26話 決闘
「私はあなたとお付き合いすることはできません!」
「ああ。私が武勇に優れているという理由でしり込みしているのかい? それなら気にしなくていい。剣を置いた私は、あなたのような美しい女性に対して、どこまでも紳士でいることを誓おう」
さきほどからずっと、このようなやりとりが延々と続けられている。
サリューネの方は、男の誘いに乗り気じゃない……どころか、かなり嫌がっていて、必死に断りの返事を口にし続けている。だが、男の方はそれをまるで取り合っていない。
主に、自分の武勇を語ったり、家の財産がどれほどあるかを大袈裟に言い聞かせながら迫っている、といった感じだ。俺はその様子を離れた場所から何食わぬ顔で眺めていた。
「あいつ、強いのか?」
聞いていて少し疑問に思ったことをおっさんに尋ねてみた。
その服装や、自然と他人を見下すような態度から、なんとなく育ちの良さは感じ取れる。だが、その体付きは、どう見ても激しい戦闘ができる体型とは思えなかった。
同じ様な優男でも、詠二の奴はああ見えて服の下には結構たくましい肉体が隠れている。剣を構えなくても、立って歩いているだけの動作で、なんとなく強者だということが伝わってくるのだ。が、あの男はそういった雰囲気はまるでない。
「ああ。最近ギルドに登録したひよっこの冒険者なんだけどな。なんでも、東のヴァドル付近にいた盗賊を一人で討伐したことで、一気に名を上げたんだよ」
「へぇ」
少し意外な話だった。
俺も盗賊団を一つほど相手にしたことがあったが、あれと同じようなことをあの貴族のお坊ちゃんがやっている様というのは、ちょっと想像がつかない。
「そうは見えないけどな」
「まあ、それに関しては確かに疑惑の目で見る人間も多いんだけどな。元々、ボルド家には代々伝わる魔法もあることだし。俺はあながち嘘じゃないんじゃないかと思ってるよ」
「ふ~ん」
人は見かけによらない、ということか。
そう自分を納得させ、また二人へと視線を戻す。
相変わらず、全く話を聞こうとしない男に、困り果てているご様子のサリューネ、という代わり映えのしない光景。
「性格の方は、あんまり良くないみたいだな」
「いや。別に悪いってわけじゃないんだけどね。なんというか、ちょっと正直すぎる上に、人の話を聞かないようなところがあって」
「正直すぎる、か」
言葉は使いようだ。要するに欲望に忠実な男ってことだ。まあ、別にそれが悪いとは思わないけど。
相手の話を聞かないようなところがあるとしても、顔がそこそこ良く、清潔なだけ良いだろう。あれが不潔で醜い男だったなら、すかさず飛び込んで殴り倒しているところだ。なんだかんだ言っても、世の中、顔が良い奴は得をするようにできているのだ。
ちなみに、俺は彼女を助けてやろうなんて気は今のところ全くない。これだけ人が大勢いる中で、いきなり逆上してサリューネに危害を加えるような行いは、流石にしないだろうし。
完全に傍観者の立場から困っている彼女を存分に堪能することにしていた。俺は、女は笑っている顔が一番可愛い、なんていうエセフェミニスト的なくだらない感情は一切持たない。笑っている顔も別に嫌いじゃないが、泣いている顔も、怒っている顔も、困っている顔も大好物なのだ。
断っておくが、これは俺が特別な嗜好を持っているから、というわけではない。
口にはしないだけで男なら多かれ少なかれ、そういった感情を持ち合わせている。その証拠に、彼女がその端正な顔をゆがめて困っている姿は、有名な貴族のお坊ちゃんよりも多くの男達の視線を集めていたりする。
「まあ、強引に迫りたくなる気持ちも分からないでもないけどな」
「そいつは同感だ」
サリューネを見ながら、俺は名前も知らないおっさんは意気投合していた。
そうこうしているうちに、サリューネがとうとう自分で説得することは無理だと悟り、助けを求めるように周囲を見渡し始めた。が、見渡したところで、目が合っても相手には露骨に逸らされている。
