第1章第10話 修学旅行当日9
「遥!!おい!!!遥!!!」
「ちょ・・・!!大和!!そんなにもはる君を揺すったらダメ!!」
「あ、明日香!!だけど!!」
大和の手を抑える明日香。
あまりにも必死に遥の意識を戻そうとするものだから、ぎゅ~っと力を込めて、その手を留めている。
大和の動揺の仕方はそれほどに凄まじいものであった。
もちろん明日香だって動揺はしていた。
遥が女になってしまったことももちろんそうだったが、最初に彼が倒れてしまった時同様、今回もまた突然意識を失ったのだから、動揺しないわけがない。
ただ、だからといって、この場にいるもう一人、大和がこんな風に落ち着きを欠いた行動、言動をしていれば、否が央にも自分は、自分だけは落ち着かなければならなくもなってくるわけで・・・。
「だけどじゃないでしょ!!そんな風に頭に振動を与えすぎちゃったら、はるくんしんどくなるでしょ!!」
「そ、そうか、ごめん、そこまで頭が回らなかった。」
大和は揺すっていた手を静かにそれでいて優しいものへと変える。
「それにしても・・・。」
大和はそう言葉を発するも、その続きがなかなか続かない様子。
何を言おうとしているのか、何を言いたいのかはおおよそ予想はついてはいた。
はるくんと大和の関係ほどではないとはいえ、自分と大和の関係も幼馴染と言っておかしくないほどに長く続いているのだから、おおよそ考えていることは同じなのだろう。
「大和。はるくんを・・・。」
「ああ、わかってる・・・。」
以心伝心しているように大和も言いたいことを察してくれたのだろう。
意識を失っている遥の体を抱き抱えると、先ほどまで寝かしつけていた場所に向かって歩き出していく。
「軽くなっちまったな。遥」
大和の表情は悲痛な様相を呈している。
少し前ならば、ちょっとくらいは顔を歪めていたと思われるのに、今となってはすんなりと持ち上げることのできた遥の体重に、少なからずの女性らしさを感じたのかもしれない。
(大和・・・・・。)
そんな大和の後ろをついていく明日香も先ほどよりも深刻な面持ちをしている。
(これからどうしたらいいんだろう・・・。)
「ま、待ってくれ・・・!!!いやだ!!!置いてかないで!!!」
唯の後ろ姿を必死に見ながら、その足を止めて欲しくて叫んでしまう。
唯は自分の声なんか耳に届いていないのか、はたまた聞こえているのに・・・。いや、それは考えない方がいい。
しかし、無情なことにその足は止まってはくれない。
それどころか、どんどんとその歩幅は早く、進むスピードも速くなっていく。
どんどんどんどんと自分と唯の間の距離が開かれていく。
「い、いやだ!!お願いだから、ちょっとでいいから待って!!“わたし”の事・・・。」
必死にそれはもう必死に叫び続ける。
こんなことは初めてで、どうしたらいいのか分からない。
唯はスポーツが得意というわけでも、足が特段早いというわけでもない。
平均的な女性の足の速さ、
いつもだったら、男の自分が追いつけないなんてことあり得ない。
それなのに・・・・。それなのに・・・・。!!!
「ゆ、唯ちゃん!?ど、どこ!?どこに行っちゃったの!?いや、本当に嫌・・・・。」
気が付くと、まだ間に距離のあったはずの唯の姿はどこにもなくなっていた。
暗闇の中に溶け行ったように、その後姿すらもう見えない。
「な、んで・・・。」
追いかけることを止めた。
いや、追いかけるのをやめざるを得なかったといった方が語弊はないだろう。
足が棒になってしまったようにそこから動けない。息もそんな長く追いかけてなんていないはずなのに途切れ途切れで・・・。
「どうして・・・。どうして私のこと置いていっちゃうの・・・。う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんんんんんんんんんんんん」
涙があふれて止まらない。
止めどない悲しみが心を無情に襲い、年甲斐もなく泣いてしまう、
ここには誰ももういないのか、この泣き声は誰の耳にも届くことはなく、それが一層の悲しみを掻き立てた。
こんな想いをするなら・・・。
「こんな想いをするならば、こんな気持ち消えてしまえばいいのに」
知らず知らずのうちに、そう口に出していた。
こんなにも悲しい想いをしてしまうんだったら、失うのだとしたら、要らなかった。
彼女と出会った時の気持ちも、付き合い始めて嬉しかった気持ちも、これまでに至るすべての彼女に対する気持ち、想いが全て無価値なものへと成り下がっていく。
「消えちゃえ・・・。消えちゃえ!!消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ!!私の中からいっそのこと、消えちゃえ・・・。」
そう言葉にする度にどんどんと心が楽に、軽くなっていく気がした。
暗闇の中に何かが溶けて消えていくようなそんな感覚と共に、言葉を続けていく。
出会った日のこと、付き合うことになった告白のこと、はじめてキスをしたこと、はじめて体を重ねたときの事、次々に彼女と紡いできたものを口に出した。
その度に心がすっきりとして・・・・・。
「・・・・・。あれ?私、何をしていたの・・・。」
気が付けば暗闇の中、自分が今までしていたことが分からなくなっていた
何を考えていたのかすらもう思い出せない。
