史進の提案
「君を探していたんだよ、全君」
どうやら入り込んだのは史進一人のようだった。
全は嫌な予感がした。幹部である史進がわざわざ昨日初めて会ったハンターを指名しで探すなど通常まず有り得ない。
「なんで俺がここにいると?」
史進は片方の眉をピクリと上げると薄らと口元を緩める。
「ここに来る前に梁山泊に寄っただろう? 張正がきっとここだろうと教えてくれた。ここの主、静間宗一郎殿はオーブ技師としては一流だという話も聞いたのでね、一度会っておきたいとも思ったのだが、外観とはうって変わった素晴らしい研究施設で驚いた」
感心したように辺りを見回し、「特に」と部屋を横断し金色に輝く部屋の入り口に立つ。
「このオーブ。コネクトを見る限りプロトコルのようだが、まさか全属性を変換しているのか」
信じられないな、と注視する。
「だがエネルギー数値はお粗末なぁもんだ、未完成の欠陥品よ」
静間老人は内心の焦りを隠すように悪態をつく。
「これはあなたが?」
史進の問いに無言で静間は首を振る。
「そんなことより、幹部のアンタが俺に何の用があるんだ?」
思い出したように顔を上げた史進はディスク端末を取り出し、これを見せたくてねと差し出す。端末にはホロディスプレイが浮き上がり、何かのデータが映し出されている。
「これは昨日の魔犬の解剖データだ。ここを見て欲しい」
示された場所には回転するDNAの螺旋構造が二枚の画像で表示されている。
「これは通常サイズの魔犬のものとの比較だ。違いが分るか?」
全は画面をじっと見てみるが赤や青のパターンなど細かく、しかも画像が回転し動いている為いまいち分らない。
「わからないな。俺はこういうのが苦手なんで特にね」
「こいつは本当に別の魔犬のもんから採ったのか?」
横から老人が覗き込み画面と睨み合う。
えぇと相槌を打って史進は微笑む。
「こいつは全く同じもんだ」
さすがですねと史進は頷く。
「ほぼどころか全く、寸分も違わずにこいつらは同一の遺伝子、またミトコンドリアDNAの変異率まで同一のものを有しているんですよ。にも拘らず、体のサイズなどは大きく違う」
「そんなことがある訳がない」
「そうですね、うちの研究者達も同じことを言っています。だがこれは事実だ。一卵性の双子のレベルを上回っている。しかしだとすれば仮説も立てることが出来る」
なるほどな、と老人は何を言いたいのか理解したようだった。
「どういうことだよ」
二人に置いていかれた全は不満そうに頭を掻いた。それに史進が答える。
「つまり何者かによって意図的に作られたものだという可能性がある、ということだ。例えばクローンのように。自然に寸分の違いも無く同一のものが出来るなど有り得ないからね。エラーを起こすことなく分裂増殖でもするのなら話は別だが」
「何者かって何だよ」
もし史進の言葉が正しいのなら、それは人類に対して害意を持つ存在が居るということになる。
その相手は未だ姿も現さず、じわじわと弄るようにしてその様を眺めているということなのだ。
そんな存在は俄かに信じ難い。現在の科学力は紋章の効果も加わり、あらゆる真実を解き明かしてきている。その科学力を持ってさえまったく影さえも見えぬ組織が存在するというのだろうか? クローン生命体を世界中に一斉に送り込める、そんなものがあるというのか?
疑問を浮かべる全に明るく史進は言う。
「それは分からないな。それについてはまだ推測の域を出ない、推測どころか妄想にさえ近いのだろうな。何にせよこの魔犬のデータがほんの少しだけ前進を見せたということを君に教えたくてね。君の功績も考慮し追加報酬も検討している」
パソコンをしまい史進は表情を曇らせた。
「それはそうと、もう一つ。こっちの方が問題なのだが、全君、紅蓮が動いているぞ」
その言葉に全は肌が粟立つのを感じた。
昨日あれだけ目立つ行動を図らずも取っている。町の人間の噂にでもなれば直ぐに政府の耳には入るだろう。そうなればこうなることは判っていたのだ。だが、よりにもよって紅蓮とは……。
「狙いは矢上景なのだろう?」
「あんた、やっぱり気がついていたんだな」
装置の出す低音が部屋をゆっくり這うように響いている。その音に交わらない声がはっきりと答えた。
「それはそうだ、わたしは何度か彼女の姿を見たことがあるからな。確信したのは魔犬の傷を見た時だがね。表面を焦がさずにあれだけの切れ味を出せるのは超高圧で撃ち出される水威のものだ。水の紋章付きがやったことは一目瞭然、そしてそれだけのことが出来る者もある程度限られる。それよりも問題なのは捜索隊ではなく梶尾直属の紅蓮が動いているということだ。それが追跡となればただ事ではない、関わっているのならば君も危険だぞ、と知らせるつもりだったのだが……」
もう遅いのだろうなと金色の光を眺める。
「そりゃご親切に。分かっているなら話は早い、もう俺は行くぜ」
