#504 フォールアウト
北風が強くなってきた。
少しずつ俺達は南に流されているようだ。ディーが先頭を走る姉貴にたまに方向を告げている。
たまに、後を見るとキノコ雲が段々と地上に下りてきている。そして、その雲は南に向かって流されていく。
砦の直撃は避けられそうだ。それより南に風で流されている。
となると、ねーデル軍はただでは済みそうにないな。
天幕は最初の衝撃波で吹き飛んだ筈だ。そこにフォールアウトが降り注げば大量の被曝を大勢が受ける事になる。
被曝は直ぐには自覚できない。体調不良を訴える者が続出するだろう。そして、少しずつ体力を消耗して死んでいくのだ。
原因すら判らないだろうな。傷や毒では無いから、【サフロナ】も効果が無いと思う。強いて言えば、ザナドウの肝臓が、ひょっとして有効かもしれないが、放射線で破壊された遺伝子が治るとは思えないな。あれは遺伝子異常を直す物だと思う。
1時間程の強行軍で東に5km程移動出来た。
そして風は北風だから、一応安全圏ではある。
「後、1時間歩いたら休憩するからね。もうちょっとだから頑張って!」
姉貴の檄を聞いて俺達が頷くと、また東に向かって歩き出した。
「砦は大丈夫じゃろうか?」
「外ではなくて家の中だから直接死の灰を受けないだろう。そして北風が死の灰を南に吹き流している。命までは取られないと思うよ。」
「長時間、あの雲の下にいると死ぬんですか?」
「あぁ、だけど何故死ぬんだか分らないと思うよ。衰弱して死んでいくんだ。酷い者は皮膚が爛れるだろう。新しい肉や皮膚、内臓を作る事が出来なくなるんだ。」
「惨いのう…。」
「途轍もなく惨い。出来ればこれがあの兵器の最後の使用例にしたい。」
アルトさんとリムちゃんは、あの兵器の真の姿を目にする事は無いだろう。
それで良いと思う。悲惨な被曝者の姿を見せるのは忍びない。あれは、ある意味悪魔の兵器そのものだ。
俺達の文化と尊厳を共に破壊する。
自然科学の発達により、核兵器を作れるようになっても、カラメル族と同じように災厄への備えとして管理すべきだろう。
戦争に使うような国の指導者は、それこそタリット刑でも足りない位の刑を用意すべきだ。一国が作っても、他の国が一丸となればその使用を限定出来るだろう。そしてその国を滅ぼし、罪を償わせる事になろう。
「ディー。空間線量率に変化はあるか?」
「少しバックグランドが上昇していますが、2倍には達していません。」
成層圏まで達したからな。やはり少しはこちらにも降っているようだ。
「全員、シーツをしっかりと被っていろよ。バックグランドが少し上がっている。影響ないレベルだがこれからどうなるか分からない。」
俺の怒鳴り声に皆がシーツをしっかりと身に巻き付ける。
そして、ひたすら歩き続ける。
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2時間歩き通して、今は休憩だ。
腰の水筒から冷たくなったお茶を飲む。気温は-5℃位だ。吹雪になれば更に気温が下がるし、体感気温は-15℃を下回るんじゃないかな。
北西を見るとどんよりとした雲が地表すれすれに漂っているように見える。この風で南に流されている筈なんだが、全体が大きいからそんな感じには見えないな。
「バックグランドは2.5倍に上昇しています。」
「地域的な変動もあるだろう。全ての変化がフォールアウトのせいには出来ないと思いたいな。」
「危険なレベルをどの位と思っているの?」
「10倍を越えたら厄介だ。今の所1μSv程度だから全く影響ないよ。だけど、あの真下で直接計れば1Svを越えるんだろうな。」
「砦の人達は?」
「家の中なら、1割程度に少なくなるはずだ。3日滞在した後で移動するなら、1Svを越える事は無いだろう。1Svなら半数が死んでしまう。」
たぶん砦は真っ暗な筈だ。雪と一緒に死の灰が降り積もっているだろうが、低温だから風でどんどん南へと運ばれるだろう。ある意味北風が強ければ余計な被曝を抑える事も出来るに違いない。
ダリル山脈の北斜面は酷い汚染が残る事になるが、100年もすれば放射線のレベルもだいぶ下がるに違いない。
「さて、また歩こう。この次は昼食を取るから少し長く休めるぞ。」
俺達は再び東へと向かう。
北風の強い昼間は獣の姿さえ見えない。
そして、その日の夕方には爆心地から東南東に70km程の所に達した。ここまで来るとバックグランドも1.5倍程度に低減している。
天幕を2つ並べて張り、天幕の一つに風呂桶を据え付ける。風呂に入る時に脱いだ服は全て廃棄する。体を洗って新しい服に着替えてもう一つの天幕に入るのだ。
全員が服を着替えた所で、とりあえずホッと一息ついたのは俺ばかりじゃ無いだろう。
風呂をディーが片付けている間に俺は焚火を作った。直ぐにアルトさん達が杖で三脚を作ってポットを提げた。
防寒服を着込んだ姉貴が鍋に乾燥野菜や干し肉を適当に投げ入れてスープを作ろうとしている。
俺は、焚火の傍に座ると、タバコを取り出して一服する。
夕食は具沢山のスープに薄いパンだ。
1日中歩いていたから、皆ペロリと平らげる。そして天幕に入っていった。
俺は、しばらくディーと焚火の番をする。
夕方になると北風も収まり、空には星が瞬く。オーロラが見られないかなとお茶のカップを持ったまま空を見上げているんだが、今日は出ないみたいだな。
姉貴が天幕からごそごそと這い出して来た。
