猫に変えられた英雄 ①
S組メンバー全員が、正に思考が追いつかないといった状態であった。
地面の上には普段からレクトが背負っている大剣が横たわっており、その上にはふてぶてしい顔をしたネコがどっしりと座っている。それを見て、導き出される答えは最早1つしかなかったからだ。
「せんせーがネコさんになっちゃった!!」
皆の言いたいことを代弁するように、仰天したニナが大声で叫んだ。当たり前といえば当たり前であるが、驚いているのはニナだけではない。それでも、メンバーの中では比較的冷静な方であったフィーネとルーチェは念の為に周囲を見回して先程から姿の見えないレクトを探す。
しかし、いくら辺りを探してもレクトの姿は見えなかった。
「あ、あの…レクト先生…ですよね?」
震える声で、アイリスは目の前のネコに質問する。普通であればネコに対してそんな質問をするなどどうかしているが、今はもうそれしか可能性が残っていないのだ。
「ニャー!」
できれば違っていてほしいというアイリスの願いも虚しく、質問に答えるようにネコは右手…もとい右前脚を挙げながら鳴いた。単純に偶然鳴いただけという可能性もゼロではないが、何故か目の前のネコの鳴き声には妙な説得力があった。
「やっぱりこのネコ、センセイなのか!」
「う、嘘でしょ!?」
目の前で起こっている信じ難い事実に、ベロニカとエレナが様々な感情が入り混じったような何とも言えない声を挙げる。
そんな中、その光景をただ黙って見ていただけのゲンエイが、驚きを隠せないS組メンバーを嘲笑うかのように急に甲高い声になった。
「ひーっひっひっひ!いいザマだな、四英雄レクト!!」
ゲンエイの台詞から察するに、やはりこのネコはレクト本人で間違いないようだ。そんなネコ状態のレクト…もとい猫レクトに見下すような視線を送りながら、ゲンエイは被っていたフードを脱ぐ。その下から現れたのは白髪混じりの初老女性という、割と想像通りの外見の人物であった。
というより、S組メンバーにとってはゲンエイの外見など今は至極どうでもいい。大事なのは彼女の正体と、その目的であるからだ。
「まさかあんた、教団の手先!?」
ゲンエイのことを睨みつけながら、リリアが問う。しかしその質問の内容が気に入らなかったのか、小さく舌打ちをしつつゲンエイは改めて自身の正体を明かす。
「手先だと?甘いな。我こそは焔神教団における最高司祭、カゲロウ様だ!」
ゲンエイ改めカゲロウは、高らかに自身の名を叫んだ。それを聞いたS組メンバーとサクラは更に驚きが大きくなる。
「ひっひっひ、私が教団の人間だと聞いて大層驚いているようだな。まあ私の演技にならば、騙されてしまうのも無理はないだろう」
カゲロウ本人からしてみれば、目の前の小娘たちが自分たちが騙されていたという事実にようやく気付いたことで驚いているのだろうと思うのは当然である。
だが次の瞬間、それまで驚愕していた小娘どもの表情が何ともいえない冷めたものに変わった。
「いや、何か裏があるとは思ってたわよ。単純に、下っ端じゃなくて最高司祭が直々に出向いてきたって事に驚いただけ」
「割と最初の方から怪しさ全開だったものね」
リリアとルーチェが容赦の無い指摘を飛ばす。自身では完璧だと思い込んでいた演技がバレバレだったという事実にカゲロウは少し眉をひそめるが、そんな事などおかまいなしに話を続けた。
「ふん。まあ私の演技がバレていようがいまいが、その程度の事などどうでもいい。私の目的はあくまでもレクト・マギステネルを無力なネコの姿に変えることだったのだからな!」
そう言って、カゲロウは未だに大剣の上に踏ん反り返ったままのネコを指差した。ネコの姿のレクト…もとい猫レクトはやや不機嫌そうな表情を浮かべつつも、冷めた目でカゲロウのことを見ている。
「あぁ、そうよ!さっきの光、『結界魔法』ね!?」
思い出したように、リリアがカゲロウを問い詰める。台詞から察するに、どうやらリリアはつい今し方レクトがネコの姿に変えられた魔法に心当たりがあるようだ。
「ひっひっひ、その通りだ。お前たちが必ずここに来るだろうと踏んで、あらかじめこの場所に結界魔法を展開しておいたのだよ。そうだろう?姫巫女サクラよ」
「くっ…!」
リリアの質問に対し、カゲロウは得意気に答えた。既にレクトをネコの姿に変えるという目的は達成できたからであろうか、自ら手の内をベラベラと喋っている。
