1-2-1(音菜顕現)
毎日悪夢を見るのは睡眠障害の可能性があるのだとか。
私は見るときはいつも映画一本分くらいの夢を見ます。
時には二本見ることも?
で、それをメモってまとめるとそれだけで話ができてるという。
完成度とかは知らないけど。夢から逃れる為によくそうしてました。
1-2-1(音菜顕現)
目が覚めた。
白い天井。
白い壁、白いベッド。
日常は何も変わらない。
何も。
唯一変わった所といえば、僕の隣に赤く長い髪をした少女が眠っていた事だった。
「え?」
誰なんだこの人は?
気になる。
かといってここで彼女をゆすり起こしてしまうわけにもいかない。
女性の体に直接触れるのは、中学二年生としてははばかられる。
「う、うぅーん」
寝たふりをしているみたいだ。
まぶたがぴくぴくとしている。
なんなんだこの子は!?
……なんか見覚えがあるけど。
「起きてるんならさっさと起きてよ」
日本語として成り立ってるのかどうかよくわからない指示文を相手に向けて発する。
まあ別に言葉なんて意味さえ通じればそれでいいんだ。
カッ。
急に少女が目を見開いてきた。そんな風に広がった眼でこっちを見られると、ちょっとだけ怖い。
「き、君は?」
誰?
誰なんだ?
既視感は……あるな。
でも、そんなわけないか。
彼女は僕をからかって狼狽させた事に満足したようで、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
「私? 私は赤芯音菜」
体を起こすと結んでいない長い後ろ髪がだらりと垂れて妖艶で美しかった。……聞いた事のある名前だ。
「あなたと同じ中学二年生よ」
それが僕と彼女とのこっちの世界での出会いだった。
「へえ、君も僕と同じ、『治療』の目的でここに?」
「ん、まあね」
そうなのか。
そうなのか。
彼女がそうだと言うのならそうなのだろう。
……っていうか、同じ境遇の人に会えたのは素直に嬉しいけれど、ここを管理している人達も、ベッドくらい別にしてくれても良かったのに。
一応僕達若い男女ですよ?
何か間違いがあったらどうしてくれるんですか?
……案外、ここを管理する人達も、それを望んでたりして(笑)。
「どんな夢を見ていたの?」
僕は聞いた。
「別に私の夢なんてどうでもいいじゃない。大した事ない夢だよ」
答えてくれない。
言いたくないのか。
そりゃそうだよな。
僕だって言いたくないもん。
僕は自身の無遠慮を恥じた。
しかしその後、
「あんたは、どんな夢を見ていたの?」
「なんにも、見てないよ」
やっぱり、言いたくない。
「なによぉ、嘘吐かないで言いなさいよォ」
「き、君だって言わなかったじゃないか」
「音菜って呼んでよ。どうせ心の中じゃもう、音菜って、下の名前で呼んじゃってるんでしょう?」
「あ、うぅ、音菜……」
あー、溌剌として機敏でありたい。
音菜は僕に自分の特権についてわざわざ説明してくれた。
「私はレディーだから言いたくない事は言わなくていいのよ」
「いや、だって……そんなの……」
僕にだってそういう権利があって然るべきじゃないのか?!
これは男女不平等だ!
「いいから、言いなさいよ」
僕はかいつまんで夢の中身を話した。
もちろん、あまりグロテスクな部分とかは省いてだけど。二人とも上半身だけ起こして、まだベッドの上にいた。性的な部分については一切伝えなかった。だって恥ずかしいじゃん。
「へぇ~、私が死ぬ夢、私の事を殺す夢、ねえ」
「ごめん、変な夢見て」
「別にあんたが謝る事じゃないわよ。なんか別のが原因でしょ?」
音菜は僕の夢が僕以外に原因があると考えているようだった。
おかしな話だ。訂正する必要がある。
「いや、夢で見ているんだから、それは僕の心の問題だよ」
僕の見る内容を他人がコントロールする事は不可能だ。だってそれは僕の脳内活動でしかないんだから。多分フロイトさんでもそう言うと思う。
そして、真実を一つ。
「どうやって君の事を先に知ったのかわからないけど、僕が君の死に関する夢を見続けていたのは確かだ」
「まあ、あんたがそう思っているなら、それでいいけど」
どうも彼女をリアリストに転向させることには失敗したらしい。
ふうむ。
仮に。
音菜が正しかったとしたら。
夢を見るのに僕の内面以外何かあるのだろうか?
