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真夜中のただなか  作者: 藍沢紗夜


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二十二歳 2022/7/13

 今月5日、私は22回目の誕生日を迎えた。曲がりなりにも穏やかで、幸福で、満たされた日になったことに、少し驚いている。

 近年、誕生日というのは、もちろん祝ってもらえるのは嬉しかったけれど、同時に心苦しい日でもあった。学校に行けなくなった18歳のときから、自分の中では時が止まってしまっていて、ただ歳を重ねていくことに不安があったのだ。


 私ははじめ、高校を卒業する3月には死のう、と思っていた。おかしい話、その頃はむしろ、それをモチベーションにして生きていた。しかし、今思えばありがたいことではあるが、実際に3月になってみれば、とても本気で死のうと思うほどの気力も体力もなく、治療を受けて鬱の症状が少し和らいで、どうにか生きてはいられる状態にはなっていた。


 だからだろうか、死に損ねた、という感覚が、長い間身体の中に残っていたように思う。どうせなら、死ねる時に死んでおけばよかった、と何度も考えた。

 中途半端に死ぬのが怖くて、生きるのも辛くて、身体は動かなくて、精神は不安定で、未来のことを考えるのが恐ろしかった。周りは進学したり、就職したりして、前に進んでいるのに、私だけ置いてけぼりで、何処にも行けない心地がした。


 そんな状態だったものだから、誕生日は苦痛だった。将来像が何も見えない、進むための努力すらできない、いわゆるお先真っ暗な毎日で、ただ日々を繰り返すだけで、でも着実に時間は過ぎるし歳をとっていく。

 恐ろしくてかなわないその事実を、誕生日を迎えると、残酷に突き付けられたのだ。特に、20歳になってしまったときの絶望感は、それは大きなものだった。もう成人だというのに、どうしてまだ、先に進めないのだろう、と不甲斐ない気持ちになったし、10代の頃とはもう違う、大人になってしまったのだということ自体に、責任や重圧を感じて、押し潰されてしまいそうだった。


 去年の21歳の誕生日の前に、私はようやく大学受験を諦めて、入試のない通信制大学に進学することを考え始めた。それでようやく、試験勉強がいつ始められるのか、などの不安から解放されて、誕生日は比較的穏やかに迎えられた。

 それでも、将来への懸念が消えたわけではなく、この選択で本当にいいのか、などと悩み、夜になるとなんだかもやもやして、あまり幸せな一日とはならなかった。


 だから、22歳になって、一切の曇りなく「おめでとう」の言葉を受け止めて、喜べたことにびっくりしたし、それ自体が嬉しかった。

 まだ、この道の先は見えないけれど、グラフィックデザインを学ぶことに決めたことに関して、これが一番いいのかも、と思えているし、今やるべきことを少しずつでもやれている自分を誇りに思える。

 これから先は、あの頃止まってしまった時間を、ゆっくり動かしていく。また、進んでいける。決意のように、そう信じることのできた日だった。

2022/7/13にnoteにて公開したエッセイです。

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