24話 自己紹介
知り合った美人の彼女とは、俺が台無しにしてしまった彼女の持ち物を弁償する約束があったため、とりあえず、西にあるわりと大きめな村までは同行することになっていた。
もう本当のことを偽るのも面倒だったので、巨大化したフェンリルの背に乗っての移動だ。
今、俺達は街道を大きく外れた場所をそれなりの速度で走行中だ。
フェンリルの姿を他の人間に見られたら面倒な事態になりそうなので、基本的に俺は移動の際、街道を使わないようにしているのだ。
俺としては、もう魔物が襲ってこない状況に慣れきってしまっているため、のんびりと景色を楽しんでいたりするわけだが、後ろに乗っている彼女はそうはいかなかったようだ。
そばにいるだけでも彼女の緊張が伝わってくる。
常に周囲に気を配り、話しかけてもどこか上の空で、すぐに注意を他に移してしまう。過剰とも思えるほどの警戒心。おかげで本来、こんな場所を少人数で移動することがどれだけ危険なところなのかということが、わかり易く伝わってくる。
見ようによっては、周囲の様子に気を配り過ぎて、俺なんか全く相手にされていないように思えてしまうこの状況。だが、俺はそんな彼女を見ても、あえてその不安を解消するようなことは一切しなかった。
不安そうに周囲の様子を伺いながら、体を密着させてくる彼女の様子が可愛かった、というのもある。だが、それ以上に重大な事実に俺は気付いてしまったのだ。
服の上からでは分からなかったが、彼女は顔だけじゃなく、体まで一級品だった。そんな彼女が、俺に後ろからしがみついてきているのだ。……男なら誰だって、この凶悪な感触を自分から手放すことはできないだろう。
「あの……」
「はい。なんでしょうか?」
あまりの幸福感から、つい口調が敬語で反応してしまった。
「……」
「……」
「……なんだ?」
なんか、胡散臭い物を見るような目で見られたので、言い直すことにした。
「もしかして、魔物を避けて移動しているんですか?」
どうやら、気付かれてしまったらしい。
まあ、一時間も全く魔物と遭遇せずにいたら、流石におかしいと思うか。
「別にそういうわけじゃないんだけどな」
非常になごり惜しいが、仕方なく本当のことを話すことにする。
ここで変に嘘をついて彼女との肉体的距離を縮め続けたとしても、ばれた時に好感度が大幅に下がるだけだし。
「俺、なんか、魔物が寄ってこない体質らしいんだわ」
「魔物が寄って来ない、ですか?」
「ああ。なんでか知らないけどな」
そのおかげで、これまで魔獣と全く出会うことができなかった、とは言わない。もし彼女がそれを知ったら、俺が現在進行形で貧乏なことがばれて、弁償するという話をなかったことにされる可能性がある。金銭的にはその方がいいかもしれないが、男にはたとえ一文無しになることが分かっていても、引くことができない時というのがあるのだ。
それに、なんだかんだ言っても、壊れた物をまた買いなおせることを喜んでいた彼女を見ていると、それほど悪い気分じゃないし。たとえ有り金を全額貢いでも、なんか許せてしまう美貌が彼女にはあった。……ホステスにハマる客というのは、こういう気分なのかもしれない。
「それ、もしかしたら、この子がいるからなんじゃないですか?」
しばらく考え込むように顎に手を置いて俯いていた彼女が、視線を下に……巨大化したフェンリルに落としながら、そんなことを口にした。
「どういうこと?」
「この子、魔獣……ですよね? それもかなり力のある」
中々、突拍子もないことを言われてしまった。
フェンリルが魔獣?
