#333 夏の夜の物語
ちょっと簡略しすぎな戴冠式が終了すると、王宮の中庭で昼食会が行われる。
戴冠式に参加した者達だけが、ご馳走になるのかと思っていたのだが、中庭に出てみると民衆の中からも多数の出席者がいるのが分った。
来賓の王族、貴族達から比べると見劣りする衣装ではあるが彼等にとって晴れ着である事に変わりは無い。
「私達も、昼食会だけでよかったのにね。」
「そうもいくまい。…周辺諸国の王族でアキトの名を知らぬ者はいない。モスレムの新国王即位の場には他の王族を退かしてでもアキトは必要じゃった。」
姉貴とアルトさんの会話が聞こえてきたけど…。それって影響力という事か?
余り国政には係りを持ちたくなかったが今更か。
中庭のテーブルには各自の名前が書かれた札が載っている。それに従って着座した場所は、各国の国王が居並ぶ席だった。
御后様も今度はアテーナイ様になる。そして国王もシュタイン様と名が記されていた。
これからのモスレム国王と后はトリスタンさんとイゾルデさんなんだと改めて実感する。
アルトさんを除く嬢ちゃん達とディーは直ぐ隣の王子、王女達と同席している。俺もあっちのテーブルの方が良かったんだけどな。
そして、全員が立ち上がると、エントラムズ国王の乾杯の挨拶でブドウ酒を飲み干す。
後は、出てくる料理をつまみながら情報交換の場になってしまった。
テーブルは丁度円を描くように配置されており、20m程の広場が真ん中に作られている。
そこでは、各国の王族に同行した楽師達と舞姫が演技を披露しているのだが、このテーブルの連中はあまり興味がないようだった。
「話には聞いていましたが、あの毛皮は見事な一品ですね。」
アトレイムの国王が御后様に話しかける。
「婿殿がノーランドよりも北の大地で狩ったものじゃ。我が君も、あの毛皮に土足で登るのを躊躇ったのを覚えておる。あの婿殿にしてようやく仕留めたと言っておった。」
「ワシも話には聞き及んだが、あれほどの品じゃとは思わなんだ。じゃが、アキト殿をもってしても仕留めるのが困難という事であれば、正に至宝じゃな。確かに土足で踏みにじるのは躊躇しよう。」
そう言ってサーミスト国王が俺を見る。もう2、3匹仕留めて来い。ってその目が言っている。
「狩るのが命懸けでは仕方があるまい。それより、もう1つの宝を手に入れたと聞いたぞ。我等に披露位はしてくれたらどうじゃ。」
エントラムズ国王はサンドラさんから聞いたのかな?
それを聞いたシュタイン様がアテーナイ様に振り向いた。あれは、聞いていないと言う事だよな。
「別に隠した訳ではないぞ。あれは、ミーアの物。王国の宝ではないのじゃ。」
「という事だ。王国の民の物を取上げる訳にもゆかぬ。」
「それなら、その者に頼んでくれぬか?先ほどから我等も気にはなっておったのじゃ。娘から話は聞き及んだが未だに信じられぬ。」
アトレイム国王の言葉に隣の后も頷いている。
そんな光景を見ていた姉貴がミーアちゃんの所に言って話してるぞ。
たぶん、見せてあげてって頼んでるに違いない。
とことことミーアちゃんが大鎧姿で中庭を出て行った。たぶん了承したんだろうな。
「御見せする分に、問題はないそうです。もう直ぐ御覧に入れられると思います。」
俺達のいるテーブルに戻ってくると姉貴がそう告げた。
中央の広場で繰り広げられる、歌と踊りに一段落が付いたとき、ミーアちゃんがガルパスの背中に大荷物を載せてやってきた。
「ミーアと言います。アキト兄さんの妹になります。これは、昨年の大旅行で狩り得たものです。」
そう言って、ガルパスの背中から荷解きを始めた。
「ほう…剥製にしたのか。しかし大きくて長いの。蛇の類か?」
「蛇なら、あのような形にすまい。たぶん、トカゲの類ではないか?」
