レクトは自信満々
レクトがリリアへの補習を行った翌日の早朝。
低血圧ゆえに朝に弱いレクトは、眠そうな顔をしながら職員室の扉を開ける。いそいそと自分の机に鞄を置くや否や、隣にいたジーナが血相を変えながらレクトに詰め寄ってきた。
「ちょっとレクトさん!!一体何やってるんですか!?」
ジーナが怒鳴るような大声を出したので、周りにいた他の教師たちも思わず作業をしていた手を止めてジーナの方を見た。しかし肝心のレクトだけはまだ眠気の抜けない顔で気怠そうにしている。
「何だよ、朝っぱらから大声で。つーか何の話だ?」
レクト自身、彼女に怒鳴られるような心当たりがまるで無かった。もっとも、その疑問に関してはすぐに解決することにはなるのだが。
「クラウディア校長から聞きましたよ!リリアちゃんをキングキマイラと戦わせたんですって!?」
ジーナの質問の内容に含まれていたキングキマイラという化け物の名を聞き、周りにいた教師たちは皆、驚愕の表情を浮かべた。それを聞いたレクトは納得した様子であー、はいはい、といった軽い返事をする。
「うん、そう。結果は惨敗だったけどな」
レクトはありのままの結果を報告しただけのつもりであったが、それを聞いたジーナは更にヒートアップしてしまう。
「当たり前じゃないですか!というか何やってるんですか!?リリアちゃん、死んじゃってたかもしれないんですよ!?」
「それはない。俺がついてたからな」
レクトは相変わらず、自分の強さには絶対の自信を持っているようだ。彼の強さについてはジーナも多少なりわかっているつもりだが、問題点は他にもあった。
「そもそもレクトさん、リリアちゃんを危ない目に合わせるのは色々とまずいんですよ!」
「あ?なんでだよ?」
リリアを危険な目に遭わせてはならないというその事実を聞き、レクトは眉を吊り上げた。
「知らないでしょうからお伝えしておきますけど、リリアちゃんのお父さんはフォルティス王国の前騎士団長で、今は貴族院議員を…」
「知ってる。顔馴染みだ」
ジーナの話を遮るように、レクトは答えた。リリアの父親が王国の権力者であるという事実をレクトが知っていたことにジーナは意外そうな顔をするが、レクトは気にせず話を続ける。
「大体よ、戦士の養成学校に通っておきながら危ない目に遭わせたら駄目って発想自体がおかしいだろ。危険を犯さずに英雄になった人間なんざいるわけねえだろうが」
「そ、それは…!」
的を射たレクトの意見に、ジーナは言葉に詰まってしまった。しかしレクトは彼女の返事を待つ事なく、更に話を続ける。
「そもそもよぉ、この件については俺は事前に校長に言ってから連れ出したんだからな?無断で行動なんてしてねえぞ」
レクトの言う通り、確かにクラウディアには許可は取っていた。だがこれに関しては、ジーナの方もある部分に大きな不満を抱いていた。
「私に無断じゃないですか!」
確かに、言われてみればそうだ。校長であるクラウディアには事前に話しておいたのだが、逆に言えばこの件については彼女以外の誰にも伝えていなかった。常識的に考えれば、せめて副担任であるジーナには伝えておくのが当然だろう。
「あー、悪かったって。次からはきちんと伝えてから動くよ」
「お願いしますよ、本当に!」
とりあえずはジーナに釘を刺されたところで、今度はレクトの方から話を切り出す。
「で、今日の授業なんだけどよ。何すればいいんだ?」
昨日は赴任初日ということもあり実戦訓練だけしか行わなかったレクトだが、教師という立場上は教室で座学も行わなければならない。
レクトに尋ねられたジーナは自分の机に置いてあったファイルをパラパラとめくり、今日の授業の内容を確認する。
「えっと、最初の授業は戦術概論ですね。今日の内容は武器防具に使われている金属素材の話になります」
「オッケー、わかった」
レクトは軽く返事をすると、さっさとS組の教室へ向かう準備を始める。だがそれを見たジーナは顔を引きつらせ、再び大声になった。
「だからレクトさんってば!引き継ぎとか打ち合わせはしなくていいんですか!?」
授業だって教師にしてみれば立派な仕事だ。普通に考えれば引き継ぎや打ち合わせを行うのはごく当たり前のことなのだが、レクトはそんなもの必要ないと言わんばかりに面倒くさそうな顔をしている。
「要するにさ、鉄や銀の性質について話してやればいいんだろ?」
