34話 前哨戦
外観は古代コロシアムのような円形状の建物。その内部は、石でできた正方形のリングと、それを囲むように設置された観客席のみ、といったシンプルな構成。
今現在、中央のリング上には数十人の男達の姿がある。
その全てが、これから自分の敵になると思うと、今更ながら後悔の念が湧きあがってくる。
「先の戦争において、劣勢に立たされたヴァドル王国を勝利に導き、その後、なんと国の王にまで上り詰めた話題の漂流勇者! 英雄王、エイジだあああ!」
音声拡大魔石によって拡張された声が入場口にいた詠二の耳にも届く。
詠二は軽くため息をつくと共に、ネガティブな感情を胸の奥に封じ込め、渡された剣を手に、リングに向かって歩き出した。
詠二が出場することは、観客達にはあらかじめ知らされていたのだろう。実際にその姿を見せると、観客から悲鳴にも似た歓声が上がった。
ジェパルドで年一回行われる闘技大会。それはまだ本格的に始まっていないというのに、観客席はここ数年で最高の熱気に包まれていた。
が、その熱気の発生源であり、観客の視線を一身に受けている詠二本人は、自分に向けられるそれらの声を快くは思っていなかった。
これから始まる試合が一対一での戦闘なら問題はなかった。自分を応援してくれることは喜ばしく感じられただろう。だが、今回はバトルロイヤル方式だ。
場外での人気は、場内での敵意と比例する。強い人間がいるのなら、早い段階で消えてもらったほうがその他全員得するのだから。
案の定、入場する詠二には、既にリング上にいる全員から敵意の視線が向けられていた。
詠二はそれらの視線を無視するように、リングの中央まで歩き、その場で目を瞑った。
「ふぅ……」
深く息を吐きながら、ゆっくりと目を開く。
集中力を高める。
試合は既に始まっているものと考え、周囲の人間の足運び、息遣い、それらの全てを冷静に観察する。
バトルロイヤルをやるつもりではなく、ここにいる全員を一人で倒すだけの気持ちで行く。
無謀だということは分かっていた。だが、やるしかなかった。
「そして、予選第一試合、最後の一人! こいつもまた曰く付きだ。なんと、大会主催者が受付終了後に強引にねじ込んできたという前代未聞の人物。その実力は全くの未知数。知名度も皆無。だが、きっと何かあるに違いない! 流浪の冒険者、クラウドおおお!」
試合開始に向けて高めていた集中力が、司会がその名前を口にした瞬間、一気に途切れた。
「なんだって!?」
思わず声をあげ、入場してくる選手を凝視する。
詠二が出て来たのとは反対側の入り口。その場所から現れたのは、自分の背丈ほどもありそうな巨大な剣を肩に担ぎ、悠々と入場してくる一人の男。
「よう。エージ」
そのまま詠二の前まで歩み寄り、気軽な口調で話しかけてくるその男。それは、消息不明になっていたはずの友人だった。
「ツバキ!」
「なんでツバキがこんなとこに!?」
「別に不思議なことなんてないだろ。ヴァドルから旅に出ようとすれば、とりあえずこのジェパルドに付くんだし」
「そういうことじゃなくて、なんでツバキが闘技大会に参加しているんだってことだよ!」
「ああ。そっちか」
へらへらと小馬鹿にしたような笑いを浮かべながら、詠二の相手をする椿。その笑顔は、おそらく、始めから説明の意味を理解していたであろうことを詠二に悟らせるのには十分なものだった。
「いやぁ。これには色々あってな。まあ、一言で言うと……賠償問題? に巻き込まれたから」
また、物騒な単語が飛び出した。
「……何したの?」
「別に大したことでもないんだけど。ここから東に20キロほど行ったとこに魔法を覚えられる祠があること、知ってるか?」
「うん」
「あれ。壊した」
「なっ!?」
友人の口から発せられた言葉に、思わず絶句してしまう。