……最近の僕は、すっかり相手の言う事をなんでも信じてしまいそうなくらいに思考能力が落ちてきていた。
そういう訓練を受けさせられているからなんだろうけど。
僕は毎日、この部屋を出て『訓練』を受けさせられている。
色々『訓練』の方法はあるが、その中でも『認識訓練』は必ず毎日行われる。これは色々な物を見せられて事前に定義された言葉を言わないと罰を受ける訓練だ。
例えば「これから見る物の色は全て緑色です」と指示を受ける。そして色々な物体を見せられる。よくある数学で使うような積木みたいな丸だとか三角だとか、生き物の時もある。ネズミとかザリガニだとか。
それで色々、質問を受ける。
これはなんですか。ザリガニです。大きさはどれくらいですか。十センチくらいです。他にどのような特徴がありますか。ヒゲが長いなと思います、あまりザリガニを見た事が無いのでわからないですけど。ところでこのザリガニの色は何色ですか。ええと……。
ここで「緑色です」と言わないと罰を受ける。罰は基本的に電流で与えられる。僕は訓練を受ける時は必ず全身にコードみたいなのをたくさん付けられている。
条件は「緑色です」だけなら楽なんだけど、複数条件があるのが普通だ。十個とか条件があると、なかなか覚えられるものではない。条件の意味もよくわからない。
『認識訓練』のはずなのに語尾に全部「にゃー」を付けるという条件が一度あって、意味が分かりませんと抗議したら電流を流された事もある。
罰を受けるのは嫌だから、僕はいつも与えられた指示に完璧に従うように必死にそれを覚えて、遂行しようとする。メイド服を着て女装して御奉仕するというよくわからない指示もあったけど、どんな指示だろうと僕はひたすら何も考えないようにして従うように努めた。
多分、壊されてるんだよなあ。
従順になるように。
僕が。
ゆっくりと。
だけど、確実に。
……まあ、いいや。
それで「治療」がうまくいくなら、それで、いいや。
よし、考えないようにしよう。
『訓練』を受けていない時まで、『訓練』の事は考えたくないし。
今は目の前の美少女との会話に集中しないと。
「ていうか、どうして僕は君の事知ってたんだろう?」
とりあえず自分の思う疑問を言葉にして提出。
実際僕はどうして会った事も無い音菜の事を夢で見る事ができたのだろう?
……知ってなきゃ夢で見るなんてできるはずないのに。
「知らないわよそんなの」
「いや、だっておかしいじゃないか。僕達は今日初めて会ったはずなのに」
「あんたは物事を深刻に考え過ぎなのよ」
「そ、そうなのかな」
いつの間にか人生相談になっている僕と音菜との会話。
「そうよ、絶対そう、あたしがそうって言うんだから、そうに決まってるわ」
うーん、なんていうか。強引マイウェイな人だな。
……夢の中でも振り回されていた気がする。
「なーによ、辛気臭い顔しちゃって。そんなんだからいつまで経っても彼女いない歴=年齢なのよ」
「なんで僕のプライバシー知ってるの?!」
「聞かなくてもわかるわよ。あんた見てれば。魅力、ないもん」
「異性から直接言われると結構へこむなあ」(タメ息)
「あんたさ、なんか信念とかポリシーでもあってそうしてるわけ?」
いえ、特にそういった類のものは。
ていうか『そうしてる』ってなんだ?
