「来たれ、見よ、勝て!」(2)
「……一人、殺ったか」
重機の陰から注意深くスコープを覗いていた狙撃手が、口元を歪ませて呟いた。
隣に隠れた観測手が親指を立てて彼を讃えると、彼もまた親指を立てて応えた。
「仲間がやられて、奴ら意気消沈のようだな。イシカワ」
観測手は双眼鏡を覗き込みながら言った。
「後は斜面に隠れてる奴らだ。待ってろよ、今にいぶり出してやるからな」
自信たっぷりに言うと、狙撃手――イシカワはスナイパーライフルのボルトハンドルをいっぱいに引いて、空薬莢を排出した。
「敵も銃を持っているようだな」
積み上げられた自動車の陰に潜み、双眼鏡で注意深く様子を見ていた中年の指揮官が苦み走った顔で言った。
「あのショボい音からすると、敵が持っているのは小口径の拳銃でしょう。こちらが撃ち負けるはずはありません。数でも火力でも、こちらが遥かに上です」
兵力は全部で四十三名――一個小隊。実に先日の三倍だ。
しかもその半数がサブマシンガンではなく、アサルトライフルの短縮版であるM4A1カービンを装備している。陽子と長坂の読みは正しかった。
「だからと言って無理はするな。急ぐ必要はない。時間が経ってもこちらの優位は変わらんのだからな。それに、敵がたった二人で一個分隊を殲滅したということを忘れるな」
「わかってますよ、中尉。絶対にヘマはしません」
イシカワはボルトハンドルを押し込んで次弾を装填し、黄ばんだ歯を見せて笑った。
そして手にしたライフル――レミントンM700のグラスファイバー製ストックをそっと撫でてから再びストックを肩付けし、スコープを覗き込んだ。
「敵と違って、こちらには交替要員もいれば休憩所も食料もある。時間は俺達の味方だ」
中尉はあくまで慎重だった。兵員を一人も失わずに目の前の敵を倒すつもりでいた。
数の力と地の利を存分に生かし、敵を疲弊させてから叩くという算段だった。
現在、三交替制を取って十二人の兵員が廃車の中で待機している。
国外の戦場で戦ってきた中尉は、日本で育った若い兵士達の戦闘能力も耐久力も各国正規兵のそれより劣っていることを、十分に理解していた。
「『処刑人』どもめ……俺の部下を皆殺しにした落とし前は、つけさせてもらうぞ」
日は傾き、空には少しずつ暗雲が姿を見せ始めた。
正通は斜面に隠れたまま、一向に収まらない鼓動に、我がことながら驚いていた。
――何だろう、この胸の高鳴りは?
正通が小学生だった頃に流行った『エスピオ』は当時の人気ゲームに影響された誰かが始めた遊びだった。当初はかくれんぼに毛の生えたようなものだったが、その内容は次第にエスカレートしていった。
潜入任務を負った少年達は校長室への潜入や帰宅する教師・生徒に対する尾行、校内の鍵や理科の実験器具などの教材・果ては教師の私物などを勝手に持ち出す、といった行為に手を染め、しかもそれらは日を増すごとに組織化し、大胆かつ巧妙化していった。
更に、かねてより問題となっていた校内におけるトレーディングカードの闇取引がこれに絡んで、組織とその活動は急速に拡大。学級委員長や生徒会役員など体制側の人間には秘密の遊び場への招待や飲食物・レアカードの提供、駄菓子屋での接待などによる買収工作が盛んに行われた。
やがてPTAがこれを問題として取り上げ、遂に学校側が一斉摘発に乗り出した。
その結果、生徒会書記一名を含む組織の幹部全員が校長室へと連行され、教員と保護者達が居並ぶ前で組織の解体と活動の終了を誓わされた。
正通は幹部ではないものの、組織の一員『ブラック・イーグル』として数々の活動に関与した為、担任教師に厳しく叱責された。
こんなことならやるんじゃなかった――そう思いながらも、大人達の目を盗んで『工作活動』に従事しながら感じた、あのスリルと興奮だけは忘れようとしても忘れることができなった。
狙撃手に狙われながら感じる、この胸の高鳴り。それは、エスピオに身を投じていた頃に感じたものにも似た、不思議な感覚だった。
怖い。逃げ出したい――。しかし、心の中には明らかにそれとは別の感情が存在していた。
――楽しい……? まさか!
