07. 長野避難開始 ~別れと旅立ち~
食卓には、陽子の“なんちゃってサバイバル飯”が並んでいた。
缶詰のスパムを焼いて、大根の葉っぱと和えた炒め物。冷凍うどんの焼きそば風。
「ほら、今のうちにちゃんとジャンク慣れしとかないとね。
山に行ったら、こんなのすら出ないかもしれないよ?」
「いや、それは言いすぎだろ……」
雅彦が苦笑いを浮かべる。
陽子は肩をすくめながら缶ビールを開けた。
「本当に東京を離れるのね」
「うん。会社の方も、退職届出してきた。
早ければ週明けには閉鎖になるし、残ってても仕方ない」
「そうよね。ほとんど荷造りも終わってるけど、車に積める分しか持っていけないからね。
ここからちょっと減らしてかないと。
篤志のゲーム機、置いてくからね?」
「え、ちょっと待って……!」
篤志の抗議に、陽子がにやりと笑った。
「冗談よ。非常用電源でどれだけ遊べるか分からないけどね」
―――――
その夜、荷物をまとめながら、篤志はベッドの下から小さな箱を取り出した。
中には、拓実と一緒に行った遊園地のチケットの半券、好きなアニメのグッズ、そして、紙に走り書きした未来の夢。
「ロケットエンジニアになって、宇宙に行く」
震えた字が笑える。でも、それが今、自分の生きる支えだった。
―――――
翌朝午前四時。
まだ空は深く青いままで、東京の街もひときわ静かだった。
マンションの駐車場で、雅彦は黙々と荷物を積み込んでいた。
非常用の水タンク、衣類、保存食、寝具、太陽光パネルの折りたたみ式ユニット、そして道具箱と苗の入った箱まで。
家族3人分とは思えない量だったが、雅彦は一つひとつ、詰め将棋のようにきれいにRV車の荷室へ収めていく。
陽子がリストを片手に確認を続ける。
「ストーブOK、携帯トイレOK、乾電池と予備バッテリー……じゃあ、これで忘れ物はないわね」
二人が顔を見合わせ、軽くうなずいたそのときだった。
「おーい! 篤志ー!」
マンションのエントランスに駆け込んできたのは、拓実だった。
篤志が驚いて駆け寄る。
「拓実? どうしたの!? こんな朝早くに!」
「言いたいことあって……ギリギリ間に合った!」
拓実の後ろから、両親も現れた。
母親は目元を赤くしていて、父親は小さく頭を下げた。
拓実は息を整えながら言った。
「俺たち、第三陣に選ばれたんだ。
家族で……エリオスに行く」
「……そうなんだ」
篤志は言葉を失った。
たしかに、拓実の家はまだ若い夫婦で、情報にも敏感だった。
可能性はあると思っていた。
けれど、本当に、親友が“あっち側”に行くとは――。
「だから、最後に直接会いに来た。」
拓実の目が潤む。
篤志はぎゅっと唇を結んだあと、ぽつりと答えた。
「ありがとう……来てくれて。
そっか、拓実が行くなら、俺もがんばらなきゃ」
拓実はリュックからノートを差し出した。
「あとこれ、寄せ書き帳。
クラスみんなで書いたやつ。」
「え……でも、拓実がエリオスに……」
「俺が持ってく予定だったけど……お前の方が、こういうの向いてる気がして」
拓実がふっと笑った。
「元気でな。
俺も向こうから動画配信やってみるからさ、もし見れたらコメントしろよな」
「うん。そっちも、俺の田舎生活がんばってる様子とか、見つけたら笑ってくれ」
「お互い、別の場所で生き残ろうな」
「うん。……絶対、生き延びて、また会おう」
二人は握手を交わした。
それは子どもたちなりの“未来への誓い”だった。
「じゃあな、篤志!」
拓実は両親と一緒に去っていった。
駐車場に静寂が戻る。ふいに、陽子が涙をぬぐった。
「……篤志、泣かないの?」
「んー……なんか、涙ってより、すっごく変な感じ。
映画のエンドロールみたい。
続きがあるのかないのか、わからないやつ」
「うまいこと言うね。パパに似なくてよかった」
「いや、それ褒めてるの?」
―――――
中央道を走る車の窓からは、八王子の山並みが見え始めていた。
下り車線は、自衛隊の車や資材を運ぶトラック、山間部を目指して避難する車で多少混んでいた。
対照的に、東京へ向かう上り車線はほとんど車は走っていない。
篤志は後部座席から、スマホで地図を見つめながら、ふと思った。
「ねえ。おじいちゃんの家って、標高いくつだっけ?」
「たしか……800メートル以上あったと思うよ」
「じゃあ、津波の心配はないね」
「うん。きっと、沈まない」
雅彦の言葉は、まるでおまじないのようだった。
―――――
正午すぎ。ついに、長野の実家に到着した。
国道から細い脇道を入り、山あいの急坂を登りきった場所にある古民家は、茅葺きを一部金属で補修しているものの、堂々とした佇まいだった。
石垣の上に広がる庭には、紫陽花が咲き始めている。
土間の戸が勢いよく開いた。
「おおーっ、よく来たな!みんな無事か!」
白髪混じりの祖父が、にこにこ笑って手を広げていた。
その奥から、祖母も顔を出す。
「よう来たねぇ!もう、東京は物騒やろ? よー頑張ったなぁ」
「ありがとうございます。これから、お世話になります。」
陽子は、まるで緊張がほどけたかのように深く頭を下げた。
祖父は雅彦の背中を力強く叩き、にやりと笑った。
「おう、よく来た。
荷物は後で運べばいい。まずは昼飯にしろ」
家の奥から、もう一組の家族が現れる。
雅彦の妹、加奈子とその夫、そして二人の子どもたち。
「篤志ー!」
走ってきたのは、従兄弟の春真、小学5年生。
その後ろから、小学3年生の妹・琴音もついてくる。
「おー久しぶり!」
「うん!なんかちょっと背伸びた?」
そんなやりとりが、次第にこの家を“仮住まい”から“生活の場”へと変えていった。
―――――
夕暮れ、縁側に腰を下ろしながら雅彦は、祖父と話していた。
「人数、どのくらいになるの?」
「今のところ、5世帯で大人16人、子供6人。
空き家だった家を、母さんたちが掃除してくれたから、手狭だったら使ってくれりゃいい」
「……明日から、大変だね」
「明日からが“本番”だよ」
祖父は、そう言って笑った。




