思い出に重なる現在:テオフィル
「……えーと、これはつまり……」
「魔族が自滅した……でいいのかしら?」
通信魔法から経緯を聞いたノエミとシャーロットは、余りと言えば余りの決着に気が抜けていた。
それはそうだろう。一度魔族の脅威を受け、その恐ろしさを前提に作戦を行ったのだ。
その魔族が力の配分を誤り自滅したとあれば、何を恐れていたのかという思いを抱いても仕方ない。
「騎士長が武装無しで魔族を追いはらったと思ったら……少し興ざめね」
「そうですわね。団長の武勇伝が一つ増えたと思ったのですが。
ともあれ今が好機であることには変わりません。急ぎましょう!」
二人の女騎士は、ユニコーンの手綱を引いてリベル湖浄化を再開する。三時間あれば、よほどの事がない限りは浄化できるだろう。
※ ※ ※
「……あー、なんとかなった」
魔族が消えて暫くして、テオは緊張を解く。魔族が消えたふりをして、隙を伺っている可能性があったからだ。
ハンナはそんなイリーネの様子を見ながら、今起きたことをゆっくり考えていた。
(結果だけ言えば、ナイゼル准騎士やベイロン准騎士の言う通り。魔族の自暴自棄で助かっただけに過ぎない)
それは間違いない。だけど、それは理由でしかない。
魔族の脅威に怯える中、冷静にそれに気づいた洞察力。魔族が強いという前提で動いていた青螺旋騎士団がどうしてそれに気づけようか?
仮にそれに気づけたとして、魔族の前に姿を現すことができるだろうか? 疲弊していたとはいえ、相手は魔族だ。単純な身体能力だけでも圧倒できる。それをさせなかったのは、相手を気迫でのみ込んだからに過ぎない。
ただ疲弊した事実を告げれば、怒りで行動した可能性がある。或いは疲弊しても捕まえることができる程度の能力はあると気付いていたかもしれない。
それをさえないように判断力を奪ったのは、あの態度。
見下されることに慣れていない魔族にとって、その態度は心を酷くかき乱されただろう。たかが人間如きに。その態度は明白だった。
(すこしでも対応を間違えれば、こうして助かってなかった)
それは魔族との対話を直で聞いていたハンナには、強く伝わってくる。
魔族は確かに疲弊していた。だけど、イリーネやハンナを捕らえられないほどではなかった。
魔族が空間転移して回復に走ったのは、あくまで万全を期すため。つまり『全力を尽くさなければ勝てない』と思わせたことが真の勝因だ。
それはイリーネの上げた数々の武勲が下地になっているのは確かだ。
だが、決定的な勝因は別にある。
(冷静に状況を分析し、生き延びる道筋を作ったこと。あの場で、臆することなく胸を張ったこと……)
それはイリーネ・ゲブハルトの武勲とは別の要因。
今目の前にいる、イリーネに似た誰かの行動。
「レーナルト騎士、大丈夫? 怪我はない? 魔族に酷いことされなかった?」
イリーネに似た誰かは、心の底からハンナの事を心配するようにユニコーンから降りて、回復魔法をかけてくる。自分自身もあの放水を受けているというのに。
この行動には覚えがある。自然という驚異に飲まれても臆することなく立ち向かい、機知を尽くしてそこから日常へと導いてくれた初恋の人。
「テオフィルくん……」
「はい。……はい?」
名を呼ばれ、思わず素で返事をするイリーネ。慌てて問い返す……というポーズをとった。多分不自然ではないはずだ。うん。テオは自分に言い聞かせていた。
「あ、違うんです。ごめんなさい、騎士長」
動悸を押さえ込みながら、ハンナは我に返る。こちらの呼称も仕事調子である『騎士長』に戻っていた。
だけど気づいてしまった。それは理屈ではない。自分だけが知っている思い出と重なる影。イリーネではない誰かが、それと重なった。
(そうか……。このイリーネは、テオフィルくんなんだ……)
他の人が聞いたら一蹴するだろう推理。根拠も薄く、証拠はない。
だけどハンナの心が確かに、その正体を捕らえていた。
――暗雲が晴れ、雨が上がった。