一方でカゲロウから逆に問われたサクラは、思わず口を噤んでしまった。だがここで、空気の読めない少女が唐突に質問を投げかける。
「っていうかさー、ちょっと聞きたいんだけど。結界魔法って何?」
「あんたねえ…」
結果魔法という言葉に聞き覚えがないのか、ニナが素朴な疑問を口にした。こんな状況でもマイペースなニナを見て、リリアは呆れたように頭に手を当てている。
「結界魔法っていうのは、広範囲に効果を及ぼす魔法よ。あらかじめ周囲に結界を準備しておく必要があるけど、そのぶん強力で防ぐのが難しいの。さっきみたいに罠として使われることが多いわね」
レイピアを構えつつ、フィーネが冷静に解説した。そしてその説明を聞いたベロニカは、少し前に挙がった話題を思い出す。
「センセイとルーチェが言ってた魔法の気配っていうのは、これのことだったのか!」
寺に入った時からレクトとルーチェが僅かに感じていた魔法の気配が、あらかじめ展開されていた結界魔法のものだとしたら納得がいく。つまり、レクトたちはまんまと罠に嵌められたということになる。
「おそらく、あいつは相手をネコに変えてしまう変化の魔法を使ったのよ。先生ぐらいの相手であれば普通に使っても避けられて終わりだけど、広い結界の中だったら逃げられないもの」
フィーネの推論が正しければ、先程の結界魔法は全てレクトに対しての対策だったと言っても過言ではない。実際、カゲロウ自身もレクトを無力なネコに変えるのが目的と言っていたのでまず間違いないだろう。
だが、その推論に対してエレナがある事を言及した。
「でも、おかしくない?結界を使った魔法なら先生だけじゃなく、近くにいた私たちだって巻き込まれている筈よ!?」
先程も話題に挙がったように、結界魔法は範囲内の生物全てに効果を及ぼす魔法である。もしカゲロウが使ったのが本当に結界魔法だったのであれば、エレナの言うようにレクトだけでなく自分たちもネコの姿に変えられている筈だ。
しかも、おかしいのはそこだけではない。
「それだけじゃないわ。結界の中全てを魔法の範囲にしているのであれば、中にいたあいつだって同じように影響を受けてるはず!」
自分たちだけでなく、同じようにすぐ近くにいた筈のカゲロウもまた魔法の影響を一切受けていないという事に関して、リリアが言及した。ところがそれに関してはいまいち理解できなかったのか、ベロニカは腕を組みながら首を傾げている。
「でも、さっきの魔法はあいつの術なんだろ?だったら普通に考えて術師本人は影響を受けない筈なんじゃないのか?」
普通に考えれば、術を使った本人にはその影響が無いというのも別段おかしな話ではない。ベロニカとしては、そこの仕組みがよくわからないようだ。
だが、結界魔法は普通の魔法とは少し違っていた。その点について、クラスの中でも特に魔法に精通している方であるルーチェとフィーネが説明する。
「いいえ、関係ないわ。結界魔法は敵味方関係なく、範囲内の生物全てに効果を及ぼす術だから」
「それに、そもそも結界魔法っていうのは敵軍やモンスターの群れの通り道となる場所に仕掛けて、術師は巻き込まれないように離れた位置から起動するのが普通だしね」
「そ、そうなのか…」
2人の説明を聞いて、ベロニカは何となくではあるものの結界魔法の仕組みを理解できたようだ。
だが、それでも何故カゲロウが術の影響を受けなかったのかが未だに謎のままである。しかしここで、ルーチェが更に1つの仮説を立てた。
「もしかして、術の対象を指定してたんじゃないかしら」
「術の対象…ですか?」
ルーチェの仮説を聞いて、サクラがキョトンとする。その点について、ルーチェは皆にわかるように説明を始めた。
「熟練者であれば、結界魔法を使う際にあらかじめ術をかける相手を絞っておくこともできるの。例えば、結界の中にいる魔族にだけ効果を与える、とかね」
「なるほど、確かにそれなら…!」
ルーチェの意見にピンとくる部分があったのか、リリアは寺の敷地内を見渡す。先程はレクトの事で頭が一杯だったために気付かなかったが、よく見ると敷地内のあちこちで観光客が騒いでいるのが目に入った。
「パパ!?パパ!?」「あなた!?」
「ニャー!ニャニャー!?」
大きな像ある祠の前では、女性と小さな女の子が目の前にいる茶色いネコを見下ろして大騒ぎしていた。話の内容から察するにネコは元々女性の夫であり、レクトと同じように魔法でネコの姿に変えられてしまったに違いない。
「エドワード!?ディック!?2人とも一体どうしちゃったの!?