「とりあえず、成功みたいね。バビロンとユグドラシルの神官さん達が結果を確認しているわ。ユングも無事だって。直ぐに私達の所に帰ると言っていたわ。」
「そうだね。確かに結果がどうだったかは気になるよ。哲也達が戻るのはだいぶ先になるんじゃないか?」
「小型ジェット機を使うみたい。流石に航続距離は此処までは無いけど、アクトラス山脈の外れには到達出来るみたいよ。」
「凄いね。ジェット機があるんだ。なら、来年には戻ってこれるな。」
確かに米国は豊かな国だった。しかし燃料が良く見つかったな。
それだけ俺に伝えると、また天幕に入っていく。外は寒いからな。-10℃にまで気温が下がってきたぞ。
「周囲に獣は下りません。マスターもお休み下さい。」
「悪いな。それじゃぁ、後を頼むよ。」
ディーに礼を言うと、俺も天幕に入る。
6人用だから俺達4人なら十分な広さだ。リムちゃん達を踏んづけないように、バッグから毛布を取り出して体を毛布で包み込んだ。
防寒服を着たままだから、毛布1枚でも十分に暖かい。
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10日程掛けてダリル山脈の麓に着いた。
山並みはすっかり雪化粧だ。
「この雪山を越えるのじゃな。」
「大丈夫でしょうか?」
「ちゃんと用意しておいたよ。これをブーツの下に着けるんだ。」
簡単なスノーシューだ。50cm位の幅広のスキーを革紐でブーツにしっかりと取付ける。爪先と踵に2本ずつ金具が出ているから、アイスバーンでも滑らない。後は杖の先にストックのようなワッカを付けておけば杖が深く突き刺さる事も無い。
そして、装備ベルトにカラビナを取り付けて、5m程のロープを腰に巻き付けておく。
20mと30mのロープは俺とディーが1本ずつ肩に背負った。
「さて、これから森に入る。俺が先頭でその後をアルトさんとリムちゃん。その後ろが姉貴で、さいごはディーにお願いする。」
俺がそう言うと、姉貴が全員に【アクセラ】を掛ける。
俺がゆっくりと森に入ると、俺の足跡を辿ってアルトさん達が数mの距離を開けて付いて来る。
ピッケルで足元を確かめながら、慎重に森の中を進む。まだ斜度が緩いから比較的楽に進める。足をするように歩くのがコツだな。
10分程歩いて後を確かめる。
アルトさんとリムちゃんは森の雪景色を珍しそうに眺めながら俺の後を付いて来ている。まだ疲れはみえないな。
それでも、歩き難いスノーシューを履いているんだ。早めに休憩を取りながら進む事になるだろう。
1時間程歩いて、大きな木の根元で最初の休憩を取る。
水筒の水を飲んで周囲を改めて眺めてみる。
良い森だ。雪がなければ獣が沢山いるんじゃないかな。
「森を進むんじゃったな。中々面白い眺めじゃが、気が付くとどこも同じに見えるのじゃ。道を違える事は無かろうな?」
「それは心配ない。ディーがいるからね。そしてコンパスもあるから森を堂々巡りをすることは無いよ。」
ディーの持つ、科学衛星を利用したナビゲーションシステムはGPS並みだ。俺だけだったらかなり苦労すると思うけど、ディーがいる限り道に迷う事は無い。
10分ほど休むと、また歩き出した。
ディーに線量率を訪ねるとバックグランドレベルと言う事だ。ダリル山脈に当たったフォールアウトが峰に広がっているかと心配したのだが。
夕方になり、森の中で天幕を張る。
雪の上に箱のような鉄製の焚火台を広げて、その中で焚火を作る。
ピッケルを突き刺した雪の深さは50cm程だが表面はカチカチに凍っている。
今夜も寒くなりそうだ。
夕食を終えて後をディーに託すと、天幕の中に潜り込む。
【シャイン】をガラスの中に閉じ込めて、布で覆った明かりが天幕の中を照らしていた。
アルトさんがカタカタと電鍵を叩いている。
「相手は?」
「ネウサナトラムのミクちゃんです。」
道理で返事の信号で点滅するランプの点滅が早い訳だ。この速さで信号を読み取れるアルトさん達も凄いと思うけど。
俺も、ランプの点滅を追い掛けて話の内容を聞いてみた。
どうやら、アテーナイ様達が心配してミク達の方から信号を送ってきたらしい。
アルトさんが状況を簡潔に報告してるけど、成功じゃ!では分からないと思うぞ。
それでも、向うは喜んでるみたいだけどね。
後は、女の子同士の話が始まる。そんな電鍵の音を聞きながら俺は毛布に包まった。
寒さで目が覚める。
アルトさんに毛布を奪われたようだ。
時計を見ると6時だから、起きても良い時間だな。
天幕を出て、焚火の傍に行くと、ディーがポンチョに包まっていた。どうやら昨夜は吹雪きだったらしく、ポンチョが半分雪に埋まっている。
「お早うございます。今朝は早起きですね。」
「まぁ、色々あるんだよ。ディーは大丈夫なのか? 雪に半分埋まってるぞ。」
「問題はありません。お茶が沸いてますよ。」
「ありがとう。頂くよ。」
焚火台に薪を数本投げ込んで火を強めると、ディーの入れてくれたお茶を飲む。
寒い朝にはこれが一番だな。
「灰色ガトルが厳冬期になると山脈を越えて村にやってくる事がある。ここは北斜面だ。獣には十分気を付けてくれ。」
「大丈夫です。今の所、半径1km以内に近付く獣はおりません。」
移動してしまったのか? それは少し早いような気がするな。
油断しないで行こう。こっちはスノーシューで動きが鈍いからな。
俺とディーが朝食を作り終えた頃、匂いに誘われるように3人が天幕を出て来た。
早速朝食を食べ始める。今日で2日目、山越えには後5日は掛かるだろう。