『来たれ、見よ、勝て!』(4)
「何なんだよ、畜生ッ!」
一人の兵士が叫び終えるのと同時に、その右上腕部を長坂の放った七.六二ミリ弾が撃ち抜いた。
「……がッ! うあぁぁぁぁぁ!」
耳をつんざくような悲鳴。恐怖が瞬く間に伝染する。
「はッ……ひィィッ!」
兵士達は地面に這いつくばり、飛来する銃弾にただ怯えた。
しかし――。
「落ち着け! 速やかに陣地の両翼から展開、奴らを挟撃する!」
中尉だけがなおも戦意を失わず、大声で号令を発した。
「お前らの銃は飾りか! お前らの戦闘服は泥遊び用の子供服か!」
激しかった銃撃と雷鳴が止み、戦場となったスクラップヤードに束の間の静寂が訪れた。
やがて、戦意を失いかけていた兵士達の表情に闘志と殺意がみなぎってゆく。
「悔しくないのか、お前ら! 奴らをぶっ殺してやりたいと思わないのか!」
「……ぶっ殺す。絶対ぇにぶっ殺す!」
顔の泥を拭いながら、まだ二十歳になったばかりの兵士が叫んだ。それを皮切りに、他の兵士達が一斉に気勢を上げる。
「そうだ! ぶっ殺してやる!」
兵士達は口々に叫びながら再び銃を構えた。中尉の汗と雨に濡れた顔に笑みが浮かぶ。
「A分隊は陣地より射撃を行って奴らの動きを止める。C分隊は右翼、D分隊は左翼から射撃を行いつつ前進。十字砲火で殲滅しろ! もう生け捕りにしようなどと考えるな。手加減をして勝てる相手じゃない」
「了解!」
各分隊の指揮官が声高に叫び、敬礼して応える。
「敵の銃撃が止んだ。こちらを引き付ける罠の可能性もあるが、いずれにせよ敵の残弾は僅かな筈だ」
中尉は傍らの衛生兵に笑いかけると、注意深くスクラップの隙間から前方の様子を窺った。
「……あッ?」
一発の銃声と共に、右半分の視界が真っ暗になった。
「中尉……中尉!」
衛生兵が自分を呼んでいる。そして、顔の右半分が……熱い。
「なん……だ?」
呆然と右手を顔に伸ばす。ぬるりとして生温かい感触。あるはずの右耳が……ない。
「……射的みたい」
混乱に陥る敵兵に銃口を向けたまま、陽子が呟いた。
「ぐッ……くそッ!」
「中尉!」
駆け寄ろうとしたC分隊の指揮官を中尉が手で制した。
「何をしてる、反撃だ!」
中尉の気迫に押されて指揮官が頷くのと同時に、再び銃声が轟いた。
「ぐあぁぁぁッ!」
スクラップの隙間を縫うようにして放たれた銃弾が、指揮官の脇腹を撃ち抜いた。
「まったく、射的みたいだな」
呆れたように長坂が呟いた。
「トクシマ伍長、C分隊の指揮を代われ! 早く反撃しろ!」
「は……はい!」
伍長が応えるのと同時に再び無数の銃弾が陣地に放たれた。スクラップの隙間を縫って、或いはスクラップを撃ち抜いて銃弾が兵士達に襲いかかる。
各所で兵士達の悲鳴が上がる。ある者は恐怖におののき、ある者は痛みにむせび泣く。
……もはや、勝敗は決した。
「聞こえるか! 降伏しろ、命までは取らない!」
長坂は中尉らに対して降伏を呼び掛けた。
「中尉! ああ言ってますが……」
衛生兵が真っ青な顔を中尉に向けた。看護学校卒の衛生兵は、裏社会に身を置いてもなお、優しさを捨て切れない男だった。
「仲間達の為に降伏してくれ」と言わんばかりの悲痛な表情に中尉の心も揺らいだが――。
「駄目だ! 降伏しても皆殺しにされるぞ。敵は生半可な奴らじゃない!」
中尉は迷いを振り切るかのように大声を発した。
「おいおい。ひどい言われようだな」
「あんな風に言われても、仕方がないでしょう。とりあえず、威嚇射撃しておきますね」
長坂との問答の後で、陽子は射撃を再開した。
スクラップを貫通して頭上に飛来する銃弾に怯えながら、兵士達は握り拳で地面を叩いた。
「これ以上死人が出る前に降伏しろ! 命は保証する!」
再び長坂が降伏勧告をする。しかし敵からの返答はない。
陽子はため息をつくと、M4に予備マガジンを装着してフレーム側面のボルトキャッチレバーを押し込んだ。金属音を立ててボルトが前進し、初弾を薬室に送り込む。
陽子が再度射撃の準備を整えたその時、正通が預かっていた長坂の携帯電話が着信を知らせた。
発信元は岩本の携帯電話だった。
「仕方ないなぁ。もう一回、威嚇射撃しておきますか」
陽子が再び銃口を陣地に向けると、後ろから正通の大声が聞こえた。
「マリュートカ! 撃っちゃ駄目だ!」
正通の声と同時に、サイレンの音が聞こえてきた。
パトカーやSAT仕様の警備車と共に犯人移送用の護送車が姿を現す。いずれも『神奈川県警察』と書かれていた。
