後編
啓介が社史編纂室に送られてから、2ヶ月。
「……できたぁ!」
叫んでいた。
ようやく社史が完成した。
株式会社オケイコ初代社長が文具の神に啓示を受けてから、ヒロイン恵子と出会い、さまざまな敵や障害と戦っていく物語だ。ファンタジーながらも、話のベースは全て社史に基づいている。
「よくやったよ、若井君」
隣では次郎もうなずいている。
次郎もイラストや資料調べでずいぶん尽力した。
時には次の展開が浮かばず、難産に陥ることもあったが、励まし合い、なんとか完成に至った。
「じゃあさっそく報告しようじゃないか。もしかしたら社内報にでも載せてもらえるかもしれない」
一応は社史なのだし、社内で「我々でこういうものを作ったよ」と発表するのが妥当だろう。
だが、啓介は――
「それじゃつまらなくないですか?」
こんなことを言った。次郎はきょとんとしてしまう。
「だって……こんなに頑張ったんですよ? 沢山資料を調べて、商品知識もつけて、さっさと帰ってもいいのに残業までして……。それに、はぐれ者の俺らが作ったものなんか、他の社員が相手にしますかね?」
「それはそうだが……どうするつもりだい?」
「今ってネット上で小説とかを発表できるサイトがあるんですよ」
「まさか……」
「そのまさかです。そういうところで発表しちゃいましょうよ!」
顔を引きつらせる次郎。
「そりゃあまずいんじゃないのかな……」
「なんでです?」
「なんていうか、社内情報の漏洩にならないだろうか」
「俺らが書いたことに社外秘の情報なんてありますか? バレちゃいけないことなんて一つも書いてませんよ」
「まあねえ……。だが、勝手にというわけには……」
「そりゃそうですね。だから許可取ってきます!」
「誰に?」
「この部署の責任者は尾山さんだから尾山さんに……と言いたいところですけど、とりあえず俺の元上司にしておきます」
そう言うと、啓介は席を立った。
***
2ヶ月ぶりにかつて所属していた営業部に足を踏み入れる啓介。
といっても別に会うのは2ヶ月ぶりではない。同じビルにいるのだから、彼らと顔を合わせることはしょっちゅうあった。
そのたびに彼らは啓介を蔑むような目で見つめた。啓介はそういう視線を気にするタイプではないし、実際落ちこぼれている自覚はあるので、平然としたものだが。
「お久しぶりです、課長」
「若井か。なんの用だ」
課長は眼鏡をかけている。レンズの奥の目つきは露骨に啓介を煙たがっている。隠そうともしていない。
「社史編纂室送りになって、あれから社史編纂を頑張ったんですけど」
「そうか」
まるで心がこもっていない。
「せっかく出来上がったんで、見てもらおうかなと思って」
「そんな暇あるか。お前はもう違う部署だし、私は忙しいんだ」
「そう言うと思ってました。だから出来上がった社史をウェブ上で公開してもいいですか?」
「好きにしろ」
「いいんですか?」
「かまわん! 今忙しいからお前にかまってる暇はないんだよ! 勝手にやれ!」
手の甲で追い払う仕草をする。
「分かりました。失礼します」
頭を下げ、退室する啓介。この時彼がポケットに手を入れたことに、課長が気づくはずもなかった。
***
「OKでした!」
啓介の言葉に驚く次郎。
「許可が下りたのかい」
「ええ、まあ。勝手にやれって言ってました」
元上司から啓介がどんな扱いをされたのか、次郎もなんとなく察する。
「勝手にやれって言ったんだから仕方ないよね」
「ええ、仕方ないです!」
ニヤリと笑う啓介と次郎。
二人が作った社史はネットの海に放流されることになる……。
***
創作物を発表できるさまざまなサイトに投稿したが、最初のうちは反応は芳しくなかった。フィクションだらけの世界に、社史を元にした冒険話などという異物を投入しているのだ。拒絶されて当然といえよう。
だが、投稿し続けてるうちに――
「これ結構面白くね?」
「社史をベースに冒険小説って、どういう発想だよ」
「消しゴムで敵を倒すとかwww」
少しずつ話題になっていった。
「社長かっけえ!」
「恵子ちゃんは俺の嫁」
「ちょっと絵が古いけどいいイラストだな。流行りを取り入れれば伸びそう」
次郎のイラストもそれを後押しする。
ネットというのは一度火がつくと、燃え広がるのも早い。
「俺らの社史、バズってますよ!」
「バズ……? パズル?」
「話題になるとか、流行るとかって意味です!」
「本当かい!」
日々ストーリーを投稿していく。場合によってはエピソードを追加したり、直したりする。
次郎も積極的にイラストを描いていく。
せっかく汽車が走り出したのだから、石炭を絶やしてはならない。
株式会社オケイコの社史は、ネットの中で密かに、そして着実にその存在感を増していった。
***
しばらく経ったある日、啓介の元上司である課長に、部下から報告が届く。
「あのー、さっき変な電話がありまして」
「変な電話?」
「オケイコの社史ストーリーを作ってる人とお話ししたい……とかなんとか」
「はぁ?」
すると、他の課員たちも口々に同じようなことを言う。
「こっちにも来ました!」
「取材したいとかなんとか……」
「あの社史は社員が作ってるのかって問い合わせが……」
社史、社史、社史……。
課長はようやく思い当たった。
社史といえば、あいつしかいないじゃないか!
