「La Strada (ラ・ストラーダ)―道―」(1)
暗い室内でデスクトップ型パソコンのディスプレイが光を放っていた。
一人の少女が全身タイツの戦闘員を飛び蹴りで倒し、黒い甲冑を身に纏った怪人を鉄拳で沈黙させる場面が、繰り返し再生されていた。
画面の中で戦う少女――それは陽子だった。
「他に映像はないのか」
椅子に腰かけて映像を観ていた男が、傍らに立つ男に問いかけた。
暗い室内の為、二人の表情は窺い知れない。
「申し訳ありません。他は以前、御覧になった商店街のイベントの映像しか……」
「……そうか」
落ち着いた様子で返事をすると、椅子に腰かけた男は映像を一時停止した。
「……神岡陽子。彼女をどう思う?」
再び問いかけられた男は、数秒の思案の後で口を開いた。
「磨けば光る、といったところでしょう」
「そうだな」
男は小さく頷くと、椅子に腰かけたまま後ろを振り向いた。
窓の向こうには東京湾岸の夜景が広がっている。
「……いい夜だ。今夜は私も夜間訓練に参加する」
「それでは早速、準備をいたします。皆も士気が上がることでしょう」
傍らに立っていた男は腰を曲げて敬礼すると、無駄のない動きで広い部屋のドアを開け、再び敬礼してから退室した。
一人室内に残った男は動画再生ソフトを終了すると、席を離れて窓の前に立った。
室内には光源がなくなり、窓からの月明かりが男の姿をうっすらと浮かび上がらせた。
「……いい夜だ」
男は一言呟くと、流れるような動きで右手を宙にかざした。
まるで、夜空に浮かぶ月をその手に掴み取ろうとするかのように――。
岩本は「取調室3」と書かれた札がかかっている部屋の前に立っていた。
岩本の横に立つ年若い刑事はドアに設けられた覗き窓から室内の様子を窺うと、緊張した様子で鍵を開けた。
「……どうぞ」
「ありがとう」
刑事に促され、岩本はドアを開けて室内に踏み込んだ。
西日が差しこむ室内で机に俯いていた男は、岩本の姿を認めると背筋を伸ばして立ち上がり、腰を三十度ほど曲げて敬礼した。
岩本は踵を合わせ、挙手敬礼で応えた。
「スヴォーロフ・プロ代表の岩本だ。私に敬礼する必要はない。座ってくれ」
岩本の言葉を受けて、男がゆっくりと顔を上げた。
「ケントゥリア司令部付機動小隊指揮官、周りからは『中尉』と呼ばれています」
十二日間に及ぶ尋問のせいだろう、必殺の闘志で陽子達を待ち伏せ、激しい銃撃戦を繰り広げた中尉は、もはや見る影もなくやつれ果てていた。
右耳のあった場所は平らになっており、頭頂部から顎の下まで巻かれた包帯が痛々しい。頬のこけた顔は有名なゴッホの自画像を思わせた。
「先日は私の部下が世話になった」
岩本は一切表情を崩すことなく礼を述べてから椅子に腰かけ、机を挟んで中尉に向き合った。岩本が席に着くのを待って、中尉も再び椅子に腰かける。
立っているのも辛いらしく、中尉は崩れるように座り込んだ。安物のパイプ椅子が不快な音を立てて軋んだ。
「そのままお返ししますよ」
「……傷の具合はどうだ」
中尉は眉をひそめると、大儀そうにゆっくりと背筋を伸ばし、姿勢を正した。
「どうということはありません。二つあったものが一つに減っただけですよ。それより問題なのは、この傷のせいで満足に頭を洗えないことです」
「……命を奪われなかっただけ感謝して欲しいものだな。中尉……いや、萩原辰二郎君と呼ぶべきかな」
中尉は口元を歪め、小さく声を上げて笑った。
「ははは……萩原は死んだんですよ、十四年も前にね」
「戸籍の上ではな」
岩本は中尉の血走った目を見据えながら、にやりと笑った。
