「終幕の銃声」(2)
「ボス……」
なつきと香苗は自然とその呼び名を口にした。
「神岡陽子君。お初にお目にかかる。私がクオーレ代表・真鍋公次だ。うちの所属アイドルが世話になったようだね」
陽子は銃口を向けたまま、真鍋を睨みつけた。
「あまり反抗的な態度を取らん方が身の為……いや、仲間の為だよ」
真鍋が片手を挙げると、後ろから私兵達が長坂とヴァーグナーを連れて進み出た。
「長坂さん!」
「ヴァーグナーさん!」
陽子達が口々に名を呼ぶ。
長坂とヴァーグナーは口をガムテープで塞がれ、両手を後ろで縛られていた。
「他の仲間には外で待ってもらっている。神岡君、なつき、香苗。銃を捨てたまえ。そこの君も手を挙げるんだ」
血が凍るような冷たい視線。やむなく陽子達は銃を地面に置き、両手を挙げた。
「さて……なつき。私の目を欺いて私闘を行うとはな。今回のことについて君の口から説明してもらおう」
「ボス、申し訳ありません。全て私の責任です。今回の責任は私一人で負います。どうかヴァーグナーさん達を解放してください……お願いします」
猛禽のような目で見据えられながらも、なつきは毅然としていた。
「いいだろう……なつき。神岡陽子、いや……マリュートカを殺せ」
「なっ……」
なつきは挙げていた両手を下ろし、一歩前に進み出た。
「ボス! 私は彼女に敗北したんです! しかも本来ならば奪われるはずだった命を、彼女は救ってくれた……そんなことはできません!」
「そんなことは問題ではない。彼女を殺せば全ての幕は下りる。もう一度言う、殺せ」
真鍋はなつきの抗議を一蹴した。
「まさか……知っていたんですか? 僕達の行動を、全て」
香苗の声は怒りに満ちていた。
「いかにも。他の者達にも、君達の邪魔をしないよう通達していた。そして万一に備え、こうして部隊を近くに配置しておいた。まさか、なつきが負けるとは思っていなかったがな」
なつきが、がくりと膝を着いた。
「ボス……神岡君を抹殺する為に、私達を利用して……?」
「利用とは人聞きの悪い。君達の自由意思を尊重したまでだ。しかしいずれにせよ……なつきを破るとは。思った以上の能力を持っているようだな、マリュートカ。ここ数カ月……表と裏、両方での活躍に注目していたが、やはり本物だったようだな。ますます生かしてはおけん」
「そんな褒められ方をしたって、嬉しくもなんともないわ」
「ふむ……面白い」
真鍋は陽子の頭から爪先まで見回してから口を開いた。
「神岡君。どうだろう、君もクオーレの所属アイドルとなるのは?」
「なんだって……?」
真鍋の思いがけない言葉に声を上げたのは、陽子ではなく正通だった。
「君は秘めたる才能の持ち主だ……私の下でなら、その才能を存分に開花させられると約束しよう。そして、君が望むならこれまで通り、『正義の執行人』として存分に腕を振るえばいい」
「お断りします。私は、殺しを正義だと考えている人間の下では決して働かない!」
陽子はその目に怒りと戦意をみなぎらせて威嚇した。
「それは残念だ……脅威となる存在を放置するほど私は寛容ではないのでね。なつき、殺れ」
なつきはゆっくりと立ち上がり、瞳の色を変えて真鍋をにらんだ。
「勝負の結果に口出しはさせません。たとえ、上官であっても……あなたであっても」
なつきの言葉とともに陽子と香苗はゆっくりと身構え、反撃の姿勢を取る。
「抵抗できる立場だと思うな」
言葉を言い終わらないうちに真鍋は私兵のホルスターから拳銃を抜き、眉一つ動かさずに長坂とヴァーグナーの脚を撃ち抜いた。
「…………ッ!」
悶絶する長坂とヴァーグナーを前に、正通ら四人の表情が一瞬にして凍りついた。
真鍋が銃口を長坂の心臓に向けると、私兵達も陽子達に銃口を向けた。丸腰の陽子達は再び手を挙げるしかなかった。
「最後だ、なつき。マリュートカを殺せ。そうすれば他の者達の命は保証しよう」
なつきはゆっくりと頷き、足元に落ちていた拳銃――武井のトカレフを手に取った。
「疾風さん! 駄目だ!」
陽子の前へ出ようとする正通を陽子が手で制した。同じように動きを見せた香苗に対し、真鍋は銃口を向けて牽制する。
なつきはゆっくりと銃口を陽子に向けた。陽子は真剣な表情でなつきの視線を受け止めた。
「よし、それでいい」
真鍋は満足げに笑った。
「ボス……何がそんなにおかしいんですか?」
なつきは陽子と目を合わせたまま、穏やかな口調で言った。
「……なに?」
「ボスは人が死ぬのを笑って見ているような人でしたか? ……いいえ、違うはずです。戦場でも、災害現場でも、いつも『苦しむ人々の為に』、あなたは苦労を分かち合ってきた。私の知っているボスは、人の死を笑って見ているような人ではありません」
なつきは泣いていた。
「私は戦いに心を魅入られた戦闘狂です。ですが、あなたの『苦しむ人々の為』という言葉があったから、私はそれでも自分の戦いに意義を感じていた。でも、私は今……何の為に彼女を殺そうとしているのですか? この国を影から支配するというあなたの野心の為ですか?」
なつきはようやく振り返り、無表情のままの真鍋を見た。香苗はなつきの傍らで静かに涙を流していた。