魔法に関してあまり詳しくない詠二だったが、それでも、魔法というものがこの世界の住人にとってどれほど重宝されているものかということは理解していた。当然、それを覚えることのできる祠という施設の重要性も把握している。
この友人は、それを壊したと、何てことのないように言ってのけたのだ。
「正確には、俺が入ったら壊れた」
「ほとんど同じことだよ!」
巻き込まれたどころの話ではない。モロに当事者だった。
「仕方ねえだろ。俺、やっと魔法を覚えられると思ってうきうきしてたってのに、説明もされずに拒まれたんだぞ」
「拒まれた?」
「ああ。実はな――」
先日、椿が偶然近くにある地の祠に行ったときのことだ。
サリューネから魔法に関する知識を一通り聞いていた椿は、これで自分も使えるようになるのかと、うきうきしていたのだが。
「おわっ!?」
「どうしました?」
「なんかビリってした」
祠の入り口に立ったところで、椿の体には電撃のようなものが流れていた。
その場から一歩さがり、手の感触を確かめるように閉じたり開いたりを繰り返している椿。
「まさか。拒絶反応?」
「どういうことだ?」
「えっと、契約をする神同士にも相性というものがあって、相性の悪すぎる神と契約している場合、祠側の意思で拒絶することがあると聞いたことがあるのですが――」
「ちょっと待て! 俺は契約なんてしてねえぞ! いいがかりだ! 責任者を呼んで来い!」
サリューネが言い終わるより早く、椿が誰もいない祠に向かって叫び声をあげた。が、問答無用と言わんばかりに、再度、雷に打たような電撃が体を襲った。
「……っの野郎」
椿の祠を見る瞳に危険な色が宿る。
ダメージの方はないようだったが、あきらかに気分を害していた。それも盛大に。
「拒まれると、こじ開けたくなるのが男の心情ってもんを分かってねえな」
「ツバキさん! ちょっと待――」
「うおおおおおおおおおお!!!」
「ってなことがあってな。無理しすぎてその祠はぶっ壊れちまった。まあ、壊れたっていっても、入り口付近だけで、中はほとんど無事だったんだけどな。で、その修繕費を請求されちまったんだわ。それが真面目に働いても、簡単には返せそうにない額だったんで、仕方ないから闘技大会に出て、優勝賞金使って一発で帳消しにしてやろう思ったわけだ」
とんでもない話だった。
そんなとんでもない話を聞かされ、思わず頭を抱えてしまう詠二。
「……どうやって大会に出場する権利を?」
「先日、少しでも金を稼ごうと酒場でカードゲームをやってる時に、偶然前の席にこの大会の主催者の一人が座っててな。仲良くなったついでにちょっと口を利いてもらっただけだよ」
「……ああ。なるほど」
友人の言葉をそのまま鵜呑みにするほど、詠二と椿の付き合いは短くなかった。
仲良くなった、というのはほぼ間違いなく嘘だ。
大方、散々勝負したあげく、相手の手持ちの金を尽きさせ、借金を背負わせるほど勝ち越し、その借金の代わりとして、この大会への出場権を強引に手に入れた、といったところだろう。
常人とは桁違いの強さを持つ椿。その反則的な強さは戦闘だけでなく、ギャンブルにも発揮される。この世界に来る直前、麻雀で三日間勝ち続けたというのも、決して与太話なんかではないのだ。
「まあ、細かいことはどうでもいいだろ」
「細かいことって……」
「重要なのは、今、この闘技大会の試合が始まろうとしている場に俺達がいること。んでもって、予選はバトルロイヤルで、二人が勝ち抜けできるってことだ。違うか?」
そう指摘され、今、自分の置かれている状況を思い出す詠二だった。
「……ああ。そうだね」
ゆっくりと顔をあげ、周囲にいる敵の顔を見ることで萎えかけていた戦意を持ち直させた。
不測の事態ではあったが、これは不利な勝負を課せられた詠二にとってとてつもなくプラスに働く。ただ単純に、味方が一人増えたという理由ではなく、その味方が椿だったということだ。