***
「若井ィッ!!!」
いつも静かな社史編纂室に似つかわしくない怒鳴り声。
張り倒すようにドアを開き、課長が乗り込んできた。
「あ、どうも」
いつもの調子で応じる啓介。
「お前、社史をあれこれいじったストーリーを書いて、ネットに投稿してるらしいな!」
「ええ、まあ」
「これがなかなか好評で」と付け加える次郎の言葉が、さらに逆鱗に触れる。
「なに勝手なことしてるんだ!」
「勝手? ちゃんと許可も取りましたけど」
「なんだと!?」
「ほら」
啓介はポケットからスマホを取り出した。画面のあるアイコンをタップすると――
『社史をウェブ上で公開してもいいですか?』
『勝手にやれ!』
あの時のやり取りが録音されていた。
「許可してくれたじゃないですか。勝手にやれって」
「こ、こんなの……無効、無効だ!」
すると、次郎が席を立つ。
「無効? しっかり録音されてるじゃないですか。誰が聞いてもあなたと若井君の声ですよ」
「む……!」
次郎の助け船にたじろく課長。啓介も少し驚く。
「それに、あなたが若井君の言葉をちゃんと聞いていれば、このことは防げたはずです。どうして彼の話をちゃんと聞かなかったんですか。あなたが彼のことをどうとも思っていない証拠でしょう。仮にも会社の管理職として、それでいいのですか」
直属の部下だった啓介をあしらった課長に、次郎は本気で怒っていた。
啓介にも問題はあったかもしれないが、自分もちゃんと指導していたのかと。管理職として対応したのかと。
「う、ぐ……しかし! 社史をこんな風にネットに出してしまうのは大問題だ! こういうのはやるとしても広報とかが……!」
「広報部に社史を編纂し、かつストーリーを作るような暇などないはずですが」
次郎の意外な一面だった。平社員の彼が、目上に食ってかかっている。自分の仲間を軽々しく扱われたことに憤っている。
「ぐ……と、とにかくだ! こんなことが許されると思うな! 多方面に迷惑がかかってるんだからな!」
課長が啓介と次郎に指を突きつける。
「ちょっといいかな」
課長の後ろから声がした。
いたのは、課長より遥かに貫禄のあるスーツ姿の男だった。
「せ、専務……!?」
課長と次郎は同時に驚くが、啓介はピンときていない。
「君たちかね、社史をアレンジしてネット上に流したのは」
すかさず課長が追従する。
「そうなんです! こいつらが勝手なことを……!」
「素晴らしいじゃないか!」と専務。
課長はもちろん、啓介と次郎も驚いてしまう。
「おかげでネット上で我が社のブームみたいなものが起こってるそうじゃないか。現に商品の売り上げも伸びている。それに私自身読んでみたが、なかなか面白かったよ。社の歴史をうまく物語にしてる」
思わず頭を下げてしまう啓介と次郎。課長は困惑している。
「それで……社長にも相談したんだが、社史プロジェクトというのを立ち上げることになりそうなんだ」
「社史プロジェクト……!?」
「君らの書いた物語を本格的にビジネス展開するんだよ。例えば本にしたり、という具合にね」
なにやらとんでもないことになってきた。啓介たちの思う以上に事態は進んでいた。
こうなると課長は面白くない。ダメ社員だった啓介がそんな手柄を立てるなど、あってはならないからだ。
「お言葉ですが専務、初代社長のご一族がなんというか……」
「もう了承は得ているよ。オーケーだそうだ」
もう課長には何も言えない。
「社史編纂室が機能してなかったことは、私も心苦しく思っていたんだ。この際、派手にプロジェクトを立ち上げ、我が社の社史を世に広めようじゃないか!」
専務の言う通り、なにも社史編纂室は最初から閑職だったわけではない。大昔にはきちんと機能していた。
しかし、いつしかその業務の必要性は薄れ、使えない社員の隔離施設のようになってしまった。
「どうなるかは分からん。だが、ネットの勢いというのが侮れないことは我々経営陣も知っている。どうだ、やってみないか」
啓介と次郎は声を合わせた。
「やりますっ!」
詳しいことはいずれ通達するということで、去っていく専務。
