眼
部屋を出た後しばらく歩いた。回廊のように広い通路である。
中世の城のような、どこか冷たい印象の廊下だと常々感じていたがどうでもいいことだ。絨毯が敷かれているから足音は響かない。
浅野は梶尾と上原全を二人きりにすることには反対だった。何かあってからでは遅い。しかし、梶尾が出ろと言うのならそれに従うほか無かった。
何故元帥がそこまで上原全に固執するのかはよく分からない。確かに頭の回る彼の能力は侮って良いものではないのだが、そこまで固執するほどでもないとも思う。
逆に、その理由を話して貰えないことが浅野の苛立ちとなっていた。ピアスに触れる。硬質な感触が指先に痛みを伝える。
少年は黙って後ろをついてきているが、落ち着かない様子で辺りに視線を走らせている。それくらいは見ずとも気配で分かる。だからといって逃げ出す隙を探している訳でもなさそうだ。
この少年は何故ここにやってきたのだろう。
あれだけの経験をすれば普通なら東京に来ることが、この件に関わることがどれだけ危険であるのか本能的に感じたはずだ。それでもここに居るのは、ただ上原全に無理やり連れられてきたとは考えにくい。まさか自らの意思で矢上景を助けに来たとでも言うのだろうか?
馬鹿な、と浅野は自分の考えを振り払った。
ほんの少し時間を共にした程度の相手の為に何の力も無い子供がその命を捨てる決意などできる筈が無いと思い直し自嘲した。
不意に少年が立ち止まった。
「どこに行くんですか?」
その言葉には反抗という程の力は無く、不安と戸惑いが滲んで見えた。
「怖いのか?」
浅野も立ち止まり僅かに振り向く。
「こ、怖くなんか…」
怖いのだろう。浅野の力を見たものは紋章官でさえ恐怖するのだ。まして無力な子供であればそれは当然だ。
「あの……、あなたはどうして人を殺すんですか?」
問い?
「どうして殺すか? 邪魔だから。私の邪魔をするから殺すの。それが何?」
「邪魔って、何の邪魔ですか?」
「私は梶尾様の為に動いている。梶尾様は国の為に力を尽くしている。つまり、私の邪魔をするものはこの国の反逆者ということ。反逆者は生かしておけない」
「景も反逆者なんですか?」
この少年は何が言いたいのだ。
「全ニィも反逆者なんですか? 僕も反逆者なんですか? だから殺すんですか?」
「何が言いたいの? 殺さないで欲しいとでも言いたいのかしら。安心しなさい、今は何もしないわ」
少年の眼は真っ直ぐこちらを見つめている。
「全ニィのお母さんを殺したんでしょう?」
何だ。この少年の眼。この眼。
あの時の上原全の眼。上原蓮の眼。
浅野は心の中に何かがずるりと入り込むような不快感を覚えた。
見つめられていると胸が苦しくなる。
その視線から逃れたかったのかもしれない。次の瞬間浅野は叫んでいた。
「私はあの時止めようとした!」
そう、止めようとしたのだ。だが止まらなかった。力が足りなかったのだ。
私はあの時、まだ彼女と話さなければいけなかったのに、それが出来なかった。そして、その時はもう二度と訪れない。答えを得ることはもう出来ない。
まさか、私は――
「後悔しているの?」
そう言った少年の瞳に浮かぶ冷たい気配に当てられたのか、全身に悪寒が走った。
こんな子供に何が分かるというのだ。
やめろ。
「子供がいつまでも調子に乗るなっ」
収束した炎の針を少年の眼前に突きつけた。だが、護は真っ直ぐに浅野を見つめたまま動かない。ついさっきまで恐怖に震えていたはずの少年は、まるで別人のように静かに佇んでいた。
「その眼をやめろ。死にたいのか?」
炎の針が護の前髪をわずかにチリリと焼いた。
「俺、やっと分かったんだ」
「何?」
浅野の背筋に冷たいものが走った。本能が言っている。この少年は危険だ、と。
何故かこんな子供が上原全より遥かに危険だと感じる。今殺さなければ必ず大きな障害になると思えて仕方が無かった。
「あなたは……」
それ以上言うな。
浅野は針を護に向けて力を込めた。
その直後、カードがけたたましく鳴った。
浅野は護を見つめたまま携帯カードを懐から取り出した。
「何だ。そうか、あぁ、それでいい。私もすぐに向う」
カードを戻すと浅野は炎針を退げる。
「予定変更だ。ついて来なさい。矢上景に会わせてやろう」
矢上景の名を聞いたその瞬間、少年の異様な気配は弾け霧散し、最初と変わらぬ恐怖に取り憑かれた、ただの子供のそれに戻っていた。
空が青かった。柔らかく力強い光が地表を照らしている。
この空もじきに橙から紫を経て藍の色を強めてゆく。
ここからは防壁も望むことが出来た。防壁の外にも街はあるが寂れた雰囲気は否めない。あの一角に教会があるのだ。刹那、一陣の風が舞の金髪をはためかせた。
昨日ここで全の背中を押した。正しかったのだと思う。
思ってはいるのだが後悔も感じていた。もしかしたらもう会えないかもしれない。そう思うと怖かった。
「屋上は風が強いですから気をつけてくださいね」
笠木順哉は肩で息をしながら笑った。
「かさきー、今度はかさきが鬼だよー」
月矢が大声で叫ぶ。
「元気ですね、子供って…」
いくぞ、と子供達に向かって笠木は走り出した。それを見た子供たちは蜘蛛の子を散らすように奇声を上げて走り回った。
笠木には感謝している。
あんなことがあって情緒不安定になっていた子供達をよく気にかけてくれている。
自分自身もまた孤児であったことがそうさせているのかもしれない、彼は恥ずかしそうにそう言った。
子供達はとりあえず元気を取戻した。
でも、護の姿は見えなかった。きっと全に付いていったのだと思う。あの子なりに出した答えなのかもしれない。
東京はいつもと変わらない姿を太陽に照らされ輝いていた。
二人は今どうしているのだろう。きっと父親に会うだけでは済まないのだろう。全の言葉にはそんな意味も込められていた気がする。
とにかく無事に帰ってきて欲しい。舞には祈ることしか出来なかった。
空が高い。
舞は大きく深呼吸をした。




