魔法の気配
その後もさほど広くはない敷地内を少し歩いていると、一際大きな建物の前にたどり着いた。どうやらこの建物が寺の中心部らしい。
一行が建物や周囲の庭園を見渡していると、その大きな建物の中から1人の女性が現れた。
「ようこそ、姫巫女サクラ様。そして四英雄レクト・マギステネル殿」
女性は黒い着物を纏っており、年齢は50代といったところだろうか。頭にはフードのようなものを被っているので、目元から下だけがかろうじて見えている。
彼女は軽く頭を下げると、いそいそとサクラの方へと近寄っていく。
「あなたは…どちら様でいらっしゃいますか?」
突然見知らぬ人物に声をかけられたので、サクラは少し不安そうな様子で女性に尋ねる。当然、すぐ後ろにいるレクトはいつでも剣を抜ける状態であり、何が起こっても即座に対応は可能だ。
「この寺の責任者である僧正のレンカイ様より、あなた方の案内を仰せつかっております、ゲンエイと申します」
そう言ってゲンエイと名乗る女性は、再び頭を下げた。彼女の弁によればこの寺の責任者からの使いということだが、サクラはまだ安心した様子を見せていない。
「それで、レンカイ様はどちらにいらっしゃるのですか?先程からお姿が見えないのですが…」
口振りから察するに、サクラは先程から話に挙がっているレンカイとは面識があるようだ。責任者が案内のために使いを寄越したというのはわかるが、やはり狙われている身であるサクラとしては顔見知りである責任者本人とも会っておきたいのだろう。
そんなサクラの質問に、ゲンエイは何故か少し目を逸らしながら答える。
「あぁ、レンカイ様はちょうど熱を出して寝込んでしまっていましてね。その間は代わりに補佐役である私が観光客の方々の案内をしてまわっているんですよ」
つまるところ、病気で療養中の責任者に代わってサクラを出迎えたということだ。だが、それを聞いたサクラは大層驚いたような表情になった。
「えっ、そうなのですか!?2日前にお会いした時はとてもお元気な様子だったのに…」
サクラが驚くのも無理はなかった。実のところ、彼女自身はレクトたちがこのヤマトにやってくる前日、将軍の城でこの寺の責任者であるレンカイに会ったばかりであったのだ。
しかしそれを聞いたゲンエイは、少し慌てながらも誤解を解こうと説明をする。
「いやいや、ただの風邪ですからご心配なく。数日寝ていればじきに体調も良くなるでしょうから」
「そうでしたか、それなら安心です」
ただの風邪と聞いてホッとしたのか、ようやくサクラは緊張が解けたような顔を見せた。とりあえずは彼女が敵ではないとわかり、S組メンバーも少し安心したような表情になる。
ただ、レクトとルーチェの2人だけはゲンエイのことをいかにも胡散臭いといったような目で見ていたが。
「けれど、レンカイ様の元に女性の補佐役の方が付いていたなんて初めて知りました。これまでレンカイ様が城にいらっしゃった時は、いつも男性の僧侶の方をお供に連れておいででしたので…」
サクラは少し不思議そうな顔をしながら、ゲンエイに尋ねた。しかしゲンエイの方はまるで聞かれることがわかっていたかのように、やんわりとした口調ながらも即答する。
「確かにそうですね。もっとも、私が補佐役に就任したのもほんの数日前の事ですので、サクラ様がご存知ないのも無理はないでしょう」
「なるほど、そうだったのですね」
サクラは納得した様子で頷いた。一通りの話も済んだところで、ゲンエイは改めて本来の役目である寺の案内へと戻る。
「ささ、ではこちらへどうぞ。この寺は美しい庭園で有名ですからね。ご案内いたします」
そう言って先導するようにゲンエイは歩き出す。レクトたちも黙って付いていくが、ほんの少し歩いたところで唐突にレクトが口を開いた。
「おいバアさん、ちょっと聞きてえんだが」
「バアさ…!?っ、ゴホン!何でしょうか?」
レクトに年寄り呼ばわりされたことが気に入らなかったのであろうか。ゲンエイは大きな咳払いをすると、改めて彼に聞き返した。
一方のレクトはそんな彼女の態度を少し不信に思いつつも、話を続ける。
「この場所って、特殊な結界か何かが張られているのか?」
レクトは思ったことを率直に尋ねた。だが、それを聞いたゲンエイはビクッと体を震わせると勢いよくレクトの方を振り返る。
「え!?ど、どうしてそう思われるのです?」
ゲンエイは慌てた様子で、逆にレクトに聞き返した。そんな彼女の態度を見てレクトだけでなく他のS組メンバーたちも少し不審に思ったが、とりあえずレクトは質問の意図を述べる。
「微かだが、魔法のニオイがしてるんだよ。このテラの敷地に入った時からな」
どうやらレクトは、先程から僅かな魔法の気配を感じ取っていたようだ。ところがレクトの言っているニオイというものがいまいち理解できなかったからか、今度はレクトに対してアイリスから質問が挙がった。
