32話 王様のお役目
視点 詠二
「独立商業都市ジェパルド、か」
詠二は馬車の中で、目的地である都市の名前を口にしていた。
ヴァドルとディーンを含む5つの国のちょうど中間のような場所にある商業都市。
ここを経由させることで、たとえ不仲な国同士だとしても、その国の特産品を輸出入することができる。5つの国の経済の要だ。
国がこの街で貿易するにあたって、いくつかの決まりがある。そのうちの一つに、本格的な戦闘が行われるような戦時中において、物資の流通を制限する、というものがあった。
これはこの都市が完全な中立だという意思を見せるだけでなく、物資の流通に紛れて危険な武器や人の出入りを制限する、という意味も兼ねていた。
成り行きから詠二が治めることになってしまった国ヴァドルは、つい最近、隣国のディーンと本格的な戦闘行為を行っていた。
そのため、物資の流通を制限していた。それを通常通りに再開させる旨を伝え、その際に、輸出や輸入に掛かる税金や手数料の交渉をする、というのが今回ジェパルドに行く目的だった。
詠二の役目は『天剣』を持つ勇者であるという立場を最大限に利用し、可能な限りこちらに有利な条件を引き出すというものだった。もちろん、そういった本音を隠し、表向きはあくまで新国王として友好的な関係を築くためだという建前を通さなくてはならない。
「行きたくないな……」
馬車の中でいきなりそんな話をエリスから聞かされてしまい、思わず本音が口から零れた。
「そんな弱気な姿勢ではいけません」
わずかに洩れた本音をしっかりと聞きつけ、強めに嗜めてくる。が、人間は弱気になるなと他人から言われたからといって、すぐさま強気になれるような単純な生物ではない。
エリスを直視することができず、つい顔を背けてしまう詠二だった。
「こういう役はツバキの方がよっぽど適任なのに……」
そのままあさっての方向に愚痴をこぼした。
口に出すと同時に、頭の中には蒸発した男の顔が思い浮かんできた。
希崎椿。学生の身分でありながら、何かと飛びぬけている詠二の親友。
あの男は、やたらと戦闘力が高いくせに、こういった交渉ごとも恐ろしく得意だったりするのだ。
椿がヴァドルにいてくれれば、自分がこういった役をしないですむはずだった。むしろ、相手を騙して必要以上に利益を巻き上げてしまうことに気を配る必要が出てくるほどだ。……最も、それも、あの気分屋が交渉役を引き受けてくれればの話だが。
「あの男が交渉ごとに向いているとは思えません」
小さくつぶやいたはずの詠二の愚痴は、しっかりとエリスの耳に届いていたようだ。
友人のことを思い出して口元に笑みを浮かべていた詠二に、微妙に不快そうな声色で抗議してくる。
声のした方向に顔を向けると、隠そうともせず、顔全体で不快感を表現しているエリスがいた。
ちょっと前に元の世界で椿が何と呼ばれていたのかを話した時、それから少しの間は彼の話題を避けるようにしていたのだが、すぐにまた元に戻ってしまった。それどころか、むしろ悪化している気さえする。
どうやら、彼がヴァドルを出て行く際、最後に行った行動に腹を立てたらしい。
西にある城門に大穴を開けたこともそうだが、それ以上に、彼が人事に口出ししてきたのが気に食わなかったようなのだ。
人事とは、詠二の身の回りの世話をするのに、レメディという名の亜人の女性を雇用したことだ。
最初は自分の独断で決めたと言い張っていた詠二だったが、突然そんなことを言い出したことを不審に思ったエリスに数日に渡りしつこく詰め寄られ、尋問された結果、それが椿の提案だということがばれてしまったのだ。
一応、レメディを採用する件は通ったのだが、その代償としてエリスの椿に対する評価は更に下降することになってしまったというわけだ。
そのことに、僅かながらも責任を感じている詠二。
この機会にちょっとばかり、友人の評価を上げておこうと思った。
「エリス。ちょっとクイズを出すから、答えてくれない?」
「何ですか? いきなり」