正通が大げさにかぶりを振ると、陽子がきつい視線を向ける。
「ごめん、マリュートカ」
「黙ってて。動かないで。頭を出したら確実に死ぬよ」
陽子の押し殺した声に、思わず息を呑む。自分が今まさに命の危機に陥っているということを、危うく忘れかけていた。
「マリュートカ。少ししゃべる位ならいいだろう」
長坂は依然として前方を警戒しながら言った。
陽子は顔をしかめながら頷いた。
「オリョール。しゃべってもいいけど無駄口は叩かないでね」
「りょ、了解。トランクの中には何が入ってるの?」
長坂に発言の許可を出され、正通は早速、気になっていたことを聞いてみた。
「ライフル二挺に拳銃が二挺。軍刀が一振りに、コンバットナイフが二本。他、拳銃弾とライフル弾が各三百発ずつだよ」
陽子の代わりに長坂が答えた。
「そ……そんなものを、いつも載せていたんですか?」
「ああ、急に仕事が入ることだってあるからな。勿論、そういう時は君を降ろして俺達だけで行くことになっているが」
長坂は前方を見据えたまま、いつもと変わらぬ口調で答えた。
「それにしてもこの状況……敵はただ慎重なだけなのか、増援でも待っているのか……」
「……多分、慎重なだけだと思います」
長坂が何気なく発した言葉に対し、正通は静かに考えを述べた。
陽子がすぐに振り返り、きつい目で睨みつける。
「しゃべっていいとは言ったけど、作戦に口出ししていいとは言ってないわ」
「待て、マリュートカ。話を聞いてみよう。どうしてそう思った、オリョール? なるべく簡潔に説明してみろ」
長坂の口調に不快さは感じられなかった。
陽子の鋭い眼に怯みながらも、正通は言葉を続けた。
「はい……まず、車を降りるまで敵が撃ってこなかったのは、狙撃が失敗してそのまま逃げられてはいけない、と思ったからじゃないかと。一度車を降りたところを狙えばより確実だと考えたんです、きっと」
「……なるほど。それだけか? もっとあるんだろ、理由が」
「はい。これは憶測ですけど……敵は多分、こっちが事務所と連絡を取ってることに気づいてないんです。だから時間が経過してもこっちには助けが来ないと思ってる。あっちは長期戦の用意をして、こっちを疲れさせてから攻撃する作戦だと思うんです」
陽子は不快な表情をしながらも、正通の推察に異を唱えようとはなかった。
「なるほど……だが今の時代、誰でも携帯を持ってるんだ。俺達が待ち伏せを受けたことを誰かに連絡しない方が不自然だとは思わないか?」
「確かにそうです。でも、事務所を襲った敵が社長とユミさんを脅すか人質に取るかすれば、僕達から連絡を受けても近江さん達は自由に動けないでしょ? 多分、僕達をここに引きつけてる間に社長とユミさんを痛めつける、とかして他の人を呼び出させて、集まった全員をまとめて殺すつもりだったんじゃないかと」
陽子と長坂は思わず顔を見合わせた。
善良な一般人が何故、残忍な殺害計画をこうも緻密に推測できるのか――。
物騒な言葉を正通が平然と口にしたことに、二人は驚いていた。
「……それが君の考えか、オリョール」
「はい、僕ならそう考えます。間違ってますか?」
長坂は「うーん……」と唸ると、再び前方に目を移した。
「考え方自体は合理的だけど……一般人は普通、そんなことまで考えが及ばないし、理路整然とそれを説明したりもできないと思うんだけどぉ……」
眉をひそめながら、陽子がためらいがちに言った。
陽子と長坂の中で、正通のイメージが大きく変わった瞬間だった。
「そうかな……あっ!」
「どうしたの、オリョール?」
陽子の口調が変わった。軽蔑を隠そうともしなかった先ほどとは違い、正通の言葉を真剣に聞こうという態度が表れていた。
「敵も、事務所を襲った部隊と連絡を取ろうとするんじゃ。連絡が取れないことに気づいたら……」
遠慮がちに言うと、長坂が舌打ちをした。
「その通りだな……奴らも動くかも知れない。マリュートカ、石を集めろ」
「了解。接近して来る敵を各個撃破するしかありませんね」
陽子はため息をつくと、投げやすい大きさの石を拾い集め始めた。
ただの石でも二十メートル以内なら殺傷力がある。ないよりはマシだ。
「中尉、奴らの事務所に向かった部隊からの定時連絡がありません……!」
ノートタイプの衛星電話を手にした通信兵が中尉のそばに駆け寄り、耳元で言った。
「何だと? まさか……」
「こちらからの呼び掛けにも応じません。返り討ちに遭った、としか……」