「もっと力が欲しい。もっと力があれば救えるはずの命を救えるはずだ。もっと多くの人を笑顔にできるはずだ。あなたはそう言った。でも、こんなことをして誰が笑顔になるというんですか? いいえ……誰も笑顔になんかならない。野心に狂ったあなた以外は!」
「私の下で手を下し続けた君に、そんなことを言う資格があるのか、なつき?」
「……いいえ。あなたの間違いを正そうとしなかった私も、あなたと同罪です」
寂しく笑った後で、なつきは表情を引き締めた。
「神岡君を殺すことはできませんが、責任は取らせていただきます」
なつきはそう口走ると同時に流れるような動きで銃口をこめかみに向けた。
そして――建物内に一発の銃声が鳴り響いた。
「ううぅっ、くくっ……!」
正通がすんでのところで銃口を押さえ込んでいた。手からは鮮血が溢れ出ている。そのとっさの行動に全員が息を飲んだ。
「江原くん!」
一瞬の間を置いて陽子が叫んだ。
よろける正通の身体をなつきが慌てて支える。
「は……疾風さん。さっき、死なないって約束したばかりじゃないですか……」
痛みをこらえながらも、なんとか明るい声で語りかける。
どうしてあんなに素早い動きができたのか、自分でも分からなかった。考えるよりも先に身体が動いていた。
なつきは正通の身体を抱き抱えたまま、左手の傷を見る。掌を銃弾が突き抜けていた。
「江原君……君は……!」
香苗は跪き、泣きながら正通に頭を下げた。
「何故だ……?」
真鍋が徐に口を開いた。
「先ほどまで敵だった相手に何故、君はそこまでする?」
正通は痛みをこらえながら笑顔を作った。
「何故って……僕は疾風さんのファンだからです」
「ファンだから、だと……」
真鍋は呻くように呟いた。
その時、正通が握り締めていたトカレフが血のぬめりで手から滑り落ちた。文字通り目にも止まらぬ速さでそれを受け止めたのは陽子だった。
そして私兵達が反応するよりも早く、真鍋にその銃口を向けた。
「貴様ぁ!」
私兵達が声を荒げる。
真鍋は銃口を向けられてなお、無表情のままだった。
陽子は血に濡れたトカレフの銃口と共に、鋭い眼差しを真鍋に向けていた。しかし、陽子の口から発せられたのは意外な言葉だった。
「今ならまだ助かるはず。早く全員の手当てを」
陽子はもう片方の手で、倒れている八人の男達を示した。
「なんだと……?」
真鍋だけでなく、彼の私兵達も陽子の言葉に動揺を隠し切れなかった。
「急所は外しておいたわ。さあ、早く。みんな、あなたの部下なんでしょう?」
「……何故、殺さなかった……?」
真鍋は独り言を言うように尋ねた。
「私は……いいえ、私達は殺す必要のない人間は殺さない」
真鍋は陽子の視線を正面から受け止めた。
重い沈黙の中、香苗が立ち上がって負傷者のもとに駆け寄った。
やがて、真鍋の私兵達も銃を置き、負傷者の手当てに加わった。長坂とヴァーグナーも解放され、傷の手当てを受けた。
「やれやれ。なんとか助かったか」
「傷が治るマデ、再戦はお預けデスね」
長坂は隣のヴァーグナーと顔を見合わせて苦笑した。
陽子は銃口を下ろすとポケットから出した布でトカレフの血を拭き取り、ホルスターに戻した。そして無言で座り込むなつきの手から正通を取り返し、ブレザーの内ポケットから取り出したファーストエイド・キットで傷の手当てを始めた。
「ありがと……神岡さん」
「……なんで私が無傷で、君が怪我してるのよ、馬鹿」
陽子はいつもの調子で憎まれ口を叩いたが、涙ぐんでいた。
一人、取り残された真鍋はどこかに電話をかけた後で正通達の前に膝を着いた。
「私の愚かさのせいで大変な事態を招いてしまった。君達にはお詫びのしようもない」
正通も陽子も、返事をしなかった。なつきはただ呆然とその場に座り込んでいた。
「もうすぐ負傷者搬送用の車が来る。トラックは搬送には不向きだからね。受け入れ先は施設の整った病院だ……私はこれで失礼する。身の処し方は、わきまえているつもりだ」
「真鍋……社長」
言い切って背中を向ける真鍋に正通が声をかけた。
「江原君、と言ったね。何だ?」
背を向けたまま立ち止まる真鍋に、正通は言葉を続けた。
「死なないでください。必ず、生きてあなたが目標としていたことをやり遂げてください。あなたがこれまでのことを誇りに思っているなら。あなたがこれまでのことを悔いているなら」
真鍋はしばらく黙っていたが、少しだけ振り返り、寂しげに笑った。
「……生意気だな、君は」
真鍋の背中を見送った後、正通は頃合いを見計らって立ち上がった。
「江原くん、どうしたの?」
陽子の声を背中に受けながら正通は歩き出し、床に落ちている何かを拾い上げ、陽子のいる場所へ戻って来た。
「神岡さん、これ」
正通が手にしていたのは陽子が愛用していたカチューシャだった。
「……ありがとう、江原くん」
陽子は二つに割れたカチューシャを正通の手から受け取り、しばしそれを見つめていたが、やがて目を閉じてブレザーの内ポケットにしまった。
「神岡さん……そのカチューシャは」
「……いいの。形ある物はいずれ壊れるんだから。これをくれた人も、そう言ってた」
陽子は正通を慰めるように、優しく微笑んだ。
正通達のやり取りを呆然と眺めていたなつきだったが、やがて自らも負傷者達の手当てに加わった。
なつきは後ろ髪を引かれるように一度だけ正通の方を振り返ったが、すぐに向き直って目の前に倒れている負傷者の応急処置を始めた。




