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真夜中のただなか  作者: 藍沢紗夜


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生きてるだけで 2022/6/3

 生きてるだけで褒められていい、って思う。ただそれだけのことがどれほど大変なのか、私はよく知っている。


 鬱の症状がひどい時、私は生命維持を放棄したくなった。寝床から起き上がるのも、母の用意してくれた食事を冷蔵庫から取り出すのも、咀嚼するのも。風呂に入るのも洗顔も歯磨きも、何もかもが面倒で、どうでもよかった。そもそも、それができる体力のない日も多かった。

 逆にいえば、人が毎日やって当たり前とされていることには、それだけ気力と体力が必要なのだ。私に言わせれば、生命を維持できている人は、それだけですでに頑張っている。現に、エネルギーを使っているのだから。


 それだけで生きていけたらいいけれど、社会生活を送る上では、それだけでは生きていけない。毎日の食事に辿り着くまでにも必要なプロセスがあるし、適度に動かなければ、日常生活に必要な筋力さえも落ちる。収入がなければお金はなくなるし、社会の一員である以上はさまざまなしがらみがある。


 生きるって、すごく大変なことだと思う。ただ生きているだけなのに、あれもこれもと義務が生じて、定められていないことも求められて。人間の生活は、エネルギー消費が激しい。


 だから、生きてるだけで褒められていい。何も特別なことをしていなくとも、毎日生きるだけが精一杯なら、生きてるだけでいいじゃないか。


 何もできない自分は誰にも必要とされていない、それどころか私が生きていることそのものが、周りにとっては迷惑で、だから消えた方がいいのだと、本気で思っていた時期が、私にもあった。いや、今でもたまにそう考えてしまうことがある。

 でも、そもそも私は、誰のために生きているのだろう? 周りの人のため? 誰かのために生きなければならないという考え自体、違うんじゃないか、と今の私は思う。


 誰かのために生きていけるなら、それはもちろん美しい人生だろう。でも、みんながみんな、誰かのためだけに生きているようには、私には見えない。心身ともに健康に生きている人たちは、自分のことも顧みることができる人のように思える。

 もっと、我儘になっていい。ずっと周りを気にして、誰かのためにと思いながら生きてきたから、生きることが辛くなってしまったのではないか。それなら、もう解放されたっていいだろ、と思う。


 他人を優先する前にまず自分を大切にすること、その第一歩が、生きているだけで褒められていい、のスタンスなのだ。誰かに後ろ指さされようが、だって私には、生きてること自体が、努力の成果なんだ。出来たことのひとつひとつ、どんなに小さなことでも、ちゃんと出来たんだって認めていい。


 そうやっていつか、生きてることが当たり前になれたらいい。そんな日のために、私は毎日、生きているのだ。

2022/6/3にnoteにて公開したエッセイです。

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