第二十話
「こっちは準備オッケーです」と人魚が海で手を振ると、離れたところでもう一人同じように手を上げた。それは何人も続き、皆手にはシッポウ村で借りた手鏡を持っていた。
今は早朝。また薄暗く灯台の光がよく見える。
海底洞窟がある真上の海面で、リットはティナに抱きつきながらオッケーの合図を送ると、人魚は次々その合図を真似して灯台まで届けた。
合図を受け取ったイッテツは、一番近くにいる人魚の持つ手鏡に灯台の光を合わせた。すると次々と鏡に吸い込まれるように光の道を作り、リットの直ぐ側にいる人魚の手鏡まで届いた。
その人魚が「お気をつけて」と送り出すと、ティナに抱きついたままリットは海に潜った。
長くかかると息が保つか不安だったが、ティナの泳ぎは速く、あっという間に地底湖までたどり着くことが出来た。
リットは水の通路の行き止まりに、光が天井を照らすように鏡を一枚置くと水から顔を上げた。
反射を繰り返してここまで届いた光は、水面で拡散し、思っていたよりも明るく地底湖を照らしていた。
「なんとか探索は出来そうだな……」リットは足場を見付けて水から上がると振り返った。「なんだ、上がってこねぇのか?」
水の中で化粧が取れてしまったティナは、リットに素顔を見せるかどうか踏ん切りがつかずにいた。相手がリットだからというわけではなく、別にそれが誰でも同じことだ。今更仲間以外に素顔を見せるとなると、変な気恥ずかしさがあった。
「化粧が落ちてるのよ……」
「誰か一言でもアンタのスッピンに興味があるとでも言ったか? そんなに気になるなら、顔に包帯でも巻いとけよ」
リットがいいから上がってこいと手をのばすと、後ろからマグダホンを連れたアリスがものすごい勢いで泳いできて、ティナをふっとばして陸に上げた。
水面から顔を上げたマグダホンは「あー死ぬかと思った……」と、肩で荒い呼吸を繰り返した。
「おっさん……頼むぜ……水中で暴れられると危ないだろ」
「こんな長いこと水に潜っていたのは初めてだ。まったくもって……恐ろしい……」
マグダホンが住むところにも川はあるが、流れが早く泳ぐような川ではないため、今回海に潜るのにはかなり勇気が必要だった。
リットが「ほらよ」とマグダホンに手を貸すと、「いやー……見たか? こんな危険なところへ飛び込んだのは初めてだ」
「見てねぇけどよ」とリットはマグダホンを水から引っ張り上げた。「オレも同じところを通ってきたんだからな。それによ、闇に呑まれた中を逃げた経験があるんだろ? あれに比べりゃ危険じゃねぇよ」
「あの時は危険と判断することもなくパニックだったからな。体中の毛が逆立ったようだ」
マグダホンは恐怖ではなく、興奮に包まれていた。
「安心しろ。逆だってたら、長い顎ヒゲが視線を塞いでるはずだ」
リットはマッチを擦ると、打ち上げられたティナを跨ぎ地底湖の探索を始めた。
後からアリスとティナも着いてきたが、アリスはよく見えないと文句を言い、ティナは終始顔を隠していたせいで、周りの確認はおざなりになっていた。
地底湖から続く洞窟は長いものではないが、浅い水たまりがあったり、また広い地底湖に繋がっている。なにも用意をしていない今はこれ以上進むと危険なので探索を終えたが、おそらくここから先も同じような洞窟や地底湖が続くだろう。
海底洞窟から出た四人はコーラル・リーフ号にいた。なぜボーン・ドレス号ではないのかというと、ティナの化粧直しのせいだ。
ティナが船長室から戻ってくると、アリスは「おせえ!」と声を荒らげた。
「仕方ないでしょ。時間がかかるのが化粧ってものなんだから。それより私抜きで、勝手に話をしていないでしょうね……」
「そうしたかったんだけどな。肝心のリットがこれだ」
アリスは触手でリットの頬をつついた。
リットは深く考え込むと、周りが見えず集中する癖があるので、すっかり黙り込んでしまっていた。
考えていることは、洞窟の中で明かりをどうするかということだ。
