知っているのに
昔みたいに嫌われる。初火はそう言った。
――ぼくもよく覚えている。当時は子供だったから、考えもせず、それゆえに大きな過ちをしてしまったのだ。初火に付けた傷も、大きかった。
昔というのは十年前のことだ。その頃は水萌にもまだ出会っていない。
当時から初火は優秀だった。幼稚園児にもかかわらず、足し引き掛け算はできていたし漢字だって小学校中学年レベルまで読めていた。
ぼくだって何事も並み以上にはできていたが初火に勝てるものは何一つなかった。
そんな優秀な妹を兄のぼくは妬んだ。嫉んだ。
誰からも褒められ、誰からも見てもらえ、誰からも羨ましがられ、見た目も頭脳もスポーツも誰よりも優れている。
一年近く早く生まれているのに、ぼくは彼女とはすでに比べられすらしていなかった。
兄なのにその他大勢の、初火の周りにいる園児たちと変わらない存在だった。
初火は、そんな兄でも尊敬していた。何一つ自分に勝るものを持っていないのに、自分より早く生まれたというだけなのに。
ぼくは彼女に自慢されたり見下されたりしたことは一度もなかった。
それが、逆に気に入らなかったのだろう。性格まで欠点が無いのだから。毎日一緒に居る身としては己がいかに矮小かを見せらるのだ。
幼稚園児にしてぼくは、すでに歪んでしまった。
そんなぼくは悪意をもって、初火を傷つけるために、こう言ったのだ。
『初火がいなかったら、ぼくはみんなに見てもらえるのに。初火のせいでぼくは不幸だ。ぼくは初火がキライだよ』
もし仮に、その場に今のぼくが居合わせたとして、幼稚園児である彼にぼくは何も言うことができないだろう。
仕方ないとさえ、思ってしまう。
その後の話だが、初火はぼくと仲直りしようと、好かれようと必死になった。ぼくは、それを受け入れ、自ら放った言葉を取消し、謝罪した。
きっかけは、自分のためだったのだが。
しかし、そのときの初火は本当にうれしそうだった。
小学校に上がり初火が周りと比べいかに優秀か再認識したぼくは、張り合おうとした自分が馬鹿らしくなり、醜く矮小な自尊心を殺し、より初火の近くで過ごすようになった。
すると初火が可愛くてしょうがなくなり今では立派なシスコンに成長した。
それから中学卒業まで、兄妹仲よく過ごしてきた。
だけど、そんな長い年月をかけても初火の心に付いた傷は癒えてなかったのか……。
言い訳になるが今は初火が大切だし、居なくなってほしいとも思ってない。
小学校入学以来、『お兄ちゃん』として初火を甘やかして、可愛がってきた。
だけど、それでも傷は無かったことにはならなかったんだ。
その結果、ぼくに好かれようとした初火は、ぼくを好きになってしまったのだろう。
(なんだ。やっぱりぼくが全部悪いんじゃないか。ぼくのせいで、初火はこんなにも悩んでいるのだ)
ぼくは独り言のように、彼女に頼まれたように何かを言う。
「ぼくさえ居なければきっと初火は幸せになれたのに……。ごめん」
自虐的なこの言葉は、ぼくではなく、またもや初火を傷つけることになった。
「そんなこと、言わないで。お兄ちゃんが居てくれるだけでわたしは幸せなの」
顔を上げた初火は泣いていた。悲しくてというより怖くて泣いているのだろう。
ぼくが居なくなるのが、きっと怖くてたまらないのだろう。
すがるような彼女の声は、表情は、服を掴む手は、ぼくの心を溶かすほどに暖かい。
「本当に? 初火がそう言ってくれるなら……」
その言葉だけで救われる。
「……お兄ちゃんと仲直りできたあの日から、わたしは毎日幸せだった。隣にお兄ちゃんが居てくれる……わたしを大切にしてくれるお兄ちゃんが居てくれる。それだけで幸せだった」
「……うん」
頷いて、初火をギュッと抱きしめる。
胸の中にいる初火もすがるように抱きつく。
「ごめんね、初火。昔にも一度謝っておいたけれど、もう一度だけ」
謝ってもぼくがしてしまったことはなくなりはしない。分かっている。謝ってしまえば、初火は簡単に許してくれる。知っている。こんなことは無意味だ。理解している。
「ううん、お兄ちゃんは悪くないよ。わたしが悪かったの」
こんな風に、初火が自分を責めるのも、ぼくは――




