3話 寝不足の理由
「なんだよ。ツバキを待ってたなら、昨日の段階でそう言えよな」
「あ、うん。……ごめん」
結局、この場所にいた理由は俺を待っていた、という理由をでっちあげて葉霧をなだめることにした詠二。葉霧の方も、その嘘を簡単に信じてしまっている。
詠二が葉霧に好意を持っていることは傍から見ればすぐに分かることなのだが、当の本人にだけは一向に伝わっていない。それも全部、詠二が恐ろしく奥手な所為だった。
ちなみに俺は詠二の決断に何も口を挟んでいない。この二人に関する恋愛絡みの話題には、基本的にノータッチでいることに決めているのだ。
「それで、なんで二人は……その……手を繋いでたの?」
「あん? お前はまだそんなくだらないこと気にしちゃってんの?」
一言も説明などしていないというのに、この話題はとっくに終わっている、と言わんばかりの呆れ顔を作っている葉霧。
俺と葉霧の手は未だに離さず、しっかりと繋いだままの状態だった。詠二が気になって当然と言えば当然だ。それに、誤解以外の何者でもないのだが、俺と葉霧が只ならぬ関係なんじゃないか、という気色悪い噂もあることだし。
「……寝不足なんだよ」
「寝不足? ツバキが? それがハギリちゃんと手を繋ぐこととどう関係してるの?」
「今のこいつ、一人じゃ真っ直ぐに歩くことすらできねえんだよ。だから、仕方なく手を引いてやってるだけだっての」
元々、先に手を引いてきたのは葉霧だったためか、俺の代わりに説明をしてくれた。
こうなるきっかけの出来事は、俺達が家から出てすぐに起こった。
俺としては気合を入れて、しっかりと意識を保っているつもりだったのだが、どうも体はそうはいかなかったらしいのだ。特に三半規管の辺りが意志とは無関係に完全にダウンしていた。真っ直ぐ歩いているつもりでも、いつの間にか目の前に壁があったり、地面があったり、といった事態に陥っていたのだ。
そんな様を見ていた葉霧が仕方なく手を差し出してきて、それを俺が掴んだ、というわけだ。
「そんなになるまで一体何をしてたんだよ」
「そういや、それ、あたしも聞いてねえな。おい、ツバキ。お前、今朝まで何やってたんだ?」
「別に。ただちょっと長時間、麻雀的なものをやってて、眠ってだけだよ」
昨日まで……ではなく、今日の朝まで知り合いとやっていた大衆向けの娯楽の名前を嘘偽り無く口にする。
「麻雀的なものってなんだよ。普通に徹夜で麻雀やってたって言えばいいだろ」
「いや、それは、まあ、なんというか……」
……本当に最期までそれをやってたかどうかの記憶が定かじゃねえんだよ。
「ふ~ん……。たった一日徹夜したくらいでそんなになるなんて……。ツバキ。ちょっと衰えた?」
何か納得のいかないような顔をしながら、挑発するようにそんなことを口にしている詠二。なかなか突っかかってくる。そんなに気に入らないのか。
たかが、自分が好きな女が、恋人疑惑のある人間と手を繋いでいただけだというのに。
「一日じゃねえよ」
これ以上、突っかかって来られるのも煩わしかったので、きっちりと全てを説明することにした。
「え?」
「三日間完全徹夜。72時間ぶっ通しだっての。ったく。あいつら、自分が負けてる時は勝つまで止めようとしねえ。おかげで、昨日、学校をサボるはめになっちまったんだよ」
ついでに学校を休んだ理由もそういうことにしておいた。……あまり意味はないけど。
「ま、おかげで結構、儲けたけどな。ほら」
言って二人の前に金額の書き込まれた手形を差し出してみせた。
唖然としたような表情でそれを受け取る葉霧。
「これは……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……。って、おのれはどんだけ勝ち越してんだよ!」
「半チャン40回連続首位をキープ。どうだ? すげーだろ?」
手形に書かれている額面を見て驚愕の叫び声をあげている葉霧に向かって、得意気に胸を張って見せる。
先日の俺は、ギネス記録に載せられるじゃないかと思うほど勝つ続けたのだ。
「勝ち過ぎだろうが! 限度ってものがあるだろうが! 少しは手加減くらいしてやれよ!」
が、歴史的な快勝をした俺に対して、激しい突っ込みと共に、怒鳴りつけてくる葉霧だった。この女は、俺の成し遂げた偉業を全く理解していないようだ。
「……寝ぼけてたのかもな」
詳しく説明するのも、あまり騒がれるのも面倒なのでそういうことにすることにした。
「都合の良い時だけ、寝ぼけたふりしてんじゃねえよ!」
突っ込みと共に鞄が頭に飛んでくる。一応幼馴染。十年以上も付き合いがあるだけあって、安易な誤魔化しは通じないらしい。
それにしても、やけに絡んでくるな……。俺だけ大金を得たことがそんなにうらやましいんだろうか?
「あのなぁ、葉霧。奢って欲しいなら、叩くんじゃなくて、素直にちゃんとお願いしろよ」
これじゃあ恐喝されているようにしか見えないだろうが。
「誰が奢れなんて言ってんだよ! そんな犯罪の匂いのする金なんて一銭も欲しくねえよ!」
失礼な奴だ。金に綺麗も汚いもないだろうが。
自分は犯罪ぎりぎり(?)の年齢の男の子に手を出している分際で、言うことだけは偽善的な奴だった。
俺と葉霧がそんなやり取りをしている最中、詠二は隣で黙って俺の取り出した手形を眺めていた。もしかしてパクろうとでもしているのだろうか。
「ツバキ……この手形に書かれている名前なんだけど……」
声をかけようとしたところで、逆に詠二の方から俺を呼びかけきた。それまで俺に向けていた疑惑の眼差しなど一切消し去り、むしろ心配するような目で俺を見ながら手形を差し出してきた。
「ん?」
目の前に差し出された紙切れの名前の欄に注目する。そこには恐妻商事、と書かれていた。
「これって、この前、政治家と裏で繋がってたことが発覚して、莫大な負債を抱え込んだってことで結構大々的にテレビでやってた商社じゃねえのか?」
俺の代わりに葉霧が反応する。
「そうなのか?」
真面目な顔で頷いてみせる二人。その顔を見る限り、どうやら嘘を言ってるわけではないらしい。
「それで?」
「これ、間違いなく焦げ付いてるよ……」
「あ?」
「だから、椿は体よく不良債権回収の仕事を押し付けられただけだって!」
「あ、そうなの?」
まあ、初めからこんな金額を全額独り占めする気なんてなかった。金にしたら何割かはもらった連中に返すつもりだったんだけど……これならちょうど良いか。
「なんでそんなに冷静なのさ!」
「別に騒ぐほどのことでもないんだよ。今までもこんなこと、結構あったし」
今回は借金のかたにもらったようなものだったが、これまでもお小遣いという名目で焦げ付いた手形やら小切手やらを渡されたことは何度かある。その金を回収するくらい何度もやってきたことなので、今更騒ぐようなことでもないのだ。
「ツバキ……。遊ぶにしても、バイトするにしても、もう少し相手を選んだ方が良いと思うよ」
「……同感だ」
真剣な表情でそんなことを口にする友人二人を前に、俺も素直に頷くことにした。まあ、一度寝て起きたら忘れてるだろうけど。