水の中でランプが使えないのは仕方がないとして、洞窟では光が必要になる。今日歩いてきたところだけでも、いくつか水たまりがあったので、足場が見えないと危険だからだ。それにアリスとティナはともかく、リットとマグダホンは濡れた服で歩くだけでもかなり体力が削られ、足元がおろそかになる可能性が高い。
リットはしばらく集中して考え事をしていたが、ふいに耳に笑い声が聞こえると、そこからひび割れるようにして集中力は砕けてなくなってしまった。
「なにしてんだよ……」
リットは頭に垂れ下がるマグダホンの顎ヒゲを振り払った。
「リットがもし長髪だったらという話をしていたんだ。実際に見せてみたら、ほらバカウケ」
マグダホンはお腹を抱えて笑うアリスとティナを指した。
「こっちが真剣に、ランプの代わりをどうするかって考えてる時に、なにくだらねぇことを話してんだよ……」
「ランプがなくても、マッチを擦っていただろう」
「ありゃ、着火部分に溶かしたロウを浸して防水にしてんだよ。見たところ流木もなかったからな。いちいちマッチを擦って歩いてたら、山程抱えていっても足りねぇよ」
リットはなにか考えがないかと聞いてみるが、ここは工房ではないのでマグダホンに手段も考えも思い浮かばなかった。
「一から作ったほうが確実なのはわかるが、材料もなければ、仕組みを考える時間もない。なにより、それを作れる設備がない」
マグダホンはお手上げだと、考えを諦めるように顎ヒゲを絞り撫でた。
「おい……たのむぜ、おっさん。しっかり考えてもらわないとよ」
のんきなアリスに、リットは「オマエらだって乾かないように工夫する必要があるだろ。なにを悠長にかまえてんだよ」と言ったが、アリスはへへんと鼻で笑った。
「それは水瓶と専用の荷物持ちを連れて行くことで解決してんだよ。こっちはテレス、ティナはバゴダス。お互い出し抜くことのけん制にもなるしな。後やるべきことはそっちだけだぜ」
アリスは酒を飲んですっかり酔っているので、陽気に触手をうねうねと動かしていつの間にか同席していたテレスとバゴダスを指した。
「なんかねぇのか。水の中で光る海の秘宝とかよ、海賊なら一つくらい持ってんだろ」
「悲報ですが……秘宝はありません」
テレスが淡々とした口調でいうと、マグダホン一人だけが大笑いをした。
リットがイラつくのを見て取ったバゴダスは「まぁまぁ」と背中を軽く叩いてなだめると「そういうのは魔法の分野なんじゃないのか?」と思ったことを言ってみた。
「魔法ね……頼れる相手がいるにはいるけどな……」
リットはグリザベルのことを思い浮かべたが、頼めばややこしいことになるのは目に見えていた。それと今はまだ弟子を育てている最中なので、長く家を空けることは出来ない。
それでもなにか聞くだけでも、役に立つかも知れないと薬屋のテンコの元へと向かった。
「もう夜更け。急患以外は受け付けておらぬぞ」
テンコは行灯にぼやけた怪しい光に囲まれながら、甘ったるいお香を焚き、着物の裾から太ももが見えるほど膝を崩して、静かに酒を楽しんでいた。
「ある意味急患みたいなもんだ。これと同じ材料って、ここで仕入れてるか?」
リットは昔に渡されたグリザベルのメモを渡した。そこには、使い魔のフクロウを呼び寄せる為の香の材料が書かれている。
テンコは一読すると、悩むことなく、すぐにメモを返した。
「ほとんどが大陸のものだ。妾が扱うことはない。前にも言うたが、漢方と魔女薬は似て非なるものだ。代替しようにも出来ぬもの。諦めよ。だが、悩みがあるというのなら、酒の肴に聞いてやろう」
「アンタもイッテツのとこに居ただろう。海底洞窟の話だ」
「灯台の光はどうした?」
「最初の地底湖まではまずまず順調だ。だいたいどんな洞窟が続くかは把握出来た。そこから進むには光がねぇんだ。鏡で反射させるってのも限界がある。ただでさえ、うねりくねった洞窟だからだ」
「なるほど……つまり、濡れても平気な炎を欲しているということじゃな」
「理解が早いのは助かるけどよ……。魔女に案を聞こうと思ってここに来たんだ。その道も今途絶えたけどな」
リットが帰ろうと踵を返すと、その首根っこを引っ張られた。そのままバランスを崩し、後ろ足に二歩、三歩とよろつくと、テンコが座る畳に倒れ込んでしまった。