まあ、当然の反応だ。この状況で出て行けば、まず間違いなく男の邪魔をすることになる。たとえ性格に問題があったとしても、相手は一応貴族のご子息様だ。誰だって好き好んで憎まれ役になんてなりたくないだろう。
「――あ」
……あ。
偶然、サリューネがこちらの方を向いた時、視線が合ってしまった気がした。というか、俺を見たまま、その首を動かそうとしないので、気のせいじゃないみたいだ。
できればこのまま傍観者でい続けたかったのだが、ここで無視すると後々文句を言われそうなので仕方なく、手を振ってみせる。
すると彼女は天使のような笑顔を作り、人ごみを掻き分けながら、猛烈な勢いでこちらに向かって来てしまった。
「えーと……」
すぐ近くまで迫ってきた彼女に対し、とりあえず、黙って傍観者でいたことを弁解しようとしたのだが……
「私、この人と付き合ってるから、あなたの妻になることはできません!」
傍まで来た彼女は、いきなり俺の腕にしがみつき、俺を突き出すようにしながら、男に向かってそんなことを宣言してしまった。……というか、結婚を迫られていたのかよ。
それまで、野次馬でひしめいていたはずの通路が、彼女のおかげで、俺を中心に円状の空白地帯が出来上がってしまった。
……ああ。今までフレンドリーに話していたおっちゃんが、俺に冷たい視線を。
「冗談は止めてくれないか? 僕がこの貧相な男と比べて、劣るところがあるのかい?」
彼女の後を追い、俺の存在を知ったセルリウムは一瞬だけ動揺したが、すぐに俺の全身を値踏みするような目で眺め、軽く鼻で笑われてしまった。
「馬鹿にしないで下さい! こう見えても、この人の方があなたよりお金持ちだし、有名だし、強いし、優しいし――」
当の本人である俺のことを置いてきぼりにし、ありもしない俺の長所を挙げていくサリューネ。それがまた、無駄に誇張して言うものだから、途中から誰のことを言っているのか、俺でさえ分からなくなってしまいそうになった。
サリューネの誇大妄想的発言に、俺は引き気味になっていたが、相手の男には効果的だったようだ。彼女が俺を褒めるような単語を一つ挙げるたびに、分かり易く顔色を変えていく男。
「何より私達は深く愛し合っているのです!」
とどめといわんばかりに、最後にそんなことを大声で宣言しちゃっているサリューネさん。ここが大衆の前だということをすっかり忘れているご様子だ。
周囲の男連中から、もれなく殺意の篭った視線が送られてくる。
これでサリューネの言動が真実なら、優越感に浸れるところなのかもしれないが、実際のところはただ男の誘いを断るために口にしているデマカセなので、正直、肩身の狭い思いをするだけだった。
いくら俺が殺意を向けられるのは好きな性格だといっても、こういった謂れのない妬みからくる殺意は勘弁して欲しかった。
「貴様! 今、言ったことは本当なのか!?」
それまで彼女に何を言われても聞こうとしなかったというのに、俺が間に入った瞬間、声を荒げ始めた。大方、別の男と比較され、しかも下に格付けされたことに対して、大いにプライドを刺激されたってとこか。
憎しみの炎が宿る視線を俺に叩きつけながら詰め寄ってきた。
……。
ま、話を合わせろなんて言われてないし。
「いや。全部嘘」
真実を口にすることにした。
「――っ」
俺が話を合わせるものだと思い込んでいたらしく、後ろでサリューネがショックを受けている気配がする。
とりあえず、今は彼女のことを相手にしない。
「俺、あんまり金持ってないし、無名だし、優しくないし。サリューネとは会ったばかりだから、まだ愛してなんかない。彼女も俺のことを愛してなんかないと思うぞ」
むしろ、本気で俺のことを愛している、なんて言われても、どん引きするだけだ。初対面の美人が自分に好意を持っている、などという甘い言葉を囁いたときほど危険なものはない。漫画やゲームの主人公じゃあるまいし、現実にそんなことが起きたとしても、それはほぼ百パーセントの確率で罠に決まっているのだ。