詠二の目からは、先ほどまであった不安の色が、今は完全に消え去っていた。
試合が数分で始まる、といった状況の中、椿の顔は不満で満ちていた。その理由は、観客の反応だ。
「エイジ様ー! がんばってー!」
「きゃー! エイジさまー! きゃー!」
「エイジー! 抱いてー!」
詠二に向けて黄色い声援が絶間なく飛び交っている。対する椿の方は、というと……
「主様! 主様!」
尻尾をぶんぶんと元気よく振りながら、身を乗り出している亜人の子供が一人……のみ。
「あれは椿のこと応援してるんじゃないの?」
その白髪の子供を指差しながら、椿に確認を取る詠二。
「……かもな」
曖昧に返答し、露骨にその視線の主から顔を背ける椿だった。
「あんな子とどこで知り合ったの?」
「拾った」
「……」
犯罪の匂いのする不穏な単語を口にした椿に、それ以上、何も聞けない詠二だった。
そんな詠二の様子を気にも留めず、不満そうな顔をし続ける椿。
別に張り合うつもりはなかったが、自分にも僅かではあるが応援の声があるという状況が、詠二との差を嫌でも比較させてしまう。
詠二には大勢の女性。対する椿には子供が一匹。
その子供に応援されればされるほど、テンションは下がる一方の椿だった。
「レメディはどうした? 一緒じゃないのか?」
思い出したかのように、そんなことを詠二に尋ねる椿。
その顔には、彼女がいれば、少しは自分への応援もあるんじゃないか、という期待がありありと浮かんでいる。
「彼女なら、途中までは一緒だったんだけど、ちょっと前に用事があるって言って、どこかへ行っちゃったけど」
「んだよ。それは……」
あからさまに落胆している椿。それでも諦められなかったのか。すぐに顔をあげ、彼女の姿を探すかのように、観客席に視線を這わせている。
「あ」
と、その視線がある一点を見つめて止まった。
それは、意図的に見ないようにしていた方角。亜人の子供の隣の席。試合会場にいる選手よりも、ある意味注目を集める人間がそこにはいた。
男性客からの邪な視線。そして、女性客からの嫉妬の一身に浴びる青髪をした一人の美しい女性。
詠二はその女性の顔に見覚えはなかったが、傍にいる亜人の子供と親しそうに話していたことから、彼女が椿の知人であることをなんとなく悟った。
視線に気付いた女性が、椿に向けて、小さく控えめに手を振っていた。
それを見た瞬間、椿の態度が一変する。
「どうだ、エイジ。数じゃお前の圧勝かもしれねえけどな、女は数じゃねえ。質なんだよ。そして、その質じゃ俺の勝ちだ! それも圧倒的だ! どうだ? くやしいか? 言っておくけどな。あいつはお前のとこの腹黒誘拐未成熟女なんかと違って、顔だけじゃなく、性格も良いんだぞ!」
大声でそんなことを宣言している椿だった。その顔からは、それまでの敗北感に満ちていた表情が消し飛んでいた。
「誰が腹黒誘拐未成熟女だ!」
椿の暴言を聞き、客席からエリスの怒鳴り声をあげていたが、本人はまるで聞こえていない様子だ。……いや、たぶん、聞こえていてあえて無視しているのだろう。
「これは完全に俺の勝ちだろ! 圧勝だ! 英雄王、恐るるに足らずだ! だっはっは!」
まだ試合は始まっていないというのに、完全に勝ち誇っている。
「……君は何の勝負をしているんだ?」
そんな大いに盛り上がる椿とは対照的に、冷静な突っ込みを入れる詠二だった。
勝手に始めていた前哨戦をしている最中も、司会によるルール説明は行われ続けていた。
そして、最後にこのリング上で決勝に進むことができるのは、たった二人だけだという最低限のルール確認を終え、ようやく試合が始まろうとしていた。
周囲にいた男達も、その気配を察して、油断なく手に持った武器を構えた。
「それでは、闘技大会。予選第一試合、開始ぃいいいいいいいいい!」
音声を拡張する道具で巨大化された声が、コロシアム全体に響き渡る。
それが試合開始の合図となった。