詳細あらすじ
「…私、勇者やってみたい!魔王討伐勇者スポーツのようなトップ勇者になりたい!空っぽ透明人間は嫌だ!」
11歳の少女ミッケは逃げたい。自分ならどこに逃げるか、どう逃げるか。
人生逃げてでもやりたい夢がある。
逃げから逃げる勇者。
何をやってもダメダメで臆病で小心者のミッケと、ある事情でやりたい事やれなかった、夢から逃げた24歳の青年ジョン。
二人には、誰より強い絆があった。
ステージリンクの上で出会った二人が手を結び、逃げで勇者を目指す!
人生、遅すぎるなんてことはない。やりたい事から逃げるということから逃げて。
逃げた先で、自分の道を見つけようともがく子供。
「ミッケさん、逃げてもいいんだよ」
魔王を討伐した勇者の名はスポーツ、戦士の名はアスリート、そして魔法使いの名はスコア――
かつての英雄たちが『競技』として語り継がれる世界――
魔王なき現代、勇者は『戦う英雄』から『人々を感動魅了』へ継承され続けている
─
王都の広場には、剣を構えた勇者ではなく、今まさに駆けだそうとする、最も美しい姿勢の魔王討伐した勇者スポーツの像が立っている。
英雄の時代は遥か過去。
かつて魔王がいたあの地獄の時代、魔王の脅威が去ってから何百年以降の今は平和な世界。
勇者の名はスポーツ、戦士の名はアスリート、魔法使いの名はスコアという英雄達の記憶は今は歴史の教科書の中。
その歴史、教訓を絶やさぬように競技化され継承され続けている。
魔法の砂により魔物、魔族が具現化した虚構の敵(仮想敵)に立ち向かう競技。
それが【競技勇者】
単に強いだけでなく、オーケストラの演奏に合わせたり、美しく立ち回ったりする必要があり、勇者の物語として華やかさと緊張感を求められる。
コロシアムアリーナ内でオーケストラの奏でる音の中、魔法により勇者の物語が再現されるステージリンク、具現化され実体があるモンスター等を華麗に倒すのは大前提で評価と採点で勝負が決まる。
その競技にミッケは勇者として負けから逃げ打ち勝とうとする。
【自分の弱さをどう表現するか】
勇者。
再び魔王が現れた時に備え勇者の歴史や教訓を絶やさぬように各国、国を挙げて競技化され継承し続けている。
競技化された勇者。
いつか来る再来への備え(神事)としての側面。
これは単なる遊びではなく、いつか来る魔王再来に備えた「訓練」を「オーケストラ付きの世界競技」に昇華している。
「魔法の砂」による再現。
実体がある仮想敵。この「限りなく本物に近いフェイク」と実際に戦う。
砂がモンスターの形を成し、倒されると光の粒となって霧散する。
観客の存在。
実戦とは違い、この勇者の戦いには常に「観客」と「評価」と「採点」がついて回る。
「オーケストラの演奏に合わせる」「美しさと物語性を採点する」
これにより各国永続化できている。
ミッケの「逃げ」が、観客にどう映るのか?
表現としての実戦:敵を倒す強さだけでなく、「美しさ」や「物語性」や「芸術」が問われる。
音楽との共演:オーケストラが奏でる曲と、動きが合致したときに生まれる「奇跡」のような瞬間。
魔法による実戦かのようなリアリティ
敵を倒すのは大前提。
だが「いかに観客を感動させ、美しく立ち回るか」という審査員がいる前提の戦い方も求められる。
魔王亡き後の平和なこの世界では、オーケストラ演奏付きの具現化された実体があるモンスター討伐競技。
もう魔王がいない平和な世界なのに、勇者という概念が、煌びやかに、華やかに、今も残って世界を守っている。
勇者はかつての脅威が去り、平和な世界でも競技として今だにまだ戦い続けている。
勇者と言う英雄は現代にも生きている。
「逃げることは悪いことじゃない。それを逃げずに極めれば誰も届かない高み(勇者)になれる」
『逃走演舞』それはオーケストラが奏でる、対魔王用シミュレーション。
ミッケとジョンの共通の夢は、熾烈な『国内選抜』を勝ち抜き、さらにその先の『世界対抗』をも制し、世界最高の平和の祭典、世界対抗競技勇者の頂点、英雄になること。
捨て矛盾。
これは何者でもない自分から逃げ、何者かになろうともがく物語である。
読んでいただきありがとうございます!
もしも少しでも面白いと思っていただけましたら評価やブックマークや感想などいただけると嬉しすぎますので是非お願いします!