「それはそうですけど…!」
レクトは自信有り気な様子だが、ジーナはどうしても不安が拭えなかった。それもそのはず、戦士としては王国で一番強いであろうレクトも、教師としてはズブの素人である事には間違いないのだ。
ジーナが余りにも煮えきらないようなので、レクトは1つの提案をしてこの場は妥協してもらうことにした。
「それならさ、副担任なんだしとりあえず今日は横で見ていてくんない?駄目なところとか直した方がいいところがあったら、後でまた聞くからさ」
「…わかりましたよ」
ジーナも渋々ながら了承し、2人は生徒たちの待つ教室へと向かうことにした。
レクトがS組の教室の扉を開けると、まだホームルーム開始の時間になっていないにも関わらず生徒たちは皆、既に着席していた。レクトに続き、ジーナも教室へと入る。
「おう、揃ってんな。小娘ども」
普通の教師なら、まずは「おはよう」の筈である。挨拶の時点で既に色々とおかしいが、昨日1日だけでレクトがどういう人物かはある程度理解できていたので今更誰もそれについては言及しなかった。
全員が全員、完全にレクトの事を信用したという訳ではないだろうが、とりあえず逆らったらとんでもない目に遭いそうだという予感はあるようだ。特に昨日補習で散々な目に遭ったリリアは、昨日とは打って変わって反抗の色をまるで見せない。
「レクト先生、どうして今日はジーナ先生も一緒なんですか?」
担任であるレクトだけでなくジーナも一緒にいる事について、アイリスが質問した。おそらく、その事については他にも気になっていた生徒はいるだろう。
「あぁ、彼女には副担任になってもらう事になった」
「改めてよろしくね、みんな」
ジーナは皆に向かって挨拶をするが、S組メンバーの反応は冷めていた。拍手はおろか、返事をする者すらいない。その様子を見て、レクトは改めてS組メンバーには教師を見下している面があるのだという事を理解した。
しかし、見下される云々は別としてまだ完全には信用されていないのはレクトだって同じだ。とにかく行動しなければ始まらない。ホームルームもほどほどにして、さっさと授業に移る事にした。
「今日はこのまま授業に入ろうと思ってるが、彼女には授業の様子を見学してもらう事になってる。つってもただ横で突っ立って見てるだけだから、特に気にすんじゃねえぞ」
レクトの乱雑な物言いに、もう少しまともな言い方はないのだろうかと突っ込みたくもなるが、生徒たちにとってはそれよりも気になることがあった。
「どうしてわざわざ見学する必要があるんですか?教師歴はジーナ先生の方が長い筈なのに」
皆が気になっているであろう内容を、エレナが率先して質問した。だがレクトが答えるよりも先に、ルーチェが若干皮肉混じりの口調で指摘する。
「さしずめ、いくら英雄といえども教壇に立ったことのない素人に授業を任せるのを不安に思っている、といったところでしょうか」
ルーチェの余りにもどストレートな意見に、ジーナは一瞬ドキッとしてしまう。
「ルーチェ、言い方ってものがあるでしょ」
フィーネが横から注意した。だが注意するだけで否定はしないということは、おそらくフィーネ自身も少なからず同じ考えを抱いているのだろう。
そして、ルーチェの意見を真っ先に肯定したのは他ならぬレクトであった。
「いや、間違っちゃいねえ。ルーチェの言う通り、俺は人に何かを教えた経験なんざ無えからな」
レクト自身もその事を当然理解していたのか、否定するどころか授業の経験が皆無である事を素直に吐露する。だが、レクトの表情には何一つ不安そうな要素はなく、むしろ自信満々といった様子だ。
「ま、俺の授業に不満があるかどうかは、受けた後でお前らが判断しろ」
そう言ってレクトは、黒板の隅に置かれていた白チョークを手に取った。
「…つまり、酸性の液体に対する耐性は鉄よりも銅、銅よりも更に金の方が強い」
授業開始から既に数十分が経過していた。学校で教鞭を執ったことなど皆無の筈なのだが、レクトは緊張した様子など全く見せず黒板にチョークで文字や記号を書きながら淡々と授業を行っている。
そんな中、エレナが手を挙げてレクトに質問した。
「先生、それなら防具を金で作れば大抵の酸の攻撃は防げるという事ですか?」