「驚いたな。警察が助けに来てくれるなんて初めてだ」
「警視庁にばかりいいところを見せられないってことじゃないですか? これで敵も、降伏してくれますね」
陽子と長坂は顔を見合わせて苦笑した。
雷の音は未だに止まないが、雨脚は次第に弱まってきた。
「それにしても、オリョール。あいつがまさかあんな無茶をするとはな」
「恐怖と緊張で混乱していたのかも。私が叱ります」
長坂は少しだけ考える素振りを見せ、「分かった」と言った。
「中尉、降伏しましょう。警察なら、降伏しても殺されません」
顔に包帯を巻かれながら、中尉は衛生兵の言葉に力なく頷いた。
「……降伏する。負傷者の搬送の用意だ。それから着替えのシャツを持って来てくれ」
「降伏の白旗ですか? そんなものなくても」
傍らの兵士が難色を示すと、中尉は立ち上がり、自嘲気味に笑った。
「一度だけ、やってみたかったんだ。名誉の降伏ってやつをな。長かった傭兵稼業も今日で終わりだ。やらせてくれ」
「了解。今……持って来ます」
兵士は予備の物資を収納した車へと走った。彼が白いシャツを探している間に警察車両は敷地の周囲を固め、警備車からは神奈川県警SATが盾と各銃器を手に、素早く展開していった。
「聞こえるか! 君達は完全に包囲され――」
ドラマでおなじみの、投降の呼び掛け。全て言い終わる前に、鉄パイプに白いシャツをくくり付けた白旗を手にした兵士を伴い、中尉が歩み出てきた。
――あまり気分のいいもんじゃないな。降伏は一度だけで十分だ……。
陽子と長坂に、SAT隊員達に銃口を向けられながら、中尉は辺りを見回した。
沈みかけた太陽が、まるで血に染まっているかのように見えた。
「終わった……のか?」
正通の周囲に警官が集まって来る。地面に手をついてゆっくり立ち上がろうとすると、警官の中に傘を差した岩本の姿があった。
「待たせてすまなかったね。さあ、身体を拭いて」
岩本はしゃがんで、傘をかざしながら正通にタオルを差し出した。
「ありがとうございます……でも、ボローダとマリュートカが戻ってからでいいです」
「……そうか、分かったよ」
沈みかけた真っ赤な夕陽に照らされながら、両手を頭の後ろに回した傭兵達が歩いて来る。
その光景はまるで、出来の悪い戦争映画のラストシーンのようだった。
百科事典で殴られたような、重く鋭い打撃が正通の左頬を襲った。不意の衝撃に身体が反応できず、そのまま地面に倒れ込んだ。
「うぁっ……」
頬と顎がじんじんと痛む。
自分を見下ろす陽子の表情は怒りに満ちている。ようやく彼女に平手打ちを喰らったのだと分かった。
その衝撃と痛みは平手打ちというよりは拳による殴打のそれだったが……。
「立ちなさいよ、江原くん」
陽子は幾分表情を和らげ、正通に手を差し出した。
恐る恐る手を差し出すと、突然手首をひねり返された。関節が極まらないように逃がれようとすると、次の瞬間には身体が宙を舞った。
片手を取られていた為に受け身も取れず、そのまま地面に背中を打ちつける。
「かはっ!」
合気道の見本のような、見事な小手返しだった。
「もうやめろ、陽子ちゃん」
長坂が静かに言った。
「江原くん。君は自分がどれだけ危ないことをしたか、わかってるの?」
陽子の口調は、あくまで静かだった。
「いきなり立ち上がって敵に姿を曝すなんて……敵がもう少し早く立ち直ってたら君は死んでたんだよ。それこそズタズタにされてね。死んだら……それで全てが終わりなんだよ。残される家族のことを、どうして考えられないの?」
正通は無言でうつむく。何故か謝る気にはなれなかった。
「確かに『君を守る』とは言ったけどさ……私と長坂さんだって、あそこまでの馬鹿は守り切れないよ。自分から命を捨てに行くような馬鹿は……!」
「もういいだろう。元はと言えば、罠だとは気づかずに江原君をここへ連れてきた俺達の責任だ。そうだろう、陽子ちゃん?」
言葉を荒らげる陽子を長坂が静かに諭した。
「……そうですね」
言うことは言ったと思ったのか、陽子はため息をつくと正通に手を差し伸べた。
「今度は何もしないってば」
正通がそっと手を伸ばすと、陽子は勢いよく手を引いて彼を立たせた。
「ごめん……」
「武井さんが何て言ったかは知らないけれど、君には命を大切にしてほしい。今日のことを知ったら、きっと武井さんは怒るよ。あの人は、あんなことを君に求めていないはずだから」
陽子の表情に影が差した。
