてる。
よくよく耳をすませてみると、村のほうから人の気配や生活音がしないことに気づく。
「イヤな予感がするなぁ……」
「ど、どうしたってんだい?」
「ハムトさんはここに隠れててください。様子を見てきます」
「なっ、おい」
私はアビスワームの無限胃袋|(という名の四次元ポケット)から黒鋼の剣を取り出した。
私の様子にただごとでないのを察したのか、ハムトさんはおとなしく近くの木陰に身を隠した。
私は剣を片手に慎重に村に近づいていく。
村は岩山の裏側なので、20メートルくらいの幅がある岩山を慎重に回りこむ。
途中で、アビスワームの胃袋が振動した。
そっと開くと、中から黒く禍々しい杖が飛び出してきた。
「無念の杖が反応してる……? うう、ますますいやな予感……」
私は右手に剣を、左手に杖を持って、村に近づく。
村の入り口、ちょっとした櫓の組まれた門の前に、木こりらしき男が倒れていた。
出血量からして、まちがいなく死んでいる。
念のため近づいて顔を見るが、苦痛に歪んだままの表情で完全に固まっていた。
「マサカリを手に持ってる……けど、真正面からバッサリやられてるな」
犯人は、森林ゲリラでもある木こりを、真正面から斬り伏せたってことになる。
「犯人は……村の中に向かってるかな」
犯人は血だまりを踏んだのだろう、赤い足跡が村の中に向かって続いてる。
「あははっ。追うしかない、よね」
私は気配を忍ばせ、村の門をくぐる。
「うわっ……」
村は、血まみれだった。
木こりはもちろん、女子ども、老人に至るまで、差別なく斬り伏せられている。
「だんだんわかってきたけど、この切り口は剣じゃない。たぶん、マサカリだ」
剣みたいに斬って抜けるんじゃなくて、斬りながら食い込んだのを無理やり引っこ抜いたような傷跡になってる。
「無念の杖は……村の中心に向かってるね」
さして広い村でもない。
私はすぐに、村の中心にあるちょっとした広場に出た。
広場の中心に、一人の老人が立っていた。
やや背の曲がった男性で、白いあごひげを返り血で真っ赤に染めている。
片手には、血の滴るマサカリをぶら下げ、ただ呆然と立ち尽くしてた。
こちらに背を向けてるので、老人の表情はわからない。
無念の杖は、目の前の老人に反応してる。
(生きてる人間なのに……?)
不審に思って首をかしげる。
その気配を感じたらしく、老人がゆっくりと振り返った。
「オマエ……」
「え?」
「おまえも、わしを、笑うか」
「なんのこと? それより、これは一体なにがあったの?」
「おまえも、わしを、笑うか」
ダメだ、話が通じない。
「無念だった。霧に閉ざされたこんな場所で、嫁ももらえず、周りからはうすのろと馬鹿にされ……。
北の国が攻めて来たときも、命をかけて、北の国の騎士を殺してまわったのに、今度は殺人狂と罵られ、牢に閉じこめられた。
老いぼれてから牢を出されたが、妻も子もないおらの面倒を見るやつなんて誰もいなくて……目も見えなくなって、耳も遠くなって、足も痛いのに、誰も助けてくれなくて……。
もうマサカリを握る力もなくて、木こり仕事もできなくなって、森の霧をすすって、もうこのまま死ぬんだろうと思ってた。
おらは、森の中でぶっ倒れた。
もう起き上がる気力なんて残ってなかった。
だんだん頭がぼやけてきた。
ああ、お迎えが来るんだと思った。
でも、ちがった。
おらは、夢を見たんだ」
その言葉に、私はぴくりと反応する。
「夢?」
「ザムザリアの馬鹿な騎士どもを罠にはめて、マサカリで腕と足を伐り取って、もう二度と来るなと追い返してやったんだ……。
そんな昔の夢を見た。うすのろなりに頭を使って、もう二度と、あいつらがおらの森に足を踏み入れようなんて思わないようにって……何人も何人もだるまにして、他の騎士の目につくところに置いたんだ……くふふっ、あいつら、驚いてたなぁ。恐れてたなぁ。
おら、人にそんなふうに驚かれたり、恐れられたりするのは初めてだった……とても気持ちよかったなぁ……一度はもらった嫁を抱いた時だって、あんなには気持ちよくなかった……あんまり気持ちよくないので、嫁の首をしめてやったらよくなったけど、嫁は逃げて、おらは村八分になった……」
老人は、宙をぼんやりと見上げながらつぶやいている。
私は、ため息をついた。
「どうも、正夢だったみたいだね」
つぶやいた私に、マサカリを振り上げ、血まみれの老人が襲いかかってきた。