「妖狐の店に来て、魔女に物を頼むとはおかしな話じゃ。妾にも大陸の魔法に似た、神通力という力を持っておるというのに」
テンコは心底残念そうにつぶやくと、リットが持っているランプを勝手に手に取った。
「前にも言ったけど、そいつは売りもんじゃねぇぞ」
「わかっておる……。しかしほんに口おしいこと……。これほど大事に使われたランプ。妾のものになれば、立派な付喪の力を得られるというのに」
言い終えると、テンコはランプの火屋にそっと口づけをした。
すると、テンコの尻尾が一本青白く光を帯びた。その光は徐々に尻尾とともに消えていくが、代わりにランプは同じ青白い光を灯していた。
「なんだこれ……安全なんだろうな」
「狐火じゃ。妾が死にでもしない限り燃え続ける。お主のランプの光ほどではないが、足元を照らすには十分だろう」
「本当に水の中でも消えないのか?」
「安心するがよい。嵐の中でも燃え続けるのが狐火じゃ。そもそも妾がこのシッポウ村に腰を落ち着けたのも、狐火によるイタズラからじゃ。実に懐かしい……あの頃はまだ元の大灯台も健在の頃だ。狐火を海上に揺らしてやれば、幽霊船が現れたと随分噂になったものだ――……聞いておるのか?」
テンコは勝手に酒を探すリットにため息を付いた。
「聞いてはない。でも、聞こうとしてる。年寄りの話を聞くには、酒の一杯でも呑まねぇとな」
「まったく……興が削がれた。もうよい……。時間もないしな」
「用事でもあんのか?」
「そのランプが妾のものになれば付喪の力を宿し、妾が命令を取り消すまでは半永久的なものになるが、今は尻尾を貸しているだけだ。一日で効力を失うぞ」
「……そういうのは早く言ってくれ」
リットが慌てて家を出ていくと、その後姿を悪戯な笑みを浮かべてテンコは見送った。
「若人をからかうのは……ほんに愉悦なり」
コーラル・リーフ号では、ちょうどよくまだ五人が集まったままで、リットは早く支度をしろと急かした。
「おいおい……さっきの今だぜ。アタシがいない間の船長代理の代理の引き継ぎとか色々あんだ」
アリスは「なあ?」とティナに同意を求めるが、ティナは優越感に浸ったように口元に笑みを浮かべた。
「私の海賊団は緊急時の取り決めは出来てるから、命令一つで済むのよ。アリスみたいな海賊ごっことは違うってこと」
「そうは言ったってな。テレスも連れて行くんだ。代理にふさわしい奴が他にいるか? そっちと違ってこっちは、立派なブランドを背負ってんだ。誰でもいいってわけにはいかないぜ」
「イトウさんにでもやらせろよ……。古株なんだろ」
「イトウさんか……確かに古株で、信頼も厚い。けどな、個性ってもんが足りなすぎるぜ」
「なら、スズキさんもセットで代理にしろよ。言っとくけどな、このランプの灯りが切れたら、オレ達は六人仲良く洞窟の暗闇の中で暮らすことになんだぞ」
アリス「しゃーね……」と渋々承知すると、海に向かって「イトウさん!」と呼びかけた。イトウ・サンが顔を出すと「アタシはこれから海底洞窟に潜るから、そのあいだスズキさんと一緒に船長代理の代理を任せたぜ」と言った。
「ガポルトル副船長! 私はイトウさんじゃなくて、イトウ・サ――……わ、わ、私が船長代理の代理ですか!?」
「そうだ。戻ってくるまで頼んだぜ! さあ――後は水と食料の準備だな」
アリスが船から影を消すと、イトウ・サンはより慌てふためきだした。
「あわわわ! どうしましょう……いきなり船長代理の代理だなんて……心の準備が……」
「いいえ、コレはチャンスよ。イトウ・サン」
話を盗み聞きしていたスズキ・サンが、ざばっと海面から顔を出した。
「スズキさん……!?」
「これは海の神が与えてくれたチャンス。副船長の座をアリスとテレスに奪われたけど、奪い取るチャンスが巡ってきたってことよ。ここで、海賊共の機嫌をとって、私達の存在を知らしめるの!」
「そうだね、スズキ・サン! 二人で頑張ろう!」
イトウ・サンとスズキ・サンの二人は「えいえいおー」と高く拳を上げて、お互いを鼓舞した。