まるで心の中からぽっかりとなにかを抜き取られてしまったようなそんな感覚・・・。
だけど・・・。
「多分、たいしたことじゃなかったんでしょ・・・。」
そんなすっぱりと忘れてしまうくらいのものなのだから、どうせ大切なことでもなかったのだ。
そんな気がして、また心が楽になった。
「はる・・・。か・・・・。」
「ん?」
どこからか声が聞こえてくる。
何もない暗闇だけの世界のはずなのに、なぜだかその声に光を感じる。
聞こえてきた先が少しだけ明るくなっている。
「この声、聞き覚えがある・・・。」
かすかなその光を追うようにその方向へと足を運んでいく。
「は・・・。るか・・・。」
「「はる・・・。か」」
「「「はるか・・・」」」」
光に近づくたびその度にその声も比例して大きくなっていく。
「あ・・・。私はこの声を知っている・・・。」
声が耳に届くたびに胸の奥で懐かしさが広がっていくのが分かる。
聞き覚えのある・・・。いや、この声を忘れられるわけがない。
「や、大和“くん”の声だ・・・。大和“くん“の声が聞こえる・・・。」
光はもう手を伸ばせば届くくらいの近さになっていた。
それに比例して鮮明に聞こえてくる彼の声を聞き間違える道理なんてどこにもない。
だけど、どうしてだろうか・・・。
大和くんの私を呼ぶ声はまるで切羽詰まっているようなそんな声色だ。
何か焦っているような、それでいて不安も内包しているようなそんな声にも聞こえる・・・。
「ど、どうしたの・・・。大和くん・・・。そんな声で私の名前を呼ばないで・・・。心配になってしまう・・・。」
私はそんな大和くんを一刻も安心させたくて、光に向かって走り出した。
「ま、待ってて!!大和くん、今行くから」
誰にも聞こえていないはずなのに、思わず口に出してしまう自分の声。
それほどに安心させたい自分がいた。
「「「はるか・・・」」」」
「そんなに血相欠いてどうしたの・・・。」
それは本当に自然に口をついて出ていた。
どうしてそんなにも切羽詰まっていたのかそれを知りたかった。
「え、あ、ああ、起きてくれたのか」
大和くんは“わたし”がまだ目を覚まさないとでも思っていたのかな?
ひどく困惑したようなそんな面持ちでじっと見てくる。
「そうだよ・・・。大和“くん”の声がね、すっごくうるさかったんだから・・・。あんな声で呼ばれちゃったら、わたしじゃなくても起きちゃうと思うの・・・。」
「え・・・。遥、お前・・・。」
せっかく起きてあげたのに、大和くんの反応はひどく狼狽している。
実は起きてきてほしくなんてなかったのかな・・・?
「もう・・・。どうしたの?そんな豆鉄砲食らった鳩みたいな顔をしちゃって・・・。」
「ど、どうしたってお前・・・・・。その、あの・・・。」
本当にどうしたんだろう・・・。
大和くんはさらに困惑を深めたような表情で、わたしのことを見てくる。
どことなく、その声は震えているような気もしないでもない。
「だ、大丈夫なのか・・・?その・・・。」
「ん~?」
大和くんは何やら言いたいけど言えないのか、どもっている。
こんな彼の姿を見たことなんてなかったから、今度はこっちが戸惑ってしまう。
「そのもう大丈夫なのか・・・。唯ちゃんのことは・・・?」
「え、誰それ?」
彼は意を決したように、知らない人の名前を言ってくる。
唯ちゃんって誰なんだろう・・・。
私の記憶のどこにもそんな人の名前なんてないのだけど・・・。
しかし・・・・。
「え・・・・・・・。」
大和くんはさらに困惑というか驚きというか戸惑っているようなそんな感じで視線を彷徨わせている。
本当に彼はどうしたんだろう・・・?
「え、あ・・・・・。」
「ねぇ、大丈夫??大和くん・・・。どうしたの?そんな困った顔して・・・。」
私は“いつもそうするように“大和くんにすり寄っていく。
女である自身の武器でもある胸を彼の腕にぴとっと押し付けながら・・・。
「え、は・・・。」
しかし、そんな私の心配の仕方が却ってよくなかったのかもしれない。
大和くんの瞳には驚きと共に何か恐ろしいものを目にした時のような感情が宿っていた。
「お、おい、遥・・・。な、何してんだよ・・・。」
声がなぜか震えている。
そんな反応を返されるだなんて思いもしていなかった。
“いつもどおり”の心配をしてあげただけなのに、なんでこの人はこんな異質なものを見るような目で見てくるのだろう。どうして私の体を引き剝がすのだろう。
「な、なにって・・・。いつも大和くんがそんな顔してたらこうしてるじゃない・・・」
「は・・・。そ、そんな事しない!!俺の知ってるアイツはそんな事しない!!どうしたっていうんだよ!!遥!!!・・・・・。ま、まさか!!身体と言葉遣いが変わったように今までの記憶や考え方まで女になっちまったのかよ・・・・。」
ズキンズキン
大和くんは本当に何を言っているの・・・?
そんな言い方あんまりだよ・・・・・。私はあなたの“彼女”なのになんでそんな
「ひどいこと言うの・・・。」
涙がどんどんと零れ落ちていく。
彼氏にそんな拒絶の仕方をされてしまったのだ。悲しくて仕方がなくて泣いてしまう。
そのひどい言葉のせいで頭もかち割られたように痛くて、それが涙を皿に溢れさせ・・・。
バタン
「え、遥、ま、また・・・!?」
大和くんの切迫した声だけが頭に残って、そのまま視界は暗くなっていった。