「別に。単なる暇つぶし。それとも、エリスは僕と雑談をするのは嫌?」
「そ、そんなことはないですけど……」
不意打ち気味にそんなことを聞かれ、赤くなって下を向いてしまうエリス。
想い人である詠二に、そう言われてエリスが断れるはずもなかった。
詠二は自分に気のある女性に対して、ただおろおろとしているだけでなく、たまにこうして相手を試したり、弄んだりするような言動をすることがあった。もちろん、本人は特に意図していないのだが。椿が詠二のことを天然ジゴロと称する理由だ。
「たとえばの話だよ。エリスが凄い手間隙をかけて最高の剣を作ったとするよ? 軽くて使い勝手が良く、切れ味も一級品。その上、エンチャントまでしてある渾身の力作だ。これを10本作り、値段は金貨200枚で売りに出したとする」
「はい」
「けど、同時期に全く同じ剣を向かいの店でも売り始めた。それも金額がこちらより安い金貨190枚だった。この場合、エリスはどうする?」
少し考えるように顎に手を置いて、首を傾げているエリス。
「その剣はあまり数多く生産できるわけではないんですよね? それでいて、敵も全く同じ物を作ったということですか?」
「ああ。実際にそんなことが起こるかどうかは別としてだよ。相手の店にあるのは、その質もエンチャントされた魔法の効果も、こちらの物と全く同じものだよ。ちなみに、その剣の相場はもっと高いため、普通なら金貨200枚でもまず間違いなく売れるものとする」
相手のことを敵と表現したことに、少しばかり引っかかりを覚えながらも、エリスの言葉を肯定し、説明を付け加える詠二。
「こちらは金貨180枚で販売する……ですか?」
少し考えた後、詠二を窺うように見ながら、そんな答えを口にするエリス。
「まあ、普通はそう考えるよね」
その答えは完全に予想通りのものだった。
自分もこの問いを出された時、そう答えていたことを思い出し、軽く笑顔を作る詠二。その反応が不満だったようで、口を尖らせるエリスだった。
「でも、こういうのはどうかな? 向かいの店の剣を金貨190枚で買い占めて、こっちの店で全部金貨200枚で販売する」
「……あ」
詠二の答えを聞いたエリスは、はっとしたような顔をした。
これが正解、というわけではない。厳密に言えば正解と呼べるものなんてない問題だ。だが、エリスが出した案と詠二の答え。そのどちらがより効率的かは明白だ。
聞いてしまえば簡単なことだが、何の予備知識もない状況でこの答えを出すことの難しさ。それはエリスにも分かったようだ。
「む~……」
納得はしたようだが、不満そうな顔を作るエリスだった。
「もう一つ問題だ」
そんな反応に苦笑しながら、もう一問、問題を出すことを伝えた。
それを聞いたエリスは、ぱっと顔を輝かせ、今度こそは正解してやると意気込んでいる。
「僕の友達にとんでもない男がいてね。ここでは仮にT君と命名しておこうか」
「……」
どことなく不満そうな顔をするエリス。Tが誰のことなのか分かったようだ。
エリスの反応はとりあえず見なかったことにして、話を先に進める。
「このT君。周囲には常に複数の女性の影があるようなだらしなく、自分勝手に見えるのですが、実は決して自分から暴力を奮うことのない立派な青年でした。ある日、道端でガラの悪そうな男達に囲まれている女性を目にしたT君は、すかさず女性を庇うように女の人の前に立ちました」
一気に語り、ここで一息をつく。
「さて問題です。次の二つの選択肢のうち、正解である確率が高いのはどちらでしょう。1、T君は実際はとてつもなく強い。2、T君はとてつもなく強い上に女好きである」
「それが問題ですか?」
「そうだよ」
普通のクイズとはかなり毛色の違う問題を出され、戸惑っていたエリスだが、すぐに気を取り直して内容を吟味するように、深く考え込んでいる。
「2……ですか?」
「なんでそう思ったの?」