国王達が色々と話していたが段々とその声が静かになってきた。他のテーブルからもジッと荷解きの様を見詰ているのが分る。
静寂の中に現れた物は巨大な純白の牙だった。よく見ると少し桜色にも見えなくもない。
そして、その牙には彫刻が施されていた。前を歩く4人の少女とその後ろで笑って彼女達を見詰める2人の少女。そして最後に少し後ろで少女達を見守る少年がいる。…これって、俺達だよな。
各国の国王、后達が恥も外聞も無くテーブルから離れると牙の所に行って、それをジッと見詰めている。
「裏もあるのか…。これは!」
「なるほど…。」
何か、納得したみたいだな。
そして、テーブルに王族が戻ると、今度は来賓たちが押し寄せ始める。
すかさず、近衛兵が広場に数人駆け込んで、牙を触ろうとする人達に注意を始めたぞ。
「良い物を見せて貰った。あれぞ至宝、そして家宝じゃ。我等王族と言えどもあのような家訓を込めた宝が無いのが残念じゃ。」
どんな彫刻が裏にあるのだろうか…気になって立ち上がろうとしたら、アテーナイ様に鎧の草摺を引張られた。
「婿殿達は見る必要の無いものじゃ。妹の思いが刻まれていると知るだけでよい。」
どんな思いだ?とは思ったものの、人には知られたくない思いだってある筈。ここは人生経験の長いアテーナイ様に従っておくべきだろう。
30分程のお披露目が終ると、ミーアちゃんが再び牙を厳重に布で梱包していく。サーシャちゃんが手伝ってあげてるのを見ると、ホントに仲の良い姉妹みたいだ。
そして、再び広場では音楽と踊りが始まり出す。
「しかし、世の中は広い。あのような牙を持つ獣なぞ、想像もしていなかったぞ。」
「先程、アキト殿より狩りの顛末を聞いたが、良くも倒せたと思う。レグナスの牙を強請った方が、アキト殿には容易いようだ。」
そんな話がテーブルの反対側から聞こえてくるけど、レグナスだって俺1人では無理だぞ。
「ところで、テーバイのその後はどうじゃな。」
「はい。国民総出で国造りに励んでおります。…それも、皆様のお蔭と思っております。そして、農業も順調です。ミズキ様に作っていただいた泉を利用して大規模に広げる事ができました。」
「それは何よりですわ。となれば絹の生産も順調という事ですね。」
「絹の担当者を随行させました。商会の担当者と値段の交渉をさせたいと思っています。」
御后様達の顔が全員綻ぶ。俺には綿の方が良いけれど、女性の好みは分らないな。
広場では王族達の連れて来た舞姫達の演技が終了したようだ。今は王都の有力者達が各々呼び寄せた芸人の演技が行われている。
そして、昼食会とは言うものの、このまま夕食になってしまう気がするぞ。
ちょっと気になったのでアルトさんに聞いてみると、まさしくこの昼食会の終焉は深夜になるとの事。
「明日は、クオーク達が取り仕切るゆえ、我等は気にせずとも良い。のんびりと席に着いておれば良いのじゃ。…それより、何か出し物はないのか?」
そんなアルトさんの質問に俺と姉貴は顔を見合わせた。
「ディーに剣舞をしてもらおうか?」
「そうね。そして、私も1つ間を持たせる事が出来るわよ。でも、出来れば暗くなってからの方が良いわね。」
「何故、夜なのじゃ?」
「その方が、雰囲気が出るのよ。でもね。この場にふさわしくないかも知れないわ。賑やかでもなく、華やかでもないの…。」
「今日は無礼講じゃ。4つの王国の国王もおるのじゃ。普段見聞きしない物ほど喜ばれるぞ。」
出し物が一通り終ると、夕闇に辺りが包まれる。
あちこちに篝火が焚かれ周囲をぼんやりと照らし出した。
そして、夕食が出されたんだけど、皆さん余り食欲は無さそうだ。それでも少しずつ銀の皿に取り分けて食べるのも礼儀なのだろうか?