中尉には信じられなかった。
作戦は上々のはずだった。
偽の仕事依頼で処刑人達の一部をおびき出し、これを待ち伏せて殺害する。その間に運送業者を装った部隊が事務所を強襲、社長と事務員を捕えて他の処刑人達を集めさせ、爆薬でこれをまとめて殺害する。
おびき出された処刑人が他の仲間に連絡を取ったとしても、社長と事務員を拘束している限り仲間達も自由には動けないはずだ……というのが作戦の概要であり、正通が推測したものとまったく同じ計画だった。
成功の見込みが高いとして採用された作戦だったが、事務所強襲が失敗したとなれば、敵はこちらの計画を知って態勢を整えるだろう。
「事務所にいたのは六十近い社長と事務員の女だけだろう? それがなんで……!」
「自分には……分かりません」
通信兵は呻くように答えながら、首を横に振った。
「そうか……あいつらがじっとしているのは、時間稼ぎの為か! さっきのは偽装だ……曹長! こっちへ来い!」
中尉は激しく歯ぎしりをさせてから、陣地右翼で様子を見ていた曹長を呼び寄せた。
「ハッ、中尉」
筋骨たくましい体つきの曹長は国外で多数の修羅場をくぐった頼もしい男だった。
「事務所に向かった部隊がやられた。俺達もこうしてはいられない。俺達は正面と左翼から射撃を行い、奴らを釘づけにする。お前は遊撃隊と共に右翼から回り込み、接近して敵を攻撃しろ。早くしなければ敵の増援が現れるぞ」
「ハッ、了解。すぐに準備します」
曹長は敬礼をすると、部下数人に集合のサインを送った。
「おい。事務所へ向かった部隊がやられた、と司令部へ連絡しろ」
中尉が通信兵に声をかけたが、返って来た言葉は思いもよらぬものだった。
「つながりません。先ほどから何度もかけているんですが……」
「何ィ?」
中尉が顔を曇らせるのと同じタイミングで、暗雲が太陽を隠し始めた。
「どういうことだ! まさか……司令部までもがやられたと言うのか?」
「わかりません! 自分にはわかりません!」
中尉と通信兵の会話が漏れ聞こえたことで、兵士達の間に少しずつ動揺が広がる。
やがて雨が降り始め、それはあっという間に土砂降りの豪雨になった。
「ゲリラ豪雨か、くそ!」
雨が降り出したことに毒づいたのは、狙撃手のイシカワだった。
強い雨は視界を妨げるだけでなく、飛行する銃弾にも影響を与える。当然、射撃が狂う可能性もある。
「全員、ポンチョを着用! 身体を濡らすな!」
中尉の号令で、兵士達は迷彩柄のポンチョを広げる。そのうちの何人かが、服が濡れたことに悪態をついた。
兵士達の多くは野戦に不慣れだった。下士官以上の階級や特殊技能者は別として、兵士の多くはチンピラや不良上がりで、本格的な火器を使用した野戦を経験していない。
彼らにとって、豪雨の中での長時間の作戦行動はそれだけで大きな負担となった。
「雨まで降り出すとは……! 気象予報士を殺してやりたい」
中尉は恨めしく空を見上げるのと同時に、通信兵が血相を変えて中尉を呼んだ。
「中尉! 司令部からのメールを受信しました!」
「司令部からメール、だと……?」
妙な胸騒ぎを感じながら、中尉は通信兵のそばに駆け寄った。上空では雲の動きが慌ただしくなり、雷が鳴り始めた。
「見せてみろ」
中尉は通信兵の脇から端末の液晶画面を覗き込む。
通信兵は液晶画面に表示されたアルファベットを目にして、頭をひねった。
「これは……?」
―― VENI VIDI VICI ――
画面に表示されたラテン語――。中尉はこの言葉を知っていた。
「『来た、見た、勝った』……だと?」
古代ローマの英雄カエサルがゼラの戦いに勝利した際、元老院に宛てて送ったと言われる手紙の一文だった。
――司令部がこんなメールを寄越すはずがない。となれば、これを送って来たのは……!
中尉は目まいを覚え、思わず額を手で押さえた。
「中尉、攻撃の準備が整いました」
押し殺したような低い声。振り返れば、すぐ後ろに曹長が身をかがめていた。
「よし……! 合図と共に攻撃開始だ。こちらの援護射撃の下、お前達は射撃しながら注意深く接近しろ。一人か二人を生け捕りにする」
「ハッ、了解」
――奴らはおそらく、自分達に弓を引いたものを許さないだろう。司令部を探り当てて壊滅させるほどの奴らだ、逃げられるとは思えない。それならば……!
中尉は水筒のスポーツドリンクを一口飲み、呼吸を整えた。
生き残る為には戦うしかない。戦って……勝つしかない。