「戸籍もない人間が百名余り。どうやってそんなに集めたんだ」
「……ふん。クズが生きていく為にはクズ同士の助け合いが必要でしてね。一人のクズを拾い上げようとすれば、必然的にオマケがついて来るって寸法ですよ」
中尉は目をぎらつかせながら、吐き捨てるように言った。
「そういった連中をふるいにかけて、使い物になる人間はケントゥリア直属部隊として編制し、それ以外は用心棒として協力関係にある組織に派遣する。集めた人材も無駄にはならないというわけだ」
「そういうことです」
中尉は大きく息を吐きながら頷いた。
岩本は不意に表情を引き締め、幾分低い声で話を切り出した。
「さて、それでは本題に入ろうか。我々の情報をどこで入手した?」
「……あなたの優秀な部下が、それも調べ上げたんじゃないんですか?」
中尉はそう言いながら、上目遣いに岩本の表情を探った。
「だったらここに来る必要もない。それと、もう一つ。私は彼を部下と思ったことは一度もない」
「ほう……」
しばしの間、岩本と中尉は無言で視線を交わした。
「一体、あの男は何者なんですか? たった一人でウチの本部を襲って皆殺しにするなんて、人間とは思えない。しかも、武器は安物の果物ナイフときた」
沈黙を破ったのは中尉だった。
岩本は凍りつくような冷たい目で、卑屈さを含んだ中尉の視線を跳ね返した。
「そんなことを聞いて、どうするつもりだ」
中尉は肩をすくめながら、小さくため息をついた。
「どうするも何も。今の自分には何もできやしませんよ。何せご覧の通りですからね」
「言葉通りに受け取るわけにはいかないな」
再び、室内にしばしの沈黙が訪れた。
「……なるほど。用心深くてらっしゃる」
「当然のことだ。情報がどこから漏れたのかも分からないのだからな」
岩本が言い終わるのと同時に、中尉の腹の虫が鳴いた。
「……これは失礼」
「拘置所の食事は物足りないか」
岩本が表情を崩すことなく問いかけると、中尉は小さく肩を震わせながら卑屈な笑みを見せた。
「ご心配には及びません。死なない程度には食わせてもらってますから」
「そうか。では、もう一度聞こう。どこで我々のことを知った? 誰が君達に情報を提供した?」
岩本の射るような視線を受けても、中尉は笑みを浮かべていた。
「……言えませんよ。負けこそしたが、あなたは我々の敵だ」
「強がりもほどほどにした方がいいな。尋問はこれからが本番だぞ」
中尉は笑みを浮かべたまま、不意に口を開いて歯を見せた。整然と揃った歯はどれも不自然なまでの白さだった。
「全て差し歯か、なるほど」
岩本は眉一つ動かさなかった。
「ええ。拷問を受けたのは一度や二度じゃないんですよ」
落ち窪んだ眼窩の奥で、中尉の目が鈍く光った。岩本は冷たい目で中尉の視線を受け止めていたが、やがて腕時計に目を移した。
「さて……これ以上ここにいても仕方ない。これで失礼するよ」
「おや、もうお帰りですか?」
中尉は拍子抜けしたように目を丸くした。落ち窪んだ眼窩が強調され、より一層不気味な表情となる。
「いつまでも油を売っていたら、皆に怒られてしまうからな」
岩本はそう言って立ち上がると、中尉に背中を見せないよう、ドアに向けて静かに後ずさった。
中尉は名残惜しそうに岩本の目を見つめていたが、やがて思い出したように口を開いた。
「岩本……社長?」
岩本は無言で立ち止まった。
「あなたはこれまで、どこで戦ってきました?」
岩本は中尉を見下ろしたまま、数秒の間を置いて答えた。
「アフガン、ボスニア。少し間を置いてアフリカだよ」
「奇遇だ。俺と似た経歴ですね」
中尉がセラミックの歯を見せて笑うと、岩本は不意に顔をこわばらせた。
