第七話 嫉妬
聖剣武闘祭の翌日、私はベッドの上で目を覚ました。体はまだ重いものの、昨日よりかはいくらか回復している。窓から差し込む朝の光が、やけに眩しく感じられた。
「ルーナ様、お目覚めですか?」
部屋の隅に控えていた若い医師エリオットが、心配そうに私の顔を覗き込む。エリオットは、私の病を知る数少ない人物の一人だ。
「ええ、先生。少しだけ、楽になりました」
私はかすれた声で答えた。エリオットは私の脈を取り、顔色を注意深く観察する。
「……そうですか。しかし、生命の灯火は、もうほとんど残っていません。次の満月は、残念ながら……」
エリオットの言葉は、そこで途切れた。しかし私にはそれが何を意味するのか、痛いほど分かってしまう。
次の満月。それは、あと数日後のことだ。
ああ……ついに、来てしまうのか。
私の心に、鉛のような重みがのしかかった。これまで、どこか他人事のように捉えていた「死」が、一気に現実味を帯びて迫ってきている。
「……そうですか」
それ以上の言葉は出なかった。ただ、ぼんやりと天井を見つめる。
「ルーナ様、無理はなさらないでください。体を動かすのは、今のルーナ様には……」
エリオットが、優しく諭すように言う。しかし、私は首を振った。
「いいえ、私はいつも通り仕事を行います」
私の声は、微かに震えていた。
「ですが、ルーナ様……」
「お願いします、先生。私には、まだやり残したことがあるんです。それに……じっとしているのは、性に合わないんです」
私はそう言うと、ゆっくりと体を起こそうとした。その動きは、ひどくぎこちないと自分でもよく分かる。エリオットはそんな私の様子を見て、深くため息をついた。
「……分かりました。ですが、決して無理はなさらないでください。私が付き添いましょう」
エリオットは、私の頑なな意思を察し、それ以上止めることはしなかった。
王城の図書室へ向かう道中、私はエリオットの腕に寄りかかりながら、ゆっくりと歩いた。外の空気は、昨日よりもひんやりと感じられる。遠くで、騎士たちの訓練の声が聞こえた。
アシェン様……。
彼の顔を思い浮かべる。きっと、今日も彼はいつも通り、執務に励んでいるのだろう。
あと、どれくらい、彼に会えるのだろう。
残された時間で、あと何度、彼に愛を告げられるだろうか。
いつもの日常が戻ってきた。しかし、アシェンの心には、得体の知れないもやもやが残っている。ルーナが武闘祭に来なかったこと。その理由が分からないことが、彼の集中力を鈍らせていた。
その日の午後。廊下に出たアシェンは、自分の目を疑った。
廊下の向こうに、ルーナがいた。そして、その隣には、見慣れない若いの男。ルーナはその男に寄りかかるようにして、ゆっくりと歩いている。男はルーナの体を支え、何か親しげに言葉をかけているようだった。ルーナもまた、その男を見上げて、かすかに微笑んでいる。
その光景を見た瞬間、アシェンの頭は真っ白になった。
(あの男は、誰だ……?)
彼の思考が、一瞬にして停止する。ルーナがこのように誰かに体を寄せる姿など、これまで見たことがなかった。いつもは彼に一方的に愛を叫び、元気いっぱいに駆け回る姿しか知らなかったのだから。
「お、アシェン。こんなところに棒立ちになって、どうしたんだ?」
背後から、ライナーの声が聞こえた。アシェンは動揺を悟られまいと、努めて平静を装って振り返る。
「……ライナーか」
「ずいぶん上の空だな? ほぉ、あれはルーナ嬢ちゃんじゃないか。知らない男と一緒にいる。まさか、嫉妬しているのか?」
ライナーは面白がるようにニヤニヤと笑いながら、ルーナたちのいる方向へ視線を送る。アシェンの眉間に、深い皺が刻まれた。
「……何を馬鹿なことを」
アシェンは簡潔に言い放った。しかしその声は、いつもよりわずかに高い。そして表情も、いつもより硬かった。ライナーは、そんなアシェンの様子を面白そうに眺めてる。
「ほう? そうかそうか。いつもは冷静沈着な騎士団長様が、あの嬢ちゃんのこととなると、どうも様子がおかしい」
「黙れ、ライナー」
アシェンは、苛立ちを隠さずに言い放った。ライナーは、アシェンの反応を見て、さらに笑みを深める。
「まあまあ。しかし、あの紳士は誰だろうな。ずいぶんと親しげに見えるが」
ライナーの言葉に、アシェンの視線は再びルーナへと向かう。彼女が男と話すその表情は、いつもの彼に話しかけている時の明るい笑顔とは違っていた。
どこか、疲れたような、はかなげな笑み。
(……どうして、こんなにも彼女のことが気になるんだ?)
アシェンの胸に、これまで感じたことのない感情が押し寄せた。ルーナが別の男と親し気に話しているのが不満である。感じたことのない思いを、アシェンは首を振って振り払おうとした。