そう言われてもあまりピンと来ない。
確かに、何もないところから突然出てきたり、人間の言葉を理解したり、巨大化したり、めちゃくちゃ頑丈だったりと、普通の子犬とはちょっと違うところが多いかもしれないけど……。
……。
よく考えてみれば、動物よりも魔獣に近いことに気付いた。
だが、もし本当に魔獣なんだとしたら、もう少し早く誰かが気付いていても良さそうなものだけど……。ああ。そういえば、ヴァドルにいたときは、こいつはずっと子犬モードのままだったか。
「お前、魔獣なのか?」
考えたところで答えなんて出てきそうもなかったので、本人にも確認を取ってみる。
「ガウ?」
フェンリルは首をかしげながら、自分でもよく分からない、と答えた……ような気がする。
「分からないらしいぞ?」
「ええっと……。そんな軽いノリでいいんですか?」
別に軽いつもりはないんだけど。
「よく分からないけど、こいつが魔獣だと、なんか問題があるのか?」
本当に魔獣なんだとしたら、村や街に入る際、多少、人目を気にしなくちゃならなくなるだろうが、それ以外に俺が気にするようなことは何もなかった。
「いえ。あなたが気にしないなら別にいいんです。けど……」
「けど?」
「えっと……この子が傍にいるから、力の弱いほかの魔物達は近寄って来ないんじゃないかと思うんですけど」
「……」
なるほど。
動物は危険な生物と相対した時、それが初対面だったとしても本能的にその生物の危険性を悟るという。そして、魔獣や魔物の場合、そういった器官が普通の動物よりも発達しているらしい。
基本的に大人しい性格をしているフェンリルだが、実際にこいつはキマイラを一蹴してしまったほどの実力がある。たとえ小さい姿をしていても、その本質を誤魔化すことができなかった、ということか。
それならば、俺が今まで全く魔物と出会うことがなかったのも、気配がしてもすぐに逃げてしまっているような感じがしていたのも全て説明がつく。
つまり――
「今までの苦労は全部おのれの所為かああああ!!!」
「きゃいん! きゃいん!」
気が付けば、込み上げてきた怒りに身を任せ、貧乏生活の元凶となっていた存在の首を全力で締め上げている俺がいた。
調度良い川原を見つけた俺達は、そこで軽く休憩を取ることにしていた。
本当はもうちょっと進んで街に入ってから休むつもりだったのだが、ちょっとばかり強く首を締めすぎてしまったらしく、フェンリルが子犬モードでぐったりとしてしまったのだ。……軟弱な奴だ。
フェンリルを休ませている間、俺と美女はすぐ傍で雑談しながら時間を潰すことにしていた。
「そういえば、まだ自己紹介をしてませんでしたね」
「……ああ。そういえば、そうだったか」
言われて気付いた。
そういえば、記憶障害を起こしてたり、俺があまり深く突っ込んでぼろが出ないようにしていたため、自己紹介がまだだった。
俺としたことが、うかつな話だった。
「私はサリューネといいます。職業は……一応、医者ということになりますね。街から街を流れ歩きながら、病気の人や傷ついた人を介抱するのを仕事にしています。あなたも、怪我をした場合はすぐに言ってくださいね?」
俺がフェンリルを魔獣だと聞いても、全く態度を変えなかったことが良かったのか。それとも、実は俺の方が年下だということが分かったからなのか。どちらが理由かは分からないが、それまで残っていた警戒心を大幅に緩め、笑顔でそんなことを口にしている彼女。
「……」
そんな彼女を前に、俺はとっさに返事をすることができないでいた。
散々密着しておいてなんだったが、あらためて正面から顔を合わせたことで一瞬、見惚れてしまったのだ。……女医という甘美な単語に、突っ込みを入れることを忘れてしまうほどに。
「どうかしましたか?」
「あ……ああ。悪い」
気を取り直して、俺も名乗ることにする。
「俺の名前は――」
「わんわんわんわんわん!」
「――だ」
名前を口にした瞬間、それまで横でぐったりとしていたはずのフェンリルが、突然それを遮るように鳴き声を上げやがった。
「え?」
どうやら、その所為で肝心な名前の部分は彼女に届かなかったらしい。仕方なく、もう一度自分の名前を口にする。
「だから、俺は――」
「わんわんわんわんわん!」
「――だって」
「……」
「……」
「ちょっと失礼」
「え、ええ」
タイミングよく二度も邪魔してきた小動物の頭を鷲掴みにして持ち上げ、そのままサリューネと名乗った彼女に軽く断りを入れてから席を立った。
「なんだてめえは? 俺の名前が他人に紹介するのにははずかしい、とかほざくんじゃねえだろうな」
サリューネには聞こえないくらいの距離に移動したところで、腰を下ろし、フェンリルを問い詰める。