史進の横を通り過ぎ出口へと全は向かう。
「おい、全。オーブは?」
老人は装置から急いでオーブを取り出そうとする。立ち止まり、全は老人に振り向きもせずに答える。
「そいつは処分してくれ」
「いいんだな?」
老人にとって夢の技術の筈だが抹消することに異論は無いようだ。もう少し躊躇があるかと思ったので意外であったがそんな些細なことはどうでもよかった。
「あぁ、頼む」
分かったと老人は頷いた。
「ちょっと待ってくれないか」
史進が二人の合意に割って入る。
「話がまとまっているところで悪いのだが、それを私に預けてみないか? 悪いようにはしない。それが危険なものだということは重々承知しているが廃棄するにはまだ早い」
全は不審の目を向ける。老人もまた全と同じ視線を向けている。
「断る」
「なぜだ?」
「そいつのせいで今、家族が危険に晒されている。それにあんたにだって判るんだろ? それがどれだけ危険なものか。アンタがその技術を悪用しないとも言い切れないだろ」
「そうか、信用されていないという訳だな。確かにこれだけの技術を信用できない者にむやみには渡せないという君の言い分も分かるがな」
史進は困ったような表情で顎をさする。
「では、こういうのはどうだろう。我々の研究に静間殿にも監視役として参加して頂くというのは、そうすれば我々がオーブを悪用するかどうか一目瞭然だと思うが」
「おいおい、なんでいきなりそうなるんだ?」
静間老人は飛び火してきた話に身を乗り出して大声を出した。
「まぁ聞いて欲しい。我々は人々が昔のように何に怯えることも無く自由に外を歩き、人としての権利を当然のように行使できる平和な世を目指しているのです。その為に我々はあらゆる研究や駆逐活動を行い続けている。もし、このオーブがその世の到来を早めることが出来るのであればその力を求めるのは当然のことだとお解り戴けないでしょうか?」
「それはわからんでもないが…」
老人は渋い顔をしている。
「口ではどうとでも言えるさ。仮にあんたが信用できたとして、あんた以外の奴が信用できるかどうかだって問題だ」
「それは私の命にかけて守ろう。この九紋龍史進の名に懸けて誓う。私の願いは人の世界を取戻すことだ。人を害することにあらず、それは分かって欲しい」
史進の瞳は真っ直ぐに全に向けられている。その眼差しに邪悪な影はないと思えた。
「いいぜ、ただ二つ約束しろ」
「言ってみろ」
「一つは爺さんを研究のトップに据えること。それからもう一つは研究をあんたが極秘に行うこと」
史進は暫く考えた後、約束しようと頷く。
「わたしとしてはデータが取れればそれでいい、安心してくれ。すべてが終わったとき廃棄も必ず完璧に行う。それでいいか?」
全は史進の言葉に頷く。
「おいおい、勝手に決めるんじゃネェよ。そんな面倒なことは――」
老人は全の瞳が真っ直ぐ自分に向けられているのに気がつくと大きく溜息を吐いた。
「わぁかったよ、仕方ねぇな。おい史進とやら、俺は高ぇぞ」
お手柔らかにと史進は苦笑う。
「全君、君の家族の為に護衛を手配しよう。必ず守らせる」
全は何も答えずに階段の先に姿を消した。
史進はスーツの内ポケットから携帯カードを取り出すと梁山泊へ連絡を入れ、教会へと向かうよう部下に指示を出す。通話を切った史進の手に静間はオーブを渡した。
「思わぬ展開だったが、これで梶尾が何をしようとしているのか予測できました」
苦悶の表情で静間は独言のように話し始める。
「全属性の合計エネルギーは当然各属性のエネルギーの総数を遥かに超える。今やエネルギー問題の殆どが紋章によって解消されているとはいえ、属性の性質による不便さや問題も無い訳じゃない。それさえも解消し、ほぼ万能とも言えるエネルギーを持ってすれば現状世界の頂点に君臨することは難しくない。もし兵器に転用するようなことがあれば恐ろしいことになるが…」
お前にはやらせぬよ、という視線を史進へ向ける。史進は苦笑した。
「疑われているようですが私にそんな度胸などありませんよ。あくまで我々の目的は市民を守り、且つ人々が己の存在意義を疑わぬようお手伝いする、ということなのですから」
史進から目を逸らし、全の飛び出した扉の先を眺めて不安になる。
いつの時代も力が何かを壊そうとする。
破壊と再生の繰り返しが人の、いや世界の姿なのだろうということは老いた身にはよく分かる。
だが、今また何か新たな力が新たな破壊を生み出そうとしているのではないだろうか。その不安は既に朽ちかけている我が身を案じているのではなく、全のような若い者たちが重責を負うのを見たくないという想いから来ていた。老人は己のうちに眠る過去の記憶を開きかけて、慌てて閉じる。
「どうして同じことの繰り返しになるんだろうなぁ」
静間老人は史進の掌にあるオーブを眺めて一人呟いた。