普通に生きてるつもりなんだけど、それが人に不快感を与えているって事なんだろうか。
ああ……あまり考えないようにしたい。
生きてるだけで他人に不快感を与えているかもしれないだなんて。
「違うんでしょう? だったらもうちょっとはっきりすればいいのに。だからいつまで経っても童貞なのよ」
さっきも同じような事聞いたな。
大事な事だから二回言われたんだろうか。
ここが二階だったら飛び降り自殺を試みてる所だ。
まあ、ここ窓ないから何階かわからないし、仮に三階以上だったら今度は生存本能でチキンな僕の飛び降り自殺の予約フライトはキャンセルになるだろうけど。
その時はキャンセル料が発生しなきゃあいいなあ。
ま、それはどうでもいい
というかそんな事より今は嘘でもいいから僕の性的な名誉を挽回しておかないと!
「い、いや、信念は! 信念は、あるよ」
ポリシーまでは知らない。
多国籍にまで出張して守るほどでもない。
それくらいの『信念』なんだけど。
それでも大和魂の無い日本人の僕にとっては大事な事だ(嘘)。
「なぁによ?!」
うん、それはね、
「ど、童貞も守れない者に何も守れるものなんてあるはずがない、とか……」
タメ息。
……当然か。
ここで僕もタメ息を吐いたらどうなるだろう?
それで
「人間と会話しているのに疲れちゃったから、タメ息が出ちゃったんです」
って言うんだ。
別にどうもならないか。
多分この新しいルームメイトにドブネズミを見るみたいな目で見られるだけだろう。
でもまあ、そういうのも嫌いじゃないから、まあ、いいかな。
この子、かなりかわいいし。
「てか、あんたさっきからなーにジロジロ人の顔見てんのよ?」
「あ、う……」
おっとぉ。
「話をするならもっとはっきり私の顔を見たらどう?」
音菜はぐに、と僕の両頬をひっつかむと顔を無理やり動し、自分の方に向ける。
眼前にはあまりにも整った少女の顔があった。それに感情が宿っている。これが僕にはちょっと衝撃的だった。
あんまり、得意じゃないんだ。自分の感情を出すの。
実際は気後れしていたら声の大きい人にどんどん良い場所は取られていってしまってあぶれるだけだっていうのに。
なんていうか、はしたない気がして。
そういう風に感じる人って他人に流されやすい人、利用されやすい人なんだよなあ。
僕の感覚は損な感覚だ。
知らぬ間に誰かに植えつけられた自己犠牲的道徳観念。
訂正した方が良いと思っている。
だけど支配される側の倫理は僕の中でしっかりと息づいているようで。
他人に嫌われないように、人の気を引かないように。
どうでもいい他人の事なんて気にしていたらしようがないのに。ただ人に嫌われるのが怖くて、悪意を向けられるのが怖くて。
感情を押し殺して自己主張しない機械のような人間である事を美徳だと感じてしまう。
あまりにも僕の根元までその感覚は浸食していた。
植物を覆う土を絶えず水浸しにしていると根が腐ってしまうと聞いた事がある。
僕はどうなんだろう?
根性が腐っている、とかになるのかな。
修正不可能なくらいには僕は自分の感情を出す事に抵抗を持っている。
だからこそそんなはしたない真似を、僕なんかよりずっと人間的に価値のありそうな、この綺麗な女の子がしているの事に驚いた。
まあ、こういう子がやるから許されるっていうのも、あるんだろうけど。
これは、なんだっけ。
ああ、そうだ。
かわいいは正義とかいうやつか。
にしても、おかしいよなあ。
だって、
「君も、僕と同じ、『治療』でここにいるんだよね?」
それなのに……。
「ええ、そうよ?」
「夢を見ているんだよね?」
悪夢を。
「ええ、そうよ?」
「『訓練』も受けているんだよね?」
「ええ、そうよ?」
「それなのにどうして」
こんな風に、気丈に振舞っていられるんだろう?