「くっ。はははははは! 中々正直な男じゃないか!」
正直に告白してみせると、それがつぼには入ったらあしく、腹を抱えて大笑いし始めるナンパ男。どうやら、自分にとって都合の良いことは、しっかりとその耳に入るらしい。便利な耳だ。
貴族のご子息様はいい気分になったみたいだし、このまま退散する、というのも一つの手だが……流石にそれは薄情すぎるか。
心底楽しそうに笑っているところを悪いが、少し水を差させてもらうした。
「――つってもまあ、今のとこはって、話だけどな」
「……何?」
それまで高らかに笑っていた男の顔が、一瞬にして表情が険しいものに変わる。
「今の彼女の話。全部嘘って言ったけど、それは現状ではって話だよ。俺があんたより金持ちになるのも、有名になるのも、全部これから先の話。彼女はこれからの俺に期待してるってことだろ」
「なんだとっ!?」
優しくなるかどうかは自信がないので言わないでおく。
「それにな。彼女が本当のところ、どう思ってるかは知らないけどな。俺の方は彼女に対して、好きって感情はちゃんとあるぜ。まだ愛してるとまでは行かないけどな」
俺は気に入った女性に対して、はっきりと好きと言える男だ。どこかのチキンな王様とは違うのだ。
「あ、う……」
赤い顔をして俯いているサリューネ。正直、この瞬間にも本気で愛してしまいそうなほど、可愛い仕草だった。
その、サリューネの満更でもない仕草は、男の激情を煽る結果になった。ちなみに、俺の方も思わず抱きしめたくなる衝動を押さえ込むのに必死だったりする。
「ふざけるな! 貴様は平民だろうが! 財産を持たない。権力もない。あまつさえ貴様は、まだ愛してすらいないだと? そんな人間が彼女に相応しいと? そんな軽い気持ちで、彼女を幸せにできると思っているのか!」
なら、まだ出会ったばかりなのに、結婚話を持ち出すといった変質者まがいの行為を平気で行う、お前はどうなんだよ。などという突っ込みが頭の中に浮かんできた。……口には出さないけど。言ったところで変に怒りを買うだけになりそうだし。流石の俺も見ず知らずの男を相手に、怒りを煽ってその反応を楽しむような趣味は持ち合わせていないのだ。
俺の方は、彼女を幸せにできるのかなんて聞かれても、すかさずNOと答えたいところだった。なんせ、俺も彼女と出会ったばかりで、まだお互いのことを全然知らないのだから。
だが、今の場面でそれを口にするのは無粋だろう。
「軽い気持ちじゃねえよ」
ここは、相手の男に合わせて、ちょっとばかし、こっちもテンションあげていくことにしよう。
「俺は、まだ彼女が目覚めたばかりで無防備な状態だったときから見守ってきた。彼女が傍にいる時は、どんな誘惑にも負けず、自分を押し殺して耐えてきた。外見からは分からなかった彼女の体に秘められた真実に気付いた時も、何も言わずに傍にい続けてきた! その想いに嘘はない!」
多少芝居じみた態度で、男と正面から向かい合う。
「断言してやる! 俺の方がお前より、彼女のことを強く想っているってな!」
嘘はついていない。サリューネとは、彼女が無防備に気絶していたときからずっと一緒にいる。主に誘惑された対象は彼女であり、彼女が傍にいる時はそれを表にしなかったことや、服の下には恐るべき体が隠れていたことに気付き、それを押し付けられていたときも、獣になって彼女に襲い掛かるような真似はしなかったこと。
そして、彼女の体の感触をよりリアルな感触を知っている分、俺の方がより彼女の方を強く思っていることは間違いない。まあ、強く劣情を抱いているって意味だが、強い想いを抱いていることには違いないだろう。言っていることは全部欲望方面に直結しているのだが……一つとして嘘はついていない。
それらをちょっとばかり表現を変えて口にしているだけなのだ。
俺が普段から変に嘘はつかず、こういった誤解を招き易い発言をするのには訳がある。