「どうしてネコの姿に!?」
「ニャー!ニャー!」「ニャニャー!」
一方、寺の入口に近いところでは旅人らしき若い女性2人が口元を押さえている。その足元では、先程の家族連れと同じように2匹のネコがニャーニャー叫んでいた。おそらく、男女4人のパーティーメンバーか何かだったのだろう。
その2組のグループを見て、リリアがはっとしたような顔つきになった。
「そうか、わかったわ!術の対象は“結界の中にいる全ての男性”ね!?」
リリアの見解を聞き、どうやら他のメンバーも気付いた様子だ。寺の敷地内のあちこちでネコに変えられた人がいるようだが、確かにいずれも皆男性のようである。
「確かに!あらかじめ術の対象を男性のみに指定していたのだとすれば、男性である先生だけがネコの姿に変えられて、わたしたちには何の影響も無かったことにも頷けます!」
「そっか!だからあいつ自身も何ともないんだな!」
話が見えてきたので、アイリスとベロニカの声が大きくなった。だがそれでも、術をかけた本人であるカゲロウは相変わらず余裕の態度を見せている。
「ふん、ようやく気付いたか小娘ども。いかにもその通りだ!男のみを対象にすれば、女である私は術の影響を受けないからな!」
自身の思惑通りになっているからだろうか、先程からカゲロウのテンションが非常に高い。
「でも、それだと封じられるのは先生だけよ。少なくとも、あなたはここにいる私たち全員を相手にできるのかしら?」
落ち着いた様子で、エレナが啖呵を切った。確かに単純な数だけで見れば非戦闘員であるサクラを除いてもS組は7人、対するカゲロウは1人だけだ。
しかし、カゲロウは全く動じていない。その理由はすぐにわかることとなった。
「ふん、そんな事は百も承知よ。お前たち、出番だ!」
カゲロウの声を合図にして、十数人の忍者が寺の塀を越えて現れる。忍者たちは素早い動きで瞬く間にS組メンバーとサクラを取り囲むと、それぞれが短刀や銃といった武器を取り出した。
「結界魔法に巻き込まれないよう、あらかじめテラの外に待機させてたのね…!」
冷や汗を流しながら、リリアが呟く。リリアの見立て通り、おそらく事前に結界魔法の範囲の外に忍者部隊を待機させておいたのだろう。
完全に形勢が逆転したことに気分を良くしたカゲロウは、高笑いをしながら猫レクトを指差した。
「その男さえ封じてしまえば、あとは単なる小娘どもの集まりに過ぎないからな。貴様らの相手など、配下の忍者部隊だけで充分だ!ひっひっひ、事前に魔法を準備していた甲斐があったというものよ」
「言ってくれるわね…!」
カゲロウに小馬鹿にされた事にエレナは少し腹を立てたが、それでも状況が悪いことに変わりはない。と、ここでサクラがあることに気付く。
「それならば、レンカイ様は!?あなたが教団の人間なのだとしたら、レンカイ様が病気というのも嘘なのですね!?」
自分の身が危険に晒されている状況であるにも関わらず、サクラはこの場にいないレンカイがどうなっているのかが心配なようだ。このあたりは彼女の性分なのだろう。
そんなサクラの質問に対し、カゲロウは薄ら笑いを浮かべながら答える。
「あぁ、あの男や他の僧侶たちなら薬で眠らせて本堂に閉じ込めてあるよ。まあ生かしておく理由も無いし、お前達を始末し終えたらついでに処分してしまおうかねえ」
「なんてことを!」
非道を平然と口にするカゲロウに対し、サクラはひどく憤っている。だがサクラがそんな事を言ったところで状況が変わる筈もなく、こちらも応戦しなければやられてしまうのはまず間違いない。
「とにかく、いくら先生が強いからってネコの姿じゃどうにもならないわ!私たちが何とかしないと!」
「おう、わかった!」
「りょーかーい!」
フィーネの指示を受け、ベロニカとニナは即座に武器に手を伸ばす。だが彼女たちが武器を手にするよりも速く、カゲロウが動いた。
「そうはさせるかぁ!」
カゲロウが再び両手をパンと叩くと、一瞬のうちにして青白い鉄格子のようなものがS組メンバーとサクラを覆った。唯一、彼女たちとほんの少しだけ離れた位置にいた猫レクトだけは閉じ込められることなく外にいるままであったが。
「何これ!?檻!?」
驚きと戸惑いが混じったような様子で、フィーネは自分たちの周りに現れた格子に触れる。どうやら本物の鉄格子ではなく、魔法で作られたもののようだ。
その魔法で作られた檻を見て、ルーチェが冷静に分析をする。
「相手を閉じ込めるタイプの魔法ね。練度の低いものなら力ずくで強引に突破できるけど、これは相当なものよ」
悔しそうな口調でルーチェが言った。先程の結界魔法といい、たった今作られた檻といい、カゲロウの術師としての腕前は相当なもののようである。
「お前たちを料理するのは後回しだ。今はその中で英雄レクトがなぶり殺しにされるのを黙って見ているがよい」
カゲロウの言葉を皮切りに、忍者たちが一斉に猫レクトを取り囲む。当然のことながらS組メンバーとしても助けたいのは山々だが、檻を壊せない以上はどうすることもできない。
「先生!逃げてください!」
「レクト様!」
「くっそ!こんなもの!」
S組メンバーとサクラは必死になって叫んだ。ベロニカとリリアの2人は何とか檻を壊そうと手で掴んで押したり引っ張ったりしているが、ルーチェの見立て通りカゲロウが作った檻はかなり頑丈なようで、その程度ではビクともしない。
「ニャー」
そんな中、逃げる様子もなくただ黙って自身の大剣の上に踏ん反り返っていた猫レクトが、ゆっくりと腰を上げた。