確かに椿という名前は、男にしては珍しく、逆に女の方が相応しい名前だろう。そのことで少年時代はからかわれた経験がある。もし兄弟がいたなら、名前を紹介するのは恥ずかしい、と思われる可能性だってある。それは自覚している。だが、飼い犬にまでそれを言われる筋合いはなかった。
「う~……」
首を左右に振っている。
どうやら違うらしい。まあ、もしそうだと答えたら、この場でダンボールに詰めて放置してやるところだったけど。
その後も、何かを伝えたそうにきゃんきゃんと喚きたてていたが、そのうち口で……というか、鳴き声で伝えようとするのは無理だと悟ったらしく、いきなり荷物の袋の中に首を突っ込んだ。
一瞬、そのまま袋を閉じて身動きを取れなくさせ、ゆっくりとサリューネのところに戻ろうかとという考えが頭に思い浮かぶ。が、一応、真面目に何かを伝えようとしていたっぽいので、少しばかり待ってやることにする。
しばらく様子を見守っていると、中からギルドのライセンスを取り出して俺の前に差し出し、そこに書かれているクラウドという名前を前足でペシペシと叩きはじめた。
これを名乗れ、ってことか。
「お前、もしかして、俺が漂流者だってこと、隠せって言いたいのか?」
「わん!」
鳴き声と共に大きく頷いているフェンリル。
どうやら、初めてギルドに行った時、詠二が漂流者はこの世界において貴重な存在のため、その身分は隠した方が良いと忠告してきたことを律儀にも覚えていたらしい。
「ペットの分際で、何くだらない気を使ってんだよ。そのくらい、俺だって考えてるっての」
「わふっ」
軽く嗜めるようにフェンリルの頭を叩き、すぐにその場を立った。
「ごめん。待たせた」
「いえ」
突然理由も告げずに席を離れたというのに、嫌な顔の一つもしない。それだけのことでも彼女の性格の良さが伝わってくる。偶然出会ったこの女性は顔やスタイルだけでなく、性格までも良い、完璧な女性だったらしい。
まあ、これで本当は悪女だとしても、それはそれで悪くないけど。俺は相手が好みの顔をしていれば、性格は結構気にしない性質なのだ。
むしろ、この女性が邪悪な笑みを浮かべながら俺に向かって、恋人になってから代わりにヴァドルを滅ぼしてこい、とか命令してきたら、本気で考えてしまうことだろう。
目の前の美女が際どい露出の服装をしている姿を頭の中で想像をしながらも、顔だけは真面目を装いながら彼女と向かい合った。
「俺の名前は希崎椿。職業は漂流者だ。よろしくな」
「……」
口を開けたまま固まったフェンリルを尻目に、笑顔でサリューネと名乗った美女に笑顔を向ける。
「う、え? えっと、よろしくお願いします」
戸惑いながらも挨拶に応えているサリューネ。
サリューネは名前と職業を告げていたので、俺の方もそれに習って嘘偽りのない事実を告げてみたのだが、どうやら彼女を戸惑わせる結果になってしまったようだ。
まあ、漂流者は職業じゃないのだが、今のところ、ギルドに登録してあること以外に、決まった職業は特にないので、そういうことにしておいたのだ。……無職なんて言いたくなかったし。
「それで、その……漂流者って」
「別の世界からこの世界に流れ着いちまった不幸な人間ってことだよ。知らないか?」
変な解釈をされないように、正確に伝える。
「あ、それは知ってはいますけど……」
「ちなみに、これが俺の召喚した武器な」
言いながらフェンリルを持ち上げて見せた。
「……わふ」
もう、勝手にしてくれ、と言わんばかりに不貞腐れた声をあげるフェンリルをサリューネの目の前に持ち上げて見せる。
「このわんちゃんが召喚された武器?」
「ああ。フェンリルって言うんだ」
そのまま、フェンリルを差し出して受け取らせた。
「ええと……」
召喚された武器であるフェンリルを突然渡され、なにやら戸惑っている様子。
もうちょっと詳しい説明をしておくか。
「なんかさ。こっちの世界に来たときに、正確の悪い女に捕まっちゃってさ。その性格の悪い女の所為で、儀式をやる前に答えを聞いちまったんだ。で、その後に一応儀式を行ってみたら、こんなんが出てきたんだよ」
漂流者や召喚の儀というのは、この世界では子供すら知っているメジャーな話らしいので、既に知っているものとして話を進める。
「で、呼び出しちまったものは仕方ないってんで、傍に置いて乗り物として使っているわけだ。まあ、人の言葉を理解できるみたいだし、意外と便利な奴だよ」
こいつの一番便利なところは、傍にいると女性の態度が柔らかくなることなのだが、それは言わないでおく。
一緒にいると魔物と全く遭遇できない、という欠点がさきほど発覚したのだが、分かっていれば対処はできるし、それはそれで使えそうな特性のため、このまま継続して傍に置いてやることにしていたのだ。