「うーん、気にしてたってしようがないんじゃない?」
「え」
「あなたの夢がどんなのか知らないけど、見てるのは多分大切な人を裏切って殺したり、裏切られて殺されたりする夢でしょう?」
「あ、ああ、うん」
僕は音菜に殺される夢というのを見た事はなかったけど、とりあえず首肯した。
「それでどうせ夢の中でもあんた、オドオドして誰とも関わらないようにしているんでしょう」
「あ、」
「人に好かれるのも嫌われるのも恐れて」
「あー……」
なんでわかっちゃうのかな。僕の事。
「いつか大切な人から必ず裏切られてしまう。だからそれを恐れて誰とも関わらないだなんて、私にはできないわね」
音菜は、はっきりとしていた。僕なんかとは違う。
「私ね、あんたみたいに内向きなの人間、嫌いなの」
「え」
「そんな風にクヨクヨするくらいなら、誰か一人に裏切られても気にならないくらい、皆に認められるくらい、すごい人間になればいいだけじゃない。誰かに裏切られて傷付くのが怖いから何もしないだなんてのは、そんなの依存だわ」
「そうかな。そうなのかな」
夢の中でさえそんな積極的に行動しているんだとしたら、音菜は相当な気力の持ち主なんだろうな。
「そうよ、絶対そう」
「でも、音菜だって、絶対に裏切られたくない人って、いるんでしょう?」
誰かに好かれてるから誰かに嫌われてもいいだなんて、僕には思えない。できたら誰にも嫌われたくはない。
学校で集団生活のなんたるかは学習してきただからそんな風に誰にも嫌われずに世の中渡っていくなんてのは不可能なのだと心のどこかではわかっている。
だけど、でも、それでも、音菜のように割り切る事は難しいと思った。誰に嫌われてもかまわない、だなんて。少なくとも僕は、絶対に嫌われたくない人がいる。依存と、言われたって。
彼女にだって一人くらい、心の支えになっている人が、いそうなものだ。それが、過去の記憶に埋もれそうになっていたりしていたとしても。
「別にいないわよ、そんな人。私は一人でも、完璧だもの」
「そ、そうなの?」
完璧の定義がわからなかったけど質問する暇も無かった。ブザーが鳴る。
七時三十分。
朝食の時間か。
二人の宇宙服を来た人が白い荷台に僕達の食べ物を乗せて運んでくる。
「ま、なんでもいいけど」
手早くデザート二人分(カップに入ったプリン)を自分の手元に持ってくると音菜は、
「これからよろしくね」
当たり前のように持っていった上にウィンクでダメ押しされて、文句を言う事もできない。
僕と音菜との同棲生活(?)はこうして始まった。
そして。
同棲から一週間ほど経ったある日。
白い部屋で僕はつぶやいた。
「意味、あるんだろうか?」
夢は深層心理を映し出すという。僕が毎日見ている夢も、僕の心の内面なのか?
「こんな夢に意味なんてないし、気にする必要も無いわよ」
毎夜彼女の死を見ている僕に対して彼女はそう言う。
「『訓練』だって、その時だけ心を殺せば、なんてことないしね」
なんていうか、強いなと思った。
僕は大抵の場合彼女よりあとに起きていたから、知らなかったんだ。彼女が、苦しんでいただなんて。
朝起きたら、無言で体をタオルで拭かれていた事もあるくらいだったし(僕の寝汗を拭いてくれていた)。
他人の事を思いやる事ができるくらいなんだから、彼女は夢になんて全然心を苛まれていないんだって。そう、思っていたんだ。
気丈な彼女の姿は僕の弱さを苦悩を本当に大した事がないちっぽけな事に思わせた。
「気にしなくてもいいのかもしれない」
そんな考えさえ浮かんだ。あの日までは。
ある日の事。
いつものように夢から覚めると、音菜はまだ眠っていた。順番が逆だった。彼女が本当に眠っているのを見るのは初めてだった。
どんな夢を見ているのだろう。ひどくうなされている。時々、
「ごめんなさい、ごめなさい」
とブツブツとつぶやいている。
寝返りを打った音菜の腕が僕の腕に当たる。音菜は、ひどく汗をかいていた。つらそうな表情をしている。その時僕は思った。
音菜は思っていたよりずっと普通な女の子なのかもしれない。
目を覚ますと音菜はすがりつくようにして僕に言う。
「離れないで」
寝間着の上から腕を掴まれる。少し痛いくらいだった。
怯え。目の前にあるものなんでも、頼らずにはいられないといった表情。まるで世界の終りだ。
その表情があんまりにも綺麗で。
僕達はこの世界にいるべき存在じゃない気さえしてくる。
いっその事二人で死のうか?