嘘偽りのない言葉には力が宿る。嘘をついていない、という事実が言葉を発する本人から後ろめたさを消し、その声や態度に力強さを持たせ、その力強さは説得力となって相手の心を動かしやすくなるのだ。
実際、目の前の男は、俺の言葉を聞いて何やら衝撃を受けているご様子だ。
「……ツバキさん。後でちょっとお話があります」
目の前にいる男とは対称的に、えらく冷めた声が背後から投げかけられる。
一瞬だけ、声のした方にちらりと視線を送る。そこには声同様、冷ややかな目で俺を見つめているサリューネの姿が。
どうやら彼女には俺が口にしていたことの本当の意味に気付かれてしまったようだ。まあ、別に気付かれたところで、どうということはないけど。
「俺の方はない。自分に正直に生きているだけだからな」
後ろめたい想いはないので、堂々と答えてやる。言わずにいたのは確かだが、行動を起こしたのは全てサリューネの方だし。俺はただ耐えていただけだし。
嘘はついていないという事実のおかげで、ここでも俺は強気な態度を取り続けることができた。
「途中までは格好良かったのに……どうしてわざわざ自分の価値を下げるようなことを口にするんですか」
「そういう性格なんで」
絵に描いたような男の格好良さを求めるなら、俺ではなく詠二の奴を当たって欲しい。
何やら俺への評価を下げている様子のサリューネのことは、ひとまず置いておく。
「ってわけだ。俺達の条件は五分。なら、同じ女を惚れちまった男同士。どいて欲しいなら、力ずくで押し通してみな!」
改めて、目の前の男と向かい合い、正面から宣言してみせた。
気が付けば、周囲に集まっている野次馬の数が、俺がこの場に来たときの倍以上にまで膨れ上がっていた。
連中からすれば俺の姿は、貴族に歯向かう馬鹿な男にでも見えるのだろう。中には、自分の女を貴族の男から守ろうと必死になっている勇敢な男として見てくれている人もいるかもしれない。
どちらにしろ絶好の見世物に違いないな。……後で金を取れないだろうか。
相対している男は、俺がそんな邪な考えに頭を働かせてるとは思ってもいないことだろう。
「……貴様。名は?」
先ほどまで、声を張り上げていた男が急に冷静な声を名前を尋ねてきた。
男の目が、それまでの俺を見下したものとは違い、対等な人物を見るような目に変わっていたことに気付いた。
「クラウドだ」
そんな真剣な眼差しで名前を聞いてくる男に向かい、堂々と偽名を名乗った。
「そうか……。私の名はセルリウム。セルリウム・ボルド。貴族ではなく一人の男として、彼女をかけて、戦士クラウドに決闘を申し込む!」
その言葉に周囲にいた野次馬達がどよめきが最高潮に達する。
が、俺の方は逆に少しだけ冷めた気分になった。
「彼女を賭けてってどういうことだ? もし勝ったら自分の物になるとでも思っているのか?」
だとしたら、決闘を受ける気になんてなれない。別に俺は女を物のように扱うことに否定的なわけじゃない。世の中には男の所有物になることを自分から望む女もいることだし。
ただ、本人の意向を全く無視しているところが気に食わないのだ。
「何を馬鹿なことを。賭けるのはあくまで貴様と私の中にある彼女への想いのみ。もしも私が負ければ、金輪際、彼女に迫らないと約束しよう」
……へぇ。
「つまり、負けた方は彼女を諦めるだけで、その後、勝者と付き合うかどうかは彼女次第ってことか」
「その通りだ!」
力強く肯定した。
彼女の気持ちをほとんど度外視しているところに変わりはないが……どうやらこのセルリウムという男は、思っていたよりも、ずっと好感のもてる男だったみたいだ。
軽くからかってこの場から逃げてやろうかと思っていたのだが、その態度を見て気が変わった。
「いいぜ。お互い、納得がいくように、全力でやりあおうじゃねえか!」
俺が挑戦に応じる旨を宣言すると、周りにいた野次馬が一斉にその場から離れ始めた。