第3話 午後の蜂蜜スコーンと、光蜂の谷の話
第3話 午後の蜂蜜スコーンと、光蜂の谷の話
朝の緑の豆亭は、いつものように珈琲の深い香りで満ちていた。
ユウが焙煎機の前で豆をゆっくり回していると、階段から軽やかな足音が聞こえてきた。
「おはようございます、ユウさん!」
リリアだった。
栗色の長い髪をきれいな三つ編みにまとめ、前髪が少し目にかかっている。明るい緑色の瞳が朝の光を受けて優しく輝いていた。
白いブラウスに膝丈のスカート、その上からいつものエプロンを着けていて、動きは小動物のように軽やかだ。
笑うと目尻が下がって、本当に可愛らしい。
「今日も新作のスコーン、楽しみにしてますね」
午後になると店は賑やかになった。
新作の「森の黄金蜂蜜ナッツスコーン」は、バターの豊かな香りと蜂蜜のまろやかな甘さが染み込み、粗挽きナッツのカリカリした食感がたまらない。
魔法のふわふわチョコチップクッキーは表面がほんのりキラキラ光り、
森のハーブとベリーのアイスミルクティーは、グラスの中で赤いベリーがふわりと浮かんで爽やかだった。
子供たちが「キラキラしてるー!」と大喜びし、リリアがエプロンをはためかせながら笑顔で接客している様子は、見ているだけで心が温かくなった。
そんな穏やかな午後に、ドアのベルが静かに鳴った。
「お邪魔します」
入ってきたのは、中年の旅の行商人だった。
背が高く、肩幅の広いがっしりした体格。日焼けした浅黒い肌に、短く整えた髭。
目つきは鋭いのに、どこか穏やかで、腰に下げた短剣の柄が自然に馴染んでいる。
一目で「頼れる男」だとわかる雰囲気をまとっていた。
彼はカウンターに近づき、にこりと笑った。
「評判通りのいい香りだ。
珍しいスパイスを少し分けますから、珈琲とそのスコーンをいただけますか?」
ユウが淹れた深煎りの珈琲と焼き立ての蜂蜜ナッツスコーンを出すと、
行商人は一口飲んで、一口食べて、満足そうに目を細めた。
「うまい……本当にうまい。
心が落ち着く味だな」
しばらく味わった後、彼はふと思い出したように言った。
「そういえば、この裏山の奥に『光蜂の谷』という場所があるそうです。
今年は特に上質な黄金蜂蜜が採れるらしいんですが……ただ、少し厄介でしてね。
小型の魔物、影狼や棘蜂が出るという話です。
蜂蜜採りに行くなら、護衛を一人連れた方が無難でしょう」
ユウが少し困った顔をすると、行商人は穏やかに笑った。
「もしよければ、私が護衛を務めましょうか?
旅の途中ですが、剣の腕には少し自信があります」
その頼もしい物言いに、リリアがエプロンの端をぎゅっと握った。
「ユウさん……どうしましょう。私、ユウさんと二人で行きたかったんですけど……」
行商人はリリアの言葉を聞き、優しく目を細めた。
「もちろん、のんびりした蜂蜜採りがメインですよ。
もし興味があれば、日を合わせてみましょう。
……ところで、昔からこの辺りでは、古い鍵の紋様が刻まれた書物が光り始めると、
森の奥で何かが動き出すという言い伝えがあるそうですね」
彼はそう言っただけで、それ以上は深く触れなかった。
ただ、ユウの反応を静かに見つめる瞳に、ほんの少しだけ探るような色が浮かんだ気がした。
ユウは軽く頷き、話題を戻した。
「光蜂の谷……ぜひ、蜂蜜を採りに行きたいです。
新鮮なものが手に入れば、もっと美味しいメニューが作れますから」
行商人が店を出た後、リリアが三つ編みを指でくるくる巻きながら言った。
「ユウさん、あの人……すごく頼れそうでしたね。
ちょっと怖い気もするけど……でも、ユウさんと一緒なら、私も行ってみたくなりました」
ユウは彼女の頭を優しく撫でた。
「うん。安全が第一だよ。
焦らず、のんびり行こう。
いい蜂蜜が採れたら、帰ってから一緒に新しいスイーツを考えよう」
夜、地下室をそっと覗くと、銀の鍵の紋様が刻まれた古書は、
今日も静かに青白い光を放っていた。
指で触れると、ほのかに温かかった。
ユウは小さく息を吐いた。
「光蜂の谷か……
まあ、焦ることはないさ」
窓の外、夕陽に染まる森の奥が、ほんのわずかに青く光っているように見えた。
今日も、いい珈琲とスコーンをみんなに届けた。
そして、リリアと、頼れる行商人とともに、光蜂の谷へ行く小さな約束ができた。
――第3話 おわり
(つづく)




