第2話 午後の蜂蜜ラテと、小さな予感
第2話 午後の蜂蜜ラテと、小さな予感
午後二時半。
緑の豆亭は、いつもより少し静かだった。
リリアがカウンターの奥で、銅のポットを磨きながら小さく鼻歌を歌っている。
俺は窓際の席で、今日の仕入れ帳を付けていた。前世の癖で、数字を丁寧に書くのが好きだった。
売上は……まあ、今日も赤字にはなっていない。村のカフェだから、儲けを求めるより「みんなが来てくれる」方が大事だ。
「ユウさん、蜂蜜ラテの在庫、もう少し作っておきますか?
ガルドさんの奥さんが、今日も『甘いの頼む』って言ってたんですよ」
リリアが振り返って笑う。
三つ編みの先が、ふわりと揺れた。
「ああ、作ろうか。今日は『森の黄金蜂蜜』を使うよ。
ちょっと酸味の強い豆と合わせると、意外とすっきりするんだ」
俺は立ち上がり、裏の棚から小さな瓶を取り出した。
蓋を開けると、濃厚な花の香りがふんわりと広がる。
この蜂蜜は、村の裏山にしか生息しない「光り蜂」が作るものだ。
普通の蜂蜜より甘さがまろやかで、魔法の成分が少しだけ入っているらしい。
前世の記憶では「高級マヌカハニー」みたいな位置づけだった。
ミルクを温め、魔法の火で優しく泡立てる。
そこにエスプレッソを注ぎ、蜂蜜をスプーン二杯。
最後に、軽くシナモンを振る。
完成したラテを、リリアが「わあ……」と目を輝かせた。
「ユウさん、いつもながら綺麗……。
これ、絵に描きたい」
「そうか」
俺は自分の分も淹れて、カウンター越しに彼女に渡した。
リリアは両手でカップを抱えるようにして、ふうっと息を吹きかける。
一口飲んで、ぱあっと頰が緩んだ。
「ん……! 甘いのに、後味がすっきりしてる……。
これ、毎日飲みたい……」
その笑顔を見ていると、胸の奥がじんわり温かくなる。
前世の俺は、こんな穏やかな午後を、誰かと共有した記憶がほとんどなかった。
そこへ、ドアのベルが小さく鳴った。
「おじゃまします……」
入ってきたのは、村の外れに住む老婆、ミラばあさんだった。
いつもは杖をついて、ゆっくり歩いてくるのに、今日は少し足取りが軽い。
「ばあさん、こんにちは。今日はどうしたんですか?」
「うん、ちょっとね……。
昨日の夜、また森の方で光ったんだよ。
私の家の裏の古い井戸の近くで、青い光がチラチラと……」
ミラばあさんはカウンターに腰を下ろし、いつものハーブティーを注文した。
俺は黙ってティーポットを温めながら、耳を傾ける。
「ばあさん、それって……」
「そう、古の魔導書の気配だって、おじいちゃんが昔から言ってた。
ユウくん、あんたの店にも、地下室に何かあるんじゃないのかい?」
リリアがビクッと肩を震わせた。
俺は平静を装って、ティーカップを置いた。
「地下室? ああ、古い本が何冊か埃かぶってるだけですよ。
開けたこともないし、光ったりはしてませんよ」
……嘘だった。
昨夜、寝る前に地下室を覗いた時、あの銀の鍵の紋様が、
明らかに昨日より強く光っていた。
触れると、指先が少しだけ熱くなった気がした。
ミラばあさんはティーを一口飲んで、目を細めた。
「ふふ、ユウくんは本当に優しい子だね。
無理に開けなくていいよ。
でも、もし何か起きたら……この村の皆で守るからね」
その言葉が、意外と重く胸に響いた。
ばあさんが帰った後、リリアが小声で言った。
「ユウさん……本当に大丈夫?
私、ちょっと怖いんですけど……」
「大丈夫だよ。
もし本当に『何か』が起きるとしても、
まずはこの店の珈琲をちゃんと淹れて、
みんなが笑顔で帰れるようにする。それが先だ」
(コイツは何を言っているんだ)
心の中で自分にそう突っ込んだ、だって何を言っているのかわからない。
俺はそう言って、彼女の頭を軽く撫でた。
リリアの耳が、ほんのり赤くなった。
午後四時。
新しいお客さんが二人、続けて入ってきた。
一人は、村の東側で果樹園をやっている青年、トム。
もう一人は、旅の途中の若い女性魔導師らしき人。
フードを深く被っていて、顔はよく見えない。
トムはいつものように「今日のクッキーセット」で、
女性は「一番香りの強い珈琲を」とだけ注文した。
妙な注文の仕方だな
俺は丁寧に豆を挽き、ドリップを始めた。
女性はカウンターに肘をつき、静かに香りを嗅いでいる。
ふと、彼女が小さな声で呟いた。
「……この香り、懐かしい。
王都の『青の塔』にある、古い珈琲の木の匂いに似てる……」
俺の指が、一瞬止まった。
青の塔。
昨日来た旅人が言っていた、王都の組織だ。
女性はカップを受け取り、一口飲んで、
わずかに息を吐いた。
「美味しい……。
店主さん、この村に長くいるんですか?」
「ええ、ここで生まれ育ちました」
「そうですか……。
もし、森の奥で『光るもの』を見かけたら、
私に教えてくれませんか?
報酬は、ちゃんと出します」
そう言って、彼女はカウンターに小さな銀貨を置いた。
銀貨の表面には、青い塔の紋章が刻まれていた。
リリアが俺の袖をそっと握った。
俺は微笑んだまま、首を振った。
「光るもの、ですか。
うちはカフェですから、珈琲と甘いものと、
のんびりした時間がメインでして。
でも、もし何か気づいたら、お伝えしますよ」
女性は少し残念そうに頷き、
残りの珈琲をゆっくり味わってから、店を出て行った。
ドアが閉まった瞬間、リリアが息を吐いた。
「ユウさん……また、青の塔の人……」
「そうだね、不思議だね。
今日はもう、夕方の準備をしよう。
新作の『蜂蜜とナッツのスコーン』、焼いてみるか」
俺はそう言って、オーブンに火を入れた。
甘いバターの香りが、店内にゆっくり広がっていく。
リリアは何か心配しているようだが、俺は特に気にしていない。
地下室の古書は、今日も静かに光を抑えていた。
でも、確かに……昨日より、少しだけ明るくなっていた。
森の奥からも、夕陽に紛れて、
ほんのわずかな青い光が、また一瞬だけ見えた気がした。
それでも俺は、
スコーンの生地を丁寧にこねながら、
ただ一つのことを考えていた。
明日も、いい珈琲を淹れよう。
みんなが、ほっとする味を。
のんびり。
焦らず。
この緑の里で、今日も一日を味わおう。
――第2話 おわり
(つづく)