「……僕がお見舞いに行った時のことを言ってるの?」
「君が帰った後、私も行ったの。武井さんは君がお見舞いに来てくれたのが、凄く嬉しかったみたい。君は武井さんに随分と気に入られてるんだね」
そう言って、陽子はもう一度ため息をついた。
正通は自分が悪いことをしたような気分になり、思わず彼女から顔を背けた。
「はい、これ」
陽子が正通から預かっていた携帯電話を差し出した。
「あ、ありがとう……」
「ん」
陽子は携帯電話を差し出したまま頷くと、雨の上がった空を見上げた。
正通は携帯電話を受け取ると、特に考えもなく画面を開いた。
小さな画面の中では、疾風なつきが変わらぬ笑顔を見せていた。
「大丈夫よ。君の私生活に興味はないから」
「え……」
陽子が発した言葉の意味をすぐには理解できなかったが、やがて正通は顔をしかめて反論した。
「そんな……! 僕はそんなつもりで携帯を開いたんじゃないよ。神岡さんが僕の携帯、勝手に見たりするなんて思ってないって」
「ん……そう」
陽子は興味なさそうに返事をすると、そっぽを向いて服についた泥を払い始めた。
「あーあ、制服が泥だらけになっちゃった。早く洗わないと」
正通は無言で陽子の背中を見つめていた。この少女が何を考えているのか、よく分からなかった。
性格が暗いわけではない。粗暴だが、子供に優しいという一面も持つ。
しかし、時折垣間見せる陰りは同年代の少女には見られないものだった。
それは――処刑人として無数の修羅場をくぐり抜けて来たからだろうか――。
陽子の背中をぼんやりと見つめているうちに、正通はあることに気付いた。
「…………!」
びしょ濡れになった制服から、下着と素肌が透けて見えていた。
正通は慌てて目を逸らそうとしたが、陽子と目が合ってしまった。
「あ、その……」
「……ふん」
陽子は軽くため息をつくと、肌に密着していた制服の裾を手で引っ張った。
正通は形容しがたい気まずさを覚え、肩をすくめて携帯電話をズボンのポケットにしまった。
「……あのさ、神岡さん」
気まずい雰囲気の中、あることを思い出した正通は勇気を出して陽子に話しかけた。
「……何?」
陽子は視線を合わせることなく、素っ気ない返事をした。
「僕の携帯から歌が……ドロメアスが流れていた時、どうしてすぐに停止しなかったの?」
正通の質問に、陽子が怪訝そうな表情をする。そして、同じ表情の長坂と顔を見合わせた。
「ど……どうしたの?」
「君には、あの歌がずっと聞こえていたの?」
「えっ……」
陽子から返ってきたのは回答ではなく質問だった。
正通はしばし考えた後、小さく頷いた。
「長坂さんが歌を止めろって言った時、すぐに停止したよ?」
「えっ……だって、僕には……」
言葉を続けようとする正通の肩に、長坂がそっと手を置いた。
「あの状況だ、少しばかり混乱していたんだろう」
「そうかも、知れませんけど……」
納得しない様子を見せる正通の隣で、陽子は怪訝な表情を崩さなかった。
「ねぇ、江原くん。あの歌――」
「三人とも。ちょっといいかな?」
陽子が正通に話しかけようとしたその時、岩本が駆け寄って来た。
陽子と長坂が岩本の正面に向き直るのを見て、正通も慌てて居住まいを正した。
「武井君がいなくなったと、たった今病院から連絡が入った。私からの電話にも出ようとしない。何か思い当たることはないか?」
岩本の口から出た言葉に三人は言葉を失った。数秒後、最初に口を開いたのは正通だった。
「武井さんが……! まさか、敵に連れ去られたんじゃ?」
「あの病院はただの病院じゃないんだ。患者を連れ去るなんて不可能だよ。それに、怪我しているとはいえ、武井君があの程度の連中にやられるとは、まず考えられない。しかし、何の連絡もないというのは……」
岩本が顔を曇らせる。
「ちょっと待ってください、社長。江原くん、君が説明して」
陽子が正通に目配せする。
「えっ……? そういえば……!」
正通はハッとしてポケットから携帯電話を取り出した。
「……戦闘に夢中で忘れてたな」
長坂がぽつりと呟くと、岩本はぴくりと眉を動かして反応した。
「戦闘中に彼から連絡があったのか?」
正通は無言で頷くと、携帯電話を開いて岩本に画面を見せた。
「敵の銃撃が激しくなるほんの少し前に、このメールが届いたんです」
画面を見た瞬間、岩本の表情が変わった。
「……『来たれ、見よ、勝て』だと……? まさか!」
岩本はそれだけ言うと、踵を返して警官隊の中へと走って行った。