などと言った方が刹那的な感じがして、格好いいのかもしれない。
夢。夢。
なんなんだ? 僕や音菜を苦しめるこの悪夢は、なんなんだ?
治療に関係あるのか? わからない。
問題なのはただの夢なのに、あまりにもリアリティがあり過ぎる事だ。
夢から覚めても、しばらくは夢と現実の区別がつかないくらい。
そしてあまりにも衝撃的な夢は、僕の心を確実に痛めつけている。
夢遊病者のように現実でも行動してしまっている時があるのが特に問題だった。例の、アイスクリームの時みたいに。
眠る事が怖い。
いっそずっと眠らないでいようとも思ったのだが、消灯後に散布されているガスのせいで、僕はいつも切断されたように意識を失ってしまう。
強制的に見せられる、逃れられない、夢。
恐ろしくて仕方が無かった。
音菜がこの夢が怖がっていなかったのですごい人だって素直にそう思った。
だけど今の音菜の様子を見ていると、それは多分見栄、虚構、虚飾、ハッタリ、そういった類のものだったんだろう。
ウソ吐きとは思わない。彼女(あるいはは彼女の無意識)が彼女なりに、自分の心が壊れないようにするにはどうしたらいいか考えた末の事なのだろうから。
そしてその事は僕にこうも思わせてしまう。
音菜でさえ自由になれないのなら。
結局もう。
……いや、僕は、もう、結局。
この地獄を受け入れていくしかないのかもしれない。
……治療の為とはいえ……。
……まあ、でも絶望だけではなかった。
「はい、あーん。おいしい?」
「うん、おいしい」
食事の時間にはこんな事をしていたわけだけども。
僕は好物である大根のおでんを味噌ダレを付けた上で音菜に箸で食べさせてもらっていた。
正直、恥かしい。
音菜が僕より後から目覚めた時、僕は寝起きの音菜のそばに寄り添っていてあげた。
あの時以来、なんか変なのだ。
時々、妙にこうやって僕に優しくしてくる。
まるで恋人みたいだ、と思ったが直接言うと「勘違いしないでくれる? このクズが」と言われるのが目に見えた(というか耳に聞こえたというか)ので、幻視も幻聴も無視して僕はただ控えめに、
「僕もお返しした方がいいのかな」
女の子に食事を食べさせるという経験を、僕も一度やって見たかったのである。
だけど、
「別に、私はいいのよ」
「どうして」
音菜は寂しく笑い、
「私はもうすぐ、壊れてしまうから」
無菌室に入るみたいにガスマスクと白いビニール製の服で全身を覆った人達が僕達の食器を片づけていく。
そして、
「あ、食後のコーヒーが出てきた」
音菜の言う通りだった。
僕はその宇宙服みたいなのを着ている人の一人に頼んで、氷を持ってきてもらう。
コーヒーに使う為だ。
本場アメリカではアイスコーヒーというものは極めて例外的存在である。
よって高級ホテルで「アイス」コーヒーと頼むと、ホットコーヒーと一緒に大量の氷が付いてくる。
そう聞いた事があったのだ。本当かどうか知らないけど。
僕は博識ぶって音菜にその知識をひけらかしたあとにホットコーヒーに氷を入れていった。
結論からいおう。
普通にぬるいコーヒーになった。
氷が全然足りなかったのだ。
宇宙服を着た人(男か女かもわからないけど人であるには違いないだろう)は僕の使用目的を理解してくれなかったのだろうか。残念だ。
追加の氷をもらおうとしたけど、もう氷がないとかで、断られる。どうすんだ、これ。
「あんまりおいしくない」
ずびびび、とそれをすすりながら顔をしかめる音菜。
「ごめん」