「なんとなくですけど……。Tは私生活がだらしなく、傍には常に女性の影がある、と言ってましたよね? それに今回人助けをしようとわざわざ男達の前に立ったのも、絡まれていたのが女性だったからじゃないんですか?」
そう言って窺うような視線を送ってくる。
語尾を疑問系にしてはいたが、自分の答えにそれなりに自信があるようで、その目は真っ直ぐに詠二をとらえていた。だが……
「はずれ。正解は1だよ」
きっぱりと、エリスの答えが不正解であることを告げる詠二だった。
「なんでですか! この問題じゃ、どちらが正解かなんて分からないじゃないですか!」
「それが分かるんだよ」
声を荒げたエリスに対して、冷静に否定する。
「僕は問題の最後にこう言ったよ? 次の二つの選択肢のうち、正解である『確率が高い』のはどちらでしょうって」
「えっと……。はい」
「選択肢1は、ただ強いってだけ。けど選択肢2は強い上に女好き、と条件が2つある。『どちらが真実か』ではなくて『どちらの方が正解の確率が高いか』と聞かれたら、当然条件が少ない方になるよね?」
「……あ」
多すぎる情報を与えるられると無意識のうちに脳内で処理されてしまい、問題を自分で勝手に問題を複雑化させてしまう。何を問われているのか。これが一番重要だというのに、案外見落としてしまいがちになるのだ。
そんな中で正確に問われていることを答える。これが意外と難しいのだ。元の世界で似たような問題があるのだが、その正解率は大体二割から三割くらいだったりする。
「ちなみに、この二つの問題。……正確には、この二つと似たような問題だけど。これをツバキは両方とも正解したよ。それも、ほとんど即答でね」
「なっ!?」
驚きの声をあげるエリス。まあ、それも無理はない。
少しでも椿と認識がある人間なら、あの男がこういった頭を使う問題が実は物凄く得意だなんて、想像もつかないことだろう。
がさつで気分屋。やることが全てにおいて大雑把。希崎椿という男について、どんな性格なのかと聞いたなら、大体こんな答えが返ってくるだろう。だが、実際は違うということを詠二は知っていた。
あの男は、相手が何を求めているかを探り、自分が利益を得る最も効率の良い方法を探りあてる。そういった能力に恐ろしく秀でているのだ。
普段、椿が大雑把な性格でいるのは、わざとそういう態度を取ることで、他者に本来とは違ったイメージを植え付けようとしているのだろうと詠二は考えていた。たぶん、いざという時に相手を出し抜くために、そういう風に装っているのだ、と。
詠二が椿の方が交渉には向いていると思ったのは、そういった理由があるからだった。
「エリスはツバキのことを誤解してるんだよ。色々とね」
そういった能力を持っているところだけでなく、性格的な意味も込めてそんな言葉を口にする詠二。
もっとも、誤解をさせるだけの態度を取っていた椿の方に問題があるのかもしれないけど。と頭の中では思っていたが、口にはしない詠二だった。
「……」
そんな詠二の言葉に、何の反応も見せず、むすっとした顔のまま黙り込んでしまうエリス。その顔は、明かに詠二の意見に対して否定的なものだった。基本的に詠二の言うことなら素直に聞くエリスだったが、椿のことに関してだけは頑なな態度を崩さないのだ。
どうやら友人の評価をあげようとする試みは、またしても失敗に終わってしまったようだ。
本当はどれだけ優秀か、ではなく、どれだけ良い人間か、ということを伝えるべきなのは分かっていたのだが……希崎椿という男は、友人の目から見ても、お世辞にも良い人間、と呼べるような男ではなかったため、それができなかったのだ。
エリスの態度に、やれやれ、と軽くため息をつきながら、窓の外に視線を移す。
エリスと談笑している間も、馬車は着々と目的地に向かって進んでいた。気が付けば、もう目的地が肉眼で確認できるくらいの位置まで来ていた。
「な~んか、嫌な予感がするな~……」
見えてきた巨大な都市を前に、頼りになる友人が傍にいない、ということ以上に何か得体の知れない不安を感じている詠二だった。