「あまり気にせずとも良い。余れば広場で騒いでいる民衆に下げられるのじゃ。」
それなら無駄にはならないわけだな。
俺は、銀のカップに注がれたブドウ酒を口に含みながら、ディーがはじめようとしている剣舞を見ることにした。
背中のブーメランを下して、近衛兵の使う長剣2本を両手に持って広場の中央に進むと、いきなり剣舞を始める。
中国式だな。舞を舞うように長剣を回し、或いは歌舞伎のようにピタリと静止する。静止した状態が次の攻撃を行う構えである事は容易に分る舞いだ。
数分間の剣舞であったが、それを見た各国の将軍は満足したに違いない。
そして、次が姉貴の番だ。
姉貴が立ち上がると、テーブルの皆に挨拶を始めた。
「新国王即位の場でこれをやるのは問題かも知れません。でも、私の国の古い時代には宴席で披露したとも聞いております。」
そう言うと、広場の中程まで歩くと、腰のバッグから革のマントを取り出して地面に広げた。
魔法の袋を取り出して、中から姉貴が出したのは、やはり琵琶だな。三角の木製の撥を取り出すと、マントにどかっと胡坐をかいた。
弦を撥で叩いて調弦を行い始めると、各国の楽師が興味深くそれを見守る。
「婿殿。ミズキは何を始めるのじゃ?」
「長い物語が始まりますよ。俺の国の1,000年以上前に栄えた一族の栄枯盛衰を語ってくれるはずです。」
「昔話の類かのう?」
「実際にあった話です。少し宗教が絡んでいますが、聞く分には面白いと思います。」
「どうやら、婿殿の国の古い事柄を語ってくれるようじゃ。これは楽しみじゃのう。」
準備が出来たらしい。姉貴が俺達に一礼して、琵琶を抱えると撥で弦を掻き鳴らした。
「祇園精舎の鐘の声、所行無常の響きあり…。沙羅双樹の花の色盛者必衰の理を表す…。」
姉貴の声は高くそして低く闇の中に染み入るように流れていく。
「幽玄な言葉よのう…。そして、あの楽器とも見事に合致しておる。」
「膨大な量の魔気がミズキ様に流れ込んでいます。あれは、呪文でもあるのでしょうか?」
アテーナイ様とキャンディさんが俺に聞いてくる。
「あれは、平家物語の冒頭の言葉です。仏教という宗教観に彩られてはいますが、これからの長い物語を端的に表わしているんです。
とある軍団の栄枯盛衰の物語ですが、その底辺に流れるのは、ものの哀れという事態の捉え方だと思っています。」
「とは言え、魔気の集まりが尋常ではないわ。このまま行くと、上位魔道師以外の人でも魔気を見る事が出来るでしょうね。」
「それより誰ぞ、あの物語を書き留めておる者はおらんのか?おらぬなら至急手配するのじゃ。」
国王達は目を閉じて聞き入っている。そして御后様達は忙しそうだ。
姉貴の話は敦盛の段になる。
風雅な敵の御曹司と無骨な武将のやり取りを聞き、将軍達の目に涙が光る。
「哀れとはこのようなことか。確かに死すべき者でなくとも軍団と軍団が争えばそのような事もあるじゃろう…。不憫としか思えぬぞ。」
御后様達はハンカチを取り出している。
続いて那須与一の段になる。
弓の音が琵琶の音で再現され、遠矢で射止められた扇が天高く舞い上がり、ひらひらと落ちる様が目に浮ぶようだ。
「真の弓の名手なのですね。でも、幾ら主君の命とは言え、その的を射たことを喜んで踊る武者を射殺すのは私には理解出来ませんわ。」
最後は壇ノ浦だ。
船戦で義経が船を飛び移る様子を謡いあげ、二位の尼が安徳天皇を抱いて入水する段になると女性達の偲び泣きが聞えてくる。
そして、琵琶を一段高く掻き鳴らして、姉貴の平家物語が終る。
姉貴は立ち上がると俺達のテーブル席に一礼すると、早速荷物を片付け始める。
皆、放心状態であったが新国王が立ち上がって拍手を贈ると、皆が一斉に拍手を始めた。それはもう、隣と話が出来ない位にだ。
「中々良い余興であった。本来ならじっくりと聞かせて欲しい位じゃが、あれはもっと長い物語の一部分じゃな。」
「はい。本来は3夜以上の長い話と聞いています。私の好きな部分については諳んじていましたので、今回披露しました。」
アテーナイ様の質問に姉貴が答えている。
「それにしても、本当にあった事なのか?」
「今となっては、判りません。何しろ1,000年以上前の出来事です。しかし、この平氏と源氏の2つの軍団の戦いがあった事。そして、その最後の戦いが壇ノ浦と言われる海峡で行なわれた事は事実です。そして、この物語は盲人の琵琶法師によって脈々と語り継がれてきました。」
エントラムズ国王の質問にそう答えた。
「たぶん。扇の的は、真似をする輩が大勢出ようのう…。」
「雑貨屋が儲かりそうですね…。」
これは、仕方が無いと俺は思うぞ。俺だって、この話を聞いた時は早速練習したもんな。