「人懐っこい性格だからな。サリューネにもすぐに懐くだろうから、遠慮なくこき使ってくれて構わないよ」
「……なんか、不貞腐れてるみたいですけど」
言われて見ると、腕に抱かれたまま、そっぽを向き、あからさまに不貞腐れているフェンリル。
「気にしないでくれ。こいつ、俺が美人と話すとやきもち焼くんだよ」
軽くフェンリルの頭を叩きながら、そう言っておく。
「そう……なんですか?」
あまり納得していない様子で、フェンリルを覗き込んでいるサリューネ。
「わふ……」
相変わらず不貞腐れた鳴き声をあげるフェンリル。
その後、しばらく経って体調が回復したフェンリルだが、機嫌の方は中々治らなかった。
「あの、聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「さっき言ってた、この世界に来た時に出会った性格の悪い女の人っていうのは……」
そこが気になったか。
まあ、別に隠すこともないだろう。
「確か、エリシエル・ヴァレンタインって名前の修道服みたいなのを着たおかしな女だよ」
「え!?」
もしかしたら、知っているかもしれない、程度で名前を口にしてみたのだが、割りと大きめな反応が返ってきた。
「知ってるのか?」
「知ってるも何も、エリシエル・ヴァレンタインって言ったら、ヴァドルの元王妃様じゃないですか!」
「……まじで?」
予想だにしなかった答えが返ってきたため、思わず素の反応が出てしまった。
確かに俺はエリスの役職は一切聞かなかったし、エリス本人も口にしたことはなかった。城の中での扱いから、なんとなく、それなりに高い地位に就いているんだろうと予想はしていたが、まさか元王妃だなんてことは思ってもいなかった。
詳しく話を聞いたところ、正確には、エリスは前国王の唯一の王妃候補だったらしい。
なんでも、ヴァドルは王妃探しまで周りは一切口を出さず、国王に頼りきりで、その国王が死ぬまでに候補として連れて来たのが彼女だけだった、とのこと。
そして、前国王が死んだ後、空白となった王座に座ることになったのが彼女だった。その時、体裁を整えるために彼女を王妃ということにしたのだそうだ。……まあ、そんな話が完全な部外者であるサリューネにも伝わってしまっている時点で、体裁も何もないかもしれないけど。
つまり、エリス自身は結婚はしていなのに立場だけは王妃になってしまった、ということだ。……どうりで、周りの人間も、エリスが詠二にべったりだったことに何も突っ込まなかったわけだ。
にしても……嫁探しまで本人に頼りきりで、死んだ後はすぐに他の人間を王座に座らせるって。どれだけ他人に依存してたんだよ。
「そんな方とどうやって知り合ったんですか?」
「行き倒れていたところを助けてやっただけ」
即答する。
嘘は言っていない。主に介抱してたのは詠二だけど、一応、あいつに奢ってやった食べ物の代金は、全部俺持ちだったし。
「……」
唖然とした表情で固まっているサリューネ。まあ、国の王妃が道端で行き倒れていた、なんて話しを素直に信じられるわけもないか。
それにしても、あの女が王妃か……。どうりでお隣の国が攻め込んでくるわけだ。
ことなかれ主義の重役達に無能なトップ。隣の国の上層部がそんな状態なのだと知ったなら、俺でも攻め込むな。
「前国王はどこを見て、あいつを選んだんだか」
今でこそ美女と言えば美女と呼べるくらいの外見だが、あいつが候補に選ばれた時はまだ完全に少女と呼べる年齢だったはず。……全てにおいて有能だと聞いていたが、意外と性癖に問題があったのかもしれない。それはそれで面白い話だけど。
「実際にお会いしたことがないので性格に関しては、なんとも言えませんけど……。なんでも、彼女の一族には他にはないとっておきの秘儀があるそうで、それを利用して王に取り入ったって話ですよ」
取り入った、か。彼女にそんな頭があるとは思えないけど。
秘儀とやらにに関しては、なんとなく心当たりがある。たぶん異世界に行くやつのことだろう。
まあ、詳しい話は今度会った時に聞き出せばいいことだ。直接は無理でも、あいつのすぐ近くには優秀なスパイがいることだし。
そんなことよりも、今重要なのは……。
「……幼妻か。それも未亡人の」
基本的に、他に好きな男がいる女には興味を持たない俺なのだが、そのあまりにも魅惑的な響きに、今までほとんど女として見ていなかったエリスに対して新たな感情が芽生えてしまった。
「ツバキさん……なんか、邪なことを考えていません?」
「気のせいだよ」
何か疑惑の眼差しを向けてくるサリューネに対して満面の笑顔を返しながらも、頭の中ではエリスに対する邪な感情が満ち溢れていた。