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第1話:階段から落ちた令嬢

 冬至の祝宴が催される王宮の大広間は、色とりどりのドレスと絢爛な装飾で埋め尽くされていた。

 天井から吊り下げられたシャンデリアが眩い光を放ち、管弦楽の柔らかな旋律が空間を満たしている。


 私、ヴィオレッタ・ロシュフォールは、その賑わいから一段高い位置にある大階段の踊り場で、周囲に視線を配っていた。

 第二王子ジュリアン殿下の婚約者としてこの祝宴に出席し、王子妃候補としての振る舞いを期待されてから3年が経過している。

 父は遠く離れた国境領の防衛に追われ、母は私が幼い頃に他界していたため、この王都の社交界において私を後ろから支えてくれる肉親は誰一人としていない。

 だからこそ私は、落ち度のない完璧な礼儀作法を身につけ、王家の指示に従い続けてきた。


 だが、その努力が報われることはなかったらしい。


 大階段をゆっくりと下りていた最中、私のわずか3段下を歩いていたバリエ男爵家の令嬢、リディアが唐突に足を止めた。

 彼女は振り返る素振りも見せず、何かに押し出されたかのように大袈裟な動作でバランスを崩し、そのまま階段を転落していったのだ。


「きゃあああ!」


 悲鳴が大広間に響き渡り、演奏は一瞬で途切れた。

 重々しい音を立てて階段の途中で倒れ込んだリディアの周りに、近くにいた貴族たちが一斉に駆け寄っていく。


 幸いなことに転落した段数はそれほど多くなく、命に関わるような大怪我を負った様子はない。

 だがリディアは、駆けつけた人々に抱え起こされながら、痛みに耐えるかのように体を細かく震わせていた。

 そして彼女は、涙に濡れた瞳をゆっくりと持ち上げると、大階段の上で見下ろす私へと震える指先をまっすぐに向けた。


「ヴィオレッタ様……どうして……どうして私を押し出したりなさったのですか……!」


 リディアの声は弱々しくも、静まり返った広間にはっきりと通った。

 周囲の貴族たちから一斉に息を呑む音が漏れ、私に向けられる視線が瞬く間に疑惑と軽蔑を含んだものへと変化していく。


 私自身は彼女の体に一切触れていない。

 どころか、彼女が自ら背中を反らせて落ちていく不可解な挙動を目撃したばかりだった。


「ヴィオレッタ! 君という女は、どこまで浅しく卑劣なのだ!」


 大広間の奥から怒声を上げながら人ごみをかき分けて現れたのは、私の婚約者であるジュリアン殿下だった。

 彼は私へ事情を聞く素振りすら見せず、倒れ込んでいるリディアの肩を優しく抱き寄せると、そのまま私を射殺さんばかりの鋭い視線で睨みつけてきた。


「リディアが私と親しく接していることに嫉妬し、このような恐ろしい事件を引き起こすとはな! 君が日頃から彼女を妬ましく思っていたことは、疾くに知っているぞ!」


 ジュリアン殿下の言葉には、婚約者である私への配慮も、事実関係を確認しようとする冷静さも微塵も含まれていなかった。

 最初から私を犯人と断定し、衆目の前で糾弾することだけを目的に動いているかのような手際の良さだった。


「お言葉ですが殿下。私はリディア様に触れてすらおりません。彼女が勝手に足を踏み外されたのです」


 私は努めて冷静に、声を荒らげることなく事実を口にした。

 だが私の弁明を遮るように、リディアの後ろに控えていた侍女が前へ出て、大きな声を張り上げた。


「嘘をおつきにならないでください! 私は見ました! ヴィオレッタ様がリディア様の背中へ確かに手を伸ばし、力任せに押し出す瞬間を!」


 さらに拍車をかけるように、階段の警護を担当していた若い近衛騎士ギャスパールまでもが前へ進み出で、誇らしげに胸を張って証言を口にした。


「私も目撃いたしました! ヴィオレッタ様の手がリディア様の背中へ触れ、そのまま押し落とす場面をこの目でハッキリと確認しております!」


 見事なまでの連携だった。

 被害者の告発、侍女の証言、そして公正であるはずの近衛騎士の裏付け。

 これだけの証言が揃えば、広間にいる誰もが私の罪を疑わないだろう。


 その時、私は胸の中に芽生えた小さな違和感の正体に気づいた。

 祝宴が始まる直前、私に付き添っていた専属の侍女が、王妃付きの女官から急な呼び出しを受けて席を外していたのだ。

 本来なら私のすぐ後ろに控え、私のアリバイを証明できるはずだった人物が、巧みに取り除かれていた。


 私にだけ証人が存在しない状況が、意図的に作られていたのだ。


 周囲を見渡しても、私を庇ってくれる者は誰一人としていない。

 父は遠方の国境領におり、私を助けるために今すぐ駆けつけることなど不可能だ。

 王都社交界において孤立無援となった私の姿を見て、ジュリアン殿下は口元に歪んだ満足げな笑みを浮かべた。


「これだけの目撃者が揃っているのだ。もはや言い逃れはできん! 衛兵、この浅ましい罪人をただちに拘束しろ! このような邪悪な女との婚約など、もはや一刻も維持できん! 私は直ちに父上へ奏上し、婚約を解消してもらう!」


 ジュリアン殿下の手図で、控えていた衛兵たちがジャラジャラと重い鎧の音を立てて大階段を上がり始めてきた。


 私は彼らの動きを観察しながら、頭の中で状況を静かに分析していた。

 ジュリアン殿下がなぜこれほどまでに強引な手段を取るのか。

 単なる恋愛感情のもつれや、リディアへの熱情だけでここまでの準備を整えられるはずがない。


 もし私に傷害の罪が被せられれば、王家側には決定的な正当理由が生まれる。

 王家から婚約解消を申し出た場合に発生する莫大な違約金を支払わずに済むばかりか、ロシュフォール家が持ち込んだ膨大な持参金まで、被害者への賠償や王家への過失補償として接収することが可能になるのだ。


 父が国境で国を守るために奮闘している間に、その娘から名誉と財産を根こそぎ奪い取ろうという計算なのだろう。


 これは単なる愚かな嫌がらせではない。

 私と我が家を徹底的に踏みにじるために計画された、完璧な冤罪劇だった。


 足音を響かせて近づいてくる衛兵たちの姿を前にしても、私の心は驚くほど冷えていた。

 涙を流して無実を訴えたところで、この状況では嘲笑の対象になるだけだ。

 誰かに信じてもらえるのを待つ時間は、私には残されていない。


 私は優雅な動作でドレスの胸元に手を差し入れ、内側の隠しポケットから一つの小さな物体を取り出した。


 それは掌に収まるほどの大きさの、古びた銀の印章だった。

 表面には精巧かつ複雑な紋様が刻まれており、長い年月を経て鈍い光を放っている。


「その場でお待ちくださいませ、衛兵の皆様」


 私は粛々とした声で言い放ち、銀の印章を掲げて衛兵たちの足を止めた。

お読みいただきありがとうございます!

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次回も楽しんでいただけるよう頑張ります!

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