もちろん授業なので生徒から質問が飛んでくるのは当然の事である。レクトもそれにたじろぐような事は一切なく、的確な答えを返す。
「確かにそう思うかもしれないが、金は他の金属と比べて密度が大きく重い。ハンマーのように重さで勝負する武器ならまだしも、一般的な武器防具の素材には向いていないとされている。コストも馬鹿にならないしな」
「なるほど、わかりました」
レクトの説明に、エレナは納得したような様子だ。しかし今の説明の中で新たに疑問点が浮上したのか、今度はアイリスが手を挙げた。
「でも先生、貴族や王族の方々は金でできた宝剣を所有している事がありますよね?式典で見たことありますけど」
金属の酸に対する耐性の話から少し脱線しているような気もするが、レクトはそんな事などお構いなしに質問に答える。
「あれは大半の場合、純金じゃない。大抵はメッキか、金と他の金属を混ぜた合金だ。それと剣に限らず、金の装飾品なんかにも銀が混ぜられていることは多いぞ。王冠とかな」
「へえ、そうだったんですね」
軽い雑学を交えたレクトの説明に、アイリスは納得と感心の表情を浮かべている。
その知識量もさることながら、不意の質問にも一切動じることのないレクトの態度に、横にいたジーナは驚いたように眺めていた。
「そもそもあれは上流階級の人間が見栄え重視で作らせた観賞用だからな。あんな剣を戦場に持ち込んだとしたら、それこそ周りから世間知らずの坊っちゃんと罵倒されるぞ」
やはり戦士の養成学校であるが故か、レクトは戦場での話で締めた。そうやって一通りの説明を終えると、タイミングよく授業の終了を知らせる鐘の音が響く。
「おっと、時間か。次は薬学だからな。各自、時間までにはキッチリ着席しとけよ?」
「「「はい」」」
皆が返事をしたところで、レクトは教科書を閉じる。黒板に書いた内容を消し、道具を一通り片付け終えると、レクトは横でずっと見ていたジーナに話しかけた。
「終わったぞ。職員室戻ろうぜ」
「あ、はい!」
少しボーッとしていたのか、ジーナは慌てて返事をした。さっさとS組の教室を後にするレクトに続き、ジーナも教室を出た。
職員室へ続く廊下を歩きながら、レクトは先程の授業についてジーナに尋ねる。
「大体あんな感じでいいんだろ?」
レクトは相変わらず自信たっぷりの様子で言ったが、ジーナは肯定するどころか逆に質問を投げかけてきた。
「レクトさん。学校で授業をするの、本当に初めてなんですか?」
「あん?なんでだよ?」
藪から棒に質問をされ、レクトは怪訝そうな顔をする。だがジーナがそんな疑問を抱くのも無理はなかった。
「だって今の授業、どう見ても手馴れた感があったんですけど…」
ジーナの目からすれば、昨日教師になったばかりのレクトが一切緊張せずに堂々と授業を行っていたのが不思議で仕方がなかった。事実、ジーナ自身も教師になりたての頃はガチガチに緊張していた事を今も鮮明に覚えていた。
元傭兵のレクトに授業の経験が無いのは事実だ。それでも彼が不安など全く見せずに授業を行うことができたのは、極めて単純な理由であった。
「授業なんざ、知識と語彙力と自信がありゃ何とかなんだろ」
ベテランの教師や教官が聞けば怒りそうなセリフだが、レクトが言うと不思議と説得力があった。
兎にも角にも、レクトは常に自信に満ち溢れている。側からは傲慢と呼ばれるほどに。ジーナはそれが少し羨ましくもあったので、思い切って聞いてみた。
「どうすればレクトさんみたいに、自分に自信が持てますか?」
「自信の持ちようなんて人それぞれだろうが、俺は“挑戦”するのが一番だと思ってる。一度困難な事を経験すれば、それに比べりゃ大した事ないって思えるからな」
レクトが明確な持論を持っているということに、ジーナは改めて感心したように聞き入っていた。
「ま、一番いいのは魔王を倒すことだな。1回魔王を倒せば、他の事なんて大抵難しくないって思えちまうからよ」
レクトが冗談めかして言うので、ジーナは思わず吹き出してしまった。レクトがこういったジョークを言うのはジーナにとっては意外だったので、負けじと冗談を返す。
「そうしたいのは山々ですが、それは無理ですよ。もう魔王はいないんですから」
「あぁそっか。俺らが倒しちまったんだっけ」
2人は笑いながら廊下を歩く。ジーナは本当の意味でのレクトの強さの理由を、少しだけではあるが理解できたようだった。