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2年半ぶりの会話

「これ描いて死ね」の女子高生視点と先生視点が着想です。

初めて書きますのでいろいろと拙い点があろうかとは思いますが、温かい目でご容赦頂ければと存じます。

 午前六時四十三分。


 県立病院での夜勤を終え、着替えを済ませ職員通用口から外へ出ると、四月の朝はもうすっかり明るかった。


 十二時間勤務。


 夜間二回の見回り以外、ほとんど座っていただけなのに身体が重い。


 四十五歳。


 歳のせいか、夜勤のせいか。


 たぶん両方だ。


「お疲れさまでした」


 交代で入ってきた日勤の若い警備員に声をかけられ、軽く手を上げる。


「お疲れ」


 それだけ言って、ポケットから車の鍵を取り出した。


 昔なら、この時間まで起きていることなんて珍しくなかった。


 ライブが終わって、機材を片付け打ち上げに繰り出す。


 始発が動き始める頃、心地よい気だるさと共にギターケースを背負い駅まで歩く。


 疲れているのに頭だけは妙に冴えていて、耳の奥ではまだ歪んだギターの音が鳴っていた。


 そんな頃もあった。


 もう二十年以上前の話だ。


 今、耳に残っているのは、深夜の病棟を巡回する自分の足音と、ナースステーションから聞こえてくる電子音くらいだった。


     *


 家に着いたのは七時半過ぎだった。


 三十五年ローンで買ったマンション。


 支払いはまだ二十年近く残っている。


 去年までなら、それほど気にもしていなかった。


 十四年勤めた不動産会社が倒産するまでは。


 四十四歳で、突然職を失った。


 中途入社ながらコツコツと実績を積み、最終的に小さな営業所の所長を任されるまでになっていた。


 職を失ってすぐに就職活動を始め、何社か正規雇用の面接を受けた。


 そのたびに、会社の看板を外した四十四歳の自分が、思っていたほど高く評価されないことを思い知らされた。


 今は県立病院の夜警。


 非正規雇用。


 前職との収入の落差を少しでも埋めるため、夜勤の仕事を選んだ。


 それでも収入はかなり減った。


 生活するには足りる。


 住宅ローンも、今のところ払えている。


 ただ、それだけ。


 今の職に就いた当初は正規雇用の就活を続けていたが、ここ数か月は全然やっていない。


 それなりの収入と、妻の小言を聞かなくなった現状に少し満足してしまっている。


 認めたくはないが。


 玄関を開ける。


「ただいま」


 返事はない。


 いつものことだ。


 妻はもう仕事に出たのだろう。


 昼間に事務パートで働き、夜は週に何日かスナックに出ている。


 稼ぎがいくらあるか知らないが、俺より忙しくしている。


 少なくとも、そう見える。


 リビングのテーブルには、パンが入ったコンビニ袋が置かれている。


 高校一年になった娘の朝食らしい。


 俺の分はない。


 それも、いつものことだった。


 妻を責める気にはなれない。


 二年半前、俺の浮気がバレた。


 悪いのは俺だ。


 妻はそのとき、怒りも泣きもしなかった。


『凛が高校を卒業するまでは離婚しない』


 そう言った。


『それまではあの子の父親でいて』


 以来、必要なこと以外、ほとんど口を利いていない。


 娘はもっと分かりやすかった。


『きっも』


 中学一年だった娘にそう言われた。


 それから二年半。


 まともに会話をした記憶がない。


 背の高かった凜は昔からバスケットボールばかりやっていた。


 小学三年生の頃から始めて、中学でも部活に入った。


 中学三年、最後の夏の県大会。


 その大会に向けた練習で膝を怪我した。


 左膝の靱帯損傷。


 日常生活に支障が出るような後遺症は残らないと言われたが、競技に戻るには長いリハビリが必要だった。


 大会は欠場。そのままバスケから離れ、受験勉強に専念した。


 そしてこの春、第一志望の高校に合格した。


 俺は入学式に出た。


 隣に座った妻とは、一言も話さなかった。


 娘とも、写真を一枚撮っただけだった。


 高校に入って何をしたいのか。


 どんな友達ができたのか。


 そんなことさえ、俺は知らない。


 同じ家に住んでいる。


 ただ、それだけだった。


     *  


 ネクタイを緩める。


 シャワーを浴びて寝よう。


 そう思って廊下に出る扉に手をかけると、向こう側で大きな物音がした。


 ガタン。


 見ると、壁際のクローゼットの扉が開いていた


 その前に凛がしゃがみ込んでいる。


 床には、掃除機や季節外れのコートや古いバッグがいくつか放り出されていた。


 その奥から引っ張り出したらしい、茶色いソフトケースが横たわっている。


 ずいぶん長い間、見ていなかった。


 次の瞬間、


 ジャーン。


 ひどい音が鳴った。


 俺は足を止めた。


 凛の膝の上に、一本のギターが載っていた。


 フェンダージャパンの黒いストラトキャスター。


 高校生の頃、親戚から二万円で譲ってもらったギターだった。


 ところどころ塗装が剥げた黒いボディには薄く埃が積もり、弦は赤茶色に錆びている。


 金属パーツもくすんでいた。


 最後にケースを開けたのがいつだったのかさえ、もう思い出せない。


 それでも、見間違えるはずがなかった。


 ずっと持っていた。


 弾かなくなってからも、なぜか捨てられなかった。


 凛が弦を一本つま弾く。


 ベン。


 ひどく音程の狂った音が鳴った。


「……何してる?」


 俺の問いかけに凛が顔を上げる。


 そのまま立ち上がった。


 やっぱり背が高い。


 俺とほとんど同じ高さにある目が、少しだけ気まずそうにこちらを見る。


 視線が合う。


 凛は黒いストラトを抱えたまま言った。


「……これ、アンタの?」


「そうだけど」


 凛は手元のギターを見る。


「ふーん」


 もう一度だけ、弦を鳴らした。


 ジャーン。


「あっそ」


 それだけ言って、またギターに目を落とした。

ご覧いただきありがとうございました。

次回は凜視点で書きたいと思います。

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