◆りあじゅう、なのかな?
ゆるゆると誰かに体を揺すられる感覚に、いつの間にか眠りに落ちていた意識がスッと覚醒し、ぱちぱちと瞬きを何度か繰り返すと、そこは薄暗い駐車場で、地下みたいなところだった。
「よかった。起きたね。さてこれから我が家にご招待するけど、何があっても驚かない、騒がないと約束してくれるかな?」
よいしょっ、と、後部座席から重そうな黒い鞄をガソゴソと引きずり出しつつ、笑顔のようなそれでいて困ったような表情を浮かべる芽衣さんに、私はまだ眠気でぼんやりとする頭でありながらも、何とか頷くことに成功した。
だってここで頷かなきゃ本当に宿なしで死んでしまうし、何より人の好意は私にとってはケーキのように甘く、そして蜜毒のように魅力的で、抗う気力さえ簡単に奪ってしまう。
ぽてぽてと黒い鞄を肩に担ぎ、先を歩く芽衣さんに着いて歩きながら考えるのはこれからのこと。
明日から私は昨日までのように何事もなかったかのように、桐崎さんと接することが出来るだろうか。そして、桐崎さんと復縁した女性に愛想よくできるだろうか。
そんなことを頭の中でパンを作るように考えをこねくり回していた私は、いつの間にか立ち止まっていた芽衣さんに思いっきり鼻をぶつけてしまい、呻き声を漏らしてしまった。
「っぅえ」
ツンと、痛む鼻を撫でさすりながら頭を上げれば、そこにはぽんやりとした雰囲気を持つ、緩やかなウェーブした長い黒髪で、赤いフレームの眼鏡をかけた、見るからにほっそりとした美少女が、大きな男性ものシャツ1枚で立っていた。
その美少女は芽衣さんしか目に入ってないのか、私の目の前で芽衣さんに縋り付いた。
と、そこまではいいんだけど...。
「亜希さん、おかえりなさい。ゆうはん、できてるけど、どうする?」
うん。
なんというか。
声がね。
「――...なんと言うか、犯罪だけは止めて下さいね?」
「失礼しちゃう。アタシはオンナのコに興味なんてないの。心は乙女だから」
語尾にキャッとか、ハートマークが見えそうな身振り手振りで私の思わず漏らしてしまった本音に、律義に返答してくれた芽衣さんは、家に招き入れてくれ、そのまま浴室に直行させてくれたかと思いきや、自分も浴室に入り、美少女に先に夕飯の準備を頼んでから、息を深々と吐き、そして疲れ果てたかのように床に座り込んだ。
「驚いた?彼女は私を男として認知してないの。当然よね。初めて逢った時から私は自分のためとはいえ、女装してあの子に逢っていたんだから。彼女はね、被害者なの...」
なんの?と聞かなくても、解ってしまった。
そういう類の事件の被害者は、男性を無意識に避けてしまうし、自分を助けてくれた人にはまるで刷り込みの雛鳥のように甘えるし、独占欲も芽生える時もあるのだとか。
「ほんっとうにごめんなさいね。なにしろ、あの子が襲われたのは小学校の卒業式の夜のことだったから、あの子、その日以来心が壊れてしまったままなのよ。あの子の両親である私の友人は海外から帰ってこないし...」
心身ともに、あとは視線的にも辛いわぁ~、と嘆く芽衣さんの言動に、私はもしやという愚かな想像をしてしまう。
しかもその予想を証拠づけるかのように、如何に彼女が可愛いかをぺらぺらと延々と惚気続け、惚気を聞かされ続けた私は、お蔭ですっかり体が冷えてしまい、風邪を見事ぶり返してしまったのは当然だと思う。
追記。黒髪の美少女が作ってくれた卵粥はとびっきり美味でした。そして私は何故か美少女の妹ポジションになってしまったのは、何かの間違いだと思う。切実に。