「魔法って、匂いとかがするものなんですか?」
「例えだよ、例え。実際は魔法があるような感覚がするだけだ」
レクトの答えが何ともいえない曖昧なものであったからか、生徒たちは少しがっかりしたような表情を浮かべている。決してレクトの事を信用していないという訳ではないのだが、もし本当にできるのであればそういった魔法の気配を感じる術を教えて欲しいという気持ちがあったからだ。
だがそんな一般人にはわかりにくいような感覚であっても、メンバーの中には共感を覚えるものはいた。
「私も何となくですが、門をくぐったあたりからそんな気がしてました」
「ルーチェも?」
突然ルーチェがレクトの意見に同意したので、リリアが少し驚いたような声を出した。そしてそのルーチェの言葉を聞いたエレナは、あることを思い出す。
「さっきルーチェが門のところで立ち止まったのは、もしかしてそれに気付いたから?」
「うん、そう」
寺の門をくぐる時にルーチェが立ち止まったのは、レクトと同じように魔法の気配に気付いたからであったというのだ。クラスで一番魔法に優れているルーチェなら、そういった魔法の気配に敏感なのもある程度は頷ける。
「じ、実はそうなのですよ。この寺はヤマトでも特に神聖な場所でしてね、魔物を寄せ付けないように微弱な結界を展開しているのです」
若干しどろもどろになりながらも、ゲンエイは魔法の気配の正体について説明する。一応、理由としては別におかしいところはない。なのだが。
「ふーん、そうなのか」
レクトは納得したような声を出したが、目は思いっきり疑わしげなままである。そんなレクトの鋭い視線を背に受けながら、ゲンエイは庭園の中にある一際大きな木の前で足を止めた。
「では皆さん、この木の上の方を見ていただけますか?」
「上の方?」
急に木の上を見ろと言われ、フィーネが疑問に満ちた声を上げる。しかしゲンエイは答えずにニコニコしているだけだ。要するに自分の目で確かめろということなのだろう。
とりあえず、レクトたちは目の前にある大きいだけで何の変哲もない木を見上げる。
「何だよ?なにも無いぞ?」
「ただの大きな木よね?他にも同じような木が生えてるし、この木の何が特別なの?」
目を凝らして見ても、木自体には特に変わったところは見られない。その事についてベロニカとリリアが言及するが、ゲンエイは答えない。
だが次の瞬間、ゲンエイは彼女たちの質問に答える代わりに突然大きな声を出した。
「今だぁ!!」
叫び声と共に、ゲンエイはパンと両手を叩く。すると、周囲一体にビリビリという音と鋭い閃光が走った。
「くそっ、やっぱり罠だっか!?」
予想通りというべきか、罠が仕掛けられていたことに気付いたレクトは咄嗟に飛び退く。彼の経験上、こういう場合はとにかく少しでも距離を取るのが定石だからだ。
だが術の範囲は並大抵の広さではなかったようで、逃げる隙もなく術が発動してしまった。
「うわっ!眩しい!」
「くっ…このままじゃ全員…!」
周囲一帯が強烈な光に包まれ、思わずニナとリリアが声を上げる。しかも、範囲自体も尋常ではない。おそらくは直径数十メートルにも及ぶであろう広大な面積を、魔法によるものと思わしき光が包み込んだ。
「み、みんな…!」
フィーネのか細い声が響くと同時に、徐々に光が弱まっていく。どうやら術による光がようやくおさまってきたらしい。ようやく視界が鮮明になったところで、全員が状況を確認する。
「あ、あれ?なんともないぞ?」
一番にベロニカが素っ頓狂な声を上げた。というのも、確かに術による光を浴びた筈なのに、自分の全身を見ても特に何も起きていなかったからだ。
それは皆も同じようで、各々が確認するように自身や隣にいる人物の体を上から下まで見ている。
「もしかして、ハッタリか何かだったのかしら?」
少し気が抜けたような様子で、エレナが呟いた。これだけ広範囲の術を使って置いてそれが単なる目くらましだとすれば、ハッタリもいいところである。だとすれば、その間に何かされていても不思議ではないのだが。
「でも、魔法が発動したような感覚は確かにあったわ。私たちに影響が無くても、近くで何かしら起こっている筈…!」
周囲を警戒しながら、ルーチェが冷静に分析する。魔法と一口に言っても、人体に直接影響があるものもあれば、石や砂といった無機物に作用するものだってあるからだ。しかも自分たちのよく知らないヤマト流の術であれば、警戒するのは尚更である。
そしてルーチェの言うように、先程の罠による変化はしっかりと起こっていた。一体何があったのかと皆が周囲を見回す中、その大きな変化にいち早く気付いたのはアイリスであった。
「せ、先生…?」
恐る恐る、アイリスは声を絞る。そんなアイリスの視線の先にいたのは彼女たちのよく知るレクト・マギステネルその人ではなく、銀色の毛並みをした1匹のネコであった。