「……君は以前、青年海外協力隊だったそうだな」
岩本の言葉を聞いた中尉の顔から笑みが消える。
「大学では水環境学を専攻。大学院に進み修士課程を修了後、ウガンダで水道事業に携わる。二年間の活動を終えて帰国後、海外への渡航を繰り返す。そして十四年前、自宅が全焼。死体は発見されなかったが、警察と消防はこの件を放火による自殺と断定した……その時の鑑定書も見せてもらったよ」
中尉は小さく息を吐くと、岩本から目を逸らした。
「……何が言いたいんです」
「教えてくれ。君は何故、戦う道を選んだ?」
岩本の口調が、僅かながら体温を含んだものに変わる。
十秒ほどの沈黙の後、中尉は目を逸らしたまま語り始めた。
「簡単な話ですよ。問題の根本を取り除かない限り、水道を敷こうが電気を引こうが意味がありません。俺はそれに気付いたから傭兵になったんです」
「なるほど、私と同じだな。もっとも、私は最初から戦うつもりで日本を出たがね」
中尉は再び卑屈な笑みを浮かべると、岩本の目を下から覗き込んだ。
「同じ……ですか。だったら、岩本社長と俺は……どこで道が違ったんでしょうね。国家権力の飼い犬ってのはどんな気分です?」
「私達は飼い犬じゃないさ。それにな、飼い犬だってその気になれば飼い主を喰い殺すだけの力を持っている。そうしないだけでな」
岩本は跳ねつけるような目で中尉を見下ろしながら言った。
「いいんですか? そんなことを言って。ここでの会話は全て録音されているんですよ」
「言っただろう、私達は飼い犬じゃないとね。そんなことより、君は自分の心配をしたらどうだ。睡眠も食事も不足した状態で、これ以上黙秘を続けられるとは思えないが」
「……言いましたよね? 拷問を受けたのは一度や二度じゃないと。まあ、たっぷり食ってゆっくり寝たいのは山々ですが……もう少しだけ、頑張ってみますよ」
投げ遣りな言葉を口にしながらも、中尉の目は光を失っていなかった。
「もう少しだけ……か。いずれにせよ私は尋問に関われないし、そういったことも苦手だ。明日には公調(公安調査庁)から腕利きの調査官が派遣されて来ると聞いたが……君が早く楽になってくれることを願うばかりだよ」
岩本はそう言って一歩退くと、ドアをノックした。
「もう、いいですか?」
ドアの外から若い刑事の声が聞こえる。
「ああ、開けてくれ」
開錠の音が室内に響き渡る。中尉はやがて力が抜けたように机に突っ伏すと、肩を震わせて笑い始めた。
「失礼する」
「ふっ……くふふ……はははは……!」
岩本は笑い続ける中尉を無視して部屋の外へと踏み出した。それと同時に、刑事がいらついた表情で室内へと踏み込む。
「おい、笑うのをやめろ!」
「ははは……ははははッ!」
刑事に叱責されてもなお、中尉は身体を震わせて笑い続けた。
「おい、どうしたんだ!」
廊下で待機していた中年の刑事が室内を覗き込む。
「あの、こいつが……」
笑い続ける中尉と、狼狽えるだけの若い刑事。中年の刑事は小さく舌打ちすると、同じく廊下で待機していた二人の刑事を手招きして自らも室内に踏み込んだ。
「お疲れ様です。お帰りでしたらこちらへ」
呼び寄せられたうちの一人が会釈をし、廊下の向こうを手で示した。その指先は小さく震えていた。
「ありがとう」
岩本は刑事の緊張を解きほぐすように微笑むと、その場で立ち止まって取調室を振り返った。
完全防音の取調室からは、中尉の笑い声も刑事の怒鳴り声も聞こえてこなかった。
――大して違わないさ。私も君も、所詮はただの人殺しだ。
岩本は心の中で呟くと、刑事に連れられて取調室を後にした。




