24. 衝突当日 ~地球の終わり~(後編)
「あと五分か……」
賢人がモニターから目を離さずに、ぼそりとつぶやいた。
彼の部屋の空調は静かに稼働し、完全に管理された快適な室内には、どこか緊張感の漂う沈黙が流れていた。
賢人の右隣には、いつの間にか日常のようにここを訪れるようになった拓実が座り、正面の大型スクリーンを見つめている。
左には、ソファに身体を沈めながらも集中を切らさない聡太。
三人とも無言のまま、目の前に広がる映像に見入っていた。
スクリーンには、エリオスの衛星がリアルタイムで捉えた地球が映し出されている。
その視点は、かつての地球の宇宙ステーションに似ていたが、あまりにも滑らかで明瞭な画質と、角度自在の操作性は、技術の隔絶を物語っていた。
「あと二分……」
拓実が呟くように言った。
口元はぎゅっと引き結ばれていた。その瞳には不安というよりも、ある種の覚悟のようなものが浮かんでいた。
彼の両親は、エリオスのシステム化された生活にすっかり馴染み、与えられた居住空間と食事、整ったインフラに何の疑問も抱かずに暮らしている。
だが、拓実は違った。移住当初はその安定に安心していたが、次第に物足りなさ、そして薄ら寒い違和感を抱くようになった。
何かが“作られている”。
そう感じ始めていた。
だから、彼は自然と賢人の部屋に足を運ぶようになった。
この部屋だけが、今のエリオスで唯一、“問いかける空気”を持っていると感じられた。
「家でも見れるんだけどさ……」
拓実が小さく呟く。
「でも、ここで見る方が落ち着くんだろ」
聡太が微笑みながら、画面から目を離さずに応える。
賢人は無言でうなずき、リモコンの操作でズーム倍率を調整する。
映像の中心には、静かな太平洋が広がり、その中央に、赤い点のような軌跡を描きながら、巨大隕石が迫ってきていた。
エリオスの住民たちは、それぞれの場所でこの瞬間を迎えようとしていた。
広場に設けられたパブリックビューイングには、多国籍の移住者たちが集まり、手を握り合ったり、肩を寄せ合ったりしていた。
イスラム教徒のグループは、静かに礼拝用マットを敷き、ひざまずいていた。
そのすぐ隣では、十字を切るキリスト教徒たちが聖書を開き、低く力強い声で祈りの言葉を唱えていた。
数人の僧侶らしき人々は、仏教の経文を口ずさみながら合掌し、目を閉じていた。
ヒンドゥー教徒は、花びらや香を手に、静かに火を灯しながら、地球と家族の安寧を願っていた。
そして宗教を持たない者たちも、それぞれが“祈りのかたち”を捧げていた。
画面越しに訪れる、運命の瞬間。
誰かが泣き、誰かが微笑み、誰かがただ、黙って空を見上げていた。
各家庭では、静かにテレビの前に座る家族の姿があった。
子どもたちは不安げに親の袖を掴み、大人たちはその小さな手を、そっと包み込んでいた。
ほんのわずかな沈黙のなかで、誰もがそれぞれの言葉で、心の中で――地球に祈りを捧げていた。
今この瞬間、誰もが思いを馳せている――地球に、故郷に、大切な人に。
大気圏の上空に配置された衛星映像が、パブリックビューの巨大モニターにも、家庭のテレビにも映し出されていた。
そこには、どこまでも静かな地球――青く、美しく、壊れそうなほど繊細な球体が浮かんでいた。
やがて、映像の左端から、灼熱の尾を引いた小さな光が現れた。
「来る……」と、誰かがつぶやいた。
その光は瞬く間に加速し、海面へと突き進んでいく。
そして――
轟音はなかった。
音のない衛星映像の中、衝突の瞬間だけが、まるでスローモーションのように映し出された。
海が――裂けた。
まるで世界そのものが割れたかのように、濃い青が引きちぎられ、中心に巨大な白い柱が立ち上る。
その一撃が、大気を切り裂き、海をえぐり、時空さえも揺らしているかのようだった。
その直後だった。
海面に広がる白煙のような衝撃波が、光をまといながら円形に広がっていった。
それはやがて、衛星映像にも捉えきれないほどのスピードで、海上を駆け抜けていく。
暴風だった。
大気が歪むのが見えるほどの、巨大な風の奔流が、海をねじり、巻き上げ、何もかもを押し流す。
そしてその風の後を追うように――
津波が現れた。
最初は穏やかな膨らみのようだった。
だがすぐに、それが“壁”であることがわかる。
衛星の高度からでも分かるほどの巨大な波が、円を描くようにして世界を包み込んでいく。
それは、確実に、そして残酷なほど真っ直ぐに――日本列島に向かっていた。
賢人は、画面の中に浮かび上がる日本のシルエットを、言葉を失って見つめた。
隣で、翔太も黙ったまま指を組み、拓実は、祈るように目を閉じた。
「……頼む、長野だけは……」拓実が小さくつぶやいた。
だが――
巨大な波は、東の沿岸をなぎ倒すように襲いかかった。
次々と都市が白い波に呑み込まれ、山を、森を、街を、容赦なく削り取っていく。
「……くそっ……!」翔太が歯を食いしばった。
パブリックビューの広場には、嗚咽があふれていた。
泣き崩れる者、立ち尽くす者、膝をついて頭を抱える者。
誰もが、画面の中に、自分の祖国のどこかを探していた。
賢人は、画面から目をそらさなかった。
その全てを記憶に焼き付けるように、その瞬間を、ひとつも逃さないように。
翔太は、母親の顔を思い出していた。
しばらくぶりに見たあの優しい微笑みが、今も胸に残っていた。
拓実は、篤志の顔を思い浮かべていた。
篤志のいる山奥の村が、どうか無事であってほしい――そう祈るしかなかった。
だが同時に、三人の胸の奥には、確かに芽生えていたものがあった。
「……オレたちは、逃げたんだな……」
それは、言葉にできないほど重たい罪悪感。
生き残るためにここへ来たことを、誰も責めることはない。
だが、それでも――
あの場所に残した誰かを思うと、ただ「生きていてよかった」とは言えなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回で1章が完結となります。続く2章も同時間で連載していきますので、引き続きご愛顧ください。