啓介と次郎はお荷物社員から、一気に社の一大プロジェクトを担う立場となってしまった。
課長は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「課長、一言言っておきたいんですけど」
「なんだ……」
イヤミでも言うつもりかと、荒んだ目つきをする課長。
「すみませんでした」
「え?」
出てきたのは、意外にも謝罪の言葉。
「俺……営業にいる時はずっとダメ社員で、ここに送られるのも当然な奴だったと思います。だけど、ここで尾山さんと出会えたことで少しは変われました」
「……」
「だから……すみませんでした。俺ここで頑張って、いつか、課長に『あいつもやるようになった』なんて言わせてみせます」
課長はほんの一瞬ではあるが穏やかな顔を見せると、すぐに部屋の外に振り返る。
「言わせてみせろ」
そういって、部屋を出て行った。
次郎はにっこりと笑った。
「よく言ったよ」
「いやぁ、どうも……。だけど、ホントはプロジェクト大成功させてあんたを悔しがらせてやる、ぐらい言いたかったですね」
「本音を隠せるようになるのも、また成長だよ」
笑い合う二人だった。
***
その後、社史プロジェクトは見事に軌道に乗った。
彼らの考えたストーリーは、プロの添削を受けたり、キャラクターはイラストレーターによって今風に仕上げられたりしたが、啓介も次郎も不服はなかった。
直されるたび、プロは違うなぁ……と感心する。
ますます人気が出て、本が出版され、グッズまで販売され……ついに、アニメ化が決まったのである。
ある平日の夜、啓介のアパートで社史編纂室の二人はその時を待った。
ドキドキしながらテレビを見守る。
「もうすぐ始まりますよ」
「うん……」
CMが終わり、画面が切り替わる。
『これは文具メーカー・株式会社オケイコ初代社長が、文房具の道に目覚め、会社を作り、盛り立てる物語である!』
ベテラン声優のやたら厳かなナレーションとともに、オープニング曲が流れる。
「始まったよ、若井君!」
「いやー、感激ですねえ!」
アニメに関してはもはや彼らの手を離れてるので、スタッフロールに二人の名前が……などということはなかったが、やはり嬉しかった。
アニメ第1話の出来は良かった。作った側の人間という贔屓目もあろうが、あっという間の30分だった。
「面白かったよ。私のような世代でも楽しめたねえ」
「ええ、俺たちの作った話がさらにアレンジされてました!」
二人はアニメのヒットを確信し、缶ビールで乾杯した。
***
しばらくして、社史編纂室は10人もの所帯となった。
今や社史展開は多方面に広がり、とても啓介と次郎だけでは業務が追いつかなくなったのだ。
次郎が提案する。
「ウチの会社の年表が書かれたお菓子はどうだろう? 子供でも楽しく社史を学べる!」
呆れる啓介。
「年表が書いてあってもすぐ食べちゃうんじゃ意味ない気がしますけど……」
「ダメかぁ……」
やはり次郎の企画は酷いものであった。
「だけど、社史に出てくるキャラとお菓子メーカーのコラボっていうのはいいかもしれませんね! ウエハースにして、おまけにシールを……」
「それいいね、若井君!」
オケイコ社史ブームは、編纂室の尽力もあり、一過性で終わることはなかった。
ある夜、仕事を終えた二人。
「今日も忙しかったね」
「ええ、今度はミュージカル化まで決まっちゃって……夢みたいですよ」
神妙な面持ちで次郎が言う。
「若井君」
「はい?」
「私はたまにふと思うんだ。今は充実してるけど、もしかすると気楽にやりたかった君の邪魔をしてしまったのではないかと」
少し考えてから啓介は言った。
「さすが尾山さん。俺もたまに思うんですよ。あのまま気楽にやってた方が楽だったかもって」
だけど、と付け足す。
「大変ですけど……今の方がやっぱり楽しいです! 俺、ガチで社史編纂してよかったです!」
「それなら何よりだ」
「尾山さん、明日もはりきって社史編纂しましょう!」
「ああ!」
社史編纂室の忙しい日々は明日からも続く――
完
完結となります。
お読み下さりありがとうございました。