「格好つけるからよ。ま、この私の魅力に気圧されていつもと違う特別な日常を演出したくなっちゃう気持も、わからなくはないけど?」
うわあ、自信家だなあと若干引きながらも僕は自身の株の大暴落を避ける為に(別にどうでもいいんだけど女性からの評価が失墜するのは中学二年生的になんかやだったのだ)、
「で、でも本場アメリカでは……」
「コーヒーの本場ってアメリカなの? 本当にぃ?」
僕の薄っぺらい知識を引き剥がすようにその超電磁砲のような細眼であぶられる僕。
そうだ。確かにそうだ。
僕はアメリカがコーヒーの本場かどうかなんて確認した事はない。
コーヒーの本場は日本より進んでいる国に違いない→なんとなく日本より進んでる外国ってアメリカな気がする→アメリカはコーヒーの本場である、というよくわからない三段推量を自分の中でしただけなのだ。
「あ、いや、その」
アメリカではホットコーヒーに大量の氷が出てくる事があると聞いたのは本当だ。
だけどそれが日本の世間一般でいう普通よりちょっと上等で通な、知識人的な常識かどうかというのは、わからない。
つまりありていにいって、ホットコーヒーに大量の氷を入れる事で格好をつけれているのかどうか、わからない。
まずいぞ、これはまずった。
コーヒーもまずいだろうが僕の株的にも相当まずい。
無闇にリスクだけしょった恰好で、しかも失敗している。
僕のやった事はホットコーヒーに少しの氷を入れてぬるま湯コーヒーにしただけだ。
飲んだら間違いなく顔をしかめるレベル。というか、実際音菜は一口飲んで眉間にしわを寄せたわけだし。
これでは音菜の僕に対する評価はだだ下がりをまぬがれまい。
「ま、いいけど」
だけど音菜は笑顔で、
「私を喜ばせようとしてくれたあんたのその気持には、感謝しといてあげるわ」
そうして音菜は自分のコップに入ったぬるま湯コーヒーを全部飲んでみせた。
「ありがと」
コン、と床に陶製のコップを置く音菜。
どうでもいいがここにはテーブルもない。
「すごいな。よく飲めるね」
「何言ってんのよ。責任もってあんたも自分の分は飲みなさいよ?」
そのあと僕も自分のコップに残されていたぬるいコーヒーを全部呑まされる事になった。
「どうせなら飲んでくれてもいいのに」
飲み終わったあとに僕が冗談めかしていうと、飛び蹴りが飛んできた。
二重表現になるくらいに飛んできた。
プロレスでロープで反動をつけて飛んできたくらいの勢いだった。僕は壁際に逃げる。
「文句言わずに自分の分飲んでやっただけで感謝しなさいっての!」
さっき感謝して良い人ぶってたのに、今度は善意の押し売りを始めた。でも。まあ。
「ちょ、まっ、ギブギブ!」(どうでもいいがギブアップの以下略)
なんとなく楽しかったから、いいや。
それから音菜の拳が上下左右に綺麗に打ち分けられガードが空いた所に蹴りまで入れられたわけだけど、うふふ、あはははは。
「あんた、なんで笑ってるのよ?」
「さあ、なんでだろう。わからない!」
今僕は、一人じゃない。
白い部屋から出る目途も悪夢から解放される目途もまったくついていなかった。だけど、音菜が現実にいれくてるだけで僕の、気持は断然楽になるのだった。
子供の時に自分の死体を家族の為に自分で壁に埋めて隠すって夢を見た。
あれは本当に嫌な夢だったなあ。
そのあとみんなが笑ってた。
人の笑顔って悪意のある顔より怖いと思う。
歪んでるって事に気付いてないわけだから。
世の中にはびこる偽善の方がそこらのチンピラなんかよりよっぽどタチが悪いのではないかとか思う今日このごろ……。




