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第5話 目覚めた王子

「……ん、……ここは……?」


微かな意識が戻ると同時に、柔らかな木の香りと、甘く温かいハーブの匂いが鼻をくすぐった。


レオン・ヴァルゼンは、重たいまぶたを開けて天井を見上げた。

見慣れぬ天井。梁のある木造の天井と、やさしく差し込む午後の光。


(ここは……森の中だったはず……)


胸元に手をやると、厚手の布がかけられていた。

枕は柔らかく、空気は清潔で、部屋は不思議なほど静かだった。


ゆっくりと上体を起こそうとした、その時——


「目が覚めたのね」


声がした。

落ち着いていて、澄んだ女性の声。


レオンは反射的に身構え、声の主に目を向けた。


そこにいたのは、銀の髪を持つ美しい女性だった。

窓から差し込む光を受けて、彼女の髪は淡く輝いている。まるで月光を編んだかのような繊細さ。


その横顔に、レオンは見覚えがあった。


「……クラリス公爵令嬢……」


その名を呟いた瞬間、彼女の瞳がこちらを向いた。


「……あなた、私のことを?」


「名と顔は知っている。隣国の外交報告でよく聞いた名だ。

“王太子に婚約破棄された、公爵令嬢”。——突然消息を絶ったと、話題になっていた」


クラリスは静かに微笑み、少しだけ肩をすくめた。


「名残惜しくもない過去ね。でも、記憶に残っているとは……。噂というのは、時にしぶといものね」


「……ここは?」


「私の家。森の奥、王都から遠く離れた場所よ。

あなたを森で見つけて、連れてきたの」


「……なぜ助けた?」


レオンの声は硬かった。

疑念と警戒、そして少しの戸惑いが滲んでいた。


クラリスは、静かに彼を見つめ返した。


「そこに倒れている人がいた。それだけで、助ける理由には充分でしょう?」


「……正体も知らないままか?」


「正体が重要だったのは、王都にいた頃だけ。今の私は、ただの……“猫好きのカフェの女主人”よ」


クラリスの言葉には、気負いも下心もなかった。


レオンはなおも視線を逸らさず、しかしその穏やかさにわずかに気圧された。


その時、足元からふわりと柔らかい感触がよぎった。


「……猫?」


「セドよ。あなたが倒れていた時、ずっとそばにいた子。……この子があなたを見つけてくれたの」


黒猫はごろりと寝そべり、レオンの足元で喉を鳴らしていた。


《警戒するのもいいけど、体を休める方が先にゃ。顔がこわいにゃ》


レオンは眉をひそめながらも、猫の姿をじっと見つめた。


(……この猫……どこかで……)


記憶の奥、森で倒れる寸前に触れた“温もり”と“光”が頭をよぎる。

体と心を包んだ、やさしい癒し。


(……まさか)


「君……まさか、あの猫……」


クラリスは、何も言わず微笑んだだけだった。


 


◇ ◇ ◇


 


「お茶を淹れてあるわ。飲めそう?」


「……いただこう」


クラリスが差し出したカップを、レオンはためらいながらも受け取った。


中には、ふわりと香るハーブティー。

熱すぎず、穏やかな香りが喉を落ちて、体に染み込むようだった。


「……不思議な味だ」


「身体を落ち着けるブレンドよ。猫の舌にもやさしい温度にしてあるの」


レオンはふっと眉を上げた。

彼女の言葉には、どこか独特の距離と優しさがあった。


——詮索しない。

——追い詰めない。

——でも、ちゃんと見ている。


その“絶妙な距離感”が、レオンの心の奥に小さな動揺を起こした。


「……ここに、しばらくいても?」


「もちろん。回復するまでは、安心して休んで。……あなたが望むなら、それ以上のことはしないわ」


そのやさしい断言に、レオンは小さく目を伏せた。


そして、そっと息を吐いた。


 


◇ ◇ ◇


 


その夜、レオンは久しぶりに安らかな眠りについた。


森の中の、猫と銀髪の令嬢が待つ静かな家で。

警戒の裏側で、ほのかなぬくもりが芽吹き